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2025/05/26 11:55:07 (SA2JZaR0)
性癖や性的嗜好の呪縛に取り憑かれてから随分と経ちますが、アラ還になってもいまだに囚われたままなので困りものです。ふと思い立ったのでたまには原点に立ち返ってみようかとも思います。
最後の方には若干の体験談と現況なども。

小中高と、どちらかといえばそこそこモテてた方で、自分から告るということは稀で女の子の方から声がかかることが多く、とはいえ大して気にも留めていなかった子からばかりだったので適当に相手したり、お断りするばかりでした。当時の恋愛対象は至ってノーマル、面食いだったこともあり実に分かりやすい今で言うスクールカーストでも上位に来る子ばかりを目で追いかけてたものです。でも基本的に告られることの多い身、自分からはわざわざアクションを起こさずに来る者拒まず、で適当に過ごしていたんです。
そんな日々の中、地元で水害に遭って近傍の公民館でしばらく避難生活を送っておりました。入浴も出来ない避難生活、避難者は皆体を拭いたり着替えたりするだけでした。ある夜に退屈になり館内から外廊下に出てフラフラと散歩をしていたところ、暗い角の物陰に差し掛かったところでふくよかな30くらいの人妻が裸で立ったまま(腰にスカートを履いた状態で)体を拭いているところに出くわしたのです!
見ちゃいけない、と思いつつも目が釘付けになってしまい固まってしまいました。
「きゃっ!!」
「あ!ごめんなさい!」
「こっちこそごめんね〜。びっくりさせちゃったね」
その場を立ち去ろうとすると、
「ちょっと待って。ちょうどいいから他の人が来ないか見張ってくれる?」
と頼まれ、裸を見て申し訳なかったので見張りを務めることになりました。初めて見る人だったので同じ地区ではなく、背中を向けながら少しずつお話をしました。ボブヘアーでふっくらした豊満で柔らかそうな裸体を目の当たりにしたこともあり、ドキドキして小学校5年生のくせしてチンチンはカチカチに勃起してしまいました。しかもなんだかムズムズして快感が止まらない…あかん!これはいけないことになっている!と焦りまくりでした。
背中越しの会話で、自宅から二つ隣の地区の人と判明、他にも他愛のないいろんなことは話した記憶があります。
そのうちバケツの水でタオルを絞る水音がして、こっそり振り返るとその人妻はこちらに背を向けて、腰のものを外し脚を開いて立ったまま、どうやら陰部を拭き清めていました。暗がりの中でも後ろから陰毛のモジャモジャ具合が見て取れましたし、ガニ股に開いていたのでおしりの穴まで見えていました。人妻は念入りに拭くことに集中していてこちらの視線には気づいていません。その間も会話は続いていました。ドキドキして慌てまくっていたと同時に、この時間が永遠に続かないかなあ…などと思ったものです。
しかしそんな時間も終わり、その人妻は服も着替え終わり、
「さ、もういいよ!着替えも終わったよ。見張りしてくれてありがとうね。」
と言われその場を立ち去ろうとしたら、後ろから肩に手がかけられ
「ボク、ほんとにありがとね♪」
と後ろから優しくハグされて、肩越しに後ろからほっぺにチューされました。
ハグされた時の人妻の体の柔らかさ、肩や背中に当たる大きなおっぱいの感触、何が起こったか理解出来ず頭が混乱してしまいました。
人妻は歩み去り、私はその場に立ち尽くしてむず痒い股間をどうすることも出来ず、ただただその場に立ち尽くしていました(笑)
この先のエロい展開は無し、ここまでですが昭和51年の小学5年生には十分でしょう。

長くなったので以降のエピソードはレスに続けるとします。
 
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投稿者:ひろ ◆2LEFd5iAoc
2025/06/16 00:13:45    (IKFB9DHs)
げべさま

大作になりましたねー
クセと言う物はやはり環境から作られるものですが、性に関する情報って、身近な誰かと共有することが無い為か「独自進化」しますねー

私が20代前半定期的に買っていたのは「マスカット通信」って名前の顔射雑誌でした。やれば大体一撃でフラれるので、毎週ナンパしていましたね(^_^;)
結婚してエロ本買わなくなり「お互いを思いやった、自分より相手に気持ち良くなってもらうセックス」を仕込んでくれた女性に出逢い、数年を共に過ごせたことが今の私を作った感じです。

回数、人数はかなりのものでしたが、今思えば貧しいセックスをしていましたし、男友達も作れない原因でもありましたね。

エロ本の影響ってホント大きいですねー

記憶を系統立てて遡れるって凄いですよ。
私はマスカットの後は何だったかなー?


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投稿者:ゲベ
2025/06/15 13:12:09    (3/TuYd69)
>>ひろさん

たしかに、今思えばグラマーの範疇かとは思いますが、80年代前半は総じてみんな線が細かったですからねー。胴の太い人そのものが希少だったような気もしますね。後天的な嗜好が記憶に加味されたのかな?とも思います(・_・;
ま、いずれにしてもチャカ・カーンにやられたのは間違いないです(笑)

さて、性癖に関わる要素としてはいわゆる初体験も大きく作用するものだと思うのですが、実は自分の場合は殆ど関係なかったりします。
そんな初体験のお相手は1学年上の先輩の素子さんでした。1年生の時に生徒会にいて、その時に会計をしていた人でした。タイプ的には今にして思えば、なんですが篠原涼子によく似た雰囲気の人でしたね。そんな素子さんに何故か気に入られ、弁当を入れる袋を作ってくれたり(当時カバンの外に括り付けるのが流行ってて)したのでなんとなくお付き合いすることに。まあなかなかの美人でしたし、自分でいいのかな?などとも思いましたが。お付き合いは外でのデートよりもお勉強と称して素子さんの自宅の部屋でのんびり過ごすことが多く、二人きりの時間が基本でしたから、徐々に距離も詰まりました。そんなとある日曜日にいつも通りに素子さんちに行くとその日はご両親も弟も不在で、「今日ならいいよ」と言われていただいたと言うか、喰われたというか(笑)ゴムの装着にも慌てず、暴発することもなく、たぶんスムースに出来たとは思います。その時に素子さんが痛がる様子も出血もなかったので、きっと経験済みだったのでしょう。特に疑問にも思わず、「まあ歳上だし、そういうものだろう」と捉えていました。素子さんの体型は160cmくらいで普通体型、胸はBカップくらいだったので普通と言えば普通。そこそこ美人なのは嬉しかったけど、SEXに溺れるほどではなく、まあ普通に親密なカップル、という感じだったと思います。この時点ですでに豊満女性の視覚的刺激の洗礼も受けていて、嗜好が無自覚にそちらに向けられていたのもあって交際相手との肉欲は別チャンネルとして処理してたのかもですね。その後も素子さんとは無難なお付き合いをしていましたが、翌年に素子さんの受験シーズンの突入に伴い徐々に疎遠となり、自然消滅となりました。スタートからして受け身の恋愛だったこともあり「去るもの追わず」というか、ダメージも少ない別離ではありました。
その後、同じクラスの子や、後輩とも付き合ったりもしましたが長続きはしませんでした。いずれも先方から告られてからの交際でしたので、そもそも自分から惚れたのではなかったからでしょうか、たぶん自分の思いが希薄だったんでしょうね。少なくとも、引き合うようなものは無かったのは確かです。合間の夏休みとかに他校の女子とのグループ交際というか(笑)紹介などもありましたが、その時の集まりの中に以前に書いた「トキエ」もいたりしました。お互い別の相手と成立してますがね。

その頃の交際相手には決して教えていない、自分の性癖・嗜好はその間にも磨かれていました。時たま購入していたBACHELOR誌がどんどん自分の中でバイブルになっていってたんですね。同誌のグラビアには女性モデル単体のものだけでなく、男性との絡みのグラビアも結構ありまして、それ自体の刺激がとても大きくて、当時としてはなかなか珍しく貴重でもありました。なにしろまだAV・アダルトビデオという言葉すら無く、ポルノ映画とかポルノビデオと呼ばれていた頃ですから。そんな頃に誌面の中でラス・メイヤーという監督の映画をよく紹介されるようになっていました。比較的古い映画の再発掘のようで60年代末から70年代半ばくらいの作品をビデオソフト化して販売が始まっていました。この当時に今で言うところの巨乳映画を撮っていたという、たぶん巨乳ものの元祖といったところですかね。同誌のライターかなにかがこれらの紹介やプロデュースに関わっていたようで、なにやらこの巨乳への執着の半端なさは凄まじいものがあるな、と感心させられました。
84年くらいになって、キャンディ・ケーンというモデルが出てきました。ブルネットヘアーにパッチリとした目元の濃い顔立ち、グラマーよりも少し太めなぽっちゃりな雰囲気、そしてなによりも立派で大きなおっぱいが素晴らしく一目惚れしたのです。薄めの色の大きな乳輪、というのもまた嗜好を刺激しました。特徴的だったのは、左鎖骨の下にタトゥーが入っていたことです。「Marty❤️」と書かれたタトゥー、たぶん当時の彼氏なんでしょうかね。しかし、別れたらどうすんのかな?とその時に思いましたけど…後年、どんどんふくよかどころか太く成長して、バンバンとビデオ出演するようになってもずっと左胸のタトゥーは健在でありました。19歳くらいでデビュー、1965年生まれだそうですから今年で還暦なんですねー。もはやBBW枠ですが、今抱ける?と問われれば全然余裕であります。ここ30年ほどはカントリー歌手として活動されてるそうで、いつぞや(20数年前)はパドレスの試合で国歌斉唱をしたらしいです。ステージショットではおっぱいだけボロン!と出して唄ってる様子もありましたので、ポロリもあるよ的なショーもしているみたいですね。新作のアダルト作品は今世紀に入ってからはない模様。98年頃の「Candy's Back」というソフト作品が最後みたいです。
80年代中期以降に、BACHELOR誌面にてアメリカのいわゆる豊満系巨乳系ビデオが頻繁に紹介されるようになり、「Big Top VIDEO」というレーベルでオムニバスでリリースされるようになりました。プロダクション作品が多かったのですが、他にも「どこの田舎だ!」と思うような明らかにカリフォルニア系ではない、南部あたりと思しき太った黒人とか田舎のプアーホワイト然とした太ったオバさんとかが単体や絡みもこなす素人モノ「WildBill」シリーズというレーベルのオムニバス作品が出回り始めました。これが性癖・嗜好に刺さりまくったんですね〜(笑)もうね、乳さえ大きければなんでもあり!的な美醜に全然拘らない、言ってみればゲテモノ的なモデルもバンバン出てきて…このシリーズのお陰で、性癖にさえ刺されば的な、私のストライクゾーンが大幅に拡大されてしまったのです(笑)極端な話、豊満でエロくて性癖にさえ刺さればブサイクでもいけます!みたいなスタイルが完成しちゃったみたいです。
もう、完全なデブ爆乳マニアが出来上がってしまったのですね…。
13
投稿者:ひろ ◆2LEFd5iAoc
2025/06/05 18:02:39    (hFparWjU)
ん?チャカ・カーンってそんなにグラマーでしたっけ?20年くらい前にグラミーとった時のイメージだと、一般的なセクシーグラマーだったような・・・

お別れしてしまったぽっちゃり熟女さんが、ベリーダンスをしている頃に、その曲(タイトル忘れました)に合わせて仰向けに寝た私の腰を跨いて踊ってくれたことがあったので、私の頭の中でチャカ・カーンもエロくなってしまったかなー?(^_^;)

一気に話が繋がり、進行しましたねー
次の投稿お待ちしてますねー
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投稿者:ゲベ
2025/06/05 17:32:34    (GJweAiEK)
>>ひろさん

改行データがおかしくなって塊になってしまった投稿を熟読くださり感謝であります。トキエの誘惑に理性が勝ったのはやはり元々その気がなかったのと、なんといっても性癖・嗜好に刺さらなかったのでどうでも良かったからなんだと思います。これがね、ぽちゃな子だったら食ってたと思いますよ(笑)

>>11さま

あ〜、わかる気がします!閉鎖環境でもあるし、今と違ってスマホやネット環境がなければエロの対象・情報の入手手段は限られてきますからねえ。なのでほんの少しでもSEXの匂いを感じさせる人であれば、それがどんな田舎のオバちゃんであろうと目の前に餌をぶら下げられたら高校生なんてイチコロでしょうねえ。なので残るハードルは性癖に刺さるかどうか、その1点ではないかと思うのです。


さて、中学の頃までの鼻持ちならない誘惑の思い出ばかりで辟易されていたかも知れませんね。ここらで少し、性癖・嗜好の原体験のひとつを新たにピックアップしてみようと思います。
自分の嗜好のひとつに、「豊満かつ爆乳の黒人熟女」というのがあります。その原点はチャカ・カーンであります。最近の人はとんと分からないとは思いますが「ファンクの女王」と呼ばれる女性シンガーです。
82年のことですが、地元の県庁所在地にはデパートが2件あるきりでしたが、そこへ今は亡き大型スーパーの「D」がデパート並みのショッピングモールを展開していたんです。その名も「ド○ミの街」といいまして、そこの中層階に当時としては結構大きめのオーディオ・ビジュアル家電のショウルームを展開していたのです。その前年くらいから、当時出たばかりのレーザーディスクの音楽ソフトを流しており、ザ・ナックのプロモーションビデオを流していたのが印象的でした。その頃はビデオデッキの音質は劣悪で、レーザーディスクのHiFiサウンドはもう別世界のものでレコードに近いものに聞こえました(実際はモノラル信号をデジタルに置き換えただけでCDの足元にも及びませんが)ので、実に衝撃的なだったのです。いつしか、街に出るたびにそのコーナーに立ち寄り「今日は何が流れてるかな?」と楽しみにしていたのです。
そんな中、82年の春にチャカ・カーンと出会ったのです。画面は暗い、おそらくはライブハウスでのステージのようで、時折照明に反射する楽器や機材の光からさして広くないステージでの光景が目に入ってきます。間奏が結構長く続いたあとに黒人女性の豊満な肢体がブルンブルンとやら動きながら視界に飛び込んできました。それこそがチャカ・カーンその人だったのです。体にぴったりと張り付いた長袖のレオタードのようなシャツ(いや、レオタードかも?)、見事な形の巨大な尻を包むタイトなミニスカート、骨太な脚のラインに「私の子宮はココよ!」とでも主張するかのような豊穣な下っ腹(笑)このチャカの扇情的な体つきに16歳の自分は一撃で悩殺されちしまったのです。チャカが踊る姿に「あの体に埋もれたい」と感じ、唄いながら顔全体に浮かんだ汗の粒を見ると「あ〜、この汗を舐め啜りたい!」と心の中で叫んでいたのです。
避難生活の時のぽっちゃりした奥さん、キ○ラ屋パンのお店で悩殺された豊満な若奥さん、それらとチャカ・カーンの動く映像が自分の中で繋がり、「ああ、俺が欲しかったのはこれなんだな!」と初めて意識したのです。
原点はぽっちゃり豊満な人妻さんたち、そして決定打は唄い踊るチャカ・カーンだったのです。
欲するものは明確になったけど、自分の周りや同年代にはそんな女の子なんて皆無でしたし、手の届くところには絶対にいないのだ、と諦めてもいました。なので理想と現実は乖離したまま、さらに長く迷走することになるのです…。
まったく、実に厄介な性癖・嗜好を自覚した、16の春でありました。

こじれ始めましたねー(笑)
11
投稿者:(無名)
2025/06/03 09:26:54    (NjiV95be)
私も中学までを学年一クラスの田舎で過ごし、高校からは全寮の男子校で過ごしました。
恋愛もエロも妄想だけで過ごしましたが、同級の中には商店や、農家のおばちゃん相手に童貞を捨てたものもいて、自分もその人とと妄想を繰り返す内でっぷりした熟女が好きになったのではないかなと。
青年期、ぽっちゃりとの体験記の投稿お待ちしております。
10
投稿者:ひろ ◆2LEFd5iAoc
2025/06/02 19:24:22    (RCv6E3h4)
早熟でらっしゃいますね。
私、キスだけは中学時代にしておりますが、お相手はアメリカ人ハーフでしたので、実は挨拶レベルだったのかも知れません。おっぱいを触るのは童貞卒業までお預けでした。

なんていうか、そのまま勢いでしてしまったら、乖離とかなんとか言わず、また性癖封印されて気付けず、今のポチャ好きなげべさんはいなかったのかも知れませんねー

9
投稿者:ゲベ
2025/06/02 01:48:07    (RO5xpLKW)
あれれ、改行データが全部飛んでる…(・_・;

超絶読みにくくなっててすみません!
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投稿者:ゲベ
2025/06/02 01:44:36    (RO5xpLKW)
>>6さま

私もご多分にもれず、いざデブ・豊満となるとご近所付近のおばさんが視界に入る数少ない対象ではありました。そもそも少年時代なんて行動範囲も視野も狭いわけで、とにかく近場で見かけては悶々としていたものです。

>>ひろさん

当時の私はエロと実際の恋愛対象がまだ未分化でして、これらの乖離になかなか自覚出来ず、自覚と統合がなされたのは随分と時間が必要で、20代後半になってからのことなんです。それまでは乖離したまま過ごしていました。その期間はことごとく機会を逸していたことになりますね(・_・;


小学生の頃から女子からアプローチがあったわけなんですが、当時は理由がよくわかりませんでした。閉鎖的な田舎であり、1学年で1クラスと6年間ほぼ同じ顔ぶれのクラスでしたし男女比も18:10とアンバランスなことから男尊女卑な雰囲気で男女の会話や交流が少なく断絶していた感もありました。そんな中で表面には出ない形で何かにつけて自分にだけは女子達から接触があったんです。おそらく理由としては、当時我が家の家業である自動車修理工場の経営が破綻してそれに伴い両親が離婚、田舎には格好のゴシップであったことでしょう。苗字も変わり、絵に描いたような不遇を囲っている姿に女子達の母性本能がくすぐられたんじゃないかと思います。そして女子の自宅に招かれ、おやつだの何だのとおもてなしを受ける日々が続いたんですね。その当時、女子全員のお宅に招かれたことのあるのはクラスでは自分だけでした。このことはどの女子からも「秘密にしてね」と念押しされましたが、今にして思えば同情半分、興味本位半分であり、しかも田舎ですから噂にもされたくない、という考えからだと思います。随分と自分勝手な連中ですが、その中の何人かは自分に気があったのは確かなようです。

中にはませた子もいまして、6年生の時に日直で居残りしていてエッチなアプローチもありました。色黒だけど発育の良かった和美と、小柄かつ陰キャで勉強の全く出来ないトキエの二人が教室にやってきて話しかけてきました。「何してるん?」と訊かれ、「学級日誌の紐が切れたから新しいのに替えてる」と答えながら作業していると、和美が「こんなの見たことある?」と言うとスカートを捲り上げたと思うとパンツをずらしてペロンとお尻を出したまま、自分の目の前を歩き始めたのです。トキエはというと、ニヤニヤと微笑みながら同じくスカートを
捲り上げ、こちらはパンツを両脇からグイッと持ち上げ股間に激しく食い込ませていました。さながら、ちょっとしたストリップショーといいますか。
しかし全然気のない子からこんなことされても、です。「どうだった?」と訊かれても「なんか凄いね(・_・;」としか言いようがありません。「今日のこと、絶対に秘密だからね!!」(こんな恥ずかしいこと、言えるか)とお約束の口止めとともにその場は終わりました。二人のうち和美の方がいわゆる姉御肌で、なんでもよく仕切っており、時にはもう一方のトキエをよくいじめておりました。実は和美の家にはこれまでに数度招かれていまして、自分に気があったのだと思えます。なのでなんとか自分の気を引こうと敢えてエッチなアプローチ(暴挙)に出て、一人ではなんなので格下のトキエも巻き込んでのことだと思います。基本的にトキエは全然勉強も出来ず、比較的いじめられやすく女子達の間でも結構言いなりでしたから。
和美に関しては、自分としては女性の魅力を全く感じずでしたので同級生・女友達以上の感情など湧くはずもなく、そのままフェードアウトしていきました。

実は厄介なのはトキエの方でした。
中2になった頃、日曜日の午前に突然トキエから電話が入りました。「勉強で分からないところがあるから、ウチに来て教えてくれる?」急な話だったので「なんだそれ?」とも思いましたがその日はする事もなかったので、何も考えずに訪問したのです。トキエの自宅は派手さはないものの比較的余裕のある暮らしぶりが窺える家でした。父親は由緒ある植物園の管理職も兼任する植物研究職てなかなかの名士、母親は品の良い優しい人です。トキエの部屋で勉強を教えているとほどなくお昼に。部屋まで母親がチキンカレーを持ってきてくれたのでいただきました。食後、食器をさげてもらってから少しのびんびりくつろいで世間話から何故かお互いの秘密を話そうかということになり、トキエが近所の引き篭もりのお兄さんのところへ度々遊びに行っていたら、イタズラされるようになり、それでも興味半分で通ってたら襲われて、レイプされて初体験してしまった、と聞かされました。それも小学4年生の時だそうです。クラスでいちばんチビのくせして、実は最初に初潮を迎えていたのがトキエでした。本当に早熟な子だったのだと思います。「あ〜、こいつの漂わせる妖しい雰囲気はこのためだったのか〜」と納得したのと同時に、小学校の時に和美と二人でちょっかいをかけてきた時のことが頭をよぎりました。なるほど、ボス格の和美よりもよほど手慣れていたわけです。
その話の流れからか「ちょっと胸触ってみる?」と訊かれ「うん」と言わされた感じで(笑)
上のTシャツをトキエ自身がたくし上げると、150もない小柄なトキエには不釣り合いなブラジャー(推定Bカップ)が現れて、「外して」と促されて後ろのホックを少し手間取りつつ外して、後ろから鷲掴みにする格好でゆっくり揉んでみました「や、柔らけぇ〜〜〜(・_・;」物心ついてからの、人生初おっぱいの感触に本当に驚きました(幼少時の母親のおっぱいはノーカウント)。トキエの乳首はピンク色で、今にして思えばこれまた程よい大きさで柔らかく、指でクリクリさわさわしてると指先の動きにくにゃくにゃと向きを変えてて、「これが女の子の乳首なのか…」と感心させられましたね。チンコはガチガチに勃ってしまい暴発寸前でしたが、やはり心の中にはトキエの持つ危うさは残っており、ギリギリのところで理性を保ってはおりました。そうでなければたぶん最後までしちゃってたと思います。
しかし、その後どうやって帰宅したのか、記憶が曖昧なんですよね(・_・; たぶん我に返ったところで勉強会も切り上げてほうほうの体で帰路についたはずなんですけど。

それから大人になってからの消息ですが、和美の方は助産師になったものの、婚期を逃したままずっと独身であると聞いています。
トキエの方は、高校の頃にもなぜかグループ交際案件で同席したりということもありました。直接は絡んでいませんが。しかし他の男のクラスメイトともなんだかんだでエロ交流はあった模様です。ちょっと悪い連中の溜まり場に連れていかれて複数から全裸に剥かれて、SEXまでは至らず「指を入れられた」なんて話は耳にしていました。連中もトキエとSEXするまでの度胸はなかったようで、その辺りの小物感がしょうもないなと感じた次第(笑)その後、長じて結婚して大阪に住んでいるとか、重い病気になったらしい、などと耳にしていましたが、32歳になった頃に亡くなったとの連絡がありました。トキエと同じ町内会の友人から連絡があり、「葬儀にも出てやって欲しい」との事だったので出席したのです。その時同席した同級生は10人ほど、男は自分を含めて4人いました。何故この顔ぶれなのか、と思わないでもなかったのですが、問い詰めるのも野暮な気もしたんですよね。もしかしたら、自分以外にもエロいちょっかいをかけられた奴がいても不思議ではないですから。なんだかんだで、結構みんななんらかの形で絡んでいたのかもしれません。
まあ、真相はトキエのみぞ知る、と言いますか。

しかしこの歳になると、一発やっとけばよかったかな?などと身も蓋もないことも思ったりします(笑)

今回のレスで「つまらん!」とか、最近たまに見かける「臭いからコロンつけたわ」とかいうツッコミが入ったらどうしよう…いや、コロン付けられたら一人前かも?

もうちょいエピソード続けさせてもらいますね。
7
投稿者:ひろ ◆2LEFd5iAoc
2025/05/29 13:44:32    (9Fhw5Akj)
同じ洋ピンからも行く先は結構変わるものですねー
私は巨乳、エロ下着、ボンデージ・・・特に「性は忌避するものでは無い」ってところに行き着いたのが大きかったかなと思います。

ウエスト、お腹がムチっとしているのは、その頃からの大好物ですが、一般的なぽっちゃりを超えた、平たく言ってデブの領域に踏み込んだのは30超えていたと思います。

ぽっちゃり通信だの、豊満天女なんて雑誌があったのもそんな頃でしょうか?
そう言えばお気に入りだった、美袋うさぎさんってぽっちゃり女優さんが、ヘルパー研修に来たことがあって「美袋さんですよね?」と声を掛けたくてソワソワしたこともありました。もちろんご迷惑が予想されましたのでしませんでしたが、特徴の甘ったれた可愛い声が聴けたのは嬉しかったですね。

続きの投稿お待ちしていますねー
6
投稿者:(無名)
2025/05/29 09:15:19    (/so5Mshj)
私もポルノと言えば洋ピンでした。デブ好きが一度は通る道なんですかね。
ゲベさんの様な甘酸っぱい少年時代の経験はありませんが、性の対象は同級生よりも近くのデブおばさんだったのは同じです。
ただ私の場合実際にデブ体験するのは中年以降になってからで、妻も今はともかく普通体形でした。
デブ女性との初体験告白楽しみにしています。
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