僕が幼い頃に父親が、母の妹と再婚したらしかった。
高校入学の時まで気づかなかった。
たまたま入学書類の家族の戸籍謄本を見た時に実母親は病死していた。
現在の母が妻になっていた。
母の戸籍謄本で、産みの母と姉妹である事もわかった。
今までママって甘えていた人は、他人と思うと、複雑な気持ちになった。
なんせ甘えん坊だった僕は、小学生高学年までも、母と一緒のお風呂に入っていました。
周りの同級生達は、1人で入っていました。
だから「賢治は、まだかあちゃんと風呂に入っているの?」ってからかわれていました。
いつかは断らないととは、思っていました。
いつもお風呂では、「ケンちゃんのおちんちんも、パパの遺伝で、こんな立派になったわねぇ(≧▽≦)」
って触られていた(?_?)
これは、幼い頃からの母のスキンシップでした。
ガキンチョの時には、何でも無かった。
でもだんだん妙に恥ずかしい?
照れくさい。
「ママぁ(槌―槌槌)」って恥ずかしさでうつむく。
何故かしら?
恥じらいを感じる様になってきました。
母には、幼い頃からよく触られたり、
「ちゅ」っておちんちんに、唇を当てられていました?
それが成長すると、おちんちんを、触り、頬ずりするだけではなくなった(?_?)
おちんちんを、食べられる様にもなっていた。
幼い頃から母には、フェラチオされていたんですね(≧▽≦)
僕は、同級生達よりも成長遅かった。
性知識も、乏しかった。
母の行為が、愛撫とわかったのはずーっと先になってからです。
なんせ小学生高学年になっていても、
母の大きなおっぱいに、甘えて、乳首を
くわえての一緒の布団で寝ていた。
いつまで経っても、赤ん坊でした。
なぜだか大きなおっぱいが、大好きだった。
母の乳首くわえると、安心するのか?
母も、僕を抱きしめながら、頭を撫でてくれた。
この頃は、僕一人っ子だったから母も父も、甘やかす。
兄弟が、なかなかできなかったのは、
父から母を奪い、独占していたからかもしれない。
母は、幼稚園の先生だったらしく子供が、大好き、姉の子供の僕を溺愛していた。
今で言うマザコンの男の子といつまでも子離れしない母親ですよね。
そんな僕も、同級生達と女子のスカート
捲り遊びを始めた。
当時が流行ってた。
女子達には、担任の先生に言いつけられた。
悪ガキグループは、残らず捕まった(泣)
1人ずつ担任の女の先生には、先ずは教室で正座させられた。
若い女子大卒業のメガネかけた真面目な先生には、凄く怒られた。
美人の憧れの女の担任の先生だったので、
それだけにショックだった。
そして親呼び出しされ、校長先生の部屋で、担任の女先生と学年主任の男の先生とおじいちゃんの校長先生の前で説教された。
憧れてた女の担任の先生には、「なんで賢治君まであんな事したのぅ。」
って泣いていました。
僕は、勉強出来たし、優等生的立場だった。
だから先生には、可愛がられていた。
だから僕も、泣き出す。
母は、担任教師を慰めながらも、何度も頭下げ謝っていました。
学年主任の先生と校長先生は、「賢治君も、成長過程です。
家族でも、話し合いしてください。」
って悪ガキグループよりは、怒られなかった。
母には、唯一のもの救いだった。
翌日女子達には、全員で謝る。
昨日帰った後で他の同級生は、父親に殴られたり、母親とおばあちゃんに、お灸の説教されたらしかった。
お灸などあった、昭和の時代でした。
我が家は、違った。
先ずは母の教育された。
帰宅した時に母はいつもどおりに、お風呂に誘う。
「1人で大丈夫だよ(槌―槌槌)」って断る。
さっき女子にエッチな事した後だから、
なんだか気まずく嫌だった。
ところが、「ケンちゃんには、お話しあるからだめです。」って服を脱がされた(泣)
母も、服を脱いだ。
その時に、女子とは違う下着も、外していました。
水色のプラジャーです。
パンツも、ツルツルした水色の透けたものだった。
女子とは、違ってパンツの真ん中の膨らみが黒い(?_?)
僕のイタズラした女子達のパンツは、
当時流行りのアニメのシリーズの絵柄の入ったパンツとかと白いパンツだった。
それと母親のは、全然違う。
女子のスカートの下のパンツとは、違う事に初めて気づいた。
女の子の身体の違いの為の下着の違いとは、まだまだわかっていなかった。
本当に幼かった。
その時に、おちんちんが、ムクムクってむず痒い(?_?)
余計にどうして良いかわからなくなった。
母の下着を、見つめる僕を母も見ていた?
嫌がる僕は、母にお風呂に引き込まれた(泣)