この問題が起こってから、このサイトを知り身内で肉体関係されている方が多数おられる事を知り少し気持ちが落ち着きました。
中には面白可笑しく投稿されている方もおられますが、大部分のお方は、多少の誇張は有っても、そのことに関係した何らかの経験をされた方々とお見受けします、私の経験も現在も進行中で続いている事柄に基づいて状況を投稿いたしました。
つまらなく退屈に思われた方は即、購読を御止めください。
私は、幼馴染で1人娘の女子の友達が居ました。
(二人は共に意識しあっており、将来は結婚できたらいいなと思って付き合っていました、デートも何度もしましたが、
手を繋いで歩あるき、握りあった程度でした)
1人娘21歳の婿養子にと希望され私は次男でもあり、22歳とまだ若いので、婚約の型を取り婿養子としての入籍は、もう少し先にしに伸ばしていただけないかと申し入れました。
私に心変わりがあっては心配との事で彼女の家に招かれ
(百合さん彼女の名前)父母に会いに行きました。
そのとき、お母さんにはこのような方法で会うのは初めてだったと思います。余りの気品のある美人に驚きました。
その機会を境に、この人が義母になり家族になれるならと気が変わり戸籍も、22歳で婿養子として姓を変え入籍し、JAの職員として勤めています。
後で妻から聞いた事ですが母が、特に私に惚れ込み、このままでは他の人に取ら取られてはいけないと、母の強い希望で強引に入籍を急ぎ決めたみたいです。
旧家で家も広かったのですが、
少しの間でも子供が生まれるまで新婚気分を味合わせたいとの両親の配慮から、貸家も3棟24戸の賃貸住宅をもっていて、その一軒の部屋を貸していただき生活していました。
土日と休日には義父がビニールハウスで野菜作りをしており、
農家の手伝いに行くこともありました。
妻も結婚を機に退職も考えたようですが、
苦労して勉強して看護師の資格を取ったのだから少しは世の中の為に働くと言って、看護師として週1回~2回は夜勤もあり、
居ない夜がありました。
その夜は、実家に行き義父母のお世話になり食事は勿論お風呂も入らせていただいて帰っていました。
義母さんが下着も洗濯し綺麗に折りたたんで脱衣所においてくれていました。
下着は何枚か洗い替えにと、義母に預けてあり毎回義母が綺麗に洗濯して折りたたんで脱衣所に揃えて於いてくれていました。
お母さん世話かけてすみませんとお礼を言ったら、
今夜は、百合の(妻の名前)変わりのお世話ですから、
許されるものならお背中流してあげたのですが、してあげられなくて御免なさいね。
義母42歳ですが、物静かで気品があり、妻の姉と言っても疑われないほど若く見え、買い物に同行しても他の人から振り向いて見帰えられる程の、かなり気品と品格のとれた美人でした。
(私は義母と並んで買い物に行くことに満足感を感じていました)
良いことは永くは続かないもので、
婿養子になって1年半もたたない頃、義父が、背中が痛いと診察を受けたところ、膵臓癌で余命わずかと言われ、義母はもちろん一家で失意の底につき落されました。
義母の懸命の介護の甲斐もなく2ケ月後この世を去りました。
50歳の若さでした。
私が婿養子になって結婚から1年半のことで義母と妻の悲しみは想像に余りあるものでした。
義父亡き後、直ぐに義母からの希望で広い家で、
一人で暮らすのは淋しいから一緒に暮らしたいとの希望で妻の実家に移り義母と3人で暮らすことになりました。
私には何かと気を使ってくれていました。
妻が務めている病院も人手不足の為、週1回だった泊り勤務が、
1回~2回の泊り勤務となり、義母と二人だけの夜も増え、
食事はもちろん、身の周りの世話はほとんど、下着の洗濯までしていただき妻以上の世話をしてもらっていました。
風呂から上がると既に洗濯済みの下着をきちんとたたんで、
脱衣所に置いてくれていました。
お母さん気を使っていただいてすみませんとお礼を言ったら、
お背中流してあげたいけど百合にも許し得ていないし悪いけど
それまではしてあげられなくて御免なさいねと言ってくれました。
そのあとは広いリビングにはソファーとテレビが置いて有りますが、妻の居ない夜はそれぞれ自分の部屋に入って好きなテレビを見て過ごしていました。
やはり妻の居ない週2回の夜はどことなく静けさと、
淋しく何か物足りなく感じぎこちなく落ち着かないものでした。
妻にそのことを話すと、母さんは物静かでおとなしい人だからお父さんが亡くなって話し相手が少なくて寂しい人なのよ、
貴方と母さんは、お互いにどことなく気を使い、敬語を使って遠慮しあっているような気がする、
私に気兼ねすることなく母さんまだ44歳よ、寂しくなってかわいそうだから、私が夜勤で居ない夜は、直ぐにお部屋にもぐらないで居間でお父さんの代わりに世間話でもいいから話し相手になってあげてくれない。
母はおとなしい人だから外観には出さないけど、貴方と私との結婚が決まった時から1番に、母が貴方に一目惚れして他の人には取られては、困ると言って急いで、入籍して結婚させたのは母なのよ、
だから今でも貴方を母は好きでたまらないのよ、
貴方にも母の気持ち分かるでしょう。
父が亡くなってから益々貴方を、頼りにしている事は私には良く分かるの。私が夜勤で居ない夜には母を私と同じように話して悦ばしてあげてほしいの。
リビングのソファーに並んでテレビ見ながらでも母は貴方と話し、したがっているの、
母さんあの通り今でも綺麗な人だから、
今のままでは他の男性が言い寄ってきて連れていかれと思う、
お母さんは誰かに頼っていかないと、暮らせて行けない人だし、
何事も頼まれると断ることの出来ない人だから、そんな話も親戚の人から、再婚の話も来ているのよ。
私は、他の人とお母さんが再婚してお父さんはもういらないから、貴方がしっかり話し相手になってあげて。
お父さんの身代わりしてくれない。
そうなるかもしれないな、私もお葬式の時だって、
綺麗な奥さんだね、あの若さで一人にしておくのはもったいないなと呟いていた人が居たのを微かに聞きました。
母には私は泊り勤務があるからその夜は、
気楽に話して、私がしてあげられない分も、お母さんが不足分は補ってあげてねとお願いしてあるの。
分かった、あの人が望んでいるならどんなことでもしてあげると言ってくれているから、
貸家の管理は不動産屋さんに任せているみたいだけど、相続の件でいろいろと、問題があるみたいだから相談受けたら、相応の相談に応じてあげてね、でもな、俺は婿養子の身だから、資産の相続については、余り深入りしたくない母の意思に任せておく、
そう貴方は資産相続には興味ないのね。毎月の収支報告も不動産屋さんからくるみたいだから、貴方も不動産管理の事は母から詳しいことは聞いておいてください。
妻は、母とどのようなことしても私、気にしていないから母には父が居た時のように、父に代わって楽しい思いさせあげてね。
母も貴方を頼りにしているから、他の人に取られないようお願いねと言われた。
夕食も義母と二人だけで取り、婿養子を決心した時の希望と理想の家族でした。
後日、妻が宿直勤務の夜普段と同じく夕食後風呂を済ませ自分の部屋に入らず、居間のリビングでテレビを見ていると、
母が食後の後片付け終わったから、これからお風呂に入ってきますと、すぐ横を通りすぎていきました。
30分ほどして風呂からパジャマに着替え上がってきて、
居間のソファーで寝そべりテレビ見ていると、まだ此処にいたの、
今夜は(百合)妻の名前、がいないから静かだけど居ない夜は、
秀樹さん少し寂しいわね、いいえお母さんが居てくれるから淋しくはないですよ。
まあ私では百合と同じく話は出来ても、
百合と同じようなお相手できないから寂しいでしょう。
でもお母さん良くお世話してくださるし癒やされ助かっています。
百合からもわたしがしてあげられない分精一杯のこしてあげてねと言われているのよ。不満があったら何でも言ってね。
処で貴方達2年近くになるけど子供はまだなの、
こんな夜は、孫がいるとにぎやかだろうし楽しみにしているのよ。
百合も働いているし疲れもあると思うけど夫婦の営みはあるの、
中良くしているの。
百合は、我儘なところがあるから疲れたと言って秀樹さんの、
気持ちも察しないで直ぐに疲れたと寝てしまうのではないの。
それではいつまで経っても孫は出来ないはね。
それでは私はお部屋に上がらせていただくわ、お休みなさい。
いいじゃないですかもう少し話して行きませんか、
今夜はこれで休ませてもらうわ、百合が居なくて話したい時にはご遠慮なく私のお部屋にも話しに来て頂戴、
百合からも私の居ない夜はあの人の話し相手してくださいと言われているから、時々はお話し相手にきてくださいね。
それでは、これからお部屋に伺ってもいいですか、
少し驚いた様子でお部屋、散らかっていますから整頓しておくから少の間、時間をおいてきてくださいと言われ、
今夜は駄目と断られることはなったので戸締りと歯磨きを済ませ
30分位後に部屋の前に立ちノックすると、
どうぞお入りくださいと、
OKの返答があり、初めて義母さんの部屋に入りました。
余り永くなりますので此の続きは、
次回に投稿いたします。