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2019/05/23 07:59:00
両親、弟、私の四人家族です。
父親は躾に厳しくて言葉で注意されるより手が先に出る人でした。

頭をげんこつで小突かれたり、平手で頬を打たれたりしました。

母親も私達をかばう様な人ではなく、逆に父親の暴力に賛同する様な人でした。

そんな父親に対して私と弟は、父親の少し大き目の声で喋りかけられるとビクッ!と縮こまって居ました。

そして私が5年生の頃から始まった父親からの虐待は体罰から性的な虐待に変わっていきました。
廊下ですれ違う時にお尻を触ってきたり、家に父親と私しか居ない時には、膨らみ始めたばかりの乳首の辺りを撫でられたりされました。

そんな行動が更にエスカレートしてきて、小さい頃に父親のあぐらの上に座りテレビを見ていた時の様に座らされました。
こんなに大きくなってから抱っこされる様な座り方をするのは恥ずかしくて抵抗は有りました。

父親はすぐに行動に出ました。

私の着ていたTシャツの中に手を入れてきて盛り上がった乳首を指で触り始めました。

その頃は少し当たったり擦れたりするだけでもチクチクと痛みを感じて居たので父親の指で乳首を摘まんだりされると痛みを感じて「お父さん痛いよ」と言っても無言で触り続けていました。

立って逃げようとすると「おとなしく座っていなさい」と低い声で言われて身体を強張らせて座りました。

胸から指が離れたので少し安心していると、今度はズボンの上から股の辺りを手で撫で始めました。
えっ?と思いましたが何も出来ませんでした。
抵抗をしない私に対して父親はズボンの中に手を入れてきて下着の上から閉じてる股の間に手をこじ入れてきました。

閉じてる私の股を開く様に左足をあぐらの外に動かすと、開いた股を手のひらが覆う様に父親は触ってきました。

触ると言うより、マッサージをするかの様に揉んできました。

そんな事をされるのは初めてで凄く嫌で気持ち悪かった。

暫くそんな事をされていると、ベルトを外しズボンのホックを外しとファスナーを下ろされました。
「これからすることは真美が大人になる準備だからな」と言われました。
父親の手は更にズボンを少しずり下げると完全に見えてる下着の中に入ってきました。
直接肌を撫でてきました。

暫くは盛り上がった恥丘を撫でると、閉じてる割れ目の中に指を入れて上下に動かしたり、皮を被っているクリトリスを触ったりされました。

「この事はお父さんと真美だけの秘密だからな」と言いながら触り続けていました。

すぐに下着も下ろされて私の性器を触り続ける父親の手が見えました。

嫌で恥ずかしくて気持ち悪くて目を閉じて我慢しました。

すると玄関の扉が開く音がすると父親はすぐに私を放して「早く着なさい」と言い残すと父親は部屋を出ていきました。
台所の方からは父親と母親の話す声が聞こえていました。
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2
投稿者:(無名)
2019/05/23 14:43:40   
クリいじられてイッたの?
3
投稿者:雄岡山
2019/05/23 17:12:36   
続きをお願いします。
4
投稿者:真美
2019/05/24 19:49:05   
母親の居るときはいつもの様に私と弟と部屋で騒いでいると下から父親の怒鳴る声で一気に楽しかった気分が消えてしまいました。

そのあとはヒソヒソ小さい声で話したり、それぞれの部屋に戻ると言うことが多かったです。

でも母親が用事などで家に居なくて父親と私達が居ると、自分の部屋で宿題をしていても父親は私を居間に呼んで私の身体を触るようになりました。

普段は「遊んでいないで勉強しろ」とか言っているのに、母親の留守の時には勉強を止めさせてまでも私の身体を触ってきました。

2階の部屋には弟と居ても服の中に手を入れてきて胸を触ったり、スカートの中に手を入れられて、後から思えば父親は私の身体を愛撫していたのだと分かりました。

小学生の私にはそこまでの性の知識は有りませんでしたが、「知らない男の人に話しかけられたら注意しなさい」とか「知らない人に身体を触られそうになったら逃げなさい」とかは小学校で度々聞かされていました。

質問されましたが、クリトリスも触られて居ましたし、父親のフニャフニャなオチンチンも無理矢理に触らされる様になりました。

そんな事をされている間の父親の話し方は嫌でした。

嫌と言うよりは気持ち悪かった。

そして必ずと言うくらいに膣に指を入れてきました。
自分で指を舐めたり唾を付けてからゆっくりと入れてきて、暫くは出し入れを繰り返して居ると、さらに中に入れてきました。

その間にも私の手をとり父親のオチンチンを触り続けさせられてると、父親のオチンチンが固さを増してきていました。

その頃はまだ固くなったオチンチンを直接見たわけではありませんが、何で固くなるんだろ?と不思議に思ったのと、どうして父親は私の性器を触ったり、自分の性器を触らせるのかが解りませんでした。

そんな日々が続いてて、ある日の夜に弟とお風呂に入って居るときに「正夫一緒に入ろうか」と言いながら父親が入ってきました。

私は、四年生の頃から父親とは一緒にお風呂に入らなくなっていたのですが、突然入ってきて驚いたのと父親とは言え、久しぶりに裸を見られるのには正直抵抗が有りました。

小さい頃の様に弟の頭や身体を洗う父親を見ていたら、普段は躾に厳しくて怖かったけど時々優しい一面を見せてくれると心の底からは嫌いになれなかったのですが、急かす様にし弟をお風呂から上げようとしている父親を見てて私の嫌な予感は当たってしまいました。
弟は脱衣場でパジャマを着て出ていくのが分かると私の身体に手を伸ばしてきました。

胸を撫でまわし股にもにも手を差し入れて割れ目を指で開き中をなぞるように触ってきました。

割れ目をなぞるたびにお風呂のお湯がちゃぷちゃぷ波打っていました。

チクッとした痛みが走り中に指を入れられたのが分かりました。

私は早く終わって欲しいと祈るだけでしたが、父親の考えは違っていたようでした。

湯船のなかでは狭すぎだと分かると私をお湯から出すとバスマットに寝転がる様に指示してきました。

父親も立ち上がるとオチンチンは今まで見たこともない形になっていました。

父親は親から一人の男に変わり、娘を性の対象として見るようになってしまったんでしょう。

私自身はそんな父親の行為を我慢して過ごしていました。

お風呂場での行為は、私をお風呂に脚を開き縁に座らせると、私の股の間に顔を近付けると割れ目を舐め始めました。

お風呂に入り綺麗に洗ったとは言え、なぜそこを舐めるのか理解できませんでしたし、今度は父親がお風呂の縁に座ると、固くなったオチンチンを口の中に入れる様に言われて、精一杯開いた口の中に入れるのはやはり抵抗は有りました。

でも拒むと叱られると思い父親の言う様に舐めたり口を閉じて前後に動くと「よしよし上手だぞ真美」と誉めるのですが、私は全然嬉しくなかった。

母親は社交的でスポーツ好きだったから、週に2回位の夜にバレーボールのクラブでストレス発散と言って留守にしていました。

父親はそれを良いことに私が一人でお風呂に入っていると何も言わないで入ってきては私の身体をおもちゃにして、時には泡立てたボディーソープを私の割れ目に塗りたぐり、膣の中にも指で塗るようにされました。

歯ブラシの柄やヘアーブラシの柄なども膣の中に入れらる様になり、「前はここまで入ったから、今日はここまで入れるからな」とにやけながら言われました。

ある程度入ると、更に太い物を入れてきて、それが入りきるとまた太い物を探してきて私の中に入れてきました。

私が6年生になる頃には、オチンチンの形をした物を私の膣の中に入れてきました。

その頃には私も学校で性教育を受けて父親の私に対しての行為の意味を知りました。

胸も少しだけ膨らみ丸みをも増してくると父親の行為は更にエスカレートしてきて、乳首を吸い上げたり、クリトリスも吸ったり舐めたりしてて、時には歯で軽く噛んだりもされました。

そんな行為を嫌で仕方なかったのですが「真美も女に近付いてきたな、マンコは正直だな」と言いながら割れ目に指を這わせて、指先で掻きあげる様にすると「真美の中から出てきたスケベ汁だよ」と人差し指と親指をベタペタとすると指の間には糸を引く物が見えました。

「このスケベ汁が出るようになれば立派な大人になれるんだぞ」私に言い聞かすように話していましたが、私には関係ない、早く終わって…と思うだけでした。
5
投稿者:真美
2019/05/25 03:54:30   
普段学校に居るときだけは友達話したりして楽しかったけど、学校が終わり友達と一緒に帰るときは憂鬱でした。

母親は専業主婦でしたが、知り合いの人のお店が忙しいときにはアルバイトみたいな事もしていました。

父親はごく普通のサラリーマンで残業も有ったりして、その日だけは弟とゆっくりお風呂に入れていました。

母親には「4年生なんだからお風呂ぐらい一人で入りなさい」といつも弟は言われていましたが、私のあとを追ってお風呂に入ってくる弟が可愛かったから一緒に入っていました。

それまではあまり気にしては居なかったのですが、弟の私への視線が気になりました。

弟の視線は私の胸やお湯に入るときに縁を跨いだ時に私の性器を見詰めるのが分かりました。

でもここでは、「なぜお姉ちゃんの胸や股の所ばかり見るの」とは聞いたりはしませんでした。

なぜしなかったのかは、弟からの返事が怖かったのかも知れません。

その後も今までと代わりない態度で居ましたが、母親が言う様に弟とはもぉ一緒にお風呂には入らない方が良いのかなぁ…とも考えました。

6年生の夏休みが近づいた頃の私は、嫌だと思いながら父親の行為を断ることは出来ないで居ました。

母親の留守の時には、弟を遠ざけたり親の部屋に連れていかれて触られて居ました。

母親がバレーボールの練習の為に出掛けた夜の時に、私は父親に呼ばれて親の部屋に行くといきなりベッドに寝かされるとタンクトップを胸の上まで捲りあげて、膨らみを鷲掴みの様に揉んだり乳首を指先で掻くようにしてから口を付けてきて舐めたり吸ったりされて居ました。
またかぁ、と思いながら居ると、父親の舌が乳首の周りをなぞるようにしているのを目を閉じて我慢していると、太ももを撫でながらハーフパンツの中に手を滑り込ませてきました。

指は下着の中にも入ってきてクリトリスを探し当てると執拗に指先でこねくり回したり、皮を剥こうとしたりもされました。
前には皮を剥いたクリトリスを直接触られて「痛いよ」と我慢できずに言うと「真美ならこれ位の痛みなんが耐えられるだろ、我慢しなさい」と怒鳴られてからは痛くても言えないで我慢していました。

そしてハーフパンツと下着を一気に脱がすと私の脚は父親が舐めやすいように膝を折り曲げてから左右に開くと父親は私の股の間に顔を近付けて「真美感じてるのか、少し濡れてきてるじゃないか」と言うとニュルと私の中に指を入れてきました。
その頃には父親の指を入れられても痛み等は有りませんでしたが、異物感みたいなのは感じていました。
指が中で動くのも分かりました。

それまでの膣の中に指や色々な細い物を入れられても痛みは少しだけ感じましたが、出血はしなかったから処女膜は破れてはいないだろうと思っていたし、実の父親だから最後の行為まではしないだろう、と思っていましたが、その日はいつもと違っていました。

父親は更にクリトリスを刺激つづけてると「真美の膣口がヒクヒクしだしたぞ」と言うのです。

目を閉じて父親の行為を嫌だと我慢していましたが、私の意思とは関係なく身体は父親の行為で分泌物を出していました。

父親が私の手を私自身の割れ目にられる触らせれと、ヌルヌルとした液体が手のひらに付くのが分かりました。

「気持ち良かったら正直に言うんだよ」とか「我慢しないで声を出していいんだぞ」とも言ってきました。

目を閉じて居ても分かる父親の舌が私の割れ目を舐め始めたのを感じました。

ヌメヌメと割れ目を上下したり、クリトリスを吸うと髭でチクチクとしていました。

「早く終わって…」と思うしか有りませんでした。
頭の中では他の事を考えたり、思ったりもしていましたが全然駄目でした。

部屋の時計が9時を告げると、ベッドが揺れて父親が動いたのが分かり、脚も自由になり閉じる事が出来ました。

後約30分位には母親が帰って来るので止めてくれたんだと勝手に思い込んで目を開けると、下半身裸で固くなり上を向いているオチンチンが見えました。

なぜか私は咄嗟に目を閉じると、閉じてた脚が開かれてまた同じ様な態勢にされると割れ目に何かを押し当てられる感覚がして、今までの指や舌の感じではなくて太くて固いものだと分かり、すぐに父親のオチンチンだと分かりました。

押し当てられてるオチンチンは私の分泌物でヌルヌルになっている割れ目の中を擦る様に動いてて、怖かったけど父親に気付かれない様に薄目で見ると、父親の身体は私の股の間にあって、脚は父親の身体で押し広げられて居て、父親は自分のオチンチンに手を添えて動かして居るのが見えました。

もしかして入れられちゃうのかな…と半ば諦めていましたが、1階から電話が鳴る音が聞こえてきて、少しするとガチャと音がしてからトントンと階段をかけ降りる音がしました。
電話の音がしなくなり、今度は階段 をかけ上がる音がすると「お父さん、お母さんが体育館まで迎えに来て欲しいって」とドアの向こうで弟が言うのが聞こえると「わかったよ」と不機嫌そうな顔が薄目で見ている私にははっきり見えました。

その間もオチンチンを動かしていて、グイッと今までより強く押し付けられると自分の膣口が一気に広げらるのを感じると同時に苦しい様な感覚が身体に走りました。

何度も何度も押し付けられるたびに膣口が開いていくような感覚に襲われましたが痛みは少しだけしか感じませんでした。
そして、ベチャとした物が私の股や下腹部に飛び散る様な感じがしました。
その時に気付きました、父親の息は荒くなっていて「ほら早く始末しろ」と言われて目を完全に開けると父親は私から離れる瞬間で、オチンチンは更に太さを増したようにも見えたし、何よりもオチンチンが部屋の明かりに照らされて光っている様にも見えました。

ボックスティッシュで自分のオチンチンを拭うと、それを私に投げてきました。

「お母さんを迎えに行ってくるから、帰って来るそれまでそのバスタオルを洗っておきなさい」と言いながら父親は服を着ていました。

ティッシュでお腹や股を拭うと大量のヌルヌルした液体が私の身体に着いていました。

何枚もティッシュで拭いました。

出血も有りませんでした。
これは初体験じゃないよね…と自分に言い聞かせて父親に脱がされた下着とハーフパンツを穿いてベッドに敷かれていた2枚のバスタオルを持って私はお風呂場に向かい、穿いたばかりのハーフパンツを脱ぎ、下着も脱ぐと下着には染みが出来ていて、着ていた紺色のタンクトップにも液体が飛び散っていました。

バスタオル2枚とタンクトップとハーフパンツ、下着を一緒に洗濯機に入れてからお風呂に入りました。

お湯に浸かりながら半泣き状態でした。

お湯から出て、父親のオチンチンを入れられていた膣の中に初めて自分の指を入れると中にはまだヌルヌルした液体が残っているのが分かりました。

その液体が父親の精液だとも分かっていました。
まだ生理が来ていなかったから妊娠の心配は無いとは分かっていましたが、実の父親の精液が自分の中に残っているのが気持ち悪くて、シャワーを強く当ててボディーソープも指に付けてから中を洗い流しました。

いくら洗っても中から出てくる様な気がして何度も何度も洗い流しました。

親達が帰って来る迄にお風呂を上がり、下着やパジャマを用意してなかったので、バスタオルを1枚身体に巻いてから自分の部屋に戻りました。

部屋に戻りベッドに座り気持ちを落ち着かせてから、鏡で自分の割れ目を写して見ると、割れ目はピッタリと閉じていたけど、中から小さな肉片みたいなのが見えていました。

気になって割れ目を開いて見ると小さなヒラヒラした物が左右にあり、クリトリスも少しだけ皮の中から出ていて、膣口が見えるくらいに広げると入り口は少し赤みを帯びていて、小さく入り口が開いていくのが見えました。
自分で自分の割れ目をこんなに見るのは初めてでした。

暫くすると家の前に車が止まる音がしました。

母親が遅めの晩ごはんを食べている間に父親は自分等の部屋のチェックしに来てから私の部屋に来て、「ちゃんと勉強してから寝ろよ」とだけ言い残して1階に降りていきました。
6
投稿者:雄岡山
2019/05/25 09:15:17   
弟さんとは、何学年違いですか?

続きをお願いします。
7
投稿者:(無名)
2019/05/26 11:03:00   
「真美の中から出てきたスケベ汁だよ」


フイた
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投稿者:真美
2019/05/27 03:17:40   
弟とは二歳違いです。

私は出来るだけ休みの日には「友達の家電勉強するから」とか「ちゃんに誘われたんで…」と色々な理由で家に居ないようにしていました。

その頃には、母親や弟の見ていない所では服の上からやズボンやスカートの上からでも触ってきていました。

私が中学校に入学して、小学生の頃から比べれば生活は一変しました。

部活の朝練や放課後の部活や土日の部活もあり家から離れられて父親と二人だけになる時間が減り、私は穏やかに過ごせていました。

友達と居る時や部活をしている時だけは父親の事も忘れられてて普通の中学生で居られました。

ですが、家に帰れば父親からの虐待が待っていました。

母親の夜のバレーボールの練習や、ママ友からの誘いで家を留守にする時には私は嫌で仕方なかったです。

2階に居るとは言え弟も居るのに下着の中に手を入れてきたり、無理矢理に私に自分のオチンチンを触らすためにズボンのファスナーを下げて「お父さんのチンポを可愛がってくれよ」と平気で言ってくる様にもなって、固くなれば口に入れてフェラをしてくれ、とも要求してきました。

そして私達が夏休みに入り、母親は弟と小学校の行事の一泊二日の親子キャンプに出掛ける事になり、私は覚悟しました。

当日の午前中に、父親の運転する車で母親と弟を学校まで送ると、そのあと父親もどこかに行ったようでした。

私は朝とお昼ご飯を一人で済ませました。

たぶん父親は弟達を送るとすぐに家に帰ってきて、また私に性的な虐待をしてくるのだろう?覚悟をしていましたが、予想が外れてほっと胸を撫で下ろしていました。

夕方には母親に言われたように晩ごはんの仕度を終える頃には父親も帰宅してきました。

父親は少しだけお酒を飲ん晩ごはん食べて、私が後片付けをしている間にお風呂に行くのが分かりました。

後片付けを終えて暫くすると父親がお風呂から出てきて「ボイラーつけてあるから早く風呂に入りなよ」と言い残すと台所に行き冷蔵庫から缶ビールを持ってきて飲み始めました。

私は、叱られる前に自分の部屋に行き、下着やパジャマを持ってお風呂場に向かいました。

また父親が無理矢理お風呂に入ってくるかも知れない、とビクビクしながら髪や身体を洗いお風呂に入れていました。

でも、私のそんな心配は要りませんでした。

覗きに来るとか、二人きっきりだから、また嫌な事をされるのては…と余計な心配は外れてくれたみたいでした。

久しぶりにゆっくりとできたお風呂でした。

お風呂を出ると父親の姿はなく、居間の電気も消えてて父親は寝たんだと思っていました。

私も自分の部屋に戻ると急に眠気が襲ってきてベッドに横になるとすぐに眠りに付いたようです。

寝苦しさから目を覚ました私は、すぐには気付かなかったのですが、誰かに身体を触られている感覚と、パジャマや下着を着て寝たはずでしたが、自分が上半身が裸で、意識がハッキリしてくると、下半身も裸だと分かりました。

そして私の脚の間には人影も見えていて、その人が父親だと感じました。

そして、父親に性器を舐められている事にも気付きましたが、私は声も出さず抵抗もしないで寝たふりを続けました。

薄明かりに照らされた父親の姿は、私と同じく全裸だと分かりました。

薄暗い部屋のなかに、スマホのシャッター音が響きました。

私の身体をスマホで撮っているのだと思いました。

薄明かりに目がなれて、父親の動きがハッキリと見えていました。

父親の手にはビンの様な物を持っているのが見えて、それを手のひらに取ると私の性器に塗り始めました。

一瞬、ヒヤッとしていて液体だと感じました。
それを今度は、膣の中に流し込む様に入れてきました。

時間を掛けて私の中に冷たい液体入れ終わると、また手のひらに液体を垂らすと、大きくなっているオチンチンにそれを塗ると、クチャクチュと音がなり始めていたした。

父親は私の両方の脚を掴むと膝を折り曲げてから左右に開くと、固く私の脚の間に身体を密着させてくれと、前にもされた様に固くなってるオチンチンを私の入り口に押し当ててきました。

何かを塗られたのが原因かも知れませんが、前よりすんなりと膣口を開いて中に入ってくるのが分かりました。

早く終わって欲しい、それだけを祈って寝たふりを続けていましたが、次の瞬間に私は「い、痛いよ」と声をあげてしまいました。

股が引き裂かれたかと思うような痛みが走り、それと同時に父親が私に抱き付いてきました。

「お父さん痛いよ、やめてよ」と言うのが精一杯でした。

父親はそんな私の言うことを聞きもしないでグリグリと股を押し広げて、オチンチンを更に押し付けて中に入れてきました。

私は痛みを必死に舞えました。

父親はこれでもか、と言わんばかりに私の股に自分の下半身押し付けてオチンチンを中に入れようとしている様でした。

私の中では痛いと、お腹が苦しいとが混ざりあってい痛さのあまり目を閉じて痛みに耐えていました。

父親は私に抱き付いたままで「起きてるんだろ、目を開けなさい」と言われ目を開けると、父親の顔が私の目の前にあり、いきなり唇に父親の唇が押し付けられました。

お酒やタバコの臭いが混ざりあったような臭いがして気持ち悪くて、また目を閉じると、ネトッした柔らかい物が私の唇の間を左右に動いていて気味が悪かった。

父親に「口を開けなさい」と言われ最初は拒んでいましたが、ピシャ!と左の頬に痛みが走りました。
平手で頬を打たれて怖くて痛くて口を開けるしかありませんでした。

また父親の唇が私の開いた口に着くと私の口の中に舌を差し入れてきました。

恋人同士がする様なキスだったと思いますが、父親は一方的に舌で私の口の中で動いていました。
「舌を出しなさい」と言われて少しだけ出すと、私の舌を吸うようにしてきました。

暫くすると、止まっていた父親の腰が上下に、ゆっくりだけど動き始めると、少しだけ痛みが収まって居たのが、また痛さを増してきました。

腰を動かしならが、私の胸を揉んだり、乳首を吸い上げたりしていました。
父親が動くたびに、クチャクチャと音が部屋の中で広がって聞こえていました。

私の体からは完全にちからは抜けていて、父親は好き勝手に私の身体をもてあそんでいました。

私は目を閉じて父親が私の部屋から出ていくのを待つだけでした。

私の両足は父親の両腕で開く様に固定されていて、苦しい態勢だったけど我慢し続けていると「うっ」と唸る様な父親の声に驚き目を開けると、私の股の間には父親の大きくなったままのオチンチンが突き刺さったままの状態が目に入りました。
グチュ、更に中に入った様に感じました。

私の脚を離すと、父親が私に重なってきました。
重くて苦しかった。

暫くすると私の体から離れてくれたら、ニュルと私の膣の中から父親のオチンチンが抜けたのが分かりました。

抜けた後にはお尻の方に何かが割れ目を伝って流れ落ちるのを感じました。
少し息の上がったら父親が私の横に避けると父親は私の首には腕を回してきました。

私は無抵抗で我慢していました。

息遣いがゆっくりになると、父親は部屋の電気を点けてから、また私の身体を撫で始めました。

シーツには所々に薄いピンク色の染みが何個か付いているのが目に入りました。
冷静に考えれば、それは私の初体験の血と父親の精液が混じりあって出来た液体の染みでした。

父親はちからの抜けた私の身体をおもちゃの様に扱い、また大きくなったオチンチンを私の中に入れてくると、赤ちゃんが抱っこされる時の様なかっこうや、犬の様に四つん這いにされたかっこうで後ろから中に入れてきたりもされました。

「真美の中にお父さんのチンポが奥まで入っているのが見えるぞ」とかスマホのシャッター音がなっていました。

その夜は、お腹の上に精液を出されたり、中にも何度か出されたと思いますが、ハッキリとは回数は分かりませんでした。
気が付くと、カーテンの隙間から日の光がもれていて、朝になっているのが分かり、横には全裸の父親がイビキをかいて寝ていました。

ベッドのシーツはぐちゃぐちょなってて、染みも沢山できていました。

私は怠い身体で全裸のままトイレに行きました。
トイレの中で割れ目を覗き込むと、中から太ももを伝って液体が流れ出てきているのが見えました。
何度も何度もビデで中を洗ったけど、気持ち悪さは残ったままでした。

暫く何も出来ないで便座に座ったままでいたら、2階から父親の声がして慌ててトイレからでて返事をしました。

「ちょっと、すぐに来なさい」と怒鳴られて、私は全裸のまま急いで階段を上がり、自分の部屋に戻ると父親もまだ全裸のままで「ほら、オチンチンが舐めて欲しいらしいぞ」と父親は自分のオチンチンを指差して言ってきました。

私は言われるままに父親の足元に膝まづき、実の父親のオチンチンを口にふくみ言われた通りに舌を使って父親を喜ばす行為を続けると「ベッド上がりなさい」と言われて、また父親に言われたように膝を折り股を開くと父親は私の割れ目をなぞると「たんだよ!あんなに中に出してやったのに、洗っちまったのかよ?」とイラッとした表情で言われたので「ごめんなさい、ごめんなさい、オシッコの時に一緒に洗っちゃいました」と謝ると「仕方ないな、今回は許してやるから、次からはお父さんがいいと言うまで洗うなよ」と言われました。

「はい、分かりました。ごめんなさい」と言うと、それまでに見せたことが無いような笑顔で、よしよしと私の頭を撫でてきました。

「じゃ、罰として」と言うと夜の時に冷たい液体の入ってたビンを手に取り、少しピンク色の液体を手のひらにとり、夜と同じ様に私と自分の固くなってるオチンチンに塗ると私に重なってきました。

ニュルと中に入ってきました。

明るい部屋の中は暑さが増してきて、上になって腰を振り続けている父親の顔からは汗が滴り私の胸や顔にも落ちてきていました。

これで最後、と我慢をしてると父親の腰の動きが早まり、「出すぞ、真美の一番奥に出してあげるからな」と言うとグイッと最後に突き上げられ、父親が重なってきました。

オチンチンが入っている時には痛みも苦しさも有りました。

父親のオチンチンがしぼんで私の中から抜けると私から離れてくれました。

やっと終わった、と思っていました。


9
投稿者:雄岡山
2019/05/27 08:30:57   
大変な目に遭いましたね。現在は何歳ですか? 
10
投稿者:(無名)
2019/05/27 10:21:22   
攻められて数えきれないオーガズムを味わったんだね
11
投稿者:真美
2019/05/27 16:15:53   
雄岡山さん、今19歳です。

結局は私が高校2年生の時まで父親に性交をさせられました、

父親は私の都合や体調など関係なく、母親が留守の時を狙い無理矢理に私を犯してきました。

私の身体は心では拒んでいるのに、父親の愛撫により乳首を立てて父親を受け入れる様に濡れていきました。

それを確認すると私の中に入れてきました。

正直、父親からの愛撫や性交で気持ち良かったのか、私が嫌がっていたと思っていただけで、本当は気持ちよかったのかも知れない、思うようになっていきました。

でも、いざ父親がわたしの身体を愛撫し初めても、ただ触られている感覚しかなくて気持ち良いと言うものは有りませんでしたが、父親の愛撫が続くとすんなりとの指を入れられていました。

気付くと父親は何も言わずに私の中に挿入してきました。

私の気持ちなど考えないで、自分の性欲に負けて実の娘に対して欲望に膨れたオチンチンで私を何度も犯していました。

そんな生活の中でも、私は高校受験をむかえて無事に志望校にも合格できました。

楽しい高校生活の中でも、父親による性交は続きました。

胸も発育して、それが父親を喜ばす材料にもなり「真美のマンコの中は最高だぞ」とか「エッチな娘だな、父親のチンポをにヒダヒダが絡み付いてきてるぞ」とニヤニヤしながら腰を私に打ち付けていました。

中に出される回数は減りましたが、出す時に私から引き抜いてお腹の上に出したり、引き抜いた後に私の股の間に出したりされました。

股の間に出されるとシーツには染みができるので、満足して私の部屋から出ていくのを確認してから父親の出した精液が着いた身体を拭き取り、シーツも取り替えて、ベッドには消臭スプレーをかけて匂いを消していました。

母親が「2時間くらいさんと買い物に行ってくるから」と言い残すと出掛けていきました。

私は洗濯が終ったので自分の部屋に行きベランダに干し終わり一息ついていました。

隣の弟の部屋のドアが開く音がして、父親と弟との声が聞こえてましたが、何を喋っているのかまでは聞き取れませんでした。
少しするとドアが閉まり父親が1階に降りる足音が聞こえて、そのあとを追うように軽い足音も聞こえていました。

二人で出掛けるのかな?
と思ってると、また階段を上がってくる足音が聞こえて私の部屋の前で止まりました。

部屋のドアが開くと父親が中に入ってきました。
私は全裸にされて、父親も全裸になると私に襲い掛かってきました。

散々おもちゃにされて、父親のオチンチンが入れられて、腰を動かし続けている最中に私の部屋のドアが勢いよく開くと「何やってるのあなた達は」と母親の怒鳴り声が部屋に響きました。

私は驚き身体を強ばらすと同時くらいに父親が射精をしながら私から離れたので、オチンチンからはまだ勢いよく精液が飛び出し撒き散らしていました。

なんとも可笑しな光景でしたが、母親の「二人とも地獄に落ちろ」と言う言葉に私は咄嗟に身体を起こして「地獄、そんなのずっと前から落ちてるよ」と初めて母親にきつい口調で言い返していました。
全裸に父親の精液が付いている身体を見た母親は鬼の形相で私の頬を打ち父親の頬には何度も打っていました。

私の中であんなに元気だった父親のオチンチンは不思議なくらいに小さく萎んでいるのに、また先からは精液なのか糸を引いて床に垂れ落ちて居ました。

父親は一生懸命に母親に謝っていましたが、父親が一言口を開くと何倍にも言い返されていました。
本当、マンガの様な光景でした。

私はベッドから降りて、私の身体に付いている、父親が撒き散らした精液をウェットティッシュで拭って、父親によって脱がされた下着や服を広い集めて部屋を出て廊下で身仕度を整えて家を飛び出しました。

以前、何度か相談していた人に会いに行きました。
中学生の頃からの知り合いで、学校での悩みの相談や家庭での悩みの相談がある人は遠慮なく相談してください、と言ってくれていた児童相談所の人でした。

体罰的な相談は何度かして、お父さんの体罰がまたあったらすぐに教えて、と言われていましたが、体罰の他に性的虐待が日常化の様に繰り返されていて、体罰の事から性的な行為がその人に知られるのが怖かったから、父親に処女奪われてからは話を聞いてもらいには行って居ませんでした。

久しぶりに会った私は個室で今までに有った父親からの行為や、今日の出来事を話しました。

その人は色んな所に電話をしてから、私を連れて婦人科に向かい、車の中では、そこで病気や妊娠の検査や体の診察をしてもら事を知らされました。
病院の裏口から入り色んな検査と、恥ずかしかったけど性器の診察や膣の中の診察を受けました。

後から教えて貰ったのですが、膣の中を診察するのは、本当に父親が私に対して性交をしていた事を確認する為と、性交の頻度を調べるためだったそうです。

実際にその時の検査で、私の膣の中に残っていた精液も採取していたそうです。

その人と産婦人科を後にして相談所に戻ると、別室には父親と母親が来ていたそうです。

父親と母親は別々の部屋で相談所の人と面談をしていて、その日私は相談所の施設に一時保護と言う措置が取られ、父親との話し合いで、父親は私に対して性的虐待、性交の事実を認めて、母親も薄々だけど父親の私への行為を感じていたそうです。

それ以来、私は父親と会っていないし、母親も父親と離婚して私と弟の親権は母親が取りましたが、私が母親との生活を拒むと母親とも離れて暮らし、高校を卒業して私は家族を捨てました。

心残りなのは弟の事です。
両親の離婚の切っ掛けは、被害者だけど弟からしたら私が離婚の原因だと思っていたら悲しいです。

長くなりましたが、ありがとうございました。
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