風呂に入るといつもどおりシャワーを、かけられた。しかしながら冷たい水のシャワーだった。もう陰毛も、うっすらと生えてきた皮かぶったちんこを、「ケンちゃんも、少しずつ大人になって行くのねぇ(≧▽≦)」って触られた。いつもどおり触りまくられて、頬ずりされた。本当に母って僕のおちんちんに、興味津々だった。一瞬寒気したけれども、頬ずりといつものもぐもぐとちんこを食べれると身体が、ポカポカしてきた?久しぶりの母との一緒のお風呂です。その頃父親が、夜勤のシフトも加わりまして、僕が学校から帰った時には父が、先に風呂に入っていた(?_?)だから父と入る事が、多くなっていた。「賢治も生えてきたかぁ(≧▽≦)これからは、此処をこうして剥いて洗いなさい。」ってちんこの皮剥きの洗う事を教わった。今まで母とばかり風呂に入っていたので、父と男としての教えは、なかった。此れが初めての指導だった。たまに学校が、早めに帰れる時があった。そんな時には、夫婦で風呂に入っていた。中からは、「ぅ、うう~ぅ、うう~ん」って父の鳴き声?母が、「悪さしてないかなぁ?」父が、「してません。あっ、あう~ぅ。」「ならばご褒美ねぇ。」って優しい声がしてその後は、母の声はしなくなる。その代わりに、「ぐちゃぁ、ぐちゃぁ、もぐもぐ、ぺろり、ペロペロ」って変な音と、「あっ、ぅ、凄い~ぃ。これをしてもらえるから絶対に悪さしません。」って父の悲鳴?父が母に、いじめられて、泣かされているの(?_?)なんか声かけられずに、自分の部屋に入った。その後の両親は、ニコニコ仲良しになってたので安心した。女の子にイタズラした後の久しぶりの母とのお風呂で、甘えられると思い嬉しかった。ところが、父と同じか?それに似た事を、母にされた。おちんちんを食べられると、擽ったいけれども、なんとなく気持ち良くて母のフェラチオは、病みつきになっていた。勿論フェラチオとは、知らなかった。「ケンちゃん、女の子のスカート捲りは、だめよ」。っておちんちんを、叩かれた。「パチン、パチン」っておちんちんを打たれた。「痛い、ママやめてぇ。」「女の子は、あなたにパンツ見られると、身体と心にこんな痛みを感じるのよ。パチン、パチン」って何度も、叩かれた。甘えられると思いきや、苦痛を与えられた。いわゆるアメとムチの使い分け(槌―槌槌)父親に殴られた同級生もいたが、僕は母におちんちんを叩かれた(泣)それに金玉袋も、「むぎゅう。むぎゅう」ってつかまれて玉も指先で、「ぎゅう~ぅ。ぎゆう~ぅ。」ってつみれた(泣)「もう悪さしない?」って言われた。「ぁ、あぅ~ぅ。」って泣きながら、何度も首を立てに下げた。凄く痛くて、声すら出なかった。なんせ男の子の急所を、責められているんです。激痛だった。「あなただって痛いのは、嫌でしょう?女の子は、もっと痛いし、恥ずかしい気持ちだったのよ。身体と心も、凄く痛かった。」って初めて怖い顔つきでした。何時もの優しくニコニコしていた母の笑顔は、全然無かった。現在だと性虐待的行為ですよ(泣)「もうしない。」「本当にしないと、約束できる?」っておちんちん叩きとつまみの痛みに耐えきれずに泣き出す。湯船のヘリに、座り泣いちゃた。後ろ向きでお尻も、叩かれた。お尻が、じんじんと痛くなるまで叩かれた。ちんことお尻を、交互に叩かれた。湯船のヘリに、「そこに座りなさい。」って言われた。お尻には、手のひらの跡がついていた。座る時には、「痛ぁ。」って飛び上がる。それ程に、叩かれた。やっと痛み堪えて座る。しばらくすると、僕の顔の高さになって、「ママはねぇ。ケンちゃんが、悪い男の子にはなる事は嫌なのぅ。ならないでほしいのよ。」って抱きしめられた。こっぴどく怒られた初めての経験でした。「ママ~ぁ。」って泣きながら大きなおっぱいに甘えて、「もうしない。もうしない。」って泣いた。
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お仕置きが、終わった母の顔つきは、いつもどおりの優しい顔になっていた(?_?)「しばらく見ない間に、ケンちゃんも、毛が生えたのね、それじゃあ此処を洗わないとねぇ(≧▽≦)」って竿を左手で支えながら、右手指先で、皮をゆっくりと下げられた (*´∀`)父にも皮剥きされたけれども、母の手のひらは、すべすべしていて、柔らかくて痛くなかった。母親は、ぬるま湯をシャワーで当てながらと父よりも手際よく上手かった。張り付いている皮を、「ぴきっ。」って剥く。「痛ぁ。」って目からは、涙が出た。「痛いのわかるけれども我慢しなさい。怖い病気になってほしくない。」って母が、僕の前に座り雁くびれに長年張りついている皮を剥く。赤々の綺麗な亀頭が、現れた。「はぁはぁ( ´Д`)=3」って、痛みとなんか興奮していた?息荒らげて耐えてた。「あらあらネバネバも、出てくるぅ(≧▽≦)」って母は、嬉しそう。この現象は、僕自身も初めて見ました。オシッコとは、違ってぬるってしていた。母はちんこに近づき夢中でした。精通が、少しずつ近づいていたんですねぇ。恥垢を、親指と人差し指で擦りながら剥がし取った。母が、近づくと股開き風呂椅子に座り体制を整える。凄く気合い入れてた(?_?)母親の性器のまんこは、陰毛に隠れていたがひだの部分が見えた。その時初めて女性性器を、意識して見た。水色パンティーに隠れているのは、こんな形のものなんだぁ?スカート捲った女子も、こんな形なのかなぁ?少女時代は、縦筋ワレメなんですね。成長するとドテ盛り上がるひだ開くまんこになるとは、知らなかった。本当に幼いガキンチョでした(笑)そんな痛みに堪えながら母親の性器には、目が釘付けになった。好奇心で少し紛れていた。でも「きゅうきゅう。」って擦り取られる痛さにのけぞった。産まれてからぶ厚い皮に守られ、今までに、空気に触れない雁くびれ部分です。槌かれてひっくり返る皮の張り付きは、かなりしぶとい。母の容赦なく剥きには、暴れて風呂の壁に、頭が「がつ~ん」ってぶつけた。「うえ~ん(/_;)、」って泣き出す僕を、大きなおっぱいの乳首をくわえさせながら、「ごめんね。」って頭を撫でられた。やはり母のちんこへの興味は、異常なほど強かった。まあ父親ゆずりの大きなちんこは、同級生の中でもいなかった。息子が父親と同じく大きなちんこは、母親よりも女として見られていたかもしれない。たまに家族で、広いお風呂のあるスバに行く時にも変な体験している。なんせサウナ好きの父親にも、子供なのにどこでもついて行く。子供なのに、サウナ室に入る。お店からの注意事項では、禁止されている。父と一緒の時には、何も起らない。ところが僕は、暑苦しいので出入りが頻繁です。父が出て水風呂につかっている時には、おじさん達が、横に近寄る。「僕何年生かなぁ?」ってニコニコして聞かれる。「小学生6年生です。」って答える。「それにしては、おちんちんが大きいねえ(≧▽≦)」ってふとももに手が置かれる。大人みたいにタオルなどでは隠さない。ツルツルの下半身の頃などは、たくさんのおじさん達に注目された。ちんこのデカい小学生の男の子です。中年のおじさんのちんこよりも、僕の皮かぶった包茎ちんこの方が、デカい。ちょびっと陰毛の生えた時には、おちんちんを、食べられてしまいました(槌―槌槌)幼い頃から母に、食べられていたので、それほど驚かない。いわゆるゲイのおじさん達に、父親がいない時を狙っておちんちんを舐められていました。まだまだ精通していないが、気持ち良かった。小学生にして、大人の男性達にちんこ狙われるほどデカいちんこだった。完全に父親ゆずりの遺伝です。陰毛が生えた頃には、お尻も舐めるおじさんがいた時にはさすが逃げた。だって○○○出す汚い場所だもん。子供でも嫌がる。「擽ったいよぅ。」って身体を捩る。快感はなく恥じらいが、残った。おじさん達には、射精しないけれどもたくさんイタズラされていました。
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女子達にスカート捲りのイタズラしたのが、小学6年生になったばかりの時だった。母親には、ちんこ叩かれのお仕置きされた。父親にも、初めて思い切り殴られた。ぶっ飛んだ(泣)同級生達と同じだった。でも父親と夜にまたお風呂に入った時に、言われた。「賢治が、女の子達にした事は、悪い事ってわかったな。」「ごめんなさい。」「だがな男ってそういう動物なんだよ。パパも、お前くらいの時同じ事して親父に殴られた。」「えっ(*_*)、パパもぅ。」「賢治もおじいちゃんが、剣道の先生していたの覚えているかなぁ?パパの時は、剣道の竹刀でボコボコに叩かれた。怖かったよ。肩と背中が、竹刀のあざだらけになったよ。その時におじいちゃんに言われた。男の子は、女の子をいじめてはいけない。他の男の子が、意地悪していた時には守ってやれ!そう教えられた。だからパパも、賢治に同じ言葉を送る。女の子を守れる男の子になって欲しい。」「うん。」「だから2度と同じ事は、するなよ。」「うん。」「夏休みになったら、おじいちゃんの所に、遊びに行こう。」って言われた。幼い時に遊びに行った時には、初めての男の子の孫だったので、優しいおじいちゃんとおばあちゃんだった。僕は、「うん。」って嬉しかった。夏休みが、待ち遠しい。「それからもうパパ、ママと言う呼び方は、やめなさい。親父とおふくろと言う呼び方にしなさい。それから《うん》はだめだ。わかった時には、「はい。」と元気よく答える。もうそこに、毛が生えてきたから子供扱いはしない。大人の男として、厳しく鍛える。そのつもりでいなさい。」「はい。」と元気よく答えた。その後で、親父に、「ぎゆう~ぅ。」って抱きしめられた。親父に抱きしめられるなんて、あまり覚えていない。おそらくは、初めてかなぁ。でも夏休みの時には、1人でおじいちゃんとおばあちゃんの家に行かされた。そんな田舎のおじいちゃんの所に、「夏休み中は、おじいちゃんの所で、鍛えてもらえ。」って送り出された。「此れが我が家系の男の子の試練だ。」って親父に肩叩かれ送り出された。最寄り駅にも、送ってももらえず全て1人で、電車など調べておじいちゃんの家までなんとかたどりついた。到着早々に、おじいちゃんには、「賢治裸になれ!」って言われた。陰毛もちょびっと生えた僕の裸を見ておじいちゃんの目が、キラッって変わった。幼い時のおじいちゃんと言葉づかいが、変わった?「賢治大人になったなぁ。これから我が家計の男として扱う。親父と同じ言葉を言われた。大人の男の下着だ。」ってふんどしを渡された。ふんどしなど初めて見ました。勿論おじいちゃんは、ふんどし姿だった。夏だからシャツなど着ない。ふんどしでの生活から始まった(泣)テレビでお祭りの時しかふんどしなんて見た事なかった。そのふんどしでの生活が、始まった。おじいちゃんの家は、農家だったので朝早く起こされる。ふんどしを、「きちっと締め直せ!」って起き抜けに怒鳴られる。初日からわんわん泣きました。ふんどしは、一週間くらい1人でまともに締められなかった。締められないと、全裸で暮らさないといけなかった。恥じらいやどんなに泣いても甘えは、許されなかった。田舎にも子供達は、いました。男の子は、皆ふんどしをきちんと締めて農家の仕事をもくもくとしていた。同じ年頃の女の子達も、パンツ姿だった。恥じらいもなく同じくもくもくと家のお手伝いをしていた。僕の全裸など気にしていなかった?そんな環境に、おじいちゃんに泣きながらふんどしの締め方を、教わった。一週間後なんとかふんどしを締められる様になった。初めてふんどしをきちんと締められた日に、神棚に、怖挨拶できました。でもその後に竹刀の素振り100回してからの畑仕事のお手伝いをする。やっと8時頃に、朝食を食べれる。
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