zooマニアさん>>この趣味に至ったきっかけみたいなのを聞かせてほいなぁ・・・>>何分と古い話で記憶の曖昧さを御了承下さい。>>獣医か、ホントにドクターか看護師?>>ではありません。私は3才までは日本で産まれ、育ちましたが、その後は両親の仕事の都合で海外移住その当時住んでいた町には父の古い友人と家族も住んでいました。友人と私の父は同業者でもあり、家族ぐるみの親交を暖めていました。友人の家族構成:妻(日本人)、長男、次男、長女(彼女は私と同い年)長女(仮称:栗栖)とは同じ小学校インターナショナル・ハイスクールに通学私の家族は父、母、兄の4人家族です。私も栗栖も本当は地元の小学校に通いたかったんですよ・・でも私の父は何れは日本に帰国する事を念頭におき少しでも日本の文化に馴染める様にと栗栖の父は大の親日家で、やはり何れは奥さんの母国に行くことを考えてでした。正直な気持ち、その学校を私も栗栖も嫌ってました・・・日本人の子が多いから普通ならその方が楽で良いと考えるでしょうけど、私は学校の日本人の子達が嫌いでした(全てでは無いけど)皆、裕福な家庭で通学は親か使用人の運転手に毎日送り迎えされ・・・車は大抵はベンツ(高級車)坊ちゃん然としてる糞ガキたち私は同じ日本人でありながら学校内で一番嫌いな人種が日本人(特にガキ)でした。学校には地元(その国の)の決して裕福とは言えない・・・寧ろ貧しい家庭の子も必死で勉強して特待生になり奨学金を得て通っていました。将来家族に楽な暮らしをさせたいという理由で、です・・・そんな彼彼女達を日本人の糞ガキ達は毎日同じ服を着ている・・・それだけの理由で馬鹿にして私も栗栖もそれに腹を起て殆ど毎日、日本人の子達と喧嘩ばかりしてました。学校創設以来の問題児で、私も栗栖も担任教師からお説教の毎日を過ごしていていっそのこと退学にでもしてくれれば良いのにと思ってましたね。そんな毎日鬱憤ばかり溜まる日々を癒してくれたのが乗馬でした。私も栗栖も7歳の頃に農場を営む夫婦が乗馬を教えてくれました。馬はただ触れているだけでも私達の心を晴らしてくれて次第に馬の魅力の虜に為っていき、学校から帰ると農場へ真っ先に向かう毎日を過ごしていました。農場の夫婦は犬も飼っていて、犬達も私達の癒し相手で遊び仲間に為りました。でも長雨が続き乗馬も出来ず、馬に犬達にも触れられない日々が暫く続いたある夜のこと、その夜は雨も止み、夜空には沢山の星が瞬いていました。当日は栗栖も私の家に泊まりに来ていて、その夜、私は無性に馬に触れたいせめて会いたい・・・翌日は天候も快復する事は分かっていましたが私はそれを待っていられないほど、今すぐに馬に触れ、会いたいと思いました。それは栗栖も同じ気持ちだった様で・・・私達はこっそりと家を出ました。星明り、月明かりが道を照らしてるとはいえ田舎道は薄暗く、昼間と違い農場までの道程はとても遠くに感じました・・・・ようやくの思いで到着すると私達は馬小屋に向かい農場の敷地に足を踏み入れました・・・これが遠い何せ敷地面積は数キロにも及ぶ広さですから、馬小屋まで数百メートルやっとの思いで辿り着き、馬小屋に忍び込みました(犯罪者の気分)。私がいつも乗せてもらう愛馬(勝手に決めた)も栗栖の愛馬も寝てましたが私達の気配に気づくと起き上がり鼻を押し付けて「ブゥルルゥ」と挨拶を私も栗栖も「しぃー・・・静かに」愛馬の首筋の鬣を優しく撫でると私達の頭を鼻先で撫でてきました、私も栗栖も自分の愛馬の首を抱きしめ「おやすみ」そう・・・挨拶をして帰ろうとした時・・・足音と声が聞こえて・・・私達は咄嗟に山積みされた乾し藁の中へ身を潜めました・・私、栗栖「誰か来るよ!!」
...省略されました。