ナンネットID のアカウントをお持ちですか? ログイン ログイン
ナンネットID
 
1
2025/05/26 11:55:07 (SA2JZaR0)
性癖や性的嗜好の呪縛に取り憑かれてから随分と経ちますが、アラ還になってもいまだに囚われたままなので困りものです。ふと思い立ったのでたまには原点に立ち返ってみようかとも思います。
最後の方には若干の体験談と現況なども。

小中高と、どちらかといえばそこそこモテてた方で、自分から告るということは稀で女の子の方から声がかかることが多く、とはいえ大して気にも留めていなかった子からばかりだったので適当に相手したり、お断りするばかりでした。当時の恋愛対象は至ってノーマル、面食いだったこともあり実に分かりやすい今で言うスクールカーストでも上位に来る子ばかりを目で追いかけてたものです。でも基本的に告られることの多い身、自分からはわざわざアクションを起こさずに来る者拒まず、で適当に過ごしていたんです。
そんな日々の中、地元で水害に遭って近傍の公民館でしばらく避難生活を送っておりました。入浴も出来ない避難生活、避難者は皆体を拭いたり着替えたりするだけでした。ある夜に退屈になり館内から外廊下に出てフラフラと散歩をしていたところ、暗い角の物陰に差し掛かったところでふくよかな30くらいの人妻が裸で立ったまま(腰にスカートを履いた状態で)体を拭いているところに出くわしたのです!
見ちゃいけない、と思いつつも目が釘付けになってしまい固まってしまいました。
「きゃっ!!」
「あ!ごめんなさい!」
「こっちこそごめんね〜。びっくりさせちゃったね」
その場を立ち去ろうとすると、
「ちょっと待って。ちょうどいいから他の人が来ないか見張ってくれる?」
と頼まれ、裸を見て申し訳なかったので見張りを務めることになりました。初めて見る人だったので同じ地区ではなく、背中を向けながら少しずつお話をしました。ボブヘアーでふっくらした豊満で柔らかそうな裸体を目の当たりにしたこともあり、ドキドキして小学校5年生のくせしてチンチンはカチカチに勃起してしまいました。しかもなんだかムズムズして快感が止まらない…あかん!これはいけないことになっている!と焦りまくりでした。
背中越しの会話で、自宅から二つ隣の地区の人と判明、他にも他愛のないいろんなことは話した記憶があります。
そのうちバケツの水でタオルを絞る水音がして、こっそり振り返るとその人妻はこちらに背を向けて、腰のものを外し脚を開いて立ったまま、どうやら陰部を拭き清めていました。暗がりの中でも後ろから陰毛のモジャモジャ具合が見て取れましたし、ガニ股に開いていたのでおしりの穴まで見えていました。人妻は念入りに拭くことに集中していてこちらの視線には気づいていません。その間も会話は続いていました。ドキドキして慌てまくっていたと同時に、この時間が永遠に続かないかなあ…などと思ったものです。
しかしそんな時間も終わり、その人妻は服も着替え終わり、
「さ、もういいよ!着替えも終わったよ。見張りしてくれてありがとうね。」
と言われその場を立ち去ろうとしたら、後ろから肩に手がかけられ
「ボク、ほんとにありがとね♪」
と後ろから優しくハグされて、肩越しに後ろからほっぺにチューされました。
ハグされた時の人妻の体の柔らかさ、肩や背中に当たる大きなおっぱいの感触、何が起こったか理解出来ず頭が混乱してしまいました。
人妻は歩み去り、私はその場に立ち尽くしてむず痒い股間をどうすることも出来ず、ただただその場に立ち尽くしていました(笑)
この先のエロい展開は無し、ここまでですが昭和51年の小学5年生には十分でしょう。

長くなったので以降のエピソードはレスに続けるとします。
 
1 2 3
レスの削除依頼は、レス番号をクリックして下さい
5
投稿者:ゲベ
2025/05/28 20:37:35    (Y.adcJjv)
>>ひろさん

やはりBACHELOR誌のことはご存知でしたか。巨乳への追求っぷりがどうも他誌とは一線を画している印象があり、こだわり方が自分の性に合っているのが分かりましたよ。黎明期のAVでも胸への拘りも強く、的確なレビューがありがたかったです。読者のイラスト投稿なども充実していて、後に商業誌作家になった人もいたようです。当時の常連の「DOHC TURBO」さんは間違いなく「にしまきとおる」さんかと思いますし。マニアックすぎですね(笑)

さて、そんな中学生の自分がハットリ君(教会の子)のダベリ部屋に積まれたエロ本の中から79年のBACHELOR誌を譲り受けまして、それは自分の宝物、いわばバイブルとなりました(笑)
そんな頃、7kmくらい離れた隣町の歯医者に治療に行きまして、帰りは折り悪く土砂降りに遭ってしまったのです。そんな道すがら、キ○ラヤのパンの販売店に近付きました。それは地元の老舗のパンメーカーでして、バナナクリームやオレンジクリームのサンドロールが名物なんですが、販売だけの店舗が県道沿いにあったんですよね。そのパン販売店で帰宅してからの腹ごしらえ用にハムサンドでも、そしてついでに雨宿りしようと立ち寄ったのです。
店内に入るとお店の人は店員さんが一人だけ(基本ワンオペなので)、見ると少しぽっちゃりとしたボブヘアーの30前後の主婦と思しき人でした。タイプで言うなら、映画「卍」の頃の高瀬春奈を優しいタヌキ顔にした感じですかね。「うわ〜、びしょ濡れね〜!大丈夫?」と声をかけられまして、「買い物ついでに少し雨が弱まるまで雨宿りさせてもらっていいですか?」と訊ねると「ええ、どうぞ〜」と笑顔で答えてくれました。買い物を済ませて雨が弱まるのを待っている間、手持ち無沙汰で暇なのか世間話を始めました。その時に「立ってるのもなんだから」とカウンターの中から丸イスを出してくれて、並んで座って会話をしてました。「Tシャツ、びしょ濡れだねー」と言われ、「絞ってあげるから脱いで、体も拭きなさい」とタオルを渡されました。知らない初めて会った主婦の前で上半身だけとはいえ脱ぐのはとても照れ臭く、ドキドキしてしまおました。そうこうしていると「拭いてあげるから貸して」と言われて背中を拭いてくれたのですが、肩に置かれたぷっくりと柔らかい手の感触に、当時童貞の自分は不覚にも勃起してしまい俯いてしまいました(笑)やがて「前も拭いてあげるね」と言われて対面したのですが、この奥さんのブラウスのV字の襟の胸元が少し見えてて、たわわなおっぱいが至近距離にありました。性的な視覚に免疫のない年頃です、奥さんのおっぱいに見事に視線誘導されてしまい今にして思えばガン見してしまってました。白い薄手のブラウスの下にブラと、さらにその下にうっすらと色の濃そうな大きめの乳輪も見て取れました。当時の自分にはコレ、マジでヤバかったです(汗)当然視線には気付かれてて「こら!どこ見てんの〜(笑)」と指摘されてますます身動き取れなくなり(しかも勃ってるし)、すっかりフリーズしてしまったのです。情けない…。Tシャツも絞ってくれて着直し、雨も弱ってきた頃合いに他のお客さんが店内に入ってきたのでそれ以上は何事もなく、「ど、どうもありがとうごさいました!!!」と店を後にして帰宅したのでありました。それでもその時のビジュアルは鮮明に脳裏に残ってしまい、この奥さんは自分のオナニーの時のオカズとなりまして、脳内で何度誘惑され、そして何度犯したか数え切れません。
この方とのエロ展開はその後もありませんでしたが、自分の中では鮮烈な記憶と共に自身の嗜好を決定付けたのではないかと思います。

何もエロ展開のなかったこの時の奥さんですが、実は後日談があるのです。約20年後に遅い結婚をしましてその時に実家から少し離れた地区(同じ町内)に家を新築したのですが、道を挟んだ隣の町内会の、距離にして100mほどの距離に、その人が暮らしているのが判明したのです!なんという再発見でしょうか。少年期からのオカズとして、妄想の中で何度も犯した相手です。見間違えることなどありません。齢を重ねても面影はわかりましたし、還暦前くらいのその人は自分には衝撃の再会でした。「なんとかチャンスがあれば…」とも思いもしましたが、いかんせん田舎の隣地区の人です。周囲の目もありますからどうにも出来ません!また見つけた嬉しさと同時に、手の届かない触れられない無念さも痛感したものです。大人になってからのオナニー(自主トレと称してやめられなくて)のネタとして、超熟女となった彼女がさらに妄想の中で自分に犯され続けることになります。
それからさらに歳月が過ぎて、奥さんはもう古希を過ぎた頃合いです。それでもこの人なら、機会があれば今でも抱きたい、そう思っているのです…。
ある意味原体験のひとつなので、実に厄介であります。

今回はこのへんで。
もう少し、息長く続くと思いますんで。
4
投稿者:ひろ ◆2LEFd5iAoc
2025/05/27 23:06:17    (e/.JadAc)
バチェラー!時期はずれますが、私も愛読(?)していましたねー

高校生の時付き合った彼女がDカップで、周囲からはデカパイデカパイと(陰で)盛り上がっていましたが(雑誌で)見慣れているのがアレですからね。わたし的にはデカパイと言う認識が無くて、おっぱいのことはあっさり流して気にしなかったことが彼女の好感を得る切っ掛けになったらしいので、言うなればバチェラーは恩人みたいなもんです(笑)

なんか他にも洋ピンの定期刊行誌あったよなーどうも思い出せませんね。
続きが楽しみですが、エロ本ネタちょっと膨らませて貰えると私大変喜びます(笑)


3
投稿者:ゲベ
2025/05/27 15:53:23    (6XfhyOvg)
>>2さん

このような自分語りのような投稿に僅かでも興味を持っていただいて恐縮どあります。
ぽちゃ・豊満好きな嗜好と、ノーマルな美意識との乖離がどこからだったか、自分なりに振り返ってみたくなったのです。
言わば備忘録みたいなものなんですが、尻切れトンボにならないように続けてみますね(^^)


ちなみに無自覚に性的快感に遭遇したのは小学2年生だったことは鮮明に覚えています。それは登り棒で遊んでいた時、必死に登っていると鉄棒に押し付けられていたチンコがなんとも言えずにむず痒くもあり不思議な気持ち良さ。「あれ?なんか変(汗)なんだこれ???」と思いつつ、体はてっぺんに届いたにもかかわらず、ジンジンくる気持ち良さの追求がやめられずそのまま登る動きを続けてました。ほどなくして体中に電気が走ったような気持ち良さに襲われて、そのまま棒にしがみついたままでてっぺんで固まってしまいました。そう、生まれて初めてチンコでイッてしまったんですね(笑)当然ながら精通はもっと先の話ではあります。
この登り棒での行為は子供心にもなんだか普通ではない、いけないことをしているような自覚はありました。なにしろそんな動きをしてたのは自分だけですから。なので休日の夕方とか、誰もいない時を狙って学校に行って続けていました。
余談ですが、高学年になった頃に3学年下の、結構ませた感じでエキゾチックな顔立ちの女の子が登り棒で私と同じような登り方をしてました。それを見て「ああ、お前も登り棒の秘密に気付いたんだな…でもチンコないのに???」と思ってしまいました。今にして思うと未発達なクリトリスや土手をぐいぐい圧迫、擦り付けていたんでしょうねえ。罪深い子であります(笑)

さて、中学生になり、他の小学校出身の連中とも一緒になったりで顔ぶれにも変化や増加もありました。そうなると目新しい可愛い子に惹かれたり、また逆に思ってもみなかった子から告られたり、女子グループから「あの子どう思う?」などと探りを入れられた挙句にデートをセッティングされたりなどと微妙なモテ期を送っておりました。でも自分が好きな子には思いも告げず届かず。実に未熟な恋愛下手だったんだと思います(・_・;
当時、親の勧めで神道系の某宗教(カルトではない)の教会に出入りしていて毎年夏の旅行に意味もわからず参加してました。その時に大きな街の教会の会長の息子と懇意になり、それからは電車で30分の距離にあるその子の家、つまりはよその教会に自転車を駆って頻繁に遊びに行っていたのです。夏休みなどはタダ飯も食わせてもらえますし、2・3日くらいは平気で泊まり込んだりしてました。深夜までダベり倒したり楽しく過ごしていた中、男衆の共同部屋みたいなところの一角にいくつかの雑誌、しかもエロ雑誌が目に止まり手に取ったのです。主に外人の、いわゆるエログラフ雑誌でして単体のヌードあり、ソフトですが絡みの写真ありで中学生には刺激十分でありました。その中で特に印象的だった雑誌のタイトルが「BACHELOR」とありました。77年から、今に至るまで刊行されつづけている現存する日本最古のエロ雑誌ですね!おそらくですが「巨乳」という単語を初めて世に広げたのもこの雑誌だと記憶しています。自分の性癖を決定した重要なピースのひとつがこの雑誌との出会いでした。
そんな雑誌の置いてある協会、ろくでもないなとも思いますが、教義のひとつが「陽気に産めよ増やせよ」的なものだと聞いてますので案外エロには寛容だったのかも知れませんね。なにしろその教会の会長は子沢山で、息子である友人は13人兄弟でしたから。
その頃には登り棒のいけない遊びは中学に上がる頃にパンツを汚してしまい(精通)学校の図書室の医学書籍で「それはマスターベーションである」と知り、手でシコって射精するものということも覚えました。それでも圧迫するのも捨てがたく、それはやがて布団に押し付ける、という妙なオナニー方法を自ら会得してしまいました(笑)その方法は後に自分のSEXおかしな影響を与えることになるのです。

ひとまず今回はここまで。
長いなあ(・_・;
2
投稿者:(無名)
2025/05/26 15:45:35    (TTALzAmm)
自身の性癖のルーツを遡るってなかなか興味深いです。
続をお待ちしております。
1 2 3
レス投稿フォーム
名前
トリップ[]
E-mail
※任意
本文

投稿文に自動改行は行われません、適宜改行を行ってください。 # タグ使用不可
「sage」
※投稿を上げない
画像認証

上に表示されている文字を半角英数字で入力してください。
動画掲示板
画像で見せたい女
その他の新着投稿
人気の話題・ネタ
ナンネット人気カテゴリ
information

ご支援ありがとうございます。ナンネットはプレミアム会員様のご支援に支えられております。