ですね。
容姿についてもそうですが、同じ女性は二人と居ません。
女性として性を楽しみたい女性それぞれ、すべての女性が自由にお楽しみになる権利はありますので、快楽を捧げてくれるだけの愛を求めるのも自由です。
愛されたい女性は魅力的です。愛したくなります。
本当に?その愛は本物?
そんな心配をしながらでは、性を楽しむことはできませんよね。
愛されたい女性を愛するならば、疑念を持たれないだけ愛さなければなりません。
愛したい男には、愛する喜びがあります。
どこまでも、愛を感じて体で感じてほしいと思います。
若さや容姿でもない、性愛の欲望に誠実に応えようとするならば、綺麗も汚いもありません。
むしろそこまで愛してくれるというくらい、醜さや汚さも愛するのが意気というものだと思います。
試しに汚物で責めてみるというのは、SM女王様が忠誠心を試すための常套手段でもあります。
愛したい男は試練に応えます。そういう誠意や正義感も、愛の形です。
綺麗に飾って愛を求めるより、実は純粋なのかもしれません。
あなた、これでも愛せますか?
と言われたら、愛を捧げることになるのは必至ですね。