10年待ちました。
義母に密かな欲望を抱きながらも義父に配慮し過ごしてきました。
嫁は男兄弟が居ないので義母が慣れていないせいか、とても私に構ってくれます。
生き別れた息子のごとく、私の一挙手一投足に反応して世話を焼いてきます。
義父がパチンコに、嫁が買い出しに行った時など大変です。
私が退屈そうにしていれば散歩に誘ったり、眠たそうにしていればブランケットをかけたり帰省すると義母と接する時間が過剰に増えるため「なんなら下の世話もワンチャンあるのか?」とバカな妄想をしてたものです。
その内、義父がガンで亡くなりました。
延命を望まなかった義父は家族が悲しむ間も無くアッサリ逝ってしまい「お父さんらしいね」と妙に清々しい雰囲気でした。
それからと言うもの、義母が寂がらない様にと嫁が頻繁に帰省したがる様になりました。
せっかくの休みでゆっくりしたいし、妊活もしたいところなのですが休日の半分は嫁の実家暮らし。
いよいよ我慢(性欲の方)が限界になってきて行動に出ました。
嫁が地元の女友達と夜に女子会をする為20時前に出かけました。
残された私はとりあえずボーッとしていましたが、義母からいつもの様に「お風呂入って楽な格好したら?」と言われたのでそうしました。
嫁の帰宅時間は22時過ぎ。
湯船の中で悶々としているとムクムクと勃ってきました。
全然おさまらないのでいよいよ限界なんだと自覚し、頭が暴走モードに。
「全裸で出てしまえ」
と意を決して身体を拭いた後、義母のいるリビングに出ました。
私が出たと認識した義母はすぐさま振り返って「何か飲む?」といつもの様に聞いてきたのですが、視線は一気に下半身に(笑)
首にハンドタオルをかけてビンビンの全裸男が立っているのですから当然ですね。
「えぇっ!ちょっと、◯◯くん!どしたの?下着なかった?ちょっ!やだー、そんな立派なモノ出して(笑)」
私は
「使ってないとこうなっちゃいました(笑)」
義母はすぐさま察して
「そりゃいつまでも孫が見れんわ〜。でもそんな無防備に出さないで(笑)娘にはちゃんと◯◯くんを構ってくれる様に言っとくから!」
そう言って手で視線を遮りながら話していました。私はもう戦闘モードなのでそのまま義母に近づきました。
「ちょちょちょっ!何でこっちくるの!」
と身体を押しのける様に手を伸ばして止めようとします。その手に股間を押し当て
「ちょっと今日は限界みたいで…お義母さんしか居ないんで…」
そう言いながら義母の手を取り握らせ前後に動かしました。
「えぇ!ちょっと!えぇぇ…私が?私がするの?ど、どうしましょ…」
構わず前後に動かし続けていると力の入っていなかった手がチンコに圧を加え始めました。
恐らく「手だけなら」と言う心境になったんだと思います。顔を背けながらいつ出るかわからないチンコを握ってました。
その顔がたまらなく愛おしくなり、義母の顔に手を添えて股間を近づけていきました。
「んーーー!!」口に入れまいと一文字に閉じていましたが先端が当たると観念して開いてくれました。
その時の暖かさは嫁のフェラの比ではないほど良かったです。
ぎこちなさがまた良く少しポッチャリ体型なので頬の肉厚さもしっくり来てあっという間に暴発。
およそ2ヶ月ぶりの発射は腰が抜ける様でした。
義母に至っては数年、下手すれば十数年ぶりの口内射精でしょう。義父は長いこと病気がちでしたから。
義母はしばらく放心状態。
口の端から細く糸を引きながら垂れる精子は最高のシーンでした。
床に溢れないように手で受けていましたが、その内に全部手に出し「これ…どうするの?娘に顔向けできんじゃない…早く服着ときなさい。」そう言って洗面所に向かい手を洗っていました。
ひとまず服を着て義母が戻ってくるのを待つ。
そして戻ってきた義母が「あのねぇ、今のことは忘れるからね!ダメに決まってるじゃないの。娘も悪いと思うけど◯◯くんもヤケになっちゃダメよ。」
「スイマセン…他で間違いをするよりは良いのかなと…」
義母はハッと目を見開いて私を見て
「屁理屈言わない!そりゃ他所でされるよりはマシでしょうけど、私は母親だからねぇ。いくらなんでも神様が許さないわ。」
私が少し沈黙していると
「ならどうしても!もういよいよ限界って時はコッソリ言いなさい!どうしてもって時だけ何とかしてあげるわ。それ以外は努力しなさい。」
それから1ヶ月後、再び嫁が女子会に出たので義母に相談。
口で抜いてもらうことが2年間で15回ほど続いて、ようやく義母を脱がせる事に成功。
最後の口での処理の時に「濡れたりしますか?」と聞いて「無いと言ったら嘘になるわね」と言ってくれたので初合体を果たしました。
もう最高でした。
いくら出しても妊娠する事はなく、ご無沙汰だった義母は具合も良く、ポッチャリ豊満なカラダは抱き心地抜群。
しばらく孫はできません。