私のデスクに、Aさんからの黒いファイルが置かれていると、その日はごめんなさいのために居残りをする決まりになりました。
Aさんは一緒に残業で残ることもありましたが、帰宅を装って一度退社することが多かったです。
そういった時は、他の人が残業を終えて帰ったあとで、私の方からAさんに「どうか謝罪セックスをさせてください」とメッセージを送ることになっており、受信したAさんがオフィスに戻ってきます。
ミーティングルームだったり、給湯室だったり、私のデスクだったり、男子トイレだったり…
その日のAさんの気分次第で、社内のあらゆる場所で、謝罪セックスをしました。
私がミスをしたり、Aさんにフォローしてもらったりしている謝罪やお礼の気持ちを込めた行為なので、Aさんからの指示ですが、あくまで私がお願いしているという気持ちを忘れるなと叩き込まれました。
ですから、指定された場所に着くと、すぐ自分で下半身の衣類を脱ぎ、壁に手をついてお尻を突き出し、「この度は◯◯の件でご迷惑おかけし、誠に申し訳ございませんでした。どうか、おまんこで謝罪をさせてください。」と言わなければなりません。
Aさんにはご家庭があるので、残業後はあまりお時間を取ることができないようでした。私を思いやることは当然ありませんが、私の顔を見たり、キスやハグをしたり、胸を触ったりすることはなく、ただあそこにオチンポを入れられて、Aさんの気が済むまで抜き差しされ続けました。女性としてではなく、性欲を処理するためのただの穴として扱われていたように思います。
Aさんには、能無しクズマンコ、チンポ狂いのバカ女、無料オナホなど、聞いたことのないひどい言葉で罵倒されながら、遠慮なく腰を打ちつけられました。
その度にAさんに、自分は何なのか言えと言われ、Aさんに言われた通り、私は能無しクズマンコです、オチンポ狂いのバカ女です、Aさんの無料オナホです、ときちんと言わなければ許してもらえず、様々ないやらしい表現を教わると同時に、私ってそういう人間なんだと刷り込まれました。
そのうち、より効率よく穴を使うためだと言われ、いつも膝丈スカートを履き、ストッキングはニーハイに、下着はTバックにするように指示されました。
Aさんの好む服装やランジェリーも教えられ、私はAさんに早く満足してもらって、早く物事が終わるように、Aさんに教わったことを意識して衣類を選ぶようになりました。
今まで履いたことのないレースのタイトスカートやサマーニットを着たり、口紅を今までよりはっきりした色にしたり、メイクもきちんとしたりすると、他の男性社員からも声を掛けられることが増えました。
Aさんにもご満足いただくと同時に、他の男性社員に褒められた場面を見られていたようで、芋女が調子に乗るなとひどくお尻を叩かれました。
また、Aさんにゴムをつけて下さるよう何度もお願いしましたが、女性と関係を持つ時は男の責任だと思うが、オナホ使う時にゴムをつける男なんていないだろ。と一蹴されました。
当時の私は、オナホとは何かがわからなかったので、帰宅後調べてみました。Aさんにとっては、私は人ではなくモノなんだなと思い知らされました。
基本的にお尻や口、顔などに射精されることが多かったですが、半年ほど経つと面倒になったようで、私の生理予定を確認された後、Aさんの判断で中に出されることも増えました。
私は女でありながら、安全日や危険日がいつのことかわかっておらず、中出しイコール妊娠だと信じていたので、初めて犯されながら中に出すと宣言された時は、力いっぱい抵抗しました。でも簡単にねじ伏せられて、1番奥にオチンポを打ち込まれ、嫌でもAさんの精液が流し込まれていくのを感じ、ぶるぶる震えながらすべてを受け止めたことが今でも忘れられません。
避妊したければ自分で勝手にしろと言われ、私は怖くてたまらず、自分を守るためにピルを服用することにしました。後日それをAさんに報告すると、仕事はできないが、便器としての心構えは優秀だなとお褒めの言葉を頂き、そこからは正式にAさんの中出し専用肉オナホになりました。
二、三ヶ月に一度の出張では、Aさんが必ず私につき、一泊二日でスケジュールをうまく組んで二日目はフリーになることが多かったです。
一泊目の夜には必ずAさんが私の部屋にお酒と道具を持ってやってきて、朝までご奉仕の練習をしたり、おもちゃ遊びをされたりしていました。
Aさんはベッドに座ってテレビを見ながらお酒を飲み、私は床に正座して両手を後ろで手錠されたままずっとご奉仕しました。
私はご奉仕の経験がなく、とても下手だったようで、何度もえずいてしまい、その度にAさんのご機嫌を損ね、オチンポでビンタされたり、無理やり喉まで犯されたりして、やり直しをしました。
また、Aさんの気分次第で拘束されて、Aさんの気が済むまでおもちゃ遊びされることもありました。
お酒が入ったAさんは歯止めが効かなくて、私は数え切れないくらいの限界を迎え、他の部屋に響かないように声を押し殺しながらも、何度も何度も、もうやめてください、おまんこ限界です、どうか許してください、と懇願しました。
Aさんは普段からものすごく体力がある方だと思っていましたが、酔うと余計イきにくくなるそうで、しばらくオナホ扱いされた後にまたおもちゃ遊び、またオナホとしてオチンポを挿入され、奥が潰れるほどたくさん突かれたあとにお口でご奉仕、を繰り返して…誰か助けて、早く終わって、と何度も願っていました。
そんなAさん早くご満足いただく方法は、私からたくさんいやらしい言葉を言うことでした。
早く終わってください、早くイッてくださいなんて言えばご機嫌を損ねるに決まっているので、
Aさんのオチンポが気持ちいいです、世界で1番気持ちいいです、
Aさんの精液がほしいです、いっぱいかけてください、奥に出してください、と、思いつく限りのことを言いました。
Aさんは非常に喜んでくださり、もっと言え、もっと俺を興奮させろと言いました。
Aさんに言われてきた言葉を思い出し、早く終わってほしい一心で必死に色んな言葉を絞り出しました。
Aさんはそんな私をひとしきり録画した後、ラストスパートをかけて腰を振って下さいました。全体重を子宮に掛けられ、息もまともにできないのに私も絶頂してしまうとても苦しい時間でしたが、もう終わる、もう終わる、と自分に言い聞かせました。
溜まったものを奥に出され、引き抜かれたものを綺麗にお口でお掃除すると、Aさんは満足して寝てくださり、私は心からホッとしました。
Aさんにきちんと感謝や謝罪をしていれば、大変手厚く仕事をサポートして頂き、自信を持って働くことができるようになりました。
その分Aさんにはストレスをお掛けしてしまい、発散のため休日にも呼び出されることが増えました。
今思えば、私は当時完全に麻痺しており、Aさんのために頑張ることが、自分のためになると信じ込んでいましたし、あまりの回数に、身体を捧げることが当たり前で、生活の一部になっていたように思います。
休日のホテルでは、出張先と同じくらい濃い躾が行われました。私はとにかく、早く終わってほしい一心で、自分からたくさんいやらしい言葉を言い、自分からご奉仕したり、腰を振ったりと、思いつく限りの工夫をしてAさんに尽くしました。
そんな生活が二年以上続きました。
その日も黒いファイルが置かれており、当たり前のように夜のオフィスで謝罪セックスをさせて頂きました。
その日は談話室を指定され、珍しくソファに寝かされ対面で挿入されました。
Aさんには常々、顔が地味だ、華がないと言われていたため、私の顔を見るのが嫌だったんだと思います。近くにあった紙袋を頭に被されて、いつものようにオナホ扱いされました。
「仕事は0点。身体は…そそるメスの体つきになってきたな。80点やろう。」と笑われ、私は紙袋の中からお礼を言いました。
Aさんがとてもお上手なのと、悔しいけれど身体の相性が非常に良かったのと、色々なことが重なって、私はAさんに簡単にイかされる身体になっていました。
いつもと同じように、犯されながら連続でイッている中で、紙袋の視界が妙に新鮮で、思考だけ冷静になり、私って何なんだろう…ずっとこのまま、この人のオナホでいる人生なのかな…とぼんやり考えました。
その日の帰り道、以前会社同士の交流会で声を掛けられた男性(今の夫)から、メッセージが来ていることに気づきました。