2016/01/20 23:41:27
Saoさん、的確な分析、参考になりました。
「学習性無力感」・・・聞いたことがありました。まさしく、その通りだなと感じています。
新興宗教などの洗脳も、恐怖と安心感を繰り返し与えることによって心理的に依存させるというようなことも聞いたことがあります。
「像使いの話」はどう理解すればいいのでしょうか?ちょっと困っています。
続きの話を、また長々と書かせていただきます。お付き合いください。
あるとき、裸で授業をしたり、廊下を犬のように四つん這いで歩かされたりするビデオを見ました。彼らは、それを勤務校でやろうといいだしました。土曜日の夜、タクシーで学校に向かいました。当時勤務していた学校は、校舎が3列に並び、一番奥の校舎は、背後が丘になっているため、夜に明かりがついていても誰にもわかりません。正門や校庭のカギは南京錠で、教員は一人1個ずつもっていました。機械警備の学校で、夜10時以降も残るときは警備会社に連絡を入れることになっていました。ですので、10時までには学校から出るようにお願いしました。
一番奥の校舎は特別教室で、3階が図書室とパソコン教室になっていました。職員室は一番手前にあるため、明りをつけずに真っ暗な中でカギを取り出しました。パソコン教室に入ると、2人が座る間に立たされ英語の授業をしました。彼らは、スカートの中に手を入れたり、ブラウスのボタンをはずさして胸をさわったりしてきました。だんだん彼らも興奮してきたようで、ホワイトボードの前で脱ぐように命じられ、裸で授業させられました。そして、教卓の上に乗ってオナニーをしろというのです。いろいろな先生が使う机では抵抗があったので、床でさせてくださいとお願いしましたが、そんなことは聞き入れてもらえるはずがありません。鞄にしまってもってきた、おもちゃを使ってオナニーをしました。その後、職員室まで裸のまま歩かされ、職員室の私の席でセックスをさせられました。外の明りが室内に入ってきて、また、車の音や人の話し声も聞こえるところでした。照明をつけなかったのが、せめてもの救いでした。
私が退職を決意したのは、一つは猛君のことです。中学時代の進路面談で、あのような(彼とキスをしてしまった)ことさえなければ、猛君の性格も、そしてその後の事件も起きなかったと思っています。その原因を作ったのは私だという自責の念が一番です。二つ目は、剛の暴力的な支配、屈辱的な命令に対して抵抗することができず、しかも、レイプされたにもかかわらず、犯されたにもかかわらず、恥ずかしいのですが、感じてしまい、いってしまったこともあったのです。この、背徳感が、私自身を教職から身を引かせる要因となりました。
退職の申し出は12月になってからで遅かったのですが、校長先生は親身に相談にのってくださり、なんとか3月まででの退職で承諾をいただけました。教員の異動は早く、11月中に管理職の面接で意向が聞かれます。もちろん、異動が決まっても子どもたちに話すことはなく、子どもたちは3月末に異動した先生を知ることになります。私も二重の意味で、退職することを隠していました。一つは守秘義務ですが、もう一つは情報が洩れて彼らに伝わってしまうことを恐れたのです。
3月はいろいろな行事があり、一つ一つが教員として最後だと思うと、なんとなく名残が惜しくなってしまいます。もちろん、その間も、剛と猛、二人との暴力的な関係は強いられていました。冬は彼らの仕事も忙しいらしく、休みなしの日が多いようで、月に2回くらい、土曜の夜に来ました。
1月の時点では、私はすでに剛の暴力に屈服していました。抵抗して殴られるのを恐れ、いいなりとなっていました。前にも書いたように、彼らはスカートをみました。彼らが来ると、玄関でフェラチオのご挨拶をさせられます。まずは、先輩の剛のものからです。私がズボンのチャックをさげ、彼のものをとりだして口にふくみます。しかも、「おしゃぶりさせてください」という言葉も言わされるのです。最後は「ミルクを口に出してください」ということも言わされました。最初は抵抗しましたが、抵抗するたびに顔を殴られたり、腹をけられたりするので、素直に命令に従うようにしました。同じように猛君のもしゃぶりしました。彼は自分でチャックをおろして出してくれるので、屈辱感はなかったです。でも、猛くんのものをおしゃぶりしていると、剛が後ろからスカートをまくり、下着をさげて、指で私の下半身をいじってきます。指を入れられ、猛君が射精する前に、私がいかされてしまったこともありました。