ナンネットID のアカウントをお持ちですか? ログイン ログイン
ナンネットID
 
1
削除依頼
2016/01/16 15:09:05
私は現在42歳。
10年前まで、関東地方のある公立中学校で英語の教員をしていました。ある事件をきっかけに退職し、郷里に帰ってきました。
ある事件とは・・・。それは、卒業生らによるレイプでした。
それから10年。私は結婚をすることもなく、今日まで郷里で生活してきました。
今年の4月、12年前に卒業させた生徒たちから同窓会の招待状が送られてきました。退職のとき、郷里の住所を知らせないように事務の方にお願いしていたのですが、いまの事務の方が教えてしまったようです、10年以上も前のお願いですから、それも仕方ありません。
もちろん、私は欠席に丸をして、「ご盛会をお祈り申し上げます」とだけ書いて返送しました。その後、同窓会の報告がアルバムにまとめられて送られてきました。卒業から12年、生徒たちも27歳になっているはずです。アルバムに写っている男子や女子の顔をみて、懐かしく涙がでてきてしまいました。
それと一緒に、名簿も添付されていました。当時の先生方のお名前と住所、もちろん私の住所も掲載されていました。私はイヤな予感がしました。
私が担任をしていた3年3組のページを開きました。何人か、住所が判明していない卒業生もいましたが、すぐに目に付いたのが『3308小林猛』(出席番号が3年3組8番)の名前でした。彼は地元の隣町でアパート暮らしをしているようでした。
この卒業生の猛君とその先輩が、私の教員生活を辞めさせた張本人です。(のちに、後輩が加わり、退職のときは3人になりました。)
そして、同窓会後の夏に恐れていたことが起こりました。小林猛からの手紙でした。「先生に会いたい。今度、○○○県に遊びに行くので会ってほしい」という内容でした。彼の携帯電話の番号も記載されていました。もちろん私は手紙を無視しのました。こんな遠くまで来るわけがないと思ったからです。
しばらくすると、また手紙がきました。その中には、8月24日に私の住む県の中心市のホテルを予約したので、そこの喫茶店で会いたいというものでした。そして、10年前のことを謝罪したいというものでした。
私は自分の人生をめちゃくちゃにされた相手にもかかわらず、改心したのかな、10年前のことを後悔しているのかな、今は一生懸命頑張ってうるのかなよ、甘い心を起していしまい、手紙に記されていた携帯電話に電話をかけてしまいました。
電話の声は、なんとなく中学時代のころの声のように聞こえ、幼かった頃の顔が浮かんできました。そして、24日の午後3時にホテルの喫茶店で会う約束をしました。電話のときも、「先生、あのときは本当に申し訳なく思ってます」と素直に謝罪し、「ぼくも、いま金融の世界で頑張ってるんだ。」と聞き安心してしまいました。でも、それは大甘だったことを、あとで思い知らされることになりました。
24日は暑い日でした。駅前の大きなホテルへ向かいました。指定された喫茶店は地下1階のガラス張りのお店でした。私は柱の陰から電話をかけ、電話を取る男を探しました。電話をとった男性は、昔の面影を残しながら、スーツ姿の大人になった猛君でした。少し安心して、彼の座っているテーブルに行き、私の方から声をかけました。
猛君は「先生、やっと会えたね。先生がいなくなってから俺はたいへんだったんだ。剛(つよし)先輩からは焼きをいれられたり・・・」と話し始めたのです。「力也[猛君の後輩]も先生をずっと探していて、俺のせいだっていうし・・・」など、大きな声で話すのです。私は周囲が気になり、下を向いていると、「先生、ごめん。ここだと気になるから、僕の部屋で話そうよ」と言われました。私は、「他の2人は?」と聞くと「付き合いがないのでわからない」とのことでした。私は蛇ににらまれた蛙のように、彼に従って付いていってしまいました。
部屋に入るなり、彼は急に低い声で「懐かしいな、先生。昔のようにここでしゃぶってくれよ」といいました。そう、彼らは10年前、私の部屋の玄関で、彼らのものをしゃぶらせたのでした。彼の眼をみると、以前のような、鈍く光る冷たい目に変わってました。
「猛君、反省したんじゃないの?」思い聞いていうと、「冗談じゃない、先生がいなくなって、俺が逃がしたって思われたんだからな!」と言って、壁に私を押し込みます。「だって、真面目に銀行員してるって・・・。」「だれがそんなこと言ったよ、俺はいま、力也の金貸しの仕事を手伝ってるんだよ。」と言ってニヤニヤと笑ってました。
私は首を横にふると、彼は語気を強めて「いいから、昔みたいに素直にやれよ!」と私の肩をぐいっと押し下げて、しゃがませるのでした。これも、10年前と同じでした。違ったのは、10年前は私から、彼のズボンのチャックを下げ、彼のものを取り出してしゃぶったのですが、今回は、彼がすぐに自分のものを取り出して私の顔に押し付けてきたのです。そのまま口の中にふくまされてしまいました。後頭部をグイグイ押し付けられ、口の奥まで入れらてきました。もう、何がなんだかわからなくなっていたとき、奥の部屋のドアが開き、2人の男、しかも、一人はものすごく体の大きな男が入ってきたのでした。この2人こそ、猛君の先輩の剛と、後輩の力也でした。とくに力也はまだまだあどけなかったのに、海坊主みたいな大男になってました。
その後、この3人に10年前と同じように夜までレイプされ続けました。10年前と違うのは、命令するのが一番年下の力也で、剛、猛君がそれに従っているということでした。
ここで、10年前のことを話さなければなりません。

1 2 3
レスの削除依頼は、レス番号をクリックして下さい
2
投稿者:マツ   my.life.2093 Mail
2016/01/16 21:49:45   
はじめまして大変な思い出ですね。初体験は何歳で経験何人かな?
3
投稿者:Sao   saotome69
2016/01/16 22:44:54   
みゆきさん
でも、それ事実なら完全に犯罪じゃあないですか?
警察に連絡すべきですよ。

4
投稿者:みゆき
2016/01/17 00:36:46   
Saoさんへ
そうです、これは犯罪です。でも、毅君がこうしてしまった原因は私にあるのです。
10年前のことを書かせていただきます。

 私は東京のA大学英文科を卒業し、何度か採用試験に挑戦して関東のある県に採用されました。郷里の県と関東と両方受験したのですが、当時も教員採用の門は狭く、ましてや、郷里の採用数は若干名で、合格した関東の学校に勤務することにしました。新規採用教員は初任校には4年しかいられず、私も4年を初任校で過ごして2校目に異動しました。その学校が事件のあった中学校です。
私は、2年生の担任として着任し、翌年3年3組の担任になりました。3年の担任は前任校でも経験していたので、仕上げの学年として、この子たちと2年間しか付き合わないけど頑張ろうと思いました。
2年の3月に学級編成を行うのですが、生徒のマークの付いたカードの中に猛君のカードがありました。マークというのは学校によって学級編成のやり方は違うのですが、その学校では(L)はリーダー、(SL)はサブリーダー、(M)は問題児(非行)、(X)はいじめっ子、(Z)はいじめられっ子というふに決められていました。猛君には(M)と(Z)がついていました。彼はすらっとしていて背も高く、ジャニーズ系の顔をしていました。ただ、喫煙とか深夜徘徊などの問題行動もあり、ややきざっぽく、学年の中で目立つ連中からも嫌われていました。それでも、2年生のときは、上級生の中のグループにいたため、同級生は何も言わなかったようです。(M)でありながら、(Z)が付いていたのはそういう背景があったからだと思います。
上級生が卒業して3年になってからは、同級生から疎んじられ、仲間外れや陰で小さな暴力もあったようで、6月くらいから学校にあまり来なくなってしまいました。私は、友達に朝、誘ってくれるように頼んでみましたが、誰も彼を誘いにいくことはありませんでした。それが、彼の学校での市であり、そういう人間関係の子でした。私は何度も家庭訪問をしましたが、効果が上がらず、2学期以降は、とうとう不登校になってしまいました。
11月には三者面談があったのですが、彼が学校に来ることはなく、母親だけとの面談になりました。母親は周りの目を気にして、全日制の高校に行かせたいという意向でした。12月には、最終の進路を決める三者面談があるのですが、猛君の意向を聞いて、生徒がいない時間で、先生方も休暇をとって早めに帰る人が多い終業式の夜7時から、学校で面談することにしました。もちろん、教頭先生は残ってくれていました。場所は保健室、三者面談のあと、親に先に帰ってもらって、二人でじっくり話しました。友達のことや今後のことなどいろいろ話しました。話を聞いていた私の方が、彼に同情してしまい、彼のことがいとおしく感じていました。うまく、周りに受け入れてもらえないカッコつけの気の弱い男の子がそこにいました。気が付くと、彼を抱きしめていました。彼も、私を抱擁をかえしてきて、私は彼の耳元で、どんなことがあってもがんばるんだよって励ましました。彼も、「はい」といいながら強く抱き、いつのまにか唇を重ねていました。頭の中ではいけないと言いながら、なかなか離れられず、少しの間そのままでいました。彼がさらに強く抱いてきたので、私はその腕から逃れて面談を終えました。
結局彼は、地元の定時制高校に進路を決め、残りの3学期も登校することなく卒業していきました。
 私は自分のこの行為について、今でも罪悪感を感じています。この行為が、のちの行為につながったんだと思っています。
 定時制高校に進学した猛君は、いわゆる「高校デビュー」をしたらしく、卒業生の間でも評判になっていました。定時制高校は、1年間続けば4年まで続き、卒業できるといわれています。つまり、多くの生徒は、1年生の途中でドロップアウトしてしまうということでもあります。猛君には、悪い仲間からの誘惑も多かったようですし、彼自身もそういうのが嫌いじゃなかったので、安易な道を選択してしまったようです。
それから1年が過ぎ、私も中2の担任としての夏休みを迎えました。この学校も4年目になり、夏休みも部活以外は、休暇を取ることもできるようになりました。たまたま、日直で学校に行っているときに、猛君から電話がありました。「定時制を中退した。今後の進路のこ
とで相談にのってほしい」というものでした。その日は15日のお盆の日で、ほとんどの先生方は出勤していませんでした。電話でいろいろと話したのですが、一度会ってから、詳しいことを決めようということになりました。中学校には恥ずかしくて来られないといい、私のアパートでいいかと聞かれ、私は「学校に顔が出せないって言うなんて、やっぱりまだ子どもだな。まだまだ、かわいいところがあるじゃない」と思い、次の日が土曜日だったため、私の部屋で午後から話すことに決めました。

5
投稿者:Sao   saotome69
2016/01/17 01:53:29   
みゆきさん
そういう事情があったわけですね。
みゆきさんとしては、彼の身の上を案じてしたことが、かえって
「仇になってしまった」ということですね。
他人事ではありますが、腹立たしい気持ちでいっぱいですよ。
思い出すのも嫌でしょうが、できれば全てを明らかにしたうえで、
今後の対処を共に考えたいですね。


6
投稿者:みゆき
2016/01/18 01:07:49   
Saoさんへ
アドバイスありがとうございます。郷里に帰ってからは、あまり人と関わってきませんでしたので、この体験を話すのも初めてです。でも、なんとなく、書くことで自分の内面が見えるような気がして、重りがとれていくようなきがしてきていて不思議です。
 もう少しこれまでのことを書こうかと思います。
 翌日の午後、インターホンがなり、猛君の姿がモニターに映っていました。オートロックを開放し、部屋に来るように言いました。部屋のインターホンが鳴り、ドアを開けると、髪の毛を金髪にして、ちょっとはにかんでいる猛君がいました。その背後に、同じように、髪を金髪にした男が一人いました。猛君から定時制時代の先輩の剛(つよし)と紹介されました。
その格好から、私は部屋に入れたくなかったのですが、その場で、「あなた(剛)だけ帰って」というわけにはいかず、2人を室内にいれてしまいました。
キッチンのテーブルに座ると猛君から、「高校時代から相談に乗ってくれている先輩で、今日も俺のことが心配でついてきてくれたんだ」と、こちらが聞いてもいないのに、剛のことを紹介してくれました。私は、剛とはあまり関わりたくないと思い、猛君の話も上の空で聞いていました。
猛は、定時制のときの生活を反省し、もう一度、全日制の高校を受験したいといいました。そのために、これから半年、一生懸命勉強したい。2学期になったら、願書を持っていくので、内申書を書いてほしい」というものでした。
私は2学年下の子たちと一緒になるので、続けるのは難しい」とか「高校だけに絞らなくても、専門学校もあるじゃない」と彼の考えをを否定するようなことばかり言ってました。
その時、剛が「先生さぁ、さっきから聞いてたら、猛のいうことをダメとか、できないとかばっかり言って、猛の真剣な気持ちを考えてないじゃないか」とすごんできました。
 私は、「あなたには関係ないでしょ、黙ってって!」と強く言い放ちました。これは、いま思えば、恐怖心の裏返しだったように思います。私は、猛君に対して「これから、真面目にがんばりなさい」的なお説教をしていました。
その間に剛は隣の部屋(私が寝室にしていた部屋)に入り込み、私のタンスを勝手にあけていたのです。気が付いた私は、「あなた、何しているの!」と剛の頬を叩いてしまいました。
叩かれたことでカッとなった剛は、あの不良の子たちがよくするような、目を槌く目付きで私を睨み付け、「おい、たけし」というと、いきなり私の顔を平手で叩いてきました。私の後ろにいた猛も、そんな私を後ろから羽交い絞めにして、彼に加勢しました。動けなくなった私に対して、剛は「猛の相談なんて、本気じゃねぇんだよ」とすごみ、ベッドに押し倒され、スカートをまくられ、頭の上で絞られた感じで身動きできなくされてしまいました。
突然、目の前がスカートで遮られ、恐怖で大声を出そうとしましたが、こういう時は、声がかすれて声にならないということを経験しました。それでも、かすれ声で叫ぼうとしたため、口をスカートの上からふさがれてしまいました、
何も見えない恐怖が私を襲いました。二人がいま、どんな顔で私を見ているのか、私がどんな格好なのか、恐怖でいっぱいでした。ベッドに倒され、スカートにくるまれた上半身を上から押さえつけられ、すぐに下着を脱がされてしまいました。
「やめて、やめて」と声にならない声を出して、体を思いっきりひねりましたが、全然動かすことができません。すぐに、私の陰部に指が入れられました。濡れているわけもなく激痛が走りました。痛さとショックで、涙が流れ、それでも、私は「やめて、やめて」と抵抗していました。でも、体は全然動かなかったです。
だんだん息苦しくなり、「たすけて、苦しい」と叫んでいました。それで、猛君の手が私の口元から離れましたが、その間も下半身は剛の指によって刺激が続けられていました。そのうち、剛に「先生、ぬれてきてるぜ」みたいなことを7言われ、私は頭の中が真っ白になってしまいました。私はセックスの経験があまりありませんでした。ですから、そんなふうに恥ずかしいことを言われて、気が動転してしまい、力が抜けていってしまいました。。
 どれくらい経ったかわかりませんが、すぐだったようにも思いますが。剛の「いれちまおうぜ」という声が聞こえてきました。そして、陰部に剛のものが入ってきました。大声を出そうとしましたが、声はかすれ、泣き声だけしか出ませんでした。どのくらいの時間かわかりませんが、抵抗する気力もなくなりました。それで、やっと袋状のスカートが解き放され、私の股間に剛がいることが確認できました。なすすべもなく、上半身も脱がされ、次に猛君が私の中に入ってきました

7
投稿者:Sao   saotome69
2016/01/18 22:53:40   
みゆきさん
これまた酷い話ですね。
みゆきさん自身が今回の件を書くことで、多少なりとも気持ちの整理がつけば
不幸中の幸いです。
ただこれ以上、核心に触れるのが嫌な場合は、私宛に直接メールをしていただいても
結構です。

8
投稿者:みゆき
2016/01/19 09:47:31   
Saoさんへ
書き込みをしていただきありがとうございます。メールについては、操作の方法がわからないので、引き続きここに書かせていただきます。

剛という男はたいへん粗暴で、暴力的な男でした。私も中学校の教諭でしたので、粗暴な子と対峙したことも何度かありましたが、噛んでいたガムを吐き出されて髪の毛についたとか、注意して逃げようとする子の進路をふさいだときに、体ごと当たってきたというような程度でした。ところが剛は、平気で殴ってきました。しかも女性を。年上の人間を。平手で頬を殴られて唇と切ると、彼は顔を殴るのをやめ、お腹や太ももなどを殴ったり蹴ったりしてきました。私は、この暴力に屈したのかもしれません。
生徒指導では、殴られた経験のある者でなければ、相手を本当に殴ることはできないと学びました。生育過程で、親から虐待を受けたり、殴られたりして育った子は、暴力的になるのです。猛君については、中学時代の生活も、家庭環境も把握していますので、暴力的に育った子ではないです。、私が嫌がることを強引にしたことはありましたが、彼に殴られたことは、この後も一度もありません。
剛が私の体を離れたあと、すぐに猛君のものが私の中に入ってきました。私にとっては地獄そのものです。剛は、初めて会った知らない男、その男にレイプされたのです。でも、猛君はちがいます。中学時代のあどけない顔が思い浮かび、いまの行為は信じられない、嘘であってほしいと思いました。
私の目の前に、猛君の顔がありました。これは、はっきり覚えています。彼は、目をつぶって、私を見ようとはしていませんでした。
そして、「でちゃうよ」と言ったと思います。
私は「ダメ、ダメ」と言いました。そのとき、剛が、猛君にストップをかけ、猛君のものが、私の中から抜けました。私が茫然としていると、剛が言いました。
「これも、全部、あんたが悪いんだぜ。」
「あんたが中学時代、猛を誘惑して、すっかり猛はその気になっていたんだよ」(猛は、保健室の出来事を話したのでしょう)
「それなのに、あんたは、猛に対して、全然親身になって相談に乗ってやることもなかったらしいし、卒業させてしまえば、ハイ終わりって感じだったらしいじゃないか」(少なくとも猛にはそう感じたのでしょう)
 「猛はずっと、あんたとのキスが忘れられないんだってよ。だから今日は、あの時のキスの続きをしてやれよ」
 無理やり猛君の顔に押し付けられ、猛君も私にキスをきてきました。2年前とは別人で、舌を私の口の中に差し込んできました。私はすごい勢いで首を振って拒んだのですが、後ろから頭を押さえられ、結局舌を絡まされ、口の中をなめまわされました。そんな激しいキスなど経験したこともなく、猛君が唇を離したときは、呼吸ができないほど苦しかったです。
 でも、それだけで終わりませんでした。剛は「猛、他のところもキスしてもらえよ」と言うのです。
猛君がベッドの上で仁王立ちになってました。そうです。あきらかにフェラチオを要求してきたのです。もちろん、私はそういう行為は知っていましたが、経験はありませんでした。猛君が腰を私に近づけてきました。私は「猛君、しないで。やめて。」とお願いしましたが、これも大声にはなりませんでした。
もちろん、逃れようにも後ろに剛がおり、顔を押さえつけられています。でも、必死でした。押さえていた剛の手を振り払って、首を左右に振り続けました。簡単に切れる剛は、自分が押さえきれなかったことに腹を立てたのか、「くわえればいいんだよ!」とばかりに、私の髪を後ろから引っ張り、ベッドの下に落とされてしました。そして、剛に体ごと抱えられ、ベッドに座った猛君の股間に顔を押し付けられました。私の口や頬に猛君のもがくっつき、息苦しさで口を開けてしまいました。その瞬間に猛君のものが口の中全体に押し入ってきました。その次に、剛のものもくわえさせられました。しかも彼は口の中に、精液を放出したのです。
彼らの私に対する凌辱は口の中への射精だけではとどまりませんでした。剛はそのまま再度私を犯しました。口内への射精と、それを飲まされたショックで私にはもう抗う気持ちも行動も起きませんでした。それでも、剛が私の膣内に射精しようとしたときは、さすがに抵抗しました。「お願い、やめて」から「お願いします。やめてください」と哀願していました。上下関係が逆転してしまいました。
しかし、剛はそのまま射精しました。「いや、いや。」と泣いていましたが、猛君も私に覆いかぶさり挿入してきました。私はもう、何も考えられず、何も感じませんでしたところが、猛君にも犯されているときに、またも剛が私の口に挿入してきたのです。私にはもう、叫ぶことも、泣くこともできませんでした。でも、猛君は私の中に出すことはしませんでした。
こうして二人による凌辱は終わりました。帰り際に、「警察に行ってもいいよ。どうせ、俺たちは未成年だから、保護監か少年院くらいだからな。少年院に行ったって1年もしないで出てくるしな。でも、その時は、また来るからよく覚えとけよ」と捨て台詞を吐いて帰っていきました。
 彼らが帰った後、しばらく、私は恐怖感と屈辱感と、自分に対する怒り等が交錯し、泣き続けていました。ただ、太ももにぬるっと流れるものを感じ、あわててお風呂場に行き、シャワーで何度も何度もあそこを流しました。洗っても流しても、汚い、穢れた体だという意識が抜けませんでした。

9
投稿者:Sao
2016/01/19 12:41:48   
みゆきさん
メールを送るのは簡単ですよ。スマホでナンネットIDを取得すれば、誰にでもメール送れるようになります。
取得の際には事件防止の為、スマホの番号登録する必要があります。気が向いたらトライしてみてください。
さて、あまりの酷い状況にコメントをしようかと思いましたが、あえて今の時点ではしないことにします。むしろ思い切り、みゆきさんに嫌な思いを吐き出してもらってからの方がいいと思い直しました。
引き続き書き込みをお願いします。私が一番気になるのは、その行為の結果、妊娠されなかったのでしょうか?


10
投稿者:みゆき
2016/01/19 23:24:39   
Saoさんへ
ご教示ありがとうございます。電話番号の登録がちょっと気になるので、登録は見合わせたいと思います。今のところ、ここに書き込みしていても大丈夫そうなので。何か異変があったら、メールにも挑戦しようと思います。
妊娠の件は、恥ずかしい話ですが、お尻でセックスができるようになると、彼らはお尻に集中し、射精はお尻か口のときが多くなりました。猛君が話したのかも知れませんが、途中からコンドームを使うようになりました。

 最初のレイプ後のことを書かせていただきます。
 2学期が始まり、不安な日々でした。週末は、なるべく自宅にいることを避け、外出するようにしました。9月は何ごともなく過ぎました。もう終わったかなって思うようになった10月に、剛が学校に現れたのです。しかも、特攻服のような派手な服装に、金髪姿で。(この格好はあとで、生徒指導の先生から聞かされたことで、実際には見ていません)玄関口で「○○先生(私の苗字)に会わせろ」と凄んでいたそうです。卒業生でもなかったので、数人の先生で追い返したそうです。帰ったあとに、生活指導の先生から、剛のことを聞かれましたが、私はとっさに「卒業生の猛の友達かもしれない」と答えました。他の先生も納得し、「猛も大化けしたらしいからなぁ」って笑っていましたが、私は、冷や汗でした。
剛らは簡単に諦めたわけではなく、翌日の土曜日にはマンションまで来て、呼び鈴を鳴らし続けました。私はモニターを見て、2人がいるのを確認したので、応答しませんでした。何度も何度もしつこくならしてきました。途中、誰かが出入りしたのでしょう、途中から、部屋の玄関チャイムが鳴らされたのです。ドアをドンドンと叩き、大きな声で「○○先生!」と呼ぶ声が聞こえました。私は、呼吸すらしてないのではないかと思うくらいじっとしていました。
翌週からも週末は家にいないようにし、さらに、夜遅く戻るようにしました。これが、裏目にでてしまいました。夜中に私のマンションの前で2人が待っていたのです。らは、私の両サイドにきて、「この前はどうして出なかったんだよ、部屋の中にいることはわかったいたんだぜ」とすごまれ、「猛が相談があるから、部屋にあがらせてくれよ」と、私を抱える感じで部屋の中に入ってきました。私には抵抗する勇気もなく、そのまま家の中に2人を入れてしまいました。入るなり、剛はまたも私の頬を平手でなぐってきました。そして、私の体を押し倒し、靴もぬがないまま、部屋の中に引きずられてしまいました。
私の部屋は、玄関の先がDKになっていて、2人用の小さな白いテーブルを置いていました。そのテーブルにうつぶせにされ、スカートをめくられました。スカートは膝上くらいのタイトなもので、腰までめくられたと思います。下着をストッキングごと太腿くらいまで降ろされてしまいました。偶然なのか、彼らがわかってそうしたのかはわかりませんが、下着が太ももや膝あたりに降ろされると、足枷のようになり動けなくなってしまいます。そのまま上半身を押えられ、後ろから剛が指を入れてきました。このときのわたしは、嵐が早く去ってほしいと思っていました。 
こんなひどい扱いをあれても、私のあそこは濡れてしまうのです。剛は私の上半身を起こし、頭を押さえつけてしゃがませました。「男が○○○をだせば、どうすればいいかわかるだろう?」と支配者のような言葉づかいで私に命令します。もちろん、私にも剛が何を要求しているのかはわかりました。でも、自分からはできるわけがありません。
首を横に振っていると「俺のをくわえるんだよ」と、私の口に押し込んできました。そして、激しく腰を動かし、ぐいぐい突いてきました。何度も吐きだしましたが、そのたびに殴られました。そして、猛君のものもくわえるように命じられました。それから、二人のものを交互にくわえるように命令されました。片手に一人のお○○○○を握り、もうひとりのものをしゃぶらされまた、交代するのです。
2回目のレイプはこのような形で始まりました。私が苦しくなって猛のものを吐き出すと、剛が髪の毛を引っ張て「なにはなしてんだよ」と引き倒されます。「もう許して」とお願いすると、平気で平手打ちされます。そして、また起こされ猛のものを咥えさせられます。これを何度か繰り返し、何度も平手打ちされると、苦痛と恐怖心で、最後は彼らの言うことに従ってしまうようになります。剛の命令は2人を口で射精させ、2人の精液を飲み込めというものでした。いやがったら、また平手打ちが待っている、泣いてお願いしても許してはくれないだろう・・・・、そんな思いで、私は必死になって、猛君のものをしゃぶり続けました。被虐的な私をみて、猛君は興奮していたのでしょう、しばらくすると私の口の中に射精しました。猛君から「いくよ」という声はあったのですが、突然だったもので、私は口の中から吐き出してしまいました。すると、剛が怒りだし、引き倒され、「言ったことがわかんねぇのか」と馬乗りになって、私の口に彼のものを入れてきました。
ちょうど、首あたりに乗られ、しかもぐっと奥まで突っ込まれてしまい息苦しく気絶しそうでした。「苦しい、苦しい、どいてください」とお願いしましたが、かれは、グイグイ腰を動かし奥まで入れてきました。私は手で彼を押し、最後の力を振り絞って「お願い、なんでもしますから、どいてください」と言ってしまいました。
そのとき、剛は私の口から彼のものを引き出し「先生、なんでもするんだな」と勝ち誇るようにいうのです。(彼が私のことを先生呼ばわりするのは珍しことでした)そして、マンション入り口の暗証番号と、彼らが来たらいつでもセックスさせることを約束させられました。私は苦しくてどうにでもなれという感じで、番号を言ってしまいました。
こうして、暴力と性による、剛と猛君の支配がはじまりました。この日は、この後、剛が口と体の中に1回ずつ、猛が口の中と、体の外に1回ずつ射精をして終わりました。
 これ以降、彼らはおよそ、2週に1度くらいの感覚で、土曜の深夜にやってくるようになりました。彼らも、平日は職人として働いているようで、たまに土曜日は、朝まで仲間とバイクで走り回っているようでした。
入り口のオートロックは暗証番号がわかっているので、勝手に開錠してきます。部屋の前に来ると呼び鈴を押すので、隣の人にみられたくない私は、すぐにドアを開けて中へ入ってもらいます。格好だけでも、けっこう目立つもので。土曜日は、何時にくるかわからない招かざる客のためにずっと起きていました。寝てしまったら、外で何をするかわからないですし、不在となったら、剛の怒りと暴力は目に見えています。私は、そのとき、教員として8年目。教材研究だってしなければ授業になりません。土曜の昼間は教材研究、夜はずっと起きていて悪魔が来るのを待つといった感じでした。
彼らのバイブルはアダルトビデオでした。最初のころは、フェラチオとセックス以外に、2人でいっぺんに犯されることもありました。フェラチオはいつも玄関で、家に上がる前にさせられました。そのときは、下半身だけ裸にしてフェラチオさせられました。
ところが、途中から彼らはアダルトビデオのDVD,しかも教師を生徒たちが凌辱するものを好んで持ってきました(レンタルショップで万引きしてくると言ってましたが)。そして、そのビデオを見させられた後、同じことをするのです。すぐに陰毛は剃られました。「ツルツルの方が気持ちいいだろう」とは剛の言葉。浣腸もされました。最初はいちぢく浣腸を彼らが買ってきましたが、途中からは買っておくように命じられました。一度だけ買い忘れたときは、私を全裸で逆立ちさせてフェラチオをさせられました。途中からアダルトグッズは通販で買えることを知り、私名義で、私の家に届くように申し込むのです。もちろん、支払いは私です。通販で浣腸器やバイブを買わされました。
 ある時のビデオでは、浣腸しながらのセックスは気持ちいいといって、高校生がセックスしながら浣腸器で浣腸するシーンがありました。それをそのまま真似て、最初に猛君とセックスをしながら剛に浣腸されました。これはすごく辛く限界になったときに、猛君から離れてトイレに駆け込みました。猛はいつも、最後では私のいうことを聞いてくれました。でも、剛はちがいます。次に剛とセックスしながら、猛が浣腸をしたのですが、辛く苦しくても剛は許してくれません。限界の限界の限界まで我慢させられ、最後に「お願いしますからトイレにいかせてください」といわないとトイレにいかせてくれません。毎回、このパターンでした。
さすがに便の悪臭はいやらしく、トイレには来ませんでした。でも、おしっこのほうは別でした。私の部屋はバスとトイレが一体型でした。ですから、トイレやバスでおしっこをするところはよく見られました。そのときは、もう絶望でしかありません。

11
投稿者:Sao   saotome69
2016/01/20 01:12:51   
みゆきさん
書き込みありがとうございます。
妊娠しなかったのは不幸中の幸いでしたね。
ここまでの書き込みを読んで、みゆきさんは典型的な「学習性無力感」の状態に陥ったと思います。
「学習性無力感」とは、様々な挫折や失敗によって、自分の努力は無駄だと思いこむ、または反抗すると酷い暴力受ける
恐怖心から、やがては抗うことも逃げるができても、自ら行動する気力すら失ってしまう精神状態を言います。
最近の事例では「尼崎連続変死事件」が有名で、それ以外にの様々な女性の監禁事件も同様の事例です。

みゆきさんは「象使いの話」をご存知でしょうか?
象使いは生まれたばかりの子象をしつける時、足に頑丈な鎖をつけ、それを鉄の杭に付け地中深く埋めます。
生まれたばかりの子象は自由が利かないので、激しく暴れてその鎖から逃れようとしますが、身体が小さく力も無い子象に
とっては無駄な努力です。 そのような状態を数年間続けていくうちに、子象は「自分の足に鎖のようなものが付いている時は
自由になれないもの」という思い込みをするようになり、やがて大きな身体に成長した時は、足に細い紐と小枝でくくりつけて
さえおけば、象は逃げる事が無いのです。
これがまさに「学習性無力感」という状態なのです。
冷静な第三者から見れば。「嫌なら逃げればいいじゃないか」「何か対応策があったはずだ」と思うのですが、当の本人は
とてもそのような精神状態では無かったという事でしょう。
私はみゆきさんの行動を100%支持はできませんが、同情する余地はたぶんにあると考えています。
それでは引き続き書き込みをお願いします。



1 2 3
レス投稿フォーム
名前
トリップ[]
E-mail
※任意
本文

投稿文に自動改行は行われません、適宜改行を行ってください。 # タグ使用不可
「sage」
※投稿を上げない
動画掲示板
画像で見せたい女
その他の新着投稿
人気の話題・ネタ
ナンネット人気カテゴリ
information

ご支援ありがとうございます。ナンネットはプレミアム会員様のご支援に支えられております。