あれは、妻が第一子を出産した時のこと。
妻には兄がいて、家族で実家に入ってて、義母は実家をお嫁さんに任せて、妻が入院した後、ちょくちょくアパートに来ていた。
第一子出産当時、俺は29歳で妻が26歳、義母は54歳で、生まれた赤ちゃんを確認した日、産院から車でまっすぐ俺たちのアパートに来た。
妻の洗濯物を洗いつつ、義母が、
「祝杯を上げましょうか。もう、今日は泊っていくわ。」
風呂上がりにと缶ビールで出産祝い、二人でほろ酔い気分だった。
夫婦の寝室に布団を並べて敷いて、義母は妻の布団に寝ることにした。
ほろ酔いの義母は、妻のパジャマ着てて、酔ってた俺は妻の名を呼びながら義母に抱きついてしまったら、義母が俺の名前を口にして、抱きついた手を握った。
くるりと俺のほうを向いて、ゆっくりと頷いた。
「娘とできなくて、溜まってたんでしょ・・・」
その通りで禁欲状態の俺は、そのまま義母に唇を重ねた。
義母は舌をこじ入れてきて、濃厚なベロチュー、ムッチムチな義母を抱きしめてキスをした。
義母に勃起が当たると、
「お父さんも還暦、もう、ここ数年ダメみたいだし…中に出していいわよ…」
義母を脱せると、抱きたくなるムチムチボディ、56歳なので多少の緩みは仕方が無いけど、思ってたよりもずっと奇麗な身体だった。
俺も裸になり、義母の股間に指を這わせると既にぐっしょり、義母は勃起を握って入れようとしたから、義母の両足を拡げて、ドドメ色のビラビラを割って生挿入した。
鼻にかかったような甘い声が、次第に悩ましい喘ぎ声になっていった。
義母のマンコは蕩けるようなトロトロ、突くたびブビブビと圧縮空気と共に愛液が噴出した。
義母も俺の腰に手を回してk氏を揺さぶり、娘婿のカチカチの生チンポを味わっていた。
そして、タップリと溜まってた精液を、義母の中に大量に注ぎ込んだ。
「お義母さんも孕んでください…」
「ああ~~娘婿の元気な子種で孕んじゃう~~」
義母のマンコはうねりながら絡みつき、抜かずの二回戦に突入した。
チンポを抜くと、マンコから大量の精液が垂れてきた。
翌朝、朝起ちを狙われた。
義母も数年ぶりの夕べのセックスで火がついて、欲求を果たすかのようにチンポに跨り、騎乗位で貪欲に腰を動かしてきた。
豊満な乳房が揺れた。
朝っぱらから義母とハメ狂う禁断の義理母子相姦、この日はド曜日で、午後からの面会に出かけるまで、午前中は義母と激しい情事に耽った。
そして、妻が退院後は、約2か月実家に里帰りしたから、その間、お泊りは無かったけど、義母が毎日夕方やってきて、下だけ脱いで俺の精液を持ち帰った。
約2か月で、義母のマンコには100発以上の精液を注いだ。
その3年後、第二子出産の折にも、57歳の義母とハメ狂った。
第二子の時は、妻と禁欲になった日から、週2~3回、ラブホでハメた。
妻が入院してからは連日ハメた。
3年でさらに熟した豊潤なマンコに、ドクドクと精液を連日注ぎ込んだ。
妻がアパートに戻る前日、最後の精液を義母に注いだ。
「ああ…終わっちゃったね…もう、子供は打ち止めなんだろ?アタシ、これが人生最後のセックスなんだろうなあ…」
義母が、精液が垂れるマンコを拭きながら淋しそうに言った。
「でも、毎日毎日娘婿に抱かれてさ、若い子種注がれて、この年であんなに気持ちいいセックスをできたんだもの、アタシは幸せ者だよ…」
実際、この日が義母を抱いた最後の日になった。
義母がその後、俺以外とハメてなければ、義母の最後のセックスは俺だったんだろう。
義母を最後に抱いて、20年が過ぎた。
上の子は大学を出て社会人一年生、下の子は大学2年生、俺は52歳、妻は49歳になってる。
今でも俺は、妻を抱く。
まだ閉経してないから外出しだが、妻のマンコも義母のようなドドメ色マンコになってきたし、中はトロトロに蕩けるいいマンコになってる。
若い頃より、今の妻のマンコの方が気持ちいい。
先週、義母の一周忌だった。
昨年、義母は76歳の生涯を閉じ、4年前先立った義父と眠っている。
俺は昨年、義母を愛した女として見送り、お別れした。
200回以上種付けした女だから、俺にとっては元カノのようなものだ。
先週も、義母に手を合わせ、20年前に愛し合った思い出に浸った。
だから、浸った義母との思い出を投下してみた。