1970年、建設業に携わる父と草月流の師範だった母の素
で産声をあげ、西武新宿沿線の住宅街で、何不自由なく
育てられた私。
一人っ子で溺愛されて育った私は幼少の頃から我儘のし
放題で、高校三年生の頃には当時流行っていたディスコ
ブームにも乗り、制止する母の言う事も聞かず、週末に
は新宿のディスコで遊び、同じような不良男子から声を
掛けられるのが嬉しくて、気が付けば処女も捧げていま
した。
1987年、当時の時代背景はバブル景気の真っ只中。
女子高生なりにも、東京で眼にする老若男女は皆浮足立
って映り、そんな或る日、突然父が不倫相手と逃避行。
母からは会社から地方での仕事を任され、父は愛知県に
居ると聞かされていたんですけど、実際は父から郵送さ
れた離婚届けがあり、母から同意した旨を打ち明けられ
たのです。
丁度、翌春には高校の卒業を控えた年の瀬で、それを知
った私はショックの余り夜遊びも止め、塞ぎ込む日々で
した。
級友達のほとんどが大學への進学を選択し、少なからず
私も大學受験に備えて受験勉強もしていたのですが、細
々と生け花教室で生計を立てる母の姿を眼にし、私に大
學受験という選択手はあり得ませんでした。
心配した担任教師は学校に掲示された求人案内なども懇
切丁寧に勧めてくれたのですが、どんな仕事がしたいの
かも見いだせず、社会人になる意欲も持てず仕舞いで、
母と担任教師との三者面談で、自宅での家事手伝いと云
う名目で、そのまま母の傍で巣篭っていたのです。
私が出来たのは母に代って買い物に行く事や、日常的な
掃除や洗濯程度で、決して多くは無い生徒を相手に生け
花教室だけで生計を立てる母にも申し訳なく、何とか割
の良い仕事を見つけ、母を安心させようと思えたのは一
年後の春先でした。
そんな矢先、たまたま手にした求人誌で当時流行り始め
ていたレンタルビデオに関する営業職の求人を見つけ、
当時にしては好待遇な事にも惹かれ、深く考えもせずに
面接を受けていました。
簡単な筆記と社長面談を終え、数日後には内定の通知を
貰い、事業的な詳細を説明するとの事で本社のある鎌田
へ出向くと、男性の求職者が大方の中で、若い女性と言
う事が新鮮で、採用に槌がったと聞かされました。
内容は当時続々と出店されるレンタルビデオ店にVHSビ
デオを卸売りする仕事なんですけど、扱うビデオがアダ
ルトビデオに特化されていて、当事で言うと〇中企画の
商品がメインで、所謂洋ピンと呼ばれる製品も一部扱っ
ていました。
商圏も広いうえに出張手当も支給され、卸販売額に応じ
たインセンティブも支給すると説明され、アダルトビデ
オに躊躇もしながら『君なら出来るよ』と言う社長さん
の言葉を信じ、入社する事となりました。
母には仕事の詳細は伏せ、お子様向けのアニメ―ション
ビデオと云う事にしていたんですけど、お客様に売り込
む意味でも、新刊のビデオが発売される度、視聴するの
が営業担当の義務になっていて、自宅に持ち帰った新刊
をヘッドフォンをして視聴し、自分なりのお勧めのラン
キングを予め設定し、営業の際のセールスアピールを考
える訳なんですけど、母に悟られない様に視聴する深夜。
私自身も日を負う毎に厭らしくなり、一番お気に入りの
男優さんのビデオを鑑賞しながら、オナ二―をする事も
少なくありませんでした。
営業エリアは関東圏全域と長野県・新潟県に加え、東北
の6県。
初めは社長の営業同行で基本的なセールススタイルを学
び、入社して三ケ月目には独りで営業に出向いていまし
た。初めは自信が持てずにいたんですけど、私目線のセ
ールスPRがことのほか受けるようにもなり、徐々に卸販
売数も増え始める中で、とある地方都市の店主様からは
食事をご馳走になる事もあったりと、それなりにやりが
いも感じ始めていました。
会社も順調に推移し、と或るアダルトビデオの発売元か
らは功績も讃えられるようにもなっていたんですけど、
私の勤続が5年を迎えた春先。
売り上げの大半を持ち出した社長が突然の失踪。
債権は共同名義だった社長の奥様が肩代わりしたんです
けど、そのまま事業閉鎖となり、当事24歳だった私も職
を失う羽目になったんです。
今思い返すと良い潮時だったのかも知れないですけど、
再就職の際、アダルトビデオの卸売り販売をしていたせ
いか、その後の面接での私は白い眼で見られることが多
く、再び就職が叶った先も、当事の流行りに便乗した大
手カラオチェーンの店舗スタッフで、店内のカラオケブ
ースで食事が出来る画期的な形態でした。
以前ほどの好待遇では無かったものの、勤続4年目には出
入りしていたカラオケ機材の営業マンに一目惚れをし、
私の方から猛烈にアタックし、交際をスタートさせても
いました。
九州出身で身長が179㎝と高く、店舗内でも評判の良かっ
た彼。
既に交際もスタートさせていながら、食事やドライブ止
まりで、中々手出ししてこない彼に欲求を募らせていた
のも有るんですけど、前職でアダルトビデオの視聴を多
くした事もあり、当事の私はビデオ男優と交わすオナニ
ーで性的には充たされていて、特別彼が欲しいと云う感
情も無かったんです。
でも彼は違いました。長い手足にセクシーな目元が特徴
的で、高校生の時分に何人かの男子高生と躰を重ねて以
来『彼になら抱かれたい...』と素直に感じさせる人でし
た。
前職に於けるアダルトビデオの視聴を介し、男性がどん
なシチュエーションに興奮するのか充分過ぎるほど熟知
していたし、女優さんが魅せる凄いテクニックも、自然
と脳裏に焼き付けていました。
そんな或る日、閉店後の午前2時過ぎにカラオケ機材の
定期メンテナンスで彼が訪れる事を知り、遅番で勤務し
ていた私は、ブース毎にカラオケのマイクや本体を汲ま
なく点検して回る彼を眼で追い、とある一室で暴挙に出
たんです。
一番目立たないブースに入る彼を見届け、私はこっそり
と同じブースに侵入していました。
驚く彼を他所に飛びつくように唇を重ね、視界が遮られ
る角の壁面に自ら誘導させると、私は彼のバックルを荒
々しい手つきで解き、薄生地に覆われ、弓形に硬く漲る
彼のぺ〇スを剥き出しにし、躊躇う事無く口に咥えてい
ました。
アダルトビデオさながらに敢えて湿りを帯びた音色を
発し、彼の前で跪き、時折り見下ろす彼の視線と交差さ
せるように見上げると、執拗に続けるフェラで私の口腔
の中に白濁した証を放ち、放心したように果てた彼。
私が吐き出す事も無く全て呑み干して見せると、感動し
た面持ちの彼は跪いたままの私を優しく立ち上がらせ、
レジ〆の業務を終えた私が社員通用門から出ると、約束
どおり私を待っていてくれました。
その後は彼の営業車に同乗し、彼のマンションに向かっ
たのは言う迄も無く、2度3度と激しく抱かれるさなか、
気が付けば失神同然で意識を失い、既に出社後の彼の部
屋で、正午過ぎまで眠りに就いていました。
そんな事もあり、彼との仲が急激に深まった6月某日。
私の誕生日に合わせ、彼からのプロポーズを承諾したの
です。
その後は全て急ピッチで進み、福岡の彼の生家にご挨拶
に伺い、お互いに合意の下、二人だけのハワイで挙式を
挙げる事にも承諾して貰い、カラオケ店での仕事も3ヶ月
後の9月末日を以て退職をし、優しい彼は会社へ直に交
渉し、自宅での独り暮らしを望む私の母へも気遣い、実
家近くの中野近辺のマンションを社宅扱いで借り直して
もくれ、家賃の半分が彼の会社負担で補われる中、私達
は念願のハワイでの挙式に向けて旅立ったのです。
そんな幸福に充ち溢れた生活が4年を経た時でした。
私が32歳になった春先、突然彼の転勤話が持ち上がり、
新しい赴任地で夫婦で暮らす事を望む彼に対し、どうし
ても母を残して行くことに抵抗があり、母も含めて一緒
に彼の赴任地で暮らす事も提案したんですけど、母は彼
の負担には成りたくないと頑なに拒絶し、結果的に彼が
単身で赴任する事となり、私は母が暮らす実家で再び親
子水要らずの生活をする事を選択したんですけど、その
の翌年の暮れに彼から離婚したい旨の申し出があり、彼
の強い意志が変わらない事も知り、翌年の33歳の結婚記
念日に合わせ、離婚届を提出したんです。
彼の転勤に合わせ、私が付いて行くべきだったんですけ
ど、私の我が儘な性格が変わる事も無く、その年の暮れ
には、最愛の母を心筋梗塞で亡くしてしまいました。
不幸続きの私の半生。
母亡き生家で独り暮らしを余儀なくされ、私は派遣社員
として通信関連の事務職を見つけ、再びOLとして働き始
めていました。
そんな或る日、母の妹に充る叔母が私の将来を危惧し、
縁談話を用意してくれたのです。
お相手は当時47歳の男性で、奥様と死別された資産家
の方で、彼には17歳になる息子さんがいました。
彼との年齢差も14歳で、多感な17歳の息子さんの存在も
気掛かりで、お見合いを躊躇する私にこんな良い縁談を
見過ごす手は無いと云う叔母。
写真だけじゃなく、一度息子さんも交えて会食もし、そ
のうえで判断すべきと云う叔母に根負けし、私は気乗り
のしない会食にも出向き、何度かのドライブやデートも
重ねる中で
『息子の食事や世話を焼いてくれるだけで良いから...』
という彼。
正直、叔母が言うように彼の持つ資産は魅力的だったの
は事実で、彼とのセックスさえ我慢して受ければ、セレ
ブな生活が待ち構えている。
息子さんもジャニーズ顔の可愛い子。頑張ればこの子の
母親になりきれるかもしれない...。
そんな邪な思いを過らせるさなか、叔母は再婚に充る花
嫁道具代わりに、私の生家を売却すべきとも言い、散々
悩んだ挙句、彼との再婚を決意したのです。
お互いに再婚同志と云うこともあり、挙式は挙げずに彼
の邸宅で暮らす事となったんですけど、潤沢な資産で贅
沢な暮らしを堪能させて貰う中、再婚して二年目の春先
でした。
まだ墓石も用意出来ず、母の亡骸を遺骨のまま寺預かり
にしていた私を気遣う彼は、私が生家を売却して得た売
却益で、裏庭に私の母の墓を建立しようとも言い、私の
旧姓で母のお墓を建立させてくれたんです。
死別された奥様のお墓は彼の代々から続く先祖の墓石
に納骨されているものの『これなら亡くなった私の母も
寂しくはないだろう』という彼の気持ちが嬉しく、再婚
以来、一度も私を求めて来る事も無かったんですけど、
亡き母の墓が裏庭に建立されたその夜。
私は自ら彼の眠る寝室に出向き、裸の身で彼の布団の中
に潜っていました。
離婚した彼のように、抜群なスタイルを持ち合わせてい
る訳でも無く、お世辞にもハンサムとは言い難いルック
スの彼。
裸で布団の中に潜って来た私に対し、『無理しなくて良
いよ?』と何処までも優しい口調で言い、そんな彼の優
しさに涙が込み上げ、寝静まった寝室に泣き声を浮遊さ
ていた私。
どうにも自分の気持ちが治まらず、彼のブリーフを強引
に引き下ろし、萎えたままのぺ〇スを私の右手で手淫し
、微かな反応を見せ始めた肉塊を口に咥え、精一杯の感
謝を顕わすように、懸命にフェラを施し続け、30分近い
口戯ののち、私の口腔で白濁の証を放ってくれた彼。
気まずそうな横顔を覗かせ『余計な気を使わせたね..』
と言うと、傍らの私に背を向けていたのです。
彼が言った
『息子の食事と世話を焼いてくれるだけで良いから...』
と云うのは本当だと知り、それが死別した奥様と、一人息子を
大切に想う彼の正義であると悟りました。
当時の私は35歳で彼も49歳。男盛りで性欲だってまだま
だ有った筈...。
太志君(ふとし君)も合格を果たした国立大學の二年生と
なり、精悍な好青年に成長していました。
当初はぎくしゃくしていた太志君との関係にも変化が見
られ、大学の二年生になる頃には、私と二人で近所のレ
ストランで食事をするのも自然になり、大學の級友の話
しを聞かされたり、私に対するわだかまりも無くなり、
一見すれば私は若見えのする母親で、仲の良い親子にも
映っていました。
そんな夏の事です。
とにかく蒸し返すような真夏日が続き、主人は自営で営
む会社へと出社し、夏休みながら、太志君は所属してい
たラクロス部の練習で大學に行っていたのです。
私はそんな炎天下の下、目立ち始めた雑草の草むしりを
終え、膨大な敷地面積の庭に散水をしていたせいもあり、
身に着けていたTシャツやショートパンツは汗塗れになり、
、昼日中ではありながら、浴室でシャワーを浴びるその
時でした。
時刻は午後2時を少し廻った頃。
私はぬるま湯を張った浴槽に浸かり、ハーブオイルの芳
香に安息を覚えていた時でした。
ふと浴室の引き戸に人影が浮かんだ感じを覚え、その
意匠の磨り硝子越し『太志君帰ったの?』と声掛けをし
たのですが反応が無く、そのまま浴槽に浸かっていたの
です。
気分的に汗臭い躰でいるのも嫌で、結果的にシャンプー
で髪も洗い、躰の隅々も泡立てたボディソープで洗い流
し、浴室の引き戸を開け、脱衣場に出たその時でした。
『お母さん、入ってたの?』そういう太志君は下着一枚
の姿になっていて、汚れたラクロスのユニフォームを手
に、茫然と立ち竦んでいました。
余りの咄嗟の事で、剥き出しの乳房を泡てて両手で覆っ
たものの、少しだけ残した陰毛越し、私の女陰は丸見え
の状態でした。
『ゴメンお母さん..』
顔面を真っ赤に紅潮させ、逃げるようにその場を後にし
た太志君。
その姿が何とも愛しく映り、私は裸を見られた事の恥ず
かしさより、ボクサーパンツ一枚で逞しい肉体美を見せ
た姿が脳裏に焼き付き、恥ずかしい事に、その夜はなか
なか寝就けずにいたのです。
主人となった彼とは再婚当初から寝室が別々。
彼の寝室兼書斎は一階の応接室の隣で、私は二階の
8畳敷きを与えられ、セミダブルのベッドに豪勢な化粧
台が備えられ、一人用には充分過ぎるクローゼットも設
えられていて、壁一枚を隔て、太志君の部屋と隣接して
いたのです。
翌朝いつも通りに起床し、朝食を済ませた主人を玄関先
で見送り、慌ただしく起きて来た太志君に好物のオムラ
イスを用意し、何事も無かったかのような素振りを見せ
ながら、大學でのラクロス部の練習に向かっていました。
私もそんな太志君に安堵しつつ、思春期の彼を思い、今
迄一度たりとも彼の部屋に入った事は無かったんですけ
ど、何となく怖いもの見たさも手伝い、気がつけば太志
君の部屋の扉を開け入っていました。
綺麗に整頓された書棚に埃一つない机上。
大柄な体格に見合うベッドはダブルベッドで、何気なく
覗いたベッドの下に、今では懐かしい経験となったアダ
ルトビデオが忍ばせてあり、驚く事にそのタイトルバッ
クが『美しい叔母との親近相姦の果て』と謳われていた
のです。
年頃で健康な男性なら正常な現象とも思いつつ、私には
そのタイトルバックが妙に気になり、太志君が不在な事
を良い事に、そのVHSビデオを階下のリビングに持ち寄り
、ビデオデッキプレーヤーで再生させていたのです。
見覚えのある内容は、かつてレンタルビデオの営業職に
就いて居た当時、実際に視聴していた古い作品でした。
数年振りに鑑賞するアダルトビデオ。
再婚した主人から、その後もセックスを求められること
も無く、TV画面に繰り出される淫らなSEXシーンの連続を
眼で追い、大好きだった男優さんのぺ〇スが画面一杯に
映し出され、その立派過ぎるぺ〇スを跨ぎ挿れ、淫らに
腰を旋回させる女優さんが下から舐めるようにズームア
ップされると、高鳴る興奮と欲情が私の子宮の奥を疼か
せ、花柄のフレアスカートの裾を腰高に手繰り寄せると
、そのままショーツも脱ぎ下ろし、既に充分潤っていた
秘芯の奥に指先を潜らせ、朝から自慰に耽ったのです。
自慰に酔いしれるのも久しぶりの事で、淫らに掻き回す
膣奥からは、湧き上がる満ち潮さえ放っていました。
(太志君も盛んなお年頃ね、こんなビデオで妄想を膨らま
せ、オナニーのネタにしてるのね...)
いつしか太志君の存在を男として意識し始めていた私。
洗濯用の脱衣籠の中、放り入れられた太志君のボクサー
パンツを手にし、自ら鼻先で嗅ぎ取る若い雄の獣臭。
ほんのりと、甘酸っぱい汗と入り混じる芳香は、私自身
を堪らなくセクシーな気分にさせていました。
やがて8月も終わりが近づく熱帯夜の夜。
冷房嫌いな私は窓ガラスを開け、網戸とレースのカーテ
ン越しに外気を取り入れ、尚且つサーキュレーターを作
動させる事で部屋の熱気と湿度を逃がすようにしていた
んですけど、その夜は凄い熱帯夜で、何度も深夜に目覚
めてしまい、気がつけば私が着ていたパジャマは汗塗れ
で、余りの不快感に替えのパジャマを取り出し、寝鎮ま
った深夜だった事もあり、私は下着も着けずに替えの
パジャマに着替えると、足音を忍ばせながら階下の浴室
の引き戸を開け、まだ微かな温かみの遺る浴槽に躰を浸
からせ、開け放った窓の網戸越し、蟋蟀達の囀りに耳を
澄ましていた時でした。
浴室の引き戸には採光を兼ねた磨り硝子が意匠的に填め
られていて、私が以前感じた時と同じように、その磨り
硝子越しに人影が動くのを見覚えると、その人物が太志
君である事を即座に理解し、これから起こるであろう事
も、不思議と予見していたのです。
『そこに居るの太志君よね、眠れないの?』と、あざと
く声を掛ける私に『入って良い?』と返す太志君。
俄かに高鳴る心臓を必死に抑え『入ってらっしゃい』と
優しく返していました。
脱衣場でパジャマを脱ぐ衣擦れの音色が私の鼓膜を擽り
始め、ゴクリと息を飲み干し、静観する私の眼に映った
モノは、磨り硝子越しに浮かんだ太志君のぺ〇スがモザ
イクを掛けられた様に浮かびあがり、浴室の引き戸を静
かに開け入って来たのです。
染み一つ無いような綺麗な肌を惜しげも無く曝し、私の
眼の前で揺らがせる逞しくも立派なぺ〇ス。
気恥ずかしそうに性器をシャワーで洗い流し、狭い浴槽
に太志君が浸かると、溢れ出る湯水とともに、私達の体
も密接していました。
(この状況で何をどうしたら良いの?)
私は自分自身に問い掛けながら、逸る欲情を抑えられず
、浴槽の縁に太志君を座る様に促したのです。
勃起していた自身のぺ〇スを両手で抑え込む様に隠し、
恥ずかし気に俯く太志君が堪らなく可愛く映り、私は自
らその大きな手を払い避け、まじまじと見つめていまし
た。
『ねぇ太志君、大學二年生なら女性経験は済ませたの?』
何食わぬ顔で問う私に、まだ済ませて無いと言う太志君。
『私の裸が見たかったのね?』
と続ける私に、言葉なく頷いて見せたのです。
私の興奮もマックスで、目の前で弓なりに模らせたぺ
〇スに右手を添えていました。
『凄く大きいね、こうやって処理してるんでしょ?』
握り捕らえた右手で優しく扱き始めると、太志君のぺ〇
スは、より一層硬く漲っていました。
『お父さんに知れたら面倒よ、後で太志君の部屋に行く
から、待てる?』
私がやんわりと言い聞かせると素直に浴槽から上がり、
足音を忍ばせながら自分の部屋へと戻って行った太志君。
逸る欲情に身を任せ、勃起した太志君のぺ〇スを扱きな
がら、誘うようなセリフを発してしまった私の落ち度。
(そもそも太志君は再婚に伴った義理の親族。実際に血の
繋がりが有る訳でも無く、それにも増して、彼に発した
セリフに対し、今の私には責任が生じている...)
あれこれと錯綜する思いを巡らせながら、意を決した私。
脱衣場で濡れた躰を丹念に拭い、汗の退いた躰に再び
パジャマを直に着用し、念のため主人の眠る寝室に忍ぶ
ように向かい、静かに開けたその扉越し、健やかな寝息
を立てている主人に安堵し、一旦自室へと戻っていたの
です。
義理の息子とは言え、私から見た彼はとても魅力に溢れ、
意識しない事の方が不自然な程で、これから繰り返され
ようとする行為に子宮の奥を疼かせながら、素肌に化粧
水だけをパッティングし、全身には芳香なローズが香る
お気に入りのボディクリームをたっぷりと塗り混め、濡
れた髪を速やかにドライヤーで乾かし、少しでも太志君
の欲情を誘うよう、セクシーな黒いレース使いのブラと
ショーツを身に着けると、時刻は既に朝の2時を周ろう
としていました。
太志君の部屋の前で逸る気持ちを落ち着かせ、そっと部
屋の扉を開け入ると、ベッドの上で横たえる太志君が爛
々と輝く眼差しを手向けると、私はその熱い眼差しを全
身に受け、崩れ堕ちそうになっていました。
『待っててくれてありがとう,,』
声を潜めて言う私に抱き着き、Eカップの乳房を覆うブ
ラを外すと、無心になってしゃぶり始めた太志君。
久し振りに覚える感触に乳首も硬直し、自ずと太志君の
背中に両腕を廻していた私。
荒々しい舌使いでも電流の様に奔る快感が私に押し寄せ、
明かな硬直を感じさせるぺ〇スが私の大腿部を擦る様に
触れ始め、思わず背中に廻した右手で太志君のぺ〇スを
捕えた私は、その感触を指先の中で感じ取っていました。
『凄く立派なぺ〇スね、太志君に抱かれた女性はきっと
悦ぶと思うよ..』
忌憚のない感想を率直に述べる私に、レースの使いの黒
いショーツを強引に脱がし、いきなり挿入を試みようと
していたのです。
『待って、その前にしてあげるから..』
私の上に重なる太志君を仰向けに促すと、天を仰ぎ見る
ぺ〇スを弓形に模らせ、私はその肉幹を左手で支持し、
陰嚢から肉幹に向けて掬うように舐め上げると、堪らず
声をあげ始め、そしてその大きな肉幹を口腔深く咥え、
湿りを帯びた音色を弾ませながら、激しくスロートを繰
り返したのです。
『ああぁあ....っつ!もう出ちゃうよ、あぁ...っつ!』
アダルトビデオの視聴で学習し、嫌というほど覚えた私
のフェラテク。
初めて受けるフェラの洗礼で、呆気なく私の口腔の中で
果てた太志君。
敢えて手の平に吐き出して見せる私に対し、涙目で謝る
幼気な姿態。
『初めは皆そうなの、別に恥ずかしい事じゃないし、謝
る事もないの...』
萎え切れないぺ〇スを優しく揉みしだきながら、優しく
勇気づけていた私。
すると急に私を仰向けに組み伏せ、既に膣粘液が滴る私
の女陰を指先で開き、丹念に舌先を転がし始めた太志君。
『そう、そこよ。あんっ!そこがクリトリスよ!もっと
優しく舌先で触れるの、あぁあ..っつ!上手よ太志君』
女性器の愛撫の仕方を実践でレクチャーしつつ、快感の
静寂に彷徨い始めていた私。
私は硬く漲ったままの肉幹を右手に捕え直すと、自ら膣
口にあてがう様に導き、ゆっくりと挿入するように促し
ていました。
『あぁあ...っ! す、凄いわ太志君。メリメリと割くよ
うに入ってくる。そう、徐々に力強く突き還すの...』
大量の精液を放っていながら、瞬く間に復活して見せる
逞しい太志君のぺ〇スに貫かれ、衰えない若い精に、あ
っという間に昇天しそうになっていた私。
『中には出さないで、お腹の上に出すのよ?』
俄かに早まるストロークが続いた後、太志君は物の見事
に出し切ってくれました。
『初めてなのに凄く上手よ、いつかまた手ほどきしてあ
げるから、二人の秘密にしようね..』
優しく言う私に対し、満面の笑みを溢す太志君が堪らな
く愛おしく、私の膣粘液と精液に塗れたぺ〇スをティシ
ュで拭い、未だ萎え切らないぺ〇スを口に含み、私はサ
ービス精神旺盛に、数年振りにお掃除フェラまで慣行し
ていたのです。
およそ一時間に及んだセックスの実践的レクチャーを終
え、太志君の部屋を後にして自室へと戻ると、時刻は既
に朝の3時を周り、その数時間後には何事もなかったよう
にキッチンに立ち、太志君の硬く大きな余韻を膣奥に遺
したまま、私はいつもと変わらず朝食の準備に取り掛か
っていました。
この前夜を境にし、何時しかお互いに求め合うようにも
なり、年齢や互いの関係性も置き去りにし、或る時は狭
い私のベッドの上で躰を重ね、主人が取引先との会合で
不在の時は、リビングのソファーの上で、白昼から求め
合ったりもしました。
私の手ほどきの下、回を重ねる毎にオーラルテクニック
も上達し、様々な体位を実践させながら、太志君の人並
外れたぺ〇スが私の膣内に寸部の狂い無くフィットし始
めると、私自身にもたらされる快感も、回を重ねる毎に
高まっていました。
そんな歳月を一年間に渡って続け、大學の三年生になっ
た太志君が無事に成人を迎えると、何となく私を求めて
来る回数も少なくなり、主人が仕事上の事で名古屋に出
向いたタイミングを見計らい、成人した記念に銀座のレ
ストランに誘った時でした。
成人を自発的に意識したのか、スーツ姿の太志君はこと
さら恰好良く、それは思わず腕を組みたくなる程でした。
資産家の御子息らしく、銀座の高級店での所作も慣れた
振る舞いを見せる太志君。
イベリコ豚のソテーに赤ワインで煮込んだ鮑。
シャンパンボトルで祝杯をあげると、突然スマホを取り
出し、私に提示する太志君。
スマホの画面に映し出された女性はとても美しく、真剣
な交際を始めて3ヶ月だと言う。
『本気で好きになったのね?もう躰の関係は持ったの?』
矢継ぎ早に問う私に、数え切れないよと言う太志君。
(何時かこんな日が訪れるのは判っていた筈..)
私は自分にそう言い聞かせ、湧き上がる嫉妬心を抑え、
冷静さを装う私は努めて笑顔を滲ませると、高級なフレ
ンチワインのボトルを追加でオーダーし、太志君の成人
に纏わる祝杯を焼けになって繰り返すうち、何時しか酩
酊してしまっていたのです。
どれ程時間が経ったのかも判らぬまま、気がつけばホテ
ルのベッドで眠りに就いていた私。
室内を見渡すとボックスシートの片割れに腰を下ろし、
スマホを操作している太志君。
『お母さん大丈夫?』怪訝な表情を浮かべ、酔い潰れた
私を心配そうに見つめる太志君を捉えながら、垣間見る
腕時計の時刻は午後の3時を周り、目覚めを覚えた部屋は
、銀座のベストホテルである事を知らされたのです。
『ゴメンね、調子に乗って飲み過ぎて,,』
と嘯いて見せた私。
スマホを円卓の上に置き、俄かに立ち上がった太志君。
スーツの上着を脱ぎ、ネクタイを外しながらカッターシ
ャツを乱暴に脱ぎ捨てると、発達した胸筋と割れた腹筋
が目の当りに曝され、躊躇なくバックルを解き、ボクサ
ーパンツ毎スーツの組下のスラックスを脱げば、一糸一
枚纏わない、丸裸の肢体を曝していました。
『もう大切な彼女が出来たんだから駄目よ?』
私は心にも無いフレーズを並べながら、臍下に貼り付か
んばかりに、見事な勃ち具合を魅せるぺ〇スを、決して
見逃してはいませんでした。
『お母さんから教わった術で、最後に抱きたいんだ..』
うっすらと涙を浮かべ、懇願するように訴える太志君。
私も自然と涙が溢れ始め、両腕を掲げながら太志君を招
く素振りを見せると、膝下迄続くワンピースの前釦を優
しく解き始め、フロントホックのブラを手慣れた手付き
で外し、パンストを引き下ろす丁寧な所作は、交際を始
めた彼女との、度重なる経験を物語るかの様でした。
やがてパンティ―に手が掛かった瞬間、慌てながら
『シャワーを浴びるね?』と言う私を制し、私の匂いも
好きだと宣う始末。
言われるまま身を委ね、私の両脚をマングリ返しにし、
丸見えになった私の女陰に舌先を潜らせた太志君。
『お母さん僕を見て、凄く美味しいよ,,,』
厭らしく舌先を伸ばし、見せつけるように啜り舐める淫
靡な舌使い。
格段に上達したオーラルテクニックは、瞬く間に私の蜜
を溢れさせていました。
『あぁあ,,っ!凄く上手くなったね、もっと小刻み
に震わせるの。あっ、あんっ、き気持ちいぃい..っつ!』
白昼のホテルの一室で、誰に憚る事無く声をあげた私。
そして巨大なぺ〇スを揺らがせながら、そのまま私の
顔の目前まで這い上がって来た太志君。
『お母さんのフェラ、存分に感じたいんだ...』
自ら勃起したぺ〇スを差し向けながら、愚直な迄に見せ
る卑猥過ぎる痴態。
私は差し向けられたぺ〇スを左手に支持し、アナルから
蟻の戸渡りへと舌を滑らせ、陰嚢を丹念に口に含み、そ
のまま肉幹へと掬い舐めると、雁首の括れに長い舌を巻
き付ける様に旋回させ、これ以上ないテクニックを披露
したのです。
『あぁ..っつ!す、凄いよお母さん。何処でそんな技を..。
今度はお母さんが一番好きだった騎乗位で..』
挑むような視線を投げかけ、私の躰を軽々と抱え上げ
ながら、自ら跨ぎ挿れる体勢を仕向けられた私。
『好きなだけ突き上げるから!自分で沈めて見せて』
いつも見せる可愛らしい表情を精悍な表情へと変え、
全身に奔る欲情に身を任せ、私はその弓形の造形を模る
ぺ〇スを手にすると、膣奥深く沈めたのです。
『あぁあぁ...っつ!す、凄く素敵よ太志君。気持ちい
ぃい..っつ!もっと、もっと一杯突きあげてぇ,,,』
私の懇願に応えるように、一層激しい腰使いで突き上げ
られ、あっと言う間に昇天を迎えた私。
やがて筋肉に覆われた胸板に両手を着き、粗い呼吸が鎮
まるのを待つと、前屈みに伏し、互いの舌を絡ませ合っ
ていた私達。
その数分後には萎えたぺ〇スがヌルりと抜け落ち、私達
の最後の艶舞に幕が下ろされたのです。
再婚から19年の歳月が流れ、当事17歳だった太志君も大
學を卒業した後に主人の会社の後継として入職し、大學
の三年生になり、成人を祝う銀座のレストランで恋人の
存在も聞かされ、無事にその恋人とも結婚を果たし、今
では可愛い孫娘も誕生し、36歳となった今は有能な営業
部の課長として、第一線で働いています。
皮肉な事に、太志君のお嫁さんになった女性は私がレン
タルビデオの営業職に就いていた当時の顧客先のお嬢様
で、雪深い新潟で育った悦子さんと云う方で、時代の流
れに押しつぶされ、生家のレンタルビデオ店は廃業され
、今では細々と暮らしていると知りました。
66歳になった主人もすっかりロマンスグレーに染まり、
私が与えられていた8畳敷きの自室は孫娘に譲り、今は
一階にある主人の書斎兼寝室で、布団を並べて眠りに就
く毎日です。
そんな私も52歳になる初老のお祖母ちゃん。
年齢を重ねる度に浅い眠りになり、時折り目覚めを覚え
てしまう深夜は、二階の太志君夫妻の部屋の扉に聞き耳
を立て、漏れ伝わる悦子さんの声にほくそ笑みながら、
辛うじて潤いを滲ませる自身の性に、嬉々とした悦びを
感じます。
色々あった半生ですけど、女で生まれ来れて良かったと、
しみじみ思える今日この頃です。