8歳から13歳まで養父から性的な虐待をうけていました。7歳上の義兄は、それを知ってか知らずかすぐに別れた親の方に行ってしまいました。唯一、養父に物を言える義兄が去り、悪戯程度の虐待は男と女の行為になっていきました。
はじめはお風呂に一緒に入ってきて、アソコを必要以上に綺麗にする程度でした。泡をつけた養父の手が太ももから割れ目へとゆっくりと上ってきて、割れ目に沿うように洗うのです。幼い体は幼さに不釣り合いな、気持ちいいという感覚を覚えました。
兄が去ると、自営業をしていた父は頻繁に私を仕事に連れて行きました。仕事は実際他府県に行くなど、時間のかかる仕事が多かったのですが、私と行くときは決まった場所に行きました。車の中で触りっこしてました。
ある日、もっと気持ちいい遊びをしようと目隠しされてパンツを脱がされ、クンニされました。目隠しされていても舐められていると分かりましたが「何してるの?お股ぬるぬるするよ」ともじもじと腰を動かして逃げるしか出来ませんでした。養父は何も言わずに離れると、はぁはぁと荒い息をしていると思ったら股に熱いものがかかりました。
それからはよく仕事だと連れ出されると同じことを繰り返しました。
フェラを始めてしたときも同じ場所でした。車の中で父のものを舐めたり咥えたり…そのときはもういけない事をしているのもわかっていましたが、共犯という概念をいつの間にか刷り込まれていて、いう事を聞くのが一番いいんだと思っていました。
母が父のいいなりだったのも大きく影響していたんだと思います。それでも母が近くにいるときは何もありませんでした。そんな母が実家に帰らないといけなくなったときに私を置いていけという父と、連れて行く!という母の喧嘩がその後の私達家族の歪んだ生活を決めてしまったと思います。
母はそれ以降、全く父に反論することはなくなりました。私は母が帰省しているときに養父に「新しい事」を教えられました。新しい事は痛くて恐ろしいことでした。大きな父が上に乗ってきて、腰を打ち付けてきました。私の下半身は砕けるようでした。アソコは火がついたように痛みました。