アラフィフと言われるこの年になって、孤独と戦って生きている。
遠い昔、俺にも家族があった。
先日、海辺の町に出張があって、その昔暮らしてた辺りを訪ねてみた。
3歳年下の妻と、二人の子供たちと、楽しく暮らしてた。
妻は決して美人ではなかったけど、あどけなさを遺した可愛い女だった。
俺に、20歳の処女をくれた。
俺の男根を不思議そうに眺め、亀頭のカリの段差を指で弄るのが好きだった。
そして、人差し指の腹で、亀頭をポンポンして、跳ね返る男根を愉しんでた。
勃起して、脈打つ男根を嬉しそうに眺めては、亀頭部分だけを口に含み、キャンディーを舐めるように、美味しそうにおしゃぶりしてた。
今まで生きてきて、勃起した男根を見たことがなかった妻は、男根に興味津々だった。
その男根が自らの女陰を貫き、与えし快感に喘ぎ、子の男根があの快感をくれるんだと思うと、心から愛しく思えると言っていた。
妻の桜色の女陰を貫き、俺の男根しか知らない狭い穴をカリで引きずり出すように抉れば、あどけない顔した妻が女の顔を見せた。
愛液を垂れ流し、男根を味わう妻の女陰が可愛かった。
俺26歳、妻23歳で結婚した。
それまで人目を忍んで交わっていたセックスが、夫婦になると、日常生活の一コマになった。
子や孫を望む声が聞こえ、それは、淫らな痴態を晒し合う性行為が夫婦生活では推奨されることを意味した。
その女陰に突き挿した男根から、妻の子袋に子種汁を注ぎ込む快楽…ビュービューと妻の中で射精するとき、その熱い子種汁を嬉しそうに感じた妻が愛しかった。
海辺の街、今は更地になってしまったけれど、かつてそこにあった戸建ての貸家、平屋のあばら家が並んでいたその一見に、俺と家族の暮らしがあった。
目を閉じると聞こえてきた。
遠く聞こえる波の音に混じり、妻と子供たちの笑い声…2011年3月11日、仕事場から駆け付けると、そこにはもう何も残っていなかった。
亡骸冴えない告別式、両親を早くに亡くした俺は、妻子と義父を失い、義母と亡き家族に手を合わせた。
義母は高台にある家にいたから、難を逃れたが、義父は沿岸に事務所を構えてて犠牲になった。
俺は仕事を辞め、彼の地を後にした。
義母は、思い出が残る家を手放し、俺と二人で上京した。
俺とg簿は、手に手を取るように寄り添い、失くした愛を胸に生きてきた。
まるで本当の母子のように、そして時には夫婦のように…
30代半ばだった俺は、アラ還に差し掛かっていた義母を抱いた。
熟女だったがまだまだ女だったし、喘ぎ声が亡き妻とソックリだった。
目を閉じれば妻がいた。
アラフィフと言われる年齢になった俺は、今でもたまに義母を抱く。
間もなく古希を迎える義母だが、その女体は艶めかしい。
スタイルも良く、後ろから見たら間もなく古希の高齢者には見えない。
ベロチューからのフェラh痺れるテクだ。
俺をチングリ返してアナルを舐めながら、亀頭を責める、そんな熟女はたまらん。
乳は垂れてきたけど、身体はまだダルダルじゃないから、俺に跨っての騎乗位は、年齢を感じさせない滑らかな腰振りで、快楽に没頭する表情は美しい。
四つん這いになって、後背位でのセックスにも対応するし、その時には、ぶら下がった乳が揺れて何とも言えないお婆ちゃん感が楽しめる。
古希が近づいても。固い男根にしゃぶりつき、股を広げて使い込まれた黒ずんだ女陰を濡らし、腰を振ってアヘ顔で喘ぐ義母には感動さえ覚える。
妻亡きあと、俺と義母は全てを捨てて上京し、ひっそりと暮らしている。
今回、被災して以来十数年ぶりに彼の地を訪れたが、目を閉じたときに浮かぶ妻子の顔が、おぼろげになっていることに愕然とした。
家族の思い出も流されたから、妻子の写真もないのだ。
遠く海原を見つめ、もう、ここへ来ることはないと感じた。
「さよなら…」
高波に消えた家族にお別れを言った。
海に背を向け歩き出したら、「バイバイ…」という妻の声が聞こえたような気がして振り向いたが、そこには、打ち寄せる波の音だけがあった。