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2013/08/28 11:48:45 (tLgQ/WWF)
初体験は小一。
住んでいたのは基地の町の長屋。
右隣は30代後半(だと思う)の母と娘(S子小2、一つ年上の美少女)米兵(黒人)の彼氏がよく来てる。
その米兵に可愛がられてその頃高根の花だった軍艦の模型なんかももらったりしていた。

ある日、S子の所に遊びに行ったらS子はおらずに昼間から酔っぱらった米兵と彼女の母親ががベッドでいちゃついていた。(長屋だから引き戸を開けると三和土があって障子戸開ければですぐに部屋。閉まっていたけれどいつも平気で入っていたからそのまま開けた。)

米兵は大喜びで俺を抱き上げてベッドの上。米兵とS子の母親の間に寝かされた。びっくりしたのは隆々とそびえるようなペニスの巨大さ。
銭湯で外人の物はしょっちゅう見ていたから大きいのは知っていたけっれど勃起してるのは初めて見た。
米兵が何か言うと(英語はもちろんわからん)S子の母が大笑いしながら俺のズボンを脱がせた。そしていきなりしゃぶりだした。
不覚にも(でもないか)勃起した。でも隣の黒いものとはたぶん50倍くらい差があったと思う。

米兵が何かを言うとS子の母が仰向けになって脚を開いた。毛で黒かった記憶しかない。米兵は俺の脇腹を抱えるとS子の母親の足の間にうつぶせに置く。S子の母親が俺の皮被りペニスを持って股の間にあてがい米兵が尻を押す。何かに包まれたような感触はあった。米兵が俺の尻を持って前後に揺する。
S子の母はゲラゲラ笑う。妙な気分だけれど米兵に持たれた尻の方が痛かった。
米兵とS子の母がまた何かをしゃべってS子の母が自分の尻の下に両手を差し入れ尻ごと持ち上げて肩と背で逆立ちしているような姿勢になった。米兵がまた俺を持ち上げて位置をずらすと再び尻を押す。今度はきつく感じてどこかに入っているとわかった。揺すられると気持ちがいい。どうしたのかとみてみたらS子の母の尻の穴に入っていた。

二人は笑いながら何かをしゃべっているが当然意味は解らない。気持ちが良くてびくっとなったがむずかゆいような変な気持だった。一番近いのはジェットコースターで落下する時の下半身の感じ。
小さなボートのおもちゃとチョコレートをもらって解放された。
俺はすぐに隣の家にいった。思った通りS子はばあちゃんの家にいた。ばあちゃん(60前だと思う)とS子の母の姉さんの娘(6年生、名前は解らない。○木のお姉ちゃんと呼んでいた)が住んでいる。ばあちゃんはいつも酔っぱらって寝ている。夜になると飲み屋さんで働いているようだった。
俺は今あったことを二人に話した。お姉ちゃんは「じゃあ、おまんこしたのね」と言った。「おまんこ」という言葉を知ったのはこの時が初めてで、高校生になるまでは女性器の名称としてではなく挿入を表す言葉と思っていた。
詳細は覚えていないがS子がなぜそんなことをするのかとか聞いて姉ちゃんが「きもちいいから」と答えて「してみたい」となり、S子と俺がすることになった。
実際入れようとしても入るわけもなく姉ちゃんが見本を見せてくれることになった。
パンツを脱いだ姉ちゃんが脚を開いて指に唾をつけて一本入れた。うっすらと毛が生えてたような気がする。
姉ちゃんは入れた指を前後に動かす。子供の目から見ても姉ちゃんの視線が浮いているのがわかった。
「こうやってちんちんが入って揺らすと気持ち良くなるの」と説明を受けて姉ちゃんに入れることになった。
その前に玄関のカギを締めてきてといわれてS子が捩り錠を回す姿をみながら人前でしてはいけないんだと言う事を漠然と思った。
姉ちゃんにはすっぽりとすぐに入った。動けと言われて指示通り動いているうちにまた妙な気持になってきた。
「出るの?」と聞かれて小便の事かもしれないと思ったが違うような」気もするのでわからないと答えると胸を押されて弾き飛ばされた。
ここまでと言われてS子ともう一度と言う事になった。
S子が「気持ち良かった?」ときくと姉ちゃんは「少し」と答えた。俺も聞かれたがやはり「少し」と答えた。
そんな話をしているうちに俺のペニスは縮こまってしまった。
姉ちゃんが「しょうがないわね」と言いながら口でしゃぶってくれた。S子は母親のそういう姿を見たことがあるのか「あっ知ってる」といいながら俺に向かって「きもちいいの?」ときいてきた。俺はうなずくだけで精いっぱいだった。
S子が私もやりたいと言ってしゃぶってくれた。あまり気持ち良くなかった。
もう一度S子に入れて見る前に指を入れることになった。
姉ちゃんが俺のひとさし指をなめて濡らしてS子のまんこにあてがった。俺はないも考えずに前に力を入れた。すっぽりと入ってしまった。
姉ちゃんが「気持ちいいか」ちきくがS子は赤い顔をして首を横に振るだけだ。
動かせというのでさっきの姉ちゃんみたいに素早く動かすとS子が「痛い」と言った。ねえちゃんはゆっくりとと言って俺の手もってそっと動かす。リズムがつかめた俺は腕が痛くなるのを我慢しながら動かし続けた。どれくらい続けたのかは覚えていない。
そしてついに入れて成功したのだけれど一番覚えておきたかったこの場面があいまいだ。

結局あんまり気持ちよくなかったと言う事になって大人になるとすごく気持ちが良くなるという話をして大人になりかけの姉ちゃんは結構気持ちがいいと話していた。

そして、ばあちゃんが時々ほかのおじさんとしている時は気持ちが良すぎてすごく大きな声を出す。それで姉ちゃんが目を覚ましてよく見ているから知っているんだとか話していた。
そして試してみようと言う事になった。さすがに俺も怖くなって逃げようとしたが姉ちゃんはばあちゃんは酔っぱらって寝ているから目を覚まさない。でもちんちんとか指とかを入れると気持ち良くて声を出す。というような話をして説得されてしまった。

ばあちゃんのまんこには毛がなかった。でも全般的に黒っぽくて縦筋からレバ刺し見たいのが垂れていた。
姉ちゃんの言った通り何をしても起きなかった。入れる指の数を増やしていって結局手首まで入ってしまってびっくりした。S子も面白がって手首まで入れてみた。本当に声を出すけれど起きない。
そしてとうとう俺のを入れてみることになった。すぐに足を閉じて横向けになってしまうので姉ちゃんとS子がばあちゃんの左右の腕の上に座って動かないようにして入れてみた。勿論入ったけれど声を出さない。姉ちゃんがおかしいなと言いながら腰を振れという。がんばって振ったけれど変わらない。
ねえちゃんの「しょうがないわね」がまたでた。
姉ちゃんは指でまんこの上の方の「いぼ」みたいなところをこすった。ばあちゃんがいきなり声を出して本当にびっくりした。
「ウオンゥヲン」という感じの声だった。でも疲れたのか姉ちゃんが動きを止めると声も止まる。
そこでさっき尻の穴に入れたという話をすると。入れようと言う事になって実際に入れてみた。ばあちゃんが小さいけれど声をだした。ペニスに糞がついているのが見えたがばあちゃんが声を出して喜んでいるS子と姉ちゃんのために我慢して腰を動かして例のむずむずが来て終わった。

こうして俺の初体験は3.5世代どんぶり両穴、フェラ付きで終わった。

その夜ペニスが腫れて大さわぎになり聞かれるままに「おまんこした」と答えたから殴られた。怖くて何も答えなかったので多分お医者さんごっこかなにかをして汚い手で触ったんだろうみたいな事になったみたいで俺のアバンチュールは無事良い思い出として残ることになった。

その後もいろいろと続くがそれはまたいつか。
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2
投稿者:(無名)
2013/08/28 17:57:33    (.P4LLjXu)
おもしろかったよ。
その後のいろいろもよろしく。

3
投稿者:基地街出身 ◆tkiF6VoKRk
2013/08/30 22:39:21    (kfeumTta)
その時は何も思わなかったが後に考えてみると妙だと言うようなことが結構あるもんだ。
あの頃がそうだった。物心ついて考えてみるとなんとなくおかしい。
たとえば例の黒人兵だ。その当時の米兵は進駐軍とも違うしベトナム戦争前だから徴兵でもない。つまり職業軍人だ。その職業軍人が長屋の貧乏人の息子を可愛がったわけはなんだ。
後から知ったことだが、その頃俺の親戚が某大手ベッド会社の配送設置の仕事をしていてて事故品を安く買い取って売っていたらしい。
その黒人はそのベッドを定価の半額以下で買って彼女(S子の母親)にプレゼントしたそうだ。勿論新品としてだ。そのころFベッドのある家なんて今でいえばベンツのSクラスを普段使いしているようなものだから大喜びだったようだ。
それで味を占めて同僚や知り合いに格安で売って結構儲けたと言う事を大人になって知った。だからクリスマスに50センチを超す大きさの軍艦の模型(ミズリー号?)くれたりしたんだろう。

寝たまんま(ふり?)ばあちゃんの声もそうだ。あの時、鈴○のおねえちゃんはばあちゃんが何をしても起きないけれどよがり声は出すって事をなんで知っていたんだろう。
何か月か後にわかることになるんだが気が付いたのは大人になってからだ。

学校に入って初めての夏休み。Hどころではない。外で遊びまくった。どの家の玄関前にもザリガニ満載の金属バケツが置いてあって悪臭を放っていた。
空は青くて高い。でも長屋は港町特有の湿気と化粧品とポマードの匂いだけが記憶に残っている。S子の家の臭いは香水だけど白人兵が出入りする家の匂いはポマードの臭いだ。

そんな夏休みが終わる頃、何日か連続して雨が降った。、
例によっておれはS子の家に遊びに行く。しかしやることがない。S子は姉ちゃんのお家に行こうと言うが俺は何となくばあちゃんが怖くて行きたくなかった。
結局断りきれなくて行ってみたがばあちゃんが寝てるだけだった。
ばあちゃんはいつものシミーズ(シュミーズ-そのころはまだスリップとは呼ばなかった)ではなくて流行り始めたムームーを着て寝ていた。ズロースの尻が見える。S子は何も言わずにそばに行ってばあちゃんの裾を直して見えないようにする。
俺は幼心にも見てはいけないものを見たような気がして衣桁に掛かったばあちゃんの着物を見ていた。この着物を着て出かける夕方のばあちゃんは結構綺麗だったような記憶がある。

「いないね」と言いながら戻ろうとすると向こう隣りの家の中で姉ちゃんの声が聞こえたような気がした。
苗字は忘れたがY夫ちゃんと呼んでいる中一の男の子の家だ。長屋ではなく一軒家で多分長屋の土地の地主だったと思う。
Y夫ちゃんはガキ大将でもありこの近所の子供にとって絶対権力者でもあった。
理由は簡単でその頃まだ珍しかったテレビのある家だったからだ。「ナショナルキッド」が放送される木曜日は全員奴隷状態だった。声がかからなければその週は見られない。
そしてその日は木曜日だった。

玄関を開けようとするが錠前が掛かっていて開かない。しかし耳を澄ませば姉ちゃんの苦しそうな声はする。
その時の俺が思ったのはエロではなくもう一つの欲望、つまり食欲の方だ。
電気冷蔵庫なんて見たこともない時代の夏の盛りで腐りかけたものを食べて腹を壊すのは当たり前のご時世だった。
でもY夫ちゃんの家には氷式冷蔵庫があって近所の人がおすそ分けをする代わりに使わせてもらったりしていた。
だからY夫ちゃんの家には結構食べ物が豊富でいざ腐りかけるとわけてくれたりした。
それを食べて腹痛で苦しんでいると思った。
でも戸を叩く勇気はなかった。どう相談したのかは覚えていない。
木戸をあけて縁側に回った二人が窓越しに見たものは真っ最中の姉ちゃんとY夫ちゃんだった。

最初は何をしているのかわからなかった。いわゆる後背位でただパンツを脱いだY夫がやはりパンツを脱いで四つん這いになったお姉ちゃんのおしりに下腹をぶつけてるとしか思えなかった。
掃出し窓に近づいてよく見るとY夫のペニスが出入りしているのがわかった。
Y夫はすでに毛も生えていて大きさは米兵には当然負けるが俺の三倍くらいありそうだった。
二人とも苦しそうな顔をしている。結構長い時間見てたような気がする。
Y夫の動きに合わせて姉ちゃんが「あっ、あっ、あっ、あっ、あっ...」と声を上げているのが何故か面白かった。
Y夫が動きを早めて強く打ちつけると姉ちゃんが四つん這いのまま逃げた。Y夫ちゃんは追いかけるが姉ちゃんは「口でしてあげるから」と言いながら逃げる。
してあげるっていいながら逃げるのはずるいと思いながらS子をみるとの動きが止まってしまって俺の手をぎゅっと握っている。
「いこ」と言ってそっと通りに出た。

庇の下から出るとすぐにびしょ濡れになった。とりあえずお姉ちゃんの家の玄関先で立ってるとY夫ちゃんとお姉ちゃんが一緒に出てきた。
びしょ濡れになった俺たちをみて姉ちゃんは「しょうがないわね」といいながら中に入りなさいと玄関を開けてくれた。
Y夫ちゃんは少しやな顔をしたけれど姉ちゃんが「大丈夫よ」というとそのまま入っていった。
S子がいきなり「お姉ちゃんとY夫ちゃんおまんこしてたの?」と聞いた。
その時のY夫の顔は今でも俺の中で人間が心底驚いた時の顔のフェイバリットだ。
お姉ちゃんが「大丈夫この子達知ってるから」というとY夫は安心した顔になった。
お姉ちゃんはそういうと、ばあちゃんの所に行って肩をゆすりながら起こした。するとばあちゃんがいきなりいびきをかき始めた。
今考えれば不自然だがその時は俺だけじゃなくみんなが当たり前の事として認識していたんだと思う。
「大丈夫みたい」といいながら姉ちゃんがばあちゃんの身体を仰向けにしてズロースを脱がせた。
この間と同じように毛のない黒まんこが見えた。前回と違うのは何となく濡れているように思えたことだ。
当然その時点でおれは女性は期待すると濡れるものだと言う事は知らなかったけれど前回姉ちゃんがばあちゃんのイボ(クリトリス)を触ったときにばあちゃんが少し小便を漏らしたたようだったことを思い出していた。
Y夫はばあちゃんの股の間にはいって姉ちゃんがばあちゃんの穴にペニスを差し込んだ。
Y夫はムームーを顔の上までまくり上げてオッパイに吸い付いたとおもったらものすごいスピードで腰を振り始めた。ばあちゃんがいきなり「うおんうおん」と声を出し始めてまた吃驚した。
急に動きが止まっておばあちゃんも、上にかぶさったY夫もぜえぜえと息が荒かった。
Y夫がばあちゃんから離れた。ばあちゃんの穴から白いものが流れてきた。
お姉ちゃんがこれが「赤ちゃんの素」と説明してくれた。
S子が「ばあちゃん赤ちゃん産むの?」と聞くとばあちゃんはばあちゃんだから産まない。ばあちゃんと子供は素があってもできないの」と説明してくれた。実際は違った言い方だと思うけれど記憶ではによると、それだからS子は大丈夫で自分はできるかもしれないと言うような事を言っていたと思う。
その時点では精液の存在が理解できず「素」は女性の方からあふれてくるものだと思っていた。そのあとY夫ちゃんに勧められるまま、もう一度姉ちゃんとしてやはり言われるままに尻に入れてついでにS子にも入れようとしたけれど何故かどうしても入らずに尻に入れるとすんなりと入った。
ここからがわからないのだが記憶違いかもしれないし記憶の短絡かもしれないけれどY夫ちゃんの尻に入れた場面を覚えている。
その下で姉ちゃんがY夫ちゃんのペニスをなめている場面だ。視線が合ってしまって怖かった。
記憶違いであってほしい。ただそのあとで姉ちゃんが口から白いものを出すのを見て女は上からも赤ちゃんの素を出すんだと思った記憶があるので記憶の錯綜かもしれない。
この日にばあちゃんに入れた記憶もない。

4
投稿者:(無名)
2013/08/31 06:47:04    (mtKEJ3yu)
おもしろいです。
引き続きおねがいします。
5
投稿者:基地街出身 ◆tkiF6VoKRk
2013/08/31 14:24:38    (aIcC/Rbc)
それからもS子とは何度も「おまんこ」をした。なぜ「カッコ」付かと言うと前にも書いたがその当時の俺にとっては「おまんこ」は隠れてする遊びの呼び名で性器の名称ではなかったからだ。これはS子も一緒で男女か

かわらず性器の名前は「チンチン」だった。
ただ変わったのは二人きりでする機会が増えてほとんど(というか100%)S子が誘ってきたと言う事だ。
特にしゃぶるのが好きみたいで暇さえあればしゃぶっていた。
最初は「チンチンなめる?」と聞かれる。これは「あなたのペニスをなめましょうか?」ではなく「私のカントをなめたいですか?」の意味だ。その意味が解ってからは嫌な時は「ううん」と拒否したのだが思い通りになったのは2~3回だけで次からは「じゃあS子が舐めてあげる」に代わって舐め始めたら俺の顔の上に下腹を載せて舐めることを強要する。つまり状況は変わらないので物分かりの良い俺は「う」を一つ減らして平和を維持する方を選択した。


結局69なのだが「なめっこ」と呼んでいて「おまんこ」と言う言葉とセットだとおもっていた。Y夫ちゃんと鈴○の姉ちゃんは「はめっこ」と言っていたので「おまん」は「はめ」と同じような意味だと思っていた。
そのお蔭かどうかはわからないが俺のペニスもすっかり剥けてしまい勃起すると亀頭が出るようになっっていた。なめっこをして亀頭が出て唾液で双方が濡れるとS子の性器にもするりと入るようになった。
外で遊びたいので避けたい気持ちもあるけれどあの「ムズムズ」や上気した顔とキスの時の口の熱さが好きだったりもするので言いなりになっていた。少なくとも姉ちゃんやばあちゃんの尻に入れるよりよっぽど良かった。
S子の母親の尻に入れるのは好きだった。後で書くが黒人兵の巨大なものが呑み込まれるアヌスだから締りが良いわけではなかったと思う。多分綺麗だったからだ。糞が付くことはなかった。

Y夫が一度S子に入れようとして姉ちゃんがものすごく怒ったことがあった。
Y夫もそんなに深刻じゃなくて胡坐の上に座らせてテレビを見させているうちにいたずら心が出たのだと思う。実際それまでいちども触ったり舐めあったりと言う事もなかった。
その時俺たちは幼児向け番組をやっていたテレビに夢中で、Y夫がS子のパンツを脱がせて両脇を持って上げてペニスの上に降ろそうとしたらしく、急にS子が痛いと叫んだので気が付いた。
横で寝転がって雑誌を読んでいた姉ちゃんが飛び起きてY夫に殴り掛かった。最初はすごい剣幕だったが結局は二人でばあちゃんの家(つまり姉ちゃんの家)に行ってやっていた。
番組が終わってテレビの消し方がわからないので呼びに行くと、さっきS子にしようとして果たせなかった体位でしていた。
声をかけてみたが答えてくれない。そのまま二人で玄関に座って待っていた。
姉ちゃんが一度離れて下半身を持ち上げて再び繋がったが入れたのは前ではなく後ろ、アヌスだった。
姉ちゃんが腰を上げるたびに抜けてうまくいかないみたいだ。結局バックで尻に入れてアナルをした。パンパンパンと大きな音がする。ばあちゃんが動いて脚が広がった。ズロースの股の所が濡れているのを見てしまった。ああ、これが赤ちゃんの素だと思った。
でもY夫はばあちゃんに乗っからないでそのまま姉ちゃんに入れている。姉ちゃんはこの間みたいにまた逃げるのかなと思ったが逃げなかった。Y夫が「べろべろべろ」といって動きが止まった。離れると姉ちゃんの尻の穴から白い液体が出てきた。赤ちゃんの素は尻からも出るんだと思った。
姉ちゃんはちり紙で自分の尻を拭き取ってY夫のペニスも拭いた後、手拭いを濡らしてきてもういちど自分を拭いてY夫も拭いた。
そして「ばあちゃんがかわいそう」というとY夫のペニスを咥えた、その姿を見てS子もおれのペニスを舐めはじめた。
姉ちゃんがばあちゃんのズロースを脱がすとY夫が間に入ってまた腰を振り始めた。姉ちゃんはそれを見ながら自分の指で「まんこ」をしていた。
Y夫の動きが早くなってきたころ俺も例の「むずむず」がやってきて思わず声を出した。
「べろべろべろ!」
姉ちゃんが手を止めて「なにそれ」と笑い出した。S子は訳が分からずきょとんとしている。俺は小さな子が言ってはいけない言葉を言ってしまった思いものすごく恥ずかしかった。
「べろべろべろ」が「出る」の連呼だと言う事とそれが何を意味するのかを知るのはまだ後の事だった。

6
投稿者:(無名)
2013/08/31 15:16:33    (hAs7cN8L)
S子と「おまんこ」をしたときは全裸でしたか、それとも下半身だけ脱いだ状態だったのでしょうか。
Y夫とお姉ちゃんのときは?
お姉ちゃんが「おまんこ」しているのを見てどう感じましたか。
また、S子と正常位以外でしたときの事などもお願いします。
7
投稿者:基地街出身 ◆tkiF6VoKRk
2013/09/01 12:11:28    (E.JdRdBZ)
そんな昔の事をなぜ覚えているのだろう。勿論覚えている事よりも忘れたことの方が多い。
今書いている一連の性経験は自分にとってインパクトが強かった分、記憶にの残りやすかったこともあるだろう。
事柄の性質上、成長過程で何度も思い出し、小学校高学年のころに書いていた日記のようなメモにその時点での考えや記憶を書き残したものがあったと言う事と、中学校のころに当事者たち何人かと再会して話したことが大きかったと思う。
しかし自分の記憶なのか他人の記憶を聞いたものなのか、前後の話から類推しての推測が記憶として置き換えられたものなのかははっきりしない部分もある。
不思議なのは自分の視線で見た映像と俯瞰した映像の二種類があることだ。連続した動画のような映像はあまりない。俯瞰の映像や自分が描かれている動画の記憶は後で組み立てられたものだと思う。その証拠に俯瞰した映像の服装はいつも同じものであまり多くはない写真の中で着ていた服装だ。

たとえば全裸だったのか、下半身だけ脱いでいたのか?と考えてみるといくつかのシーンが浮かんでくる。
まず、ばあちゃんの家では他人が急に入ってくる心配もほとんどないし部屋も手前の部屋ではなく奥の部屋だったので暑いまたは暖かった時期は裸だったと思う。
しかし映像として浮かんでくる中のS子は汗をかいていても上半身は着衣だ。

これについては考えたことがある。自分がしているときの体勢は当然見たことはないが、下にいるS子はそんなに脚を開いてなかったように思う。良くはわからないが多分幼児体型だと下付きではなく前付きがなのか、
いくら体が柔らかいと言っても正上位で大人のように相手の膝小僧に両手を置いて水平に突くとか、両腿をを抱え込んで上から下に突くと言うような体位は無理だったようだ。必然的に蛙開きした相手ににぎりぎりの角度で斜め上から突く形になることが多い。
騎乗位はできたが長続きはしなかった。だんだん前のめりになって胸と胸がくっついてクリトリスを擦り付けている体勢になってしまう。そうなると体温が高い子供だと汗でくっついてしまい動きにくい。だから上だけを着ていたことが多かったんだと思う。もっと重要なことは必要性がなかったから、つまりS子はまだぺったんこだったから触るとか、揉むとかの必然性がなかったからだろう。

そんな事もあり「はめっこ」はバックが多かった。でもS子は逆正上位で抜けてしまったらそのまま恥骨のあたりに押しつけながら動かす素股のパターンが好きだった。
膣で感じられる年齢ではないので仕方がない。無意識のうちにクリトリスにあたるような体勢をとっていたのだと思う。
それに比べると俺は精神的な満足感の方が大切だったような気がする。最終的に「ムズムズ」はあっても不満足なものだし入れれていてもものすごく気持ちいのではなくなんとなく気持ちいいだけなので相手が気持ちよさそうな言葉を発したり表情をしたりするのが楽しかった。
後には慣れたけれど剥け始めたころはその状態で舐められるのは苦痛以外の何でもなかった。痛くはないから苦だけかな?苦しいような切ないような妙な気持だった。
S子と二人きりの時は「はめっこ」より「なめっこ」のほうが多かった。その時は下半身だけ脱いで舐めあってたまに膣や肛門に指を入れて暖かさを楽しんでいた。S子もよく俺の肛門に指をいれていた。その時は排便の快感に似た高揚感みたいなものを感じた

姉ちゃんとY夫ちゃんは付き合っているとかそういうのではなかったと思う。Y夫の母親は明らかに姉ちゃんを嫌っていたし、後で知ったが父親がばあちゃんの一家に親切なのが気に入らなかったようだ。
かといって固い親なのかと言うのではない。どちらかと言えば逆だ。派手で遊び好きと言う感じだった。このおばさんは俺をかなりかわいがってくれていた。

姉ちゃんとY夫もばあちゃんの家でするときはいつも裸だった。冬は靴下を履いたままと言う事もあったが基本的に全裸だったと思う。
ただ最初にY夫の家でやっているのを見た時は下半身だけ裸だった。家族の帰宅や客の来訪を警戒していたからだと思う。

二人は胸を舐めたり舐められたりが好きだったから一番多く記憶している姿はY夫が仰向けに横たわってその右手がばあちゃんの性器を触っていて、顔の上には姉ちゃんの胸が来て乳房を頬張りながら左手は姉ちゃんの性器を触っている姿だ。
面白かったのは両手は違うものを触っているのに左右同じ動きをしている事だった。そうするとばあちゃんの出す声と姉ちゃんの出す声が同じタイミングででるので楽しんでいたのかもしれない。

姉ちゃんの身体はいつもキスマーク(そんな言葉は知らないのでただ、「アト」と呼んでいた)だらけだった。
S子が面白がって俺の身体にたくさん付けて親に見つかったことがある。その時は学校で遊んでいたら(その頃は児童公園なんてものは少なかった)知らない大きいお姉ちゃんが面白いことしてあげるっていって付けられた。嘘をついて逃れた。
S子はそんな感じでよく姉ちゃんの真似をした。騎乗位もそうだ。
姉ちゃんの騎乗位は今思い出してもリズミカルで楽しそうだった。「チャッ、チャッ、チャッ、チャッ」音を立てながら腰を上下させていた。そしてY夫の「べろべろべろ」が出ると動きを止めてばあちゃんに代らせたり
ばあちゃんがいないときは口でくわえた。初めから尻に入れている時はそのままだった。でも外すと茶色い赤ちゃんの「素」が出てくることが多かった。

ばあちゃんの全裸と言うものは見たことがない。その時の都合に合わせて不必要な衣服を脱がせたり捲り上げたりしていたからだ。胸も大きく腹も柔らかで触ると気持ち良かった、ただいつも酒臭くて、起きていてもY夫が来るとすぐに寝てしまうのが不思議だった。
最初のころはいると怖くて、いないとほっとしたが、しばらくたつとその存在自体が当たり前になって、いないとなぜいないんだろうと心配になったりした。

おれとS子は姉ちゃんに頼まれてばあちゃんの性器に手を入れさせられた。他の事をさせる時は命令口調だがばあちゃんにかかわることは優しい頼み方だった。
Y夫は(事実に気が付いていたからだと思うが)少し意地悪な言い方になっていたように思う。実際、後に知った事であるが知っていたそうだ。
俺とS子が手のひらを合わせて指と指を絡めて繋ぎそのままばあちゃんの性器に入れさせたりした。

でも俺は手を入れるのが嫌いではなかった。最初は怖くてぬるぬるしているのが嫌で断ったりしていたが、ふやけて指先にしわができるくらい入れているとばあちゃんの声が嬉しそうになって、突き当りで感じるコリッとした物の(多分、子宮口)感触も好きだった。何よりも冬にお湯につけた手みたいな感じが暖かくて気持ち良かった。
でもペニスは前後どちらに入れてもなんとも感じなかったし、いくら頑張ってもばあちゃんの穴からは赤ちゃんの「素」は出てこなかった。
その秘密を明かしてくれたのはS子の母親とその彼氏の黒人兵、そしてY夫の母親だった。

8
投稿者:(無名)
2013/09/01 22:54:29    (7wnXH6e8)
しだいに大きくなって、いつ頃から気持ちよく感じるようになったのでしょうか。
その頃のS子や周囲の事などもお願いします。
9
投稿者:(無名)
2013/10/12 13:30:54    (3x4m0elH)
もう続きはないのかな。
普通には体験できない話でとてもおもしろいです。
赤ちゃんの「素」の秘密がわかった事やイクけるようになった頃などの話をお願いします。
10
投稿者:基地街出身
2014/06/07 23:36:02    (VM2HSumj)
ものすごく久しぶりなんで誰も気が付かないだろうと思いながらも記録のために追加。


はじめて見た大人同士の「おまんこ」はばあちゃんとY夫の父親の行為だった。

たぶん日曜日だったと思う。その日に限って遊び相手が一人もいなかった。
S子は母親と黒人兵と一緒にどこかに出かけていて、お姉ちゃんもいなかった。住み込みで働いていたお母さんに会いに行っていたのかもしれない。
Y夫は何日か前から「服を誂えに行く」と自慢していたのでたぶん母親と一緒に学校の制服の注文に行ったのだと思う。
俺の父母は仕事だった。
一回りしてあきらめて家に入ろうとするとばあちゃんの部屋から例の「ウヲーン、ウォーン」が聞こえた。玄関は閉まっている。
心配になって戸を叩こうかとも思ったが、なんとなく止めたほうが良いような気がした。
Y夫が帰ってきてばあちゃんと「おまんこ」してるのかもしれないから下手に邪魔してテレビが見られなくなるのが嫌だったのだろう。

でも興味はあるし退屈だし仲間に入れてもらったほうが良かろうと思ったのかあきらめきれずに、勝手口に回ってみた。裏の家が2階建てになり、コンクリート板塀を立てたので日もあたらず人は通らない。通るのは野良犬と野良猫そして便所の汲み取りくらいだ。
その分子供たちにとっては格好の隠れ場所だったので問題は無い。
やはり台所口は開いていた。中に入ってみると障子の向こう側で動いてる影が見える。ばあちゃんの声も聞こえるけれど男の声はY夫の父親だった。
台所から玄関方向に動いてみると少し開いた障子戸から中が見える。
二人とも裸で胡坐をかいたY夫の父親のペニスを正座したばあちゃんが飲み込んでいた。
日本人の大人の勃起したペニスを見るのははじめてだった。Y夫の2倍くらい大きくて黒っぽかった。
黒人兵のペニスは別格というか、あまりにかけ離れていて自分の体についている器官と同じものだという実感は沸かなかったがY夫の父親のものは心底びっくりした。それを丸ごと飲み込んでいるばあちゃんと、ばあちゃんの後ろ髪を掴み自分の股座に押さえつけているY夫の父親の姿は逆光の形で今でも鮮明に覚えている。

一番驚いたのは言葉の多さ、ずっとしゃべりっぱなしだったということだ。。(といっても覚えているのは「感じる?」と「感じるの」の二つだけだが)
次に驚いたのは時間の長さ。当然何時間かは覚えていないがかなり長い間見ていた記憶がある。少なくとも子供たちの真似事とは違っていろいろな形でいろいろなを事をしているんだと感じた。

ただ最後はどうなったかは覚えていない。見つかってしまったのかそのまま逃げたのかも覚えていないけれど、Y夫の母親から何かを聞かれて怖かったという記憶はある。

次に見たのはS子の母親と黒人兵の「おまんこ」だ。
S子の家で遊んでいて二人とも寝てしまったある日。
気がつくと横のベッドでやっていた。
半分寝ぼけていたので良くは覚えていないけれど黒人兵のうなり声の大きさと、S子の母親の腰の動きの早さだ。
要するに騎乗位だ
が、あんなにでかいものが入っていると驚いた記憶は無い。今思えばばあちゃんの性器にこぶしを突っ込んでいたわけだから慣れていたのだろう。
それよりもびっくりしたのは黒人兵が出した精液だった。それまでいろいろ経験していたが、射精をじかに見たのははじめてだった。
バックで入れていて射精の直前に抜いて背中に出したのだった。しかし俺の頭の中には「おまんこ」をすると女の三つの穴のどこかから赤ん坊の素が出るという考えで凝り固まっていたのでそれが同じものだとは気が付かなかった。黒人の小便は白いのかと思っただけだった。
半分寝ぼけていたせいかもしれない。
11
投稿者:(無名)
2014/06/13 19:17:16    (ie/dYGJ.)
貴重な体験でしたね。
あなたがイクことを知った頃とか、S子がイクようになったこととか、いろんなエピソードを書いてほしいです。
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