世の中には色んな仕事があるものだと、実際にやってみて思う。確か以前に観たハリウッド映画に、こういうシーンがあったように記憶している。
電話の受話器を肩と耳の間に挟んで忙しそうに働く企業戦士に、ワゴンを押しながら各部署に書類や手紙の類を配って回る青年の姿である。
ウォール街か新聞社を舞台にした作品だったような気もするが、あれは海外の話で日本の大企業にも存在するとは思はなかった。
外部から、あるいは外部へ配送するものや社内で行われる書類の配達を、別会社としてその会社に常駐しながら業務をするというもの。この仕事を始めて3ヶ月、やっと慣れてきたところだった。
社内のメール便は希望していたから自分の受け持ちになって、やり甲斐を感じられて面白い。けれど少ないスタッフで誰がそのポストに就くのか、慣れてくるにつれて実は厄介な仕事を押し付けられたのだと、卓は後になって気付かされていた。
膨大な書類は日々発生し、外部から送られてくる物は後を絶たない。それをハツカ鼠のように社内を移動しながら、配達し続けなければならないのだ。
忙しく働く彼らも機嫌の人間であり、機嫌がいい時ばかりではない。配達されたものを受け取るだけなのに邪険にしたり、面倒臭そうな顔を露骨に出されたりするのはまだ良いほうだ。
席を不在にされたりすると日に何度も伺わなければならず、仕事が捗らない。極めつけは中間管理職宛に配るとき、である。これが厄介な仕事を押し付けられたのだと認識した一番の理由である。
彼らに機嫌のいい日はなく、手渡すタイミングを間違えれば理不尽に怒鳴られたりする。この会社のコンプライアンスはどうなっているのかと疑いたくなるが、仕事をさせてもらう立場のこちら側は泣き寝入りするしかない。社内の人間ではないからコンプライアンスの効力は届かず、クレームを言おうものなら仕事を他社に奪われかねない。
卓たちはまったく体のよいストレスの捌け口、というわけである。
何を言われても気にするな、聞き流せ……。
先輩にそう助言された意味はこれかと、思ったものだ。先輩たちも新人にすぐ辞められてはその役を自分たちがしなければならず、見ていて気の毒になるほど卓のフォローに余念がない。
そして、たちが悪い相手がいる。それは女性管理職の中のひとり、中井恵子だった。
彼女は暴言、罵詈雑言を浴びせられることはなかったけれど、極端に口数が少ない。いつも表情を変えず眼鏡の奥の冷たい目で、見詰めてきては手渡されたものを黙って受け取るのだ。それが済んだらもう用はないと言わんばかり、こちらの存在を無視してディスクの上のノートパソコンに目を落とすのだ。
話だけを聞けば罵詈雑言を浴びせられるよりもずうっとマシではないかと思うだろうが、日々これを体験した者は嫌気が差してしまう。これで何人もの新人が去って行ったのだと、卓は容易に想像がついてしまった。
杏奈との仲は、今も続いている。彼女は重い存在になりたくないからと、月に1週間だけは共にする時間を持つこと以外、卓をこれまでと同じように自由にすることを許容している。その代わり、1週間という期間はとても濃密なものになっている。
さすがの卓も一度の射精では済まず、杏奈を数え切れないほどのオーガズムへ導かないとならないのだ。そこに義務感を匂わせたらたちまち冷え切るのは分かりきったことで、絶対にあってはならない。もっとも杏奈という女性を大事に想う気持ちに嘘はなく、彼女の乱れる姿は見ていて飽きることはない。
自らの身体に貯蔵された精液が枯渇するまで射精を繰り返し、疲れ果てて眠るまで愛するのだである。
それがあるから中井恵子からの冷遇も、今日にまでどうにか耐えられている。そして卓のアンテナは、早くもその相手の特有の匂いをキャッチしていた。
哺乳類の三大欲求、その中のひとつを………。
男と感性も身体のシステムも違う女性が、強力な性欲を慢性的に維持させている状況はなにを物語っているのか。既婚者である中井恵子の性欲が満たされない理由は十人十色というように、これだと決めつけることはできないが、人に対する態度に少なからず影響していることは間違いない。
特に男性に対する極端な不信感を、恵子からは感じるのだった。まだ40手前だというのに今のポジションに昇進したからには優秀な人材なのだろうけれど、卓の心はこの時すでに決まっていた。
中井恵子は38歳、4つ歳上の夫と私立の学校に通わせている小学生の娘が一人いる。卓と付き合いのある知り合いの調査によれば、やはり夫というのは浮気をしており、それで夫婦仲は冷え込んでいるらしい。
今の時代にこんな言い方は時代遅れも甚だしいけれど、旧い風習が消えない企業で女だてらに上を目指すのなら、離婚は絶対にご法度。この先もかかる学費や暮らしの維持を考えれば、耐えるしかない。
当然のように夜の夫婦生活があるわけもなく、妻の恵子だけが欲求を発散する場もなく積もらせている、そんな現状が生まれたことは想像に固くない。人間である以上、もちろんそれだけではないのだろうが……。
卓は早くも行動に移り、恵子の通勤路線を調べ上げていた。1時間近くも離れたベッドタウンから電車に揺られ、この会社まで通勤をしてくると知った。
ある爽やかな朝、とある駅のホームに卓の姿があった。それは恵子の最寄り駅の1つ手前の駅であり、待ち構えるための方法だったのだ。
ホームに立ち並ぶ人の列に続く卓たちに、風を引き連れた電車が到着してきた。人が吐き出されるのを待って、乗り込む人たちの後に続く。
報告にあったように決まった車両の位置に恵子の姿を見つけ、卓は少しづつ近づいていく。駅を3つ過ぎた頃には背後に立ち、機会を伺っていた。
そして………卓の手が、形の良い臀部に触れる……。
眼鏡の奥の目を見開いた恵子はハッとしたように頭を持ち上げ、その頭を少しだけ横に向けて後ろを窺う仕草を見せる。
神経質そうな目を泳がせて朝からの不快な出来事を呪うように眉間の皺を刻み、頭の中の策を練り始める。どのタイミングで駅員に突き出してやろうか、私に痴漢をしたことを後悔させてあげるから……と。
けれど嫌悪感よりも別の感情が大きくなるのを感じ、それが邪魔をしてくる。いたずらに撫で回すというのではなく、お尻から腰の横に添えられた手が温もりを伝えてくる。まるで安心をさせるかのように……。
その手が少し下がって太腿の外側に触れ、少し前へ……逆に後に這ってお尻との境目に留まる。何だか焦らされているようで、何を考えているのか分からない。
その手の指を動かして確かめるかのようにツゥ〜っと、動かされる。なんとも言えないような感覚になり、全身に鳥肌が立つ……。
スッ…スッ…ス〜ッ…っと上に這い上がる手の平がお尻を包み込み、在りしの日の愛撫を思い出す。
学生時代から若い頃にかけて痴漢の被害は数多く遭ってきたけれど、恵子はこんな感じを味わうのは初めてだった。
恵子の中で、何かが目覚めようとしている。
警戒心という固く閉ざされた扉が揺るぎ、動揺する心をコントロールできないまま、その誰かの手に神経が集中させる。
そして、ついにタイトスカートの裾が掴まれる感覚を覚え、緊張が走る。だからといって何かをできるわけでもなく、ずり上がっていくのを止めることすら出来ない。
なんてことをするの……。
恵子がそう思うのと同時に卓の指が、下着に触れていたのだった。
昨今の多様化を容認するようになった世の中が、ビジネスウーマンからパンストを身に着けなければならないという戒めから解放したように、恵子もまた例外なく従っていた。
これまではコスト的にパンストを選ばざるをえなかったけれど、今はネットでクオリティーの高いセパレートタイプを、比較的リーズナブルに購入することが出来るようになった。
いちいちトイレで煩わしい思いをしなくても良くなり、太腿までしかないこれなら夏の暑い時期もかなり違う。世の中の流れに沿うこともできて、気分的にも楽になった。
けれど痴漢行為に手を貸す不可抗力まではそもそも想定しておらず、股の下を潜り抜けてくる誰かの指に、恵子は戦々恐々とするのだった。
嫌悪感を乗り越えて羞恥心が身構させ、自分の前と両隣の乗客が気になって仕方がない。
まだ中年の域に入ったと認めたくはない女心が、もう女の子とは言えない年齢になった自分が痴漢の被害に遭っている事実、これを知られたくはない気持ちが沈黙させる。
冷え切ってはいるけれど結婚もして可愛い盛りの娘もいて、誰もが知る大企業の管理職を勤めるまでになった自分が、痴漢の被害に遭っているなんて笑えない。
騒ぎになれば会社に遅れる理由を連絡しなければならず、絶対に知られたくはない。蠢く指先が前へ後へと溝をゆったりと往復し、ある地点で止まったかと思うと指の腹が小さなのの字をを描くように、丁寧な動きをし始めた。
それは女なら誰しも反応してしまう敏感な器官が備わる場所であり、直ちに恵子の身体も反応を始めてしまうのだった。
恥裂の始まりである箇所を繊細に揉み込むような指の腹の動きは、過保護にガードされている蕾を揺さぶり、せっかく寝ていた子が愚図り出す。
やや内股になった太腿の下で覚醒した子が隠れていた布団から顔を出し、もっと自分を可愛がって欲しくて半分ほどその身を乗り出して、撫でられる幸せを享受する……。
恵子は自分を叱咤して負けまいと怒りの狼煙を上げようとしたが、その他大勢の抵抗にあってはどうにもならない。その抵抗とは己の欲望であり、如何に強固な意思を保とうとも焼け石に水……。
いや……干乾びてひび割れた大地に恵みの雨が降り注ぐように、その快感に抗うことなど出来るはずがない。
慣れた手付きの相手は巧みであり、速やかにその手を前に回してきた。恵子は手にしたバッグで前側を隠し、不自然に短くなった下半身のスカートをどうにか隠したかった。
誰も密集する電車内で上半身から下を気にする者はいなかったけれど、気が休まることはない。
下着の上側から静かに入れてきた手を肌に密着させながら、密林を通過させて辿り着く。
直に指の腹で触れられながら再び味わう甘味な味に、恵子は諦めることを自分に認めるしかなかった。
ごく小さく時計回りに動かされる指先にはもう抗う理由を見つけられず、しばらくは従うほかなさそうだから。
だって、堪らなく気持ちいいのだから………。
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