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性的虐待体験 RSS icon
※幼少時に受けた体験談

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2017/04/19 10:20:28
悪戯されてました、どんどん絵すかれしていき処女も奪われました、、毎週末を迎えるのが嫌でお兄ちゃんが寝てるすきに尿道とお尻の穴にアロンアルファぬりたぐってあげたらそれ以来静的オモチャにされることがなくなりました
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削除依頼
2017/04/08 15:07:27
始めに、ここには恋人に言われて書き込みしてます。

小学2年の時に、鉄棒に跨いで乗っていると、マンコが気持ちいい事に気づいた私は
時々、夕方にみんなと別れてから一人鉄棒に跨がってオナニーの真似事をしていました。
鍵っ子で、7時過ぎまで誰も家には居ないので、日の高い時期は、一人で、遅くまで
そんな事をして遊んでいました。
先生に声を掛けられたのは小学6年の一学期でした。
5時になり、みんなが帰った後に、一人鉄棒に跨りオナニーの真似事をしていたときに
「そんな茶色い鉄棒に大事なところを擦り付けたら駄目よ」と大きな声で言われたのです。
先生とは、公園の前に有る団地の一階に有るパレー教室の先生で、もちろん女性です。
私が、恥ずかしさと驚きで黙っていると、
「ばい菌が入るよ。こちらに来なさい」とバレー教室に連れていかれました。
シャッターの閉まった教室には誰も居ませんでした。
先生は私に「マンコを消毒するからそこのマットに寝て、パンツを脱ぎなさい」と言いました
オナニーを見られた私は、他の人に知られるのが怖くて、素直に言う事を聞き
パンツを脱いで、足を開きました。
「消毒には唾液が効くから」と言った途端に、先生は、私のマンコを舐めました。
まだ、線でしかない私のマンコを広げたり、点でしかないクリを舐められて、初めての快楽を
私は味わいました。たぶん30分くらいは、先生にイジメられていたと思います。
最後に先生から口止めをされましたが、もちろん人になんか言えず、黙っていました。
2回目の快楽もすぐに味わいます。翌週くらいに公園で一人でいると、先生が声を掛けてきました。
また誰も居ない教室に入り、体育用マットに寝かされると、今度はパンツだけではなく
服やスカート、シミーズも脱がされ全裸にされて、マンコを舐められました。
2回目は、初めての時よりも強い快感だったのは、今でも覚えています。
それから先生と私は、月に2度程度は、レズの関係になっていきました。
夏休みには、先生も全裸になってくれて、マンコが私と同じでツルツルのパイパンだったのは驚きでした
そのとき、初めて先生のマンコを舐めさせてもらい、先生と恋人の気分になっていました。
先生は30前後のスタイル抜群な方、私には憧れの人でした。
今思えば、ロリコンレズのサド女で、男と寝るときは、変態マゾ女なんですけどね。

その後、先生の恋人に私は処女を奪われ、二人の性玩具になりますが
それは、また、恋人が書き込めと言ったときに、また来ます。

657

197*年

投稿者:K子
削除依頼
2017/03/21 20:24:57
父が死んで、貧乏だった我が家は、ある地方に引っ越しました
私が小5、妹が小3の時です。
いきなり、山の中の田舎で、母の知り合いと言う男との同居が始まりました
母は、車で30分ほどのホテルで宴会係を始め、私たち姉妹は、新しい学校生活が始まりました
4・5月は、なにもありませんでしたが、6月のある日、帰宅すると妹も同居の男も姿が見えませんでした。
何気なく、離れの客間を覗いてみると、裸の妹が、男のあれをフェラしていました
「何度言わせるんだ、痛くするな」みたいな事を言いながら、泣いてる妹の口に何度もあれをピストンしています。
私はショックで、その日は、その場を離れてしまいました
後日、そっと妹に聞くと、もう、1ヵ月近く、週に2・3回は、フェラをさせられており
上手く出来ないと、性器に指を入れられ、痛い思いをさせられており、母や私には言うなと脅されていた様子でした
妹は午前授業がまだ有り、6時限の私が帰るまでに、何度も妹は口姦されていたのです。
それから数日後、私が帰宅すると、男が妹を離れに連れ込もうとしている場面に出会いました
ここからは皆さんの想像通りだと思います。
私は妹に代わりました。裸にされ、初めてフェラを体験します。
吐き気に耐え、早く終わる事だけを願っていました。
歯に当たってしまい、上手く出来ないと、性器に指を入れられ、グリグリと拷問されました
処女の私には、本当に痛くツライ拷問でした。
口に出された時は、思わず吐いてしまい、男にビンタをされたのが、とても怖く、
その後はどんな事があっても吐き出さずに飲むようにしました。
7月の夏休みになると、農業の合間を見ては、男は私や妹を呼び、離れで、交代に口姦させます。
昼間に、なにも無い時は、必ず、夜の風呂場で私が相手をさせられました
風呂場では、私の性器に石鹸を付け、スマタのような事をさせられました。
そして、8月のある日、私は処女を奪われました。
身体の中に、硬い物が入り、痛くて仕方ありませんでした。
もちろん、生理も無い子供でしたから、中で出されました。
それからは、妹は時々になり、私は、ほぼ毎日のように犯され続けました。
二学期が始まるころには、痛みは無くなってました。
その頃の子供でも、毎日のように性生活があれば、11歳の誕生日のころには、
胸も膨らみだし、発毛も始まりました。でも、生理は有りませんでした。
5年生の10月に性教育で子供の作り方を教わったときは、自分が子供作りをしていたと知り
とてもショックでした。
毎日、子供が出来ないか不安で、何度も夢を見ました。
そんな事が続いた1月に、母が休みだった為、男は、帰宅途中の私を待ち伏せして
自宅から少し離れた農業の休憩所に連れ込みました。
冬の寒い日に、いつも通りに裸にされ、フェラをさせられ、犯され、中に出されました。
ところが、何を思ったのか、パンツを穿かせてもらえず、そのままで帰宅させられました。
帰宅したところで、私の子宮から精子が流れました。しかも母の前で・・・
あとは、想像通りです。
母にすべてを話し、母は男と別れてくれました。
私たちは、男のおもちゃから解放されました。
残念なのは、その一週間前に妹も処女を失ってました。
まだ9歳でした。






658
2017/04/04 09:50:23
私の父は仕事は転勤族と呼ばれる公務員でした。
引っ越し先の学校では、社交的な私は直ぐに友達になれたり、近所の人達にも可愛がられていました。

友達と遊んでるとよく近所のお年寄りに話し掛けられ、親しくなる機会がありました。

私の家のお隣さんも定年退職されたばかりの夫婦二人だけで住んで居ました。

学校から帰ってきた時にお隣のお婆ちゃんに声を掛けら、ランドセルを家に置いてお婆ちゃんの家にいきました。

部屋に入るとお爺ちゃんも居てお茶を飲みながらテレビを見ていました。

ジュースとお菓子を出されて3人で楽しく話していました。

お婆ちゃんが夕飯の仕度を始めて部屋にはお爺ちゃんと私だけになったけどお爺ちゃんの話が楽しかった。

お爺ちゃんは「ここにおいで」とお爺ちゃん胡座をしてる足をポンポンしてきたので言われるままにお爺ちゃんの胡座の上に座りました。

私もお爺ちゃんの胡座の上に座って話をするのが好きでした。

お爺ちゃんに話ながら私の脚や腕を撫でてくれるのが気持ちよくて好きでした。
時々パンツの上からアソコを触ったり、パンツの中に手を入れて直接触られてた記憶がありました。

2年生の時に、父の転勤が決まり6年生の卒業式を終えて帰る途中でお隣のお爺ちゃん偶然会って家に帰ってからお爺ちゃんの家に遊びに行く事になりました。

お婆ちゃんは居なくて、何時もの様にお爺ちゃんの胡座の上に脚を伸ばして座りました。

話ながらお爺ちゃんは何時もの様に腕や脚を撫でてきて「お爺ちゃん、あーちゃんが居なくなると寂しくなるな」と言われて私も寂しくなりました。
お爺ちゃんの手は私のパンツの中で動いていました。

撫でられている時より気持ちよくてお爺ちゃんの胸にもたれ掛かっていました。

スーッとお爺ちゃんの手でパンツが下げられて脱がされるとカーペットに寝かされるとお爺ちゃんがスカート捲り私の股に顔を付けてきました。


肘で身体を起こして見るとお爺ちゃんが私のアソコを舐めていて、ペチャペチャの舐められると凄く不思議な気持ちよさと、何でオシッコの出るところを舐めるのか、汚くないのか思っていたけど、何も話さないでいたら「あーちゃんとの内緒の思い出にするよ」とズボンのベルトを外してファスナーを下ろすと一気にズボンとパンツも下げてソーセージみたいな物を出して、それを握ると私のアソコに擦り付けたりしてたけど、肘が怠くなったのでカーペットに寝そべるとお爺ちゃんが体重をかけない様に私の上にきました。

私の脚を閉じる様にされて、アソコに固いものが挟まってるのが動き出すと私のアソコは擦れて変な気持ちになっているとお爺ちゃんの動きが止まり生暖かい物が脚の付け根辺りに感じました。

お爺ちゃんが立ち上がるとソーセージみたいな物は小さくてなってて、お爺ちゃんはティッシュで私のアソコを拭いてくれて、ウェットティッシュで綺麗に拭いてくれてパンツを履かせてくれました。

また暫くしてお爺ちゃんの胡座の上に座り、お爺ちゃんはまたパンツの中に手を入れてきて触ってきてました。

お婆ちゃんは私の母と買い物に行ってたみたいで、母に呼ばれて家に帰り引っ越しの準備をして数日後に引っ越ししました。
引っ越し先でも私は学校でも近所の人達とも上手くやっていましたが…
659
2017/01/22 13:53:48
小6の夏休みの出来事でした。

友達と市営プールに行くことになり待ち合わせ場所の公園に向かいました。
あと少しで公園に着くと言うところで一時停止無視の車と衝突してしまいました。

病院に搬送され、左腕の骨折と右ひじを捻挫してしまいました。

その日から私はしばらくの間は両腕が使えない不自由な生活が始まりました。

服を着替えるのや、御飯を食べる時も誰かの手助けが必要な生活でした。
何より、お風呂に入る時やトイレに行く時は大変でした。

お風呂は夜に入るから、お母さんやお婆ちゃんと入って洗ってもらったけど、トイレはお母さんは仕事に出掛けて留守になるし、お婆ちゃんもいつも私と一緒に居るわけでは無いから「誰も居ない時に困るから紙おむつ使う?」って言われたけどそれだけは断固拒否しました。

事故から三日目位の時にお婆ちゃんが急用で出掛けた日の事です。

その日は私とお爺ちゃんしか居なくて、最悪な事に朝からお腹の調子が悪くて心配でした。

お昼までにはお婆ちゃんが帰ってくるから我慢しょう!と思ってたけど、限界でした。

お爺ちゃんを呼んでトイレに付いて来てもらって、パンツを下げてもらってワンピのスカートも持ち上げてもらってから便座に座りました。

一旦お爺ちゃんには出てもらい、気持ちよく済ませました。

「お爺ちゃん~」と呼ぶとすぐにトイレのドアーが開き「終わったかぁ?」と聞かれたから「終わったから、お願いお尻が拭いて」と言うと、カラカラとトイレットペーパーを取り二つ折にして、ワンピのスカートを持ち上げて股の間に手を入れてきました。

その段階でめっちゃ恥ずかしかった。

ウンチを我慢してた時は、恥ずかしさより我慢の限界の方が大きくて恥ずかしさを感じていませんでした。

少し生えてるアソコの毛も割れ目もお爺ちゃんに見られてしまいました。
お爺ちゃんの方は、普通に私の股間に手を伸ばしてお尻の穴よりずいぶん後ろから拭いてくれました。
二、三度拭いてくれたところで気付きました。

後ろから前に拭いてくれたことを…

あっヤバイ…前の穴にウンチが入ったかも…

その頃にはウォシュレット何か家には無かったから…

不安のままお爺ちゃんにパンツを上げてもらい流してもらいトイレを出ました。

二人で居間に帰ると電話がなりました。

お爺ちゃんが出てくれました。

「婆ちゃん、夕方まで帰れんだと」と言われました。

お昼まで待ってお婆ちゃんに洗ってもらお…と思ってた私は迷いました。

迷った末に「お爺ちゃん、もしかしたら前の穴にウンチが入ってるかも知れないから洗って」とお願いしました。

お爺ちゃんも一瞬戸惑った顔をして「婆ちゃんが帰ってくるまで待てんのか?」と言われ小声で「残ってたら病気になるかも知れないから…」と言うと、お爺ちゃんも仕方ないな…みたいな顔で立ち上がりお風呂場に向かいました。

脱衣場でワンピのスカートを脱がしてもらいタンクトップはそのままでパンツも脱がしてもらいました。

夏だったのでシャワーは水のままでした。

「脚を開いて」と言われ少し開くとシャワーから出る水が股間にかかると、お爺ちゃんの指がお尻の穴の辺りや割れ目の中を行ったり来たりしてて、ぐにゅ…と穴の中に入って、出たり入ったりして中も綺麗に洗ってくれてました。

時間にするとそんなに長くはなかったけど、何か気持ちよかった。

脱衣場に出て、バスタオルで優しく股間や両足を拭いてもらいました。

割れ目の中を拭いてくれる時は、すごく優しくゆっくり拭いてくれて、バスタオルがあの突起に擦れると、言い様の無い気持ちが込み上げて来ました。

綺麗に拭いてもらい、パンツとワンピのスカートを着せてもらいました。

その日以来、右ひじの捻挫が治るまで、お母さん、お婆ちゃん、お爺ちゃんの三人にお世話になりました。

さすがにお父さんには、お風呂とトイレと着替えは頼めませんでした。

右ひじが治ってもお爺ちゃんとお風呂に入ってて、色々な話ができて楽しかった。
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