父は私が10歳の時に亡くなりました。
当時母は32歳で妹のしのぶが4歳だったと思います。
そんな母が34歳、私が12歳、妹が6歳の時に再婚をし、今の義父がいます。
母はスナックで働き父はなんと22歳、母より私に歳が近いのです。
私は誰か知らない人が来たと言う感じでしたが、妹は優しいおじちゃんが来たと思ったのか、すぐに懐いて義父の膝に座って食事をしていました。
義父も真面目に働いて母もスナックで遅くまで働いていました。
母が夕食を作っておいてくれたおかげで義父が帰って来るとみんなで食事、私が後片付けをし寝ると言う感じでした。
母が夜遅くに帰って来ると義父は母に纏わりつき、一緒にお風呂に入りベッドで休むのですがすぐに始まってしまうのです。
「駄目、子供がまだ寝入ってないんだから、、」と言っていた母が、大きな声で「あ~あ~、、」と言うので私は妹が起きてしまわないか心配でした。
家は亡くなった父のお父さんが建ててくれたもので、親子4人で住むのに十分でした。
義父と母の行為は毎晩と言ってもいいほどで、私から言わせると若い義父、好き者の母で仕方ないのかなと思っていました。
しかし私が23歳、妹が17歳の時に母が病にかかってしまい入院、子宮癌でした。
私も高校卒業してから働き始め、家事や母の看病に病院に通いました。
父もその時は真面目に働いてくれていて、よく3人で母のお見舞いに行っていました。
しかし1年くらいすると義父の変な行為が目立つようになりました。
みんなが寝静まったのに義父が脱衣場に行きなかなか出てこないのです。
我が家はお風呂があって脱衣場、その横に洗面所があってトイレがあるのです。
最初の内はトイレかなと思っていたのですがそっと脱衣場へ行ってみると、洗濯機の中から私たちの下着を出して匂いを嗅ぎながらオナニーをしているんです。
まさかと思ったのですがぞ~としました。
その日はすぐに部屋に帰って寝たのですが、翌日から私は自分が着替えた下着を持って部屋の戻り洗濯の時に出して洗うことにしました。
しかし、妹にはそんなことを言えず黙っていたのです。
そんな時妹が、「お姉ちゃん、私の干していた下着がないの、風邪で飛んでいったのかな、誰か取って行ったのかな、、」と言い出し、私が義父を疑いましたが証拠がありません。
それまでの妹は義父を、すごくお母さんのことを思ってくれているいい父と思っていました。
だから余計に言えなかったのです。
そんな時両親の部屋を掃除していたら妹の下着が出てきたのです。
ぞ~としましたがそこへ義父がやってきて見られてしまったのです。
「お義父さんこれって、、」と妹の下着を差し出すと、義父は私を襲ってきたのです。
幸運と言うは不運と言うか、そのとき義父の目の色が変わってきました。
義父は私を両親のベッドに押し倒すと着ているものを脱がしてきたんです。そして自分も裸になっていくんです。
「真面目に家族のためにって働いてきたのに、母親がああなって、、俺はまだ34なんだぞ。どうしてくれるんだ、、」
義父の力は凄いものでした。
しかも、義父は妹のパンツ迄穿いていたのです。
「どうせ妙子はいい男がいるんだろ、だったらまだ処女のしのぶを、、」と言い出し、私はすぐに妹だけは守らないとと思っていました。
当時私が24歳、実は男性を二人知っていて二人目の男性と結婚をと思っていたのですが別れてすぐだったのです。
悲しんでいる暇もないくらいの時で、もうどうにでもなれと思って義父の力の前に屈してしまったのです。
「お願い、その代わりしのぶにだけは絶対手を出さないで、しのぶはお義父さんのことが好きなの、、」
「分かったよ、ただ約束を破ったらしのぶを、、今日からは妙子が俺に妻だよな。
私は涙を流しながら頷くしかありませんでした。
そしてその時初めて義父と交わってしまったのでした。
もちろん義父のペニスを見たのも初めてで、妹は義父が来た頃はまだ6歳だったので一緒にお風呂に入っていたのですが、私は12歳だったので、、
セックス経験があった私は母が毎晩義父と交わっていたことが納得しました。
二人しか男性を知らない私でも、硬くいいものを持っていると思いました。
そして挿入されると、「うう~、、」と言いながらも義父にしがみ付いていたのです。
「やっぱり、妙子は処女ではないと思っていたが2、3人は経験があるのか、、」
私は恥ずかしくて返事が出来ませんでした。
しかし義父は容赦なく私の中へ立派なペニスを突き立ててくるんです。
私は数分後には義父の腰使いに合わせて喘ぎ声を出していました。
もうその時は二人目の男性から別れを言われて悲しんでいたことも忘れていました。