今年の春、勤めていた会社が倒産をしました。再就職を住み慣れた地元に絞ったために、約4ヶ月就職浪人をしていました。その時の話です。
毎日やることもなく、夜遅くまでゲームをしては、起きるのはお昼前というだらしのない生活を送っていました。
それにも飽きて、部屋の大掃除を始めます。そして、休憩がてら、ベランダに座り込んで外を見渡していました。
すると、隣の『買田さん』の家(といっても50~60mは離れていますが、)から、45歳くらいの男性が出て来て、近くに停めた車に乗り、立ち去りました。
『誰だろ?息子さんじゃないし?』、その時はセールスマンとか、そんな関係の方だろうと思いました。ところが、次の日にもその車が停まっていたのです。
買田さんの家は、70歳を軽く過ぎたおばさんが一人で住んでいて、少し痴ほう症が出てきています。
それでも息子がたまに帰ってくるくらいなので、なんとか日常生活は一人で送れるのだと思います。
僕も、おばさんが少しおかしくなってからは話もしたことなく、もう5年くらいは挨拶程度しかすることもない状態でした。
男性の車は、よく停まっていました。母にも分かりそうなものですが、まず塀が高いので2階の僕の部屋からくらいしか、その車は見えません。
それに、まさか70歳過ぎた痴ほう症のおばさんに、男の影などとも思わないのでしょう。
しかし、男のあまりに頻ぱんに訪れているので、僕は疑いを持ち始めるのです。
男が現れるのは、だいたい朝の10時から11時。早いと13時、遅くても15時には出ていきます。その時間を見計らって、数日ぶりに僕は外出をしました。
向かったのは、買田さんの家の裏でした。おばさんの家の裏は山肌になっていて、居心地が悪いので、ブロック塀に一人座り込んで待ちました。
20分くらいすると、遠くから自動車のエンジン音が聞こえて来ます。その車は僕の家を通り過ぎ、その先と言えばもうこの買田さんの家しかありません。
ブロック塀に囲まれた小さな庭に、その車は停車しました。家の裏で隠れている僕にも緊張が走ります。
男は車を降り、すぐに玄関の扉を開いてなだれ込んで行きます。『その子ぉ~!』、家に入った途端、男はすぐにそう叫びました。
買田さんの下の名前が『その子』というのは、僕でも知りませんでした。産まれてからずっと、『買田のおばちゃん』としか呼んでなかったですから。
僕はブロック塀をおりました。正面に回ることは危険と判断し、奥の狭いブロック塀との隙間を膝で歩いて居間の辺りの窓際を目指します。
『ありがとうなぁ~。』、あの独特なおばさんのハスキーな声が聞こえて来ました。間違いなく買田さんです。
窓際に買田さんがいるのか、あまりに自然に聞こえてくる中の声に、僕は焦りました。『やばい、ここ近すぎる~。』と慌てて僕は後退りを始めるのでした。
『男と怪しい。』、そう思ってここに来た僕でした。しかし、ここに来るとその考えは消えて、単なる盗聴を楽しんでいる気分になっていました。
おっさんとおばさんが世間話をしているのを、隠れて盗み聞きしているだけです。それだけでも、どこかスリルがあって楽しかったのです。
男は仕事話ばかりしていました。あんなことがあった、こんなことやっている、そんな話をずっと痴ほう症気味のおばさん相手に聞かせているのです。
しかし、『お風呂入ったんな?』と男がおばさんに向けて喋ったこの言葉から、一変をするのです。
買田さんの返事は聞こえませんでした。そして、『ガタンっ!』と勢いのある音を最後に、この部屋からは何も聞こえなくなるのでした。
僕は動けずにいました。静かになった分、状況が分からず、身動きがとれないのです。男が警戒をした可能性もあります。
それでもゆっくりと身体を動かし、少しずつ歩を進めて、窓際に取り付きました。
聞こえて来たのは、『ハァ…、ハァ…、』という男の息づかいでした。それには、『なんか始まった!』と僕も気づきます。
『気持ちええか?』、盛んに聞く男でしたが、おばさんからは何も返事がないようです。『気持ちええんか?』と口調を荒らげますが、変化がありません。
僕はこの頃になると、買田のおばさんの声が聞きたくて仕方がありません。あのおばさんが、アノ声をあげるなど想像も出来ないからです。
僕が物心ついたころから、ずっと『買田のおばちゃん』でした。痴ほう症にもなり、年々老っていくのを見てきました。
だから、僕の中ではおばちゃんがセックスするなど、想像も出来ないのです。おばちゃんは女ではなく、ずっとおばちゃんなのです。
しかし、おばちゃん独特のハスキー声が『アァ~…、』と部屋の中から声をあげました。。頭のコンピューターも『これは買田さんの声』と認識します。
おばさんの独特な声は、昔から聞いていて知っています。『その声がアノ声を出すとこう聞こえる。』というくらいに、まんま買田さんの声だったのです。