義母は62歳。
元高校教師〜教育委員会〜元高校副校長で、メガネ姿の如何にもバリキャリ。
普段もスッとした姿勢、話し方など堅物ぶりが満載でした。
私は婿養子ではありませんが、義兄が結婚して出て、私も妻も妻実家から職場が近く、義母から一緒に住めばいいじゃないと、私は義兄の部屋を使わせてもらい、同居しています。
まだ子供が居なかったので、義母から常々、あなたたちの孫の顔が見たいわと言われてましたが、妻が係長になって忙しくなり、それどころじゃない様子を察してもくれてました。
昨年夏、義父が遠い親戚の葬儀で1人で出かけ、妻は仕事、私はリモートで在宅ワークで義母と2人きりの日、掃除をしていた義母がリビングで肩凝ったと言い、私が仕事の合間で肩もみしていました。
夏場とあってか、義母は胸元の谷間が見えるような服で、見下ろしながらちょっとムラムラしてきました。
私が胸のことを言うと、「こんなおばさんのなんて」と言い、興味無いでしょ的な感じだったので、私はお義母さんもまだまだ魅力ある女性ですよと言ったら、またまた冗談をといった感じで笑ってましたが、私は後ろから抱き着きキス。
義母は最初びっくりして、口を離すと本気なの?って感じでしたが、褒めちぎってたら、ヒミツだからねと一緒にシャワーして、私のベッドで初エッチしました。
太ってはいませんが、加齢による乳房や腹肉の弛みがなんとも言えず、義母は恥ずかしがってましたが、私はそれは熟女の魅力ですよとかまた褒めちぎり、最後はもちろん中に放出。
妻を子作りした時以来らしく、久しぶりのエッチながら、凄く気持ち良かったと感激していました。
以降、義父とはしたことないようなプレイを連発。
最初は目の前での放尿。
トイレ、浴室から始め、ショッピングモールの立体駐車場や公園の茂みやベンチなどでさせました。
これが義母的には1番ハマったらしく、私と2人きりの時は1人でトイレは使わず、私に見せながらとか、外でトイレではないとこで足します。
1番過激だったのは、早めの紅葉狩りしたいと言われて一緒に外出時、電車で行きましたが、ボックスシートで周りに人が居ないのを見計らって、「おしっこするわね」と、カバンからペット用吸水シートを出し、向かいの座席を倒してシートを敷き、私に向かって放尿。
出し切ると腰を降ろして吸水シートに残りを吸わせ、さっと折り畳んでトイレに。
これで要領を得たか、上映期間終わりかけの映画館で周りに人が居ない席を取り、隣で同じようにしたり、自宅でも義父と妻が居ない日は、「あなたの小便器です」と宣言した日からは、浴室で私のを口で受けて飲んだり自ら頭から浴びたりも。
なんか前から願望としてはあったらしいものの、立場もあるし、いざやる勇気やきっかけもなかったのが、私と関係持って開花したようです。
年末には、妻は職場の、義父は大学同窓会で、泊まりの忘年会で不在となり、義母も私達も泊まりに行かない?と近場ですが、義母のツテで共◯会館に泊まりました。
あまり一般の方が居ないので、行った日も食事の時はもう一組だけ。
義母はその人らに背を向けるように座り、食事中に私におっぱい露出してきたり、部屋に戻る途中に自ら服を脱ぎ全裸に。
大浴場は24時までですが、22時くらいに行くと他の利用客は全く居らず、義母は男性浴場に入り、洗い場で放尿と、私のを飲尿・浴尿。
さっと流したら、全裸のまま女性浴場に移動していきました。
夜中も様子を見ながら廊下での露出やフェラ奉仕、放尿、ハメた後に顔射して徘徊させたりして、ほぼ一晩ヤリっぱなしでした。
クリスマスは、妻はまた友人らとのクリパ、義父は自治会の忘年会で義母と2人きりに。
早めに仕事を切り上げ、小さい花束とド◯キでSMセットを購入。
花束に喜んでましたが、普通に渡すわけがありません。
義母には首輪とリードを着けて、マンぐり返しで手枷足枷も装着。
アソコに花束を突き刺し撮影。
更に義母には、そのままションベンしろと命令すれば、拒むことなく放尿。
もちろん義母の顔面は自身のおしっこまみれになりました。
花束を抜き、手枷足枷を外し、ビチャビチャのフローリングでフェラ奉仕させ、バックから挿入〜中出し。
更にアソコに入れたまま私も放尿。
義母に少し吸い取らせ、後はバスタオルで拭き上げました。
後はマッタリ入浴しましたが、アソコに花って、興奮しましたと言い、気付くと、なんか自然な感じで私を「ご主人様」と言ってて、口ぶりも私を目上のごとくな感じに。
以来、完全に義母は私の奴隷という認識になり、2人きりの時は、義母は私をご主人様、私は義母を名前では呼ばず、義母の希望で「おい」とか「お前」と呼んでいます。