長文になると思います。
3年前に父が亡くなったことから始まります。
一人になった母から2か月ほどして夜特に寂しいから戻ってきてほしい。と連絡があり、
それから1月ほどして私は実家に戻りました。
母は、夜寝るときに暗い部屋で一人は寂しいと毎夜テレビをつけたまま寝ていて
母が寝付いたころに、私がテレビを消しに母の部屋へ行くのが日課となっていきました。
私が実家に戻って2,3か月したころ、母が、朝目が覚めるとティッシュペーパーが2,3枚部屋に
落ちていることがあるのだけど使った?と聞いてきました。
心当たりがなかったので、使っていない。というと何日か前にも同じことがあった。と。
なんだか怖いから何日か一緒に寝てくれないか。と言ってきました。
その日の夜から母の部屋で寝るようにしたのですが、何日も特に何も起こりませんでした。
ティッシュペーパーを自分が使ったのを忘れているんじゃない?って話をした日の夜遅く物音で目が覚めると
母がティッシュペーパーを引き出していました。声を掛けたのですが聞こえていないようでした。
それで体を支えながら布団に誘導しその日はそのまま寝かせつけました。
翌朝その話をすると母は全く記憶にないとのことでした。少し心配になりその後も母の部屋で一緒に寝るようにしたところ
月に2,3回日付が変わるころに起きだして部屋の中を移動したりすることがあるのが分かりました。
翌朝には記憶がなく夢遊病のようでした。病院に行くことを勧めたのですが自覚のない母は大変嫌がりました。
月に2,3回そんなことがあるだけで日常生活には影響がないため、母の意思を尊重して病院には行かずに様子を見ることにしていました。
半年ほど過ぎたある夜母の声で目が覚めました。母は上半身裸で布団の上に座り、乳房を持ち上げながら、おっぱい吸って、おっぱい。
誰に言うとなくそんな言葉を発していました。裸になったのは、初めてでしたが意味の分からないことを言ったりしたりすることはあったので
ああ、また夢遊病か。そう思いパジャマを掛けてやるとそれを払い落としてまた同じようにおっぱい、おっぱい。と繰り返しました。
そのやりとりを3,4回してもらちがあかないので、ちょっと母のおっぱいに触れておっぱい吸ったよ。というと言ったことが分かったのか
そのあとは素直にパジャマを着せることができました。
この夜のことは行動が行動だけに翌朝母には伝えられずに黙っていました。
それから何日が経った夜、また母のおっぱい、おっぱいという声で目が覚めました。
そしてパジャマを掛ける、払い落とす。また掛ける、払い落とす。と前回と同じ事が繰り返されました。
前回は母のおっぱいに少し触れてから吸ったと言えばその後は落ち着いて寝てくれました。
だから今回も。そう思ったときに私の中に変態の芽が芽生えました。どうせ翌朝は覚えていないのだから。。
前回は母のおっぱいに一瞬手を触れ吸ったことにしたのですが、今回は実際に母の乳首を口に含みました。
それも一瞬ではなく左右の乳首とも舌でコロコロと転がしました。多分1,2分もう少しあったかも知れません。
母は、何も言わずにされるままでした。名残惜しかったですが続けているうちに正気に戻るといけないと思いそこで止めて
母にパジャマを着せると今度は抵抗することなく着せることができました。
そして母はそのあとすぐに寝たのですが、私は手と口に残る母のおっぱいの感触が生々しくてしばらく寝付けませんでした。
翌朝母は何事もなかったよう、私も何事もなかったように装いました。
10日ほどしてまたチャンスが巡ってきました。母の気配で目が覚めました。そのときの母は布団の上に座っていましたがパジャマは着ていました。
声を掛けてみましたがぼんやりと反応した程度でいつもの夢遊病の症状でした。
私は何も言わない母に、おっぱいな。おっぱいやね。吸おうか。と声を掛け、ほとんど反応のない母のパジャマを脱がしました。
目の前に現れた母のおっぱいは、むしゃぶりつきたいほど魅力的に見えましたが、グッと我慢をして少し様子を伺うために少し手で触れてみました。
フワフワの柔らかい乳房とそれより少し硬い乳首。揉んでみたり、摘まんでみたり。
正気に戻る気配のない母の手を取りおっぱいを持ち上げさせました。その姿は母が自らおっぱいを吸ってもらおうと差し出しているようでした。
そして私はそこに口を付けました。乳首を唇で挟み引っ張ってみました。大きく口を開けおっぱいを頬張ると舌先で乳首を転がしました。
母の手をおろし、私の両手を母の背中に回し抱き着いて両方の乳首を交互になめました。
母の首筋を甘噛みし、その流れのまま母の唇と私の唇を重ねました。舌を入れても抵抗されることもなくすべてを受け入れてくれました。
私の股間の物はギンギンになり、パジャマの中は狭く感じたためパジャマをずらし開放してやりました。
子供の頃のものとは違い立派になった物でしたが、残念ながら母は無反応でした。母のおっぱいを吸いながら私は自分の物をしごいていました。
やがて時が来てティッシュペーパーにたぎった精液をぶちまけました。
事の初めは母が朝起きた時に何故かティッシュペーパーが落ちている。というところから始まった。それはきっとこれを暗示してたのだろう。
射精後賢者タイムに浸る余裕もなく母にパジャマを着せました。おっぱいを吸ったお陰で今回も素直にパジャマを着、布団に入れるとほどなくして寝息を立て始めました。
私は復活してきた股間の物をしごき、さらに数枚のティッシュペーパーを消費して眠りにつきました。
翌朝は何事もないいつもの平和な朝が訪れました。
そして2週間ほどして私の期待する夜がまた訪れました。
前回と同じようなことをしましたが、夜中に起きだした母は、あれだけのことをしてもわかっていない記憶していないことを確信しました。
それから3週間ほど夜中に私が期待で目覚めることは何度とありましたが、肝心の母は穏やかに眠る日が続いていました。
長かった期待の夜がまたやってきました。母の様子で今までのように声を掛けて安全を確認しなくても大丈夫なのが分かるようになっていました。
そうそうにパジャマを脱がせ、抱き付いて柔らかなおっぱいを口に含み、ひとしきり母の味を楽しみました。そして背中に回した手を母の首元に添えて
後頭部を支えながらゆっくりと布団の上に寝かせました。覆いかぶさるようにしながら母のおっぱいを舐めながら片手は下のほうに伸びて行きました。
パジャマのズボンの上から母の股間に手を這わせました。しかし、イマイチ伝わってきませんでした。母は相変わらずされるがまま。
思い切って一足飛びにパンティの中に手を入れました。まさぐるとジョリジョリした陰毛の感触。さらに手を伸ばすと母の股間の縦筋にあたりました。
パジャマとパンティーで少し手が動かしにくかったですが縦筋のあたりを探って母のクリトリスを指先が見つけました。敏感なはずのクリトリスでしたが指の腹で抑えてみても
指先で摘まんでみても母は無反応でした。クリトリスを起点にまさぐり僕の生れ出た穴を探りました。穴はすぐに探し当て中指の第一関節まで入れてみました。
濡れていないマンコにそれ以上入れると翌朝気づくかもしれません。一度手を抜いて唾液でしっかりと濡らした後、人差し指と薬指で出来るだけ広げながら中指をゆっくりとマンコに入れていきました。
が、第二関節付近になると滑りが悪くなってしまいました。もう少しですが無理をすると翌朝気づくかもしれません。
反応がない母に直接舐めるわ。と言って、おっぱいを揉む私の手に添えられた母の手をそっと外し、私は母の下半身に向かいました。
パジャマとパンティーをずらすのに母の腰を持ち上げようとすると、母も少し腰を持ち上げてくれたようでした。
パジャマとパンティーを足首までずらすと、片足だけ抜いて母の足をM字に広げその間に顔を埋めました。
縦溝を下から舌先でなぞりクリトリスの裏側を舌先で攻めてみました。それでも特別な反応は見せませんでした。
時折戻ってきてと言いたげに手を少し伸ばすのですが、相変わらず起きているのか寝ているのか分かりません。
両手の親指で割れ目を広げて尖らせた舌先をマンコの中に突き立て舐めながら唾液をどんどん送り込みました。
そしてもう一度中指を試すとさっきは抵抗があり入らなかったのが、元まで入りました。
もちろん私の股間ははちきれんばかりになっていました。入れたい。だけど万が一妊娠なんてことがあったら、全てばれてしまう。
せめて真似事だけでも。私は下半身裸になり、M字に開いた母の足の間に入っていき、母に覆いかぶさりました。
私のものが、母の下腹部にあたりました。押し付けて、押し付けて下腹部に擦りつけました。それだけでも気持ちよく、入れられたら。と
何度も思いましたが、妊娠すればここで終わってしまう。我慢すればここまでならこれからも出来るかも。そう思ってぐっとこらえ、母の顔の前で
母に見られながら私は射精しました。
それから3か月ほど同じことをしましたが、入れたい気持ちは募る一方でした。
そしてコンビニでコンドームを買い来る日に備えました。
そして今日、最後の1個を使ってしまいました。明日また買いに行ってしまいそうです。