母親の居るときはいつもの様に私と弟と部屋で騒いでいると下から父親の怒鳴る声で一気に楽しかった気分が消えてしまいました。そのあとはヒソヒソ小さい声で話したり、それぞれの部屋に戻ると言うことが多かったです。でも母親が用事などで家に居なくて父親と私達が居ると、自分の部屋で宿題をしていても父親は私を居間に呼んで私の身体を触るようになりました。普段は「遊んでいないで勉強しろ」とか言っているのに、母親の留守の時には勉強を止めさせてまでも私の身体を触ってきました。2階の部屋には弟と居ても服の中に手を入れてきて胸を触ったり、スカートの中に手を入れられて、後から思えば父親は私の身体を愛撫していたのだと分かりました。小学生の私にはそこまでの性の知識は有りませんでしたが、「知らない男の人に話しかけられたら注意しなさい」とか「知らない人に身体を触られそうになったら逃げなさい」とかは小学校で度々聞かされていました。質問されましたが、クリトリスも触られて居ましたし、父親のフニャフニャなオチンチンも無理矢理に触らされる様になりました。そんな事をされている間の父親の話し方は嫌でした。嫌と言うよりは気持ち悪かった。そして必ずと言うくらいに膣に指を入れてきました。自分で指を舐めたり唾を付けてからゆっくりと入れてきて、暫くは出し入れを繰り返して居ると、さらに中に入れてきました。その間にも私の手をとり父親のオチンチンを触り続けさせられてると、父親のオチンチンが固さを増してきていました。その頃はまだ固くなったオチンチンを直接見たわけではありませんが、何で固くなるんだろ?と不思議に思ったのと、どうして父親は私の性器を触ったり、自分の性器を触らせるのかが解りませんでした。そんな日々が続いてて、ある日の夜に弟とお風呂に入って居るときに「正夫一緒に入ろうか」と言いながら父親が入ってきました。私は、四年生の頃から父親とは一緒にお風呂に入らなくなっていたのですが、突然入ってきて驚いたのと父親とは言え、久しぶりに裸を見られるのには正直抵抗が有りました。小さい頃の様に弟の頭や身体を洗う父親を見ていたら、普段は躾に厳しくて怖かったけど時々優しい一面を見せてくれると心の底からは嫌いになれなかったのですが、急かす様にし弟をお風呂から上げようとしている父親を見てて私の嫌な予感は当たってしまいました。弟は脱衣場でパジャマを着て出ていくのが分かると私の身体に手を伸ばしてきました。胸を撫でまわし股にもにも手を差し入れて割れ目を指で開き中をなぞるように触ってきました。割れ目をなぞるたびにお風呂のお湯がちゃぷちゃぷ波打っていました。チクッとした痛みが走り中に指を入れられたのが分かりました。私は早く終わって欲しいと祈るだけでしたが、父親の考えは違っていたようでした。湯船のなかでは狭すぎだと分かると私をお湯から出すとバスマットに寝転がる様に指示してきました。父親も立ち上がるとオチンチンは今まで見たこともない形になっていました。父親は親から一人の男に変わり、娘を性の対象として見るようになってしまったんでしょう。私自身はそんな父親の行為を我慢して過ごしていました。お風呂場での行為は、私をお風呂に脚を開き縁に座らせると、私の股の間に顔を近付けると割れ目を舐め始めました。お風呂に入り綺麗に洗ったとは言え、なぜそこを舐めるのか理解できませんでしたし、今度は父親がお風呂の縁に座ると、固くなったオチンチンを口の中に入れる様に言われて、精一杯開いた口の中に入れるのはやはり抵抗は有りました。でも拒むと叱られると思い父親の言う様に舐めたり口を閉じて前後に動くと「よしよし上手だぞ真美」と誉めるのですが、私は全然嬉しくなかった。母親は社交的でスポーツ好きだったから、週に2回位の夜にバレーボールのクラブでストレス発散と言って留守にしていました。
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普段学校に居るときだけは友達話したりして楽しかったけど、学校が終わり友達と一緒に帰るときは憂鬱でした。母親は専業主婦でしたが、知り合いの人のお店が忙しいときにはアルバイトみたいな事もしていました。父親はごく普通のサラリーマンで残業も有ったりして、その日だけは弟とゆっくりお風呂に入れていました。母親には「4年生なんだからお風呂ぐらい一人で入りなさい」といつも弟は言われていましたが、私のあとを追ってお風呂に入ってくる弟が可愛かったから一緒に入っていました。それまではあまり気にしては居なかったのですが、弟の私への視線が気になりました。弟の視線は私の胸やお湯に入るときに縁を跨いだ時に私の性器を見詰めるのが分かりました。でもここでは、「なぜお姉ちゃんの胸や股の所ばかり見るの」とは聞いたりはしませんでした。なぜしなかったのかは、弟からの返事が怖かったのかも知れません。その後も今までと代わりない態度で居ましたが、母親が言う様に弟とはもぉ一緒にお風呂には入らない方が良いのかなぁ…とも考えました。6年生の夏休みが近づいた頃の私は、嫌だと思いながら父親の行為を断ることは出来ないで居ました。母親の留守の時には、弟を遠ざけたり親の部屋に連れていかれて触られて居ました。母親がバレーボールの練習の為に出掛けた夜の時に、私は父親に呼ばれて親の部屋に行くといきなりベッドに寝かされるとタンクトップを胸の上まで捲りあげて、膨らみを鷲掴みの様に揉んだり乳首を指先で掻くようにしてから口を付けてきて舐めたり吸ったりされて居ました。またかぁ、と思いながら居ると、父親の舌が乳首の周りをなぞるようにしているのを目を閉じて我慢していると、太ももを撫でながらハーフパンツの中に手を滑り込ませてきました。指は下着の中にも入ってきてクリトリスを探し当てると執拗に指先でこねくり回したり、皮を剥こうとしたりもされました。前には皮を剥いたクリトリスを直接触られて「痛いよ」と我慢できずに言うと「真美ならこれ位の痛みなんが耐えられるだろ、我慢しなさい」と怒鳴られてからは痛くても言えないで我慢していました。そしてハーフパンツと下着を一気に脱がすと私の脚は父親が舐めやすいように膝を折り曲げてから左右に開くと父親は私の股の間に顔を近付けて「真美感じてるのか、少し濡れてきてるじゃないか」と言うとニュルと私の中に指を入れてきました。その頃には父親の指を入れられても痛み等は有りませんでしたが、異物感みたいなのは感じていました。指が中で動くのも分かりました。それまでの膣の中に指や色々な細い物を入れられても痛みは少しだけ感じましたが、出血はしなかったから処女膜は破れてはいないだろうと思っていたし、実の父親だから最後の行為まではしないだろう、と思っていましたが、その日はいつもと違っていました。父親は更にクリトリスを刺激つづけてると「真美の膣口がヒクヒクしだしたぞ」と言うのです。目を閉じて父親の行為を嫌だと我慢していましたが、私の意思とは関係なく身体は父親の行為で分泌物を出していました。父親が私の手を私自身の割れ目にられる触らせれと、ヌルヌルとした液体が手のひらに付くのが分かりました。「気持ち良かったら正直に言うんだよ」とか「我慢しないで声を出していいんだぞ」とも言ってきました。目を閉じて居ても分かる父親の舌が私の割れ目を舐め始めたのを感じました。ヌメヌメと割れ目を上下したり、クリトリスを吸うと髭でチクチクとしていました。「早く終わって…」と思うしか有りませんでした。頭の中では他の事を考えたり、思ったりもしていましたが全然駄目でした。部屋の時計が9時を告げると、ベッドが揺れて父親が動いたのが分かり、脚も自由になり閉じる事が出来ました。後約30分位には母親が帰って来るので止めてくれたんだと勝手に思い込んで目を開けると、下半身裸で固くなり上を向いているオチンチンが見えました。なぜか私は咄嗟に目を閉じると、閉じてた脚が開かれてまた同じ様な態勢にされると割れ目に何かを押し当てられる感
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弟とは二歳違いです。私は出来るだけ休みの日には「友達の家電勉強するから」とか「ちゃんに誘われたんで…」と色々な理由で家に居ないようにしていました。その頃には、母親や弟の見ていない所では服の上からやズボンやスカートの上からでも触ってきていました。私が中学校に入学して、小学生の頃から比べれば生活は一変しました。部活の朝練や放課後の部活や土日の部活もあり家から離れられて父親と二人だけになる時間が減り、私は穏やかに過ごせていました。友達と居る時や部活をしている時だけは父親の事も忘れられてて普通の中学生で居られました。ですが、家に帰れば父親からの虐待が待っていました。母親の夜のバレーボールの練習や、ママ友からの誘いで家を留守にする時には私は嫌で仕方なかったです。2階に居るとは言え弟も居るのに下着の中に手を入れてきたり、無理矢理に私に自分のオチンチンを触らすためにズボンのファスナーを下げて「お父さんのチンポを可愛がってくれよ」と平気で言ってくる様にもなって、固くなれば口に入れてフェラをしてくれ、とも要求してきました。そして私達が夏休みに入り、母親は弟と小学校の行事の一泊二日の親子キャンプに出掛ける事になり、私は覚悟しました。当日の午前中に、父親の運転する車で母親と弟を学校まで送ると、そのあと父親もどこかに行ったようでした。私は朝とお昼ご飯を一人で済ませました。たぶん父親は弟達を送るとすぐに家に帰ってきて、また私に性的な虐待をしてくるのだろう?覚悟をしていましたが、予想が外れてほっと胸を撫で下ろしていました。夕方には母親に言われたように晩ごはんの仕度を終える頃には父親も帰宅してきました。父親は少しだけお酒を飲ん晩ごはん食べて、私が後片付けをしている間にお風呂に行くのが分かりました。後片付けを終えて暫くすると父親がお風呂から出てきて「ボイラーつけてあるから早く風呂に入りなよ」と言い残すと台所に行き冷蔵庫から缶ビールを持ってきて飲み始めました。私は、叱られる前に自分の部屋に行き、下着やパジャマを持ってお風呂場に向かいました。また父親が無理矢理お風呂に入ってくるかも知れない、とビクビクしながら髪や身体を洗いお風呂に入れていました。でも、私のそんな心配は要りませんでした。覗きに来るとか、二人きっきりだから、また嫌な事をされるのては…と余計な心配は外れてくれたみたいでした。久しぶりにゆっくりとできたお風呂でした。お風呂を出ると父親の姿はなく、居間の電気も消えてて父親は寝たんだと思っていました。私も自分の部屋に戻ると急に眠気が襲ってきてベッドに横になるとすぐに眠りに付いたようです。寝苦しさから目を覚ました私は、すぐには気付かなかったのですが、誰かに身体を触られている感覚と、パジャマや下着を着て寝たはずでしたが、自分が上半身が裸で、意識がハッキリしてくると、下半身も裸だと分かりました。そして私の脚の間には人影も見えていて、その人が父親だと感じました。そして、父親に性器を舐められている事にも気付きましたが、私は声も出さず抵抗もしないで寝たふりを続けました。薄明かりに照らされた父親の姿は、私と同じく全裸だと分かりました。薄暗い部屋のなかに、スマホのシャッター音が響きました。私の身体をスマホで撮っているのだと思いました。薄明かりに目がなれて、父親の動きがハッキリと見えていました。父親の手にはビンの様な物を持っているのが見えて、それを手のひらに取ると私の性器に塗り始めました。一瞬、ヒヤッとしていて液体だと感じました。それを今度は、膣の中に流し込む様に入れてきました。
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雄岡山さん、今19歳です。結局は私が高校2年生の時まで父親に性交をさせられました、父親は私の都合や体調など関係なく、母親が留守の時を狙い無理矢理に私を犯してきました。私の身体は心では拒んでいるのに、父親の愛撫により乳首を立てて父親を受け入れる様に濡れていきました。それを確認すると私の中に入れてきました。正直、父親からの愛撫や性交で気持ち良かったのか、私が嫌がっていたと思っていただけで、本当は気持ちよかったのかも知れない、思うようになっていきました。でも、いざ父親がわたしの身体を愛撫し初めても、ただ触られている感覚しかなくて気持ち良いと言うものは有りませんでしたが、父親の愛撫が続くとすんなりとの指を入れられていました。気付くと父親は何も言わずに私の中に挿入してきました。私の気持ちなど考えないで、自分の性欲に負けて実の娘に対して欲望に膨れたオチンチンで私を何度も犯していました。そんな生活の中でも、私は高校受験をむかえて無事に志望校にも合格できました。楽しい高校生活の中でも、父親による性交は続きました。胸も発育して、それが父親を喜ばす材料にもなり「真美のマンコの中は最高だぞ」とか「エッチな娘だな、父親のチンポをにヒダヒダが絡み付いてきてるぞ」とニヤニヤしながら腰を私に打ち付けていました。中に出される回数は減りましたが、出す時に私から引き抜いてお腹の上に出したり、引き抜いた後に私の股の間に出したりされました。股の間に出されるとシーツには染みができるので、満足して私の部屋から出ていくのを確認してから父親の出した精液が着いた身体を拭き取り、シーツも取り替えて、ベッドには消臭スプレーをかけて匂いを消していました。母親が「2時間くらいさんと買い物に行ってくるから」と言い残すと出掛けていきました。私は洗濯が終ったので自分の部屋に行きベランダに干し終わり一息ついていました。隣の弟の部屋のドアが開く音がして、父親と弟との声が聞こえてましたが、何を喋っているのかまでは聞き取れませんでした。少しするとドアが閉まり父親が1階に降りる足音が聞こえて、そのあとを追うように軽い足音も聞こえていました。二人で出掛けるのかな?と思ってると、また階段を上がってくる足音が聞こえて私の部屋の前で止まりました。部屋のドアが開くと父親が中に入ってきました。私は全裸にされて、父親も全裸になると私に襲い掛かってきました。散々おもちゃにされて、父親のオチンチンが入れられて、腰を動かし続けている最中に私の部屋のドアが勢いよく開くと「何やってるのあなた達は」と母親の怒鳴り声が部屋に響きました。私は驚き身体を強ばらすと同時くらいに父親が射精をしながら私から離れたので、オチンチンからはまだ勢いよく精液が飛び出し撒き散らしていました。なんとも可笑しな光景でしたが、母親の「二人とも地獄に落ちろ」と言う言葉に私は咄嗟に身体を起こして「地獄、そんなのずっと前から落ちてるよ」と初めて母親にきつい口調で言い返していました。全裸に父親の精液が付いている身体を見た母親は鬼の形相で私の頬を打ち父親の頬には何度も打っていました。私の中であんなに元気だった父親のオチンチンは不思議なくらいに小さく萎んでいるのに、また先からは精液なのか糸を引いて床に垂れ落ちて居ました。父親は一生懸命に母親に謝っていましたが、父親が一言口を開くと何倍にも言い返されていました。本当、マンガの様な光景でした。私はベッドから降りて、私の身体に付いている、父親が撒き散らした精液をウェットティッシュで拭って、父親によって脱がされた下着や服を広い集めて部屋を出て廊下で身仕度を整えて家を飛び出しました。以前、何度か相談していた人に会いに行きました。中学生の頃からの知り合いで、学校での悩みの相談や家庭での悩みの相談がある人は遠慮なく相談してください、と言ってくれていた児童相談所の人でした。
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