3年前に主人が飲酒運転で事故を起こし、入院したうえに寝た切りになってしまいました。
仕事はトラックドライバーで仕事外と言う事もあって保険も出ません。
子供は二人いてパートに出ていましたが、主人の看病と子育ては無理で義父に相談しました。
私には両親も兄妹もいません。
それが事故を起こして半年後です。実は私たちの結婚、主人の父には反対されていたんです。
私が施設育ちというのが理由でした。
「どうして早く言ってこなかった。」というのを聞いて少し救われたように思いました。
だって気にして下さっていたんですもの。
二人の孫の顔を見て「おお、、息子の小さい頃に似ている、、」と喜んでくれました。
主人の実家は義母が早く亡くなっていて義父と主人の兄の二人暮らし、そこへ私と子供二人がお世話になることになりました。
主人は当時まだ意識がなく近くの病院へ入院していました。
私は仕事を見つけ働きたかったのですが、まだ小さな子供がいては無理でした。
義父が「仕事はしなくていいから子供の面倒と私と長男の世話をしてくれたらいい。」と言ってくださり甘えることにしました。
事故から1年、主人の実家に着て半年が経ち、家族5人分の掃除洗濯や食事の用意の家事、たまに主人の様子を病院へ見に行っていました。
子供も義父や長男に懐き楽しく暮らしていました。
あとは主人の意識が治り、みんなが幸せに暮らせたら言うことはないと思っていました。
そんな時でした、義兄が仕事で3日間いなくなると義父が夜中に私が寝ている部屋へ入ってきたんです。
当然子供二人も横で寝ていて、「お義父さん、どうしたんですか。」と聞くと、「しのぶさん、あいつがいなくて寂しいだろ、私も家内を早くに亡くして寂しいんだ、一度でいいから抱かせてくれないか、、」と言ってきたんです。
「お、お義父さん、それだけはダメです。私たち仮にも親子なんですから、、」
「そんなこと言わんで、お願いだ、、一回だけでいいから、、」
そう言って掛布団を捲り私の上の覆いかぶさってきたんです。
「ダメ、駄目です、、」
「そんな大きな声を出すと子供たちが起きてしまうぞ、、」
「だ、だったらやめて大人しく寝てください、、」
「なに、、」
バシッという音と共に左の頬が痛くなり平手打ちをされたことに気が付きました。
痛さよりも義父の怒った姿が恐ろしくそれからは抵抗できませんでした。
全身の力が抜け天井を見ているしかできなく、その間に義父は私の寝巻を剥ぎ取りパンツも取って裸にされてしまいました。
恥ずかしいという気持ちの失せ、義父が裸になって私の体を舐め回すのをじっとして通り過ぎるのがやっとでした。
胸を舐められ吸われたときには涙が出てきました。
義父の口がだんだん私の下の方へ移動し、陰毛を舐め足を広げて股間を舐められる時には主人の顔が天井に浮かびました。
それでも足を閉じるという意思がなくなすがままにじっと耐えるしかありませんでした。
そして義父の大きな肉棒が入ってきた時、初めて、「ああ、、やめて、、」と言っていました。
それでも義父の体を突っぱねたり押したりすることもなく布団のシーツを握りしめていました。
どれくらいの時間が経ったのか、足を高く抱えられ体や胸が小刻みの上下に、、
股間では義父の肉棒が入ったり出たりして、、それでも肉棒を締め付けている意思もないのに義父が、「ああ、、いい、、締め付けやがって、、」と言われ、急に力いっぱい奥まで突かれ精液を中に出されてしまいました。
(ああ、、やっと終わった、、)と思ったのも束の間、義父は私の横で添い寝をして胸を撫でてくるのです。
「もう終わったんじゃないですか。出て行ってください。」と義父を睨みつけると、急にキスをしてきたんです。
「しのぶ、夜はまだまだ明けないぞ。」と、また私に覆い被さってくるのです。
義父の精液を何度受け入れたのか、外がだんだん明るくなる頃義父は私の横で寝てしまったんです。
やっと私は起き上がり義父に汚された股間をティッシュで拭き義父の体に布団を掛けてシャワーを浴びに部屋を出たのです。
「ああ、、あなた、ごめんなさい、、」
お風呂に入ると急に涙が出て来て蹲ってしまいました。そして何事もなかったように朝食の用意をしていたんです。