最初はお洗濯の手伝いをしていた小学校6年生のときでした。身体が洗
濯機に触れて、脱水機の回っている振動がお股に伝わった時、電気が走っ
て、膝の力が抜けました。その快感が癖になって、お洗濯の手伝いが大好
きになりました。間もなく生理が始まりました。
中学に入ってからは、寝る前のオナニーが日課になりました。ショーツ
の上から、お豆を触っていると、すぐにヌルヌルになります。それからシ
ョーツの中に手を入れて、指で撫でていると10分ほどで達します。する
とその疲労感でゆっくり眠ることができたのです。
高校は進学校でしたが、高校受験から解放された私はすぐに恋に落ちま
した。お相手はバスケット部の3年生で、背の高い人でした。5月の連休
が終わった頃に告白しました。「部活終了後の20時に、体育用具室に来
るように」と言われたので、帰宅の支度をして行きますと、彼は、大きな
引き戸を閉めて、跳び箱の陰にマットが敷かれてあるところに私を連れて
行きました。跳び箱を背にした私の口が彼の口でふさがれました。制服の
スカートがたくし上げられました。たぶん、白い下着が高校生には充分刺
激的だったことでしょう。彼の指が割れ目をなぞる頃には、身体のなかか
ら温かいものがあふれてきました。私はショーツがべちょべちょになって
いるのを感じて恥ずかしくなって、彼に、予備の下着に着替えたいとお願
いしました。こういう時もあろうかと、花柄の可愛い下着をいつも持って
いたのです。それに着替えようと、シンプルな白いショーツを脱ごうとし
ても、脚に絡まってうまく脱げません。彼が我慢し切れなかったようで、
そのまま、押し倒されました。
処女喪失は痛いだけで、あっけなく終わりました。ショーツを穿いても
次から次へといろんなものが出てくるのには、驚きました。ショーツが血
や精液で汚れていたので、すぐに母親にはばれました。父親には内緒でコ
ンドームを持たされました。その最初の彼とは、コンドームを使ってCを
何回かしましたが、オナニー以上の快感を感じることができなくって、2
ヶ月くらいで分かれました。母親からもらったコンドームは友人に渡しま
した。
小柄で可愛かった私は、結構、男子の話題になっていたようです。通学
の電車で一緒になる同じ吹奏楽部の同級生といつか惹かれあうようになり
ました。朝の始業前、楽器置き場になっている部屋で二人っきりで過ごす
のが楽しみでした。その子と初めてキスをするに及んで、舌が私の口に入
ってきたときには、頭のなかで快感の渦で目眩いがしました。ぐしゅっと
愛液が出る感じが分かりました。彼の手が、私のお気に入りだったピンク
のショーツにあふれ出ている愛液を探し当てると、ズボンからちんちんを
出しました。そのまま彼は、私の濡れ濡れになっているショーツに押し付
けたのです。これが、挿入するだけだった最初の彼とのCでは味わえない
快感でした。すぐに彼の熱くドロッとした液が、私のショーツに射出され
ました。
そのクリの花のような強烈な匂いが私は好きでした。ぬるぬる濡れたシ
ョーツのまま、朝の一時間目の授業に出る、それが私の日課になりまし
た。
華詠のあそこが見たいと言われた時には、ショーツを脱いで、私のクレ
バスを見てもらったこともあります。彼はきれいだきれいだとうわ言のよ
うに言いながら、私の股間の匂いをかぎながら、ズボンのなかで果ててし
まいました。私も妙に気持ちよかったことを覚えています。
ですから、性器を挿入する行為の快感以上に、ヌルヌルになる事が私に
は快感なのだと悟ったのです。ですから、ベストパターンは、ショーツの
上から愛撫してもらって、ヌルヌルにしてもらって、それからショーツの
上であろうと中だしであろうと、射精してもらう、つまり、お豆の快感と
ヌルヌルの快感こそが私にとって気持ちのいいことであって、性器を挿入
したからといって、必ずしも快感につながらないことを分かったのです。
同級生の女子には、妊娠して中絶した子もいました。コンドームは対面
販売でしたから、女子高校生には買えません。それにティッシュペーパー
のない、鼻紙の時代ですから、下手にクレバスを拭いたら、紙の細かい破
片で、汚らしい性器になってしまうわけです。ですから、出してもらった
ら、何も拭かずにそのままショーツを穿いたほうがまだ綺麗でした。
体育の着替えの時などは、白い木綿のショーツを穿いている同級生に対
して、大人の汚れをつけたカラフルなナイロンの下着を穿いていた私は、
妙な優越感を持ったことを覚えています。ただ、いやだったのは女性の体
育の先生からの下着チェックで、高校生らしい下着を穿いて、汚さないよ
うに、一体どうして汚したの、などと突っ込まれるからです。
大学に入ってからも、自宅から通いました。当時は学園闘争の時代です
から、授業などあまりなく、私もヘルメットをかぶったりしました。「ゲ
バルト、ローザ」などと呼ばれることが女の勲章だった時代です。5人と
同時にCをしたことがありました。デモの終盤、機動隊に追われて、散り
散りに逃げ帰ってきた時です。グループのアパートにやっとのことで辿り
着いた私は、アパートにいた最年長のリーダーに泣きながら抱きついたの
です。無事に逃げ帰った他の4人が見ている前でした。無言でリーダー
は、私のジーンズを脱がせました。ショーツは小水などで汚れていたと思
うので、私は自分からすぐに脱ぎました。凄い匂いがして、彼にも申しわ
けありませんでした。ただ、混乱のなか、無事に帰れてよかったという安
堵の思いのなかで、二人は一つになって果てました。
俺一人では仲間に悪い、といって、彼は、他の4人にも私を抱かせたの
です。全然いやな感じはありませんでした。性愛と言うより同志愛、で
も、それぞれに気持ちがよくって、繰り返し一晩中、5人と身体を交わら
せたのです。翌日の夕方、目を覚ました時、シーツは茶色い染みができて
いて、お布団を上げて箒で掃除をすると、切れた陰毛と乾いた精液や愛液
の白い粉が、ちりとりに集まったほどでした。
そんな乱れた生活のなかで、いつしか妊娠してしまいました。まったく
避妊はしませんでしたので、それに、多くの女子学生が妊娠中絶をしてい
た時代ですから、覚悟はしていました。お医者さんにいつ行こうかと思い
悩んでいたある日、電車の中でおなかが痛くなって、途中駅で下車してト
イレに向かっている途中から、太股をヌルヌルしたものが伝い始めまし
た。血でした。
お医者さんに行って診て頂くと、流産したと言うことでした。
それから私は、すべての生活を改めて勉学に打ち込んだのです。でも、
寝る前のオナニーは精神安定上、欠かせませんでした。それでももやもや
して寂しい時は、例の5人の中で、私と同じ学年だった男子と、Bをしま
した。ショーツの上に出す、あれです。時には華詠のが見たいってぐずる
こともあったのですが、お豆を舐めてもらうまでは許しましたが、最後
は、ショーツを穿き直して、そこで素股で我慢してもらう、というのがパ
ターンになりました。こうして聖女に見えて淫乱な私が出来上がったので
す。
幸い、とある大学の図書館に採用されてからは、狭い閉鎖社会です。表
向きはひたすら聖女を貫いたのです。それもこの春、定年になりましたの
で、今、私の生涯の秘密の一端を書かせていただいたと言う次第です。お
読みくださって、どうもありがとうございました。