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2024/01/02 19:28:00 (WfPICpa3)
免許証入れにそっとしまってある、一枚の写真があります。
セーラー服姿の可愛い女の子、それは、3歳年下の従妹です。
子供の頃は、3歳差は大きくて、親戚が集まると、
「お兄、お兄」
と慕ってくれました。
私は田舎にいましたが、従妹一家は県庁所在地に住んでた都会っ子で、特に夏休みに遊びに来ると、常に私と一緒で、お風呂も従姉が小学生のうちは一緒に入ってました。
そして、私の部屋で一緒に寝ていました。

私は、県庁所在地にある国立大に進学したので、従妹が暮らす街にアパートを借りて、独り暮らししていました。
その時従妹は高校に入学、事前に携帯にメール(当時まだラインは無かった)で居るかどうか確認して、帰りにちょくちょく私のアパートに寄り道していました。
男子大学生と女子高生、従妹とはいえ、自分を好いてくれてる女の子が、慕ってベタベタしてくるのですから、女を感じるなと言っても無理があります。
そして、そろそろ梅雨空という6月初旬、中間テストを終えた従妹がやってきました。
セーラー服は夏の白いものになってて、メッチャ可愛くて、ベッドで寝そべる俺に抱きついてきて、自然の流れでキス、そこからはもう抱き合ってペッティングです。
乱れるセーラー服を気にして、従妹が脱ぎだして、ジ、エンドでした。

子供の頃みたいに一緒にお風呂に入り、童貞の大学1年生と、処女の高校1年生が、嬉恥ずかしの初体験、今も忘れられなせん。
従姉が小学生の時よりも成熟した身体を晒し、股間を開き、初々しい陰唇を広げられ、舐められ、可愛い乳房を揉まれながら、乳首を吸われ、私の陰茎でズブッと処女膜を突き破ったのです。
初セックスの相手が女子高生っていうのが、より一層萌えました。
キュウキュウと締まって、女の子の膣って、こんなに気持ち良かったんだと知りました。
お互い初めて同士、会うたびハメてれば、女子高生の従妹もクンニだけじゃなく、中でも感じるようになってきて、覚えたての快感に、猿のようにハメまくるようになりました。

時間がないときはシャワーも浴びず、下だけ脱いで、上はセーラー服のままセックスしました。
私は、夏休みはお盆以外は帰省せず、バイトしながら毎日従妹とハメ狂ってました。
次第に、男子大学生と女子高生のセックスとは思えないような、濃密な、本能的なセックスを展開するようになっていきました。
セーラー服着た女子高生とは思えない、淫らなヨガリを見せました。
上だけセーラー服で私に跨り、クイクイ腰を振る姿は、とても女子高生とは思えませんでした。
そこに清楚はなく、セーラー服の襟をはためかせながら、ヒイヒイと淫らにヨガり狂う一匹のメスの姿がありました。

初体験から1年も過ぎると、生入れ外出しのセックスになり、その快感は倍増し、ますます淫らになっていきました。
騎乗位で腰を振るセーラー服少女、
「そろそろ出そうだ、離れて・・・」
「そろそろ生理だから、そのまま出して・・・」
ドクドクドク・・・セーラー服少女の子宮が精液で満たされていきました。
従姉が腰を上げると、セーラー服姿の女子高生の膣口から、中出し精液がダラ~ッと流れ出るのですが、その光景は清純なセーラー服を裏切る興奮がありました。

別れは私が大学4年、従妹が短大1年の晩秋、私たちがラブホに入る瞬間と、出てくる瞬間を興信所が撮影していました。
私のアパートに入り浸りになったことを、従妹が短大生になってから気づかれました。
部屋に出入りするだけでは、関係を立証できないと踏んだ叔父夫婦は、興信所を使いました。
「お前ら、血の繋がった親戚同士で、何やってるんだ!」
烈火のごとく叱られました。
従兄妹は結婚できるけれど、叔父夫婦も、私の両親も許しませんでした。
こうして、従妹との3年半の愛は引き裂かれました。

私たちは会えなくなりましたが、最後、私が大学卒業でアパートを出た後、卒業域に出るために舞い戻った宿泊先で、従妹を抱きました。
3年半ハメ狂った従妹の陰唇は、19歳の短大生とは思えないほど紫色に変色し、巻くように伸びて変形していました。
心から愛し合いながらも、禁じられた血縁者同士の肉体に溺れ、姦淫に耽りました。
許されざる交尾に溺れ、
「お兄、中に頂戴。もし、デキたら強引にでもお嫁さんにして。ダメだったら諦める・・・」
と言われ、親戚中を敵に回すことも恐れぬ従兄妹中出し、従妹の子宮に従兄精液を「孕め」と願いながらドクドクと流し込み、禁断の歓喜に酔い痴れました。

翌日、駅に従妹が見送りに来ました。
「さよなら、お兄・・・デキてるといいね。私たちの赤ちゃん。」
「ああ、そうだな。それじゃあ、俺、行くわ。さよなら・・・」
帰郷して一週間後、従妹からメールが来ました。
「生理、来ました。さよなら、お兄。」
とありました。
「さよなら。元気でな。」
そう返した後、従妹と連絡を絶ちました。

帰郷後、両親とも気まずくなっていた俺は、実家は兄貴に任せて、就職先がある隣の市内にアパートを借りました。
あれ以来、叔父一家は、墓参りに来ても我が実家に立ち寄ることもなく、日帰りで帰るようになり、従妹とも顔を合わせなくなりました。
そんな先週、21年ぶりに従妹に会いました。
それは、親父の告別式、喪主は兄貴でしたが、焼香を終えた従妹が、私たちに深々と頭を下げ、席に着きました。
40歳の従妹は、あの頃の面影を残しながら、奇麗に年を重ねていました。
私の妻も子供たちも、従妹が遺族側に座ってたから、親戚だとは思ったでしょうが、私tの深い中には気づいていません。

従妹は、会話を交わすことなく、告別式が終わるそそくさと帰っていきました。
結局、叔父夫婦の姿は見かけませんでした。
従妹は、結婚指輪をしていませんでした。
単にしていないのか、独身なのかは、21年間音信不通なのでわかりません。
ただ、あれだけ愛し合って引き裂かれた従兄妹同士の恋、デキ婚まで目論んだほど、私を愛した従妹は、もしかしたら、私を想ったまま独身を貫いているのかもしれません。
だとしたら、私の結婚を知った時、従妹の気持ちは推し量るに切なすぎます。

私は、免許証入れの中で微笑むセーラー服姿の従妹に、もう一度「さよなら」と言って、免許証入れを閉じました。
そして、もう、従妹とは二度と会えないような、そんな気がしています。
この先、母が亡くなっても、従妹はやってこないような気がしています。
きっと従妹は、叔父夫婦と離れて独りで暮らしているような気がします。
そんな従妹に、幸せがやってきて欲しいと、心から思います。
従妹との再会の記念に、書き込みます。
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