当時の家族構成は
私58歳 定年退職して趣味で小さな畑を耕していた。
妻55歳 スーパの正社員
息子30歳 会社員
息子の嫁32歳 専業主婦
晩秋の陽だまりのなかで、昔のことを思い出していた。
「いい日 旅立ち」
ラジカセのテープから流れるこの哀愁をおびた曲を、何度も何度も聴いていた。
10年余り前、突然死した息子の嫁の遺品の中にあったテープを再生していくうちに見つけたテープの一つだった。
特に心を打たれた曲だった。
その歌詞の意味をなぞるうちに、なんて悲しい曲なんだろうと思うようになった。
死地への旅立ち。
死に場所を求めてさまよう女の旅路を歌っているように思えた。
亡くなった嫁の私たちへのメッセージではなかったのか?
その頃の嫁の心境を物語るような曲だった。
息子との結婚生活3年余り、女の子を出産して僅かに3日後の死だった。
生まれる日を、家族みんなが楽しみに待っていた。、
しかし、嫁はわが子を胸に抱くこともなく、突然に逝ってしまった。
嫁は帝王切開ではあったが、順調に回復していたはずだった。
その前の日、私はいつものように病室に見舞いにいくと、にこやかな笑顔を見せていた嫁だった。
容態が急変したと、病院からの連絡を受けた、私はすぐにかけつけた。
通された病室には、既に実家の両親がおられた。
お母さんの泣きはらした顔が視野に入ったとき、私は一瞬足がすくんで前に進むことができなかった。
病室の中では、顔に白布を被せられた嫁の姿を見たときは、私はその場に座り込んだまましばらく立ち上がることができなかった。
朝から連絡がつかず、やっと駆けつけた息子が白布をとり号泣した。
そっと覗き込んだ嫁の死に顔は美しかった。
このまま、永久に保存できないものかと思うぐらい美しさだった。
私は余りの悲しさに、嫁の死の現実を受け入れることができなかった。
不思議に涙もでなかった。
急性心不全による死亡だった。
初七日の法要が進むほどに、虚しさはますますつのり、四月になると桜の花の舞い散るさまを見ては嫁を思い、五月には裏山の若葉を渡る風の音に涙した。
四十九日の法要をすませたとき、嫁入り道具の数々がその華やかゆえに、なお悲しく、早い機会に引き取って頂く様に嫁の実家にお願いした。
今返されるとまるで嫁を返されるようで悲しい・・・せめて一周忌が済むまで置いてもらえないか・・・」といわれたまま一年が過ぎ去った。
嫁の部屋に置かれた主を失った三面鏡が、いかにも寂しげで涙をそそられた。
その後の一年ほどは、孫娘に添い寝をしながらいつもいつもこの曲を聴いていた。
本当に悲しかった。寂しかった。
ことの始まりは、息子の結婚前からのことだった。
息子が結婚したい人がいると、家に連れてきたのが亡くなった嫁だった。
反対したのは私の妻だった。
理由は、年上の人とは結婚は許さないと、頑なに反対した。
二歳年上、それだけの単純な理由ではないことは、私は知っていた。
一人息子を溺愛するあまりの反対であることは分かっていた。
息子をとられるようで、単なる彼女への嫉妬だった。
私には反対する理由はなにもなかった。
むしろ、息子にはもったいないくらいの容姿端麗なお嬢さんだった。
反対する妻を説得したのは、私だった。
妻からの結婚承諾の条件とは、私たちと同居すること。
仕事はやめて専業主婦として家事全般をすること。
そして、彼女は勤めていた会社を退職して、専業主婦として同居することになった。
専業主婦といっても、三人の食事の用意から、洗濯、掃除とまるでお手伝いさんと変わらない重労働だったと思う。
普通は結婚するとせめてアパートでも借りて、数年は新婚生活を楽しむのが常識だった。
そして子供ができてから同居するのも悪くはないと思っていた。
同居してからの妻の彼女に対する態度は、更に冷ややかになっていった。
彼女のすることなすことに、まるで重箱の隅をほじくるように、いやみをいった。
私と息子のいる前では、円満な嫁と姑を演じていた。
さらに、自分の仕事のストレスを解消するかのように、彼女にあたり散らした。
一言も口答えしない彼女には、なおさら不憫を感じた。
数ヶ月が経たったころには、見る影もないほどやつれていった。
一人で泣いている姿を、何度か見かけたこともあった。
あまりのひどさに、私は妻に苦言を呈したが、退職してぶらぶらしている私には、昔の夫としての威厳などなくなっていた。
表向きはわかりましたといったものの、2人の関係は修復出来ないところまできていた。
息子にもそのことを話したが、昔から母親には逆らえない子供だった。
大人になっても、ひとりの男として自分の妻を守る気概はなかった。
彼女から母とのことは相談を受けたが、どうしようもないから、少し我慢してくれと
いったまま、なんの解決方法も見つからないといった。
息子にその都度、話すが、仕事が忙しいと理由をつけては避けられた。
あげくの果てには、帰宅する時間さえ遅くなっていった。
休日すら、仕事だといっては、家を空けることが多くなった。
私の力で何とかできないものかと色々考えを巡らしたが、これといった妙案は浮かばなかった。
とりあえず外で体を動かせば、少しは気分転換にはなるのではないかと考えた。
そこで、私が日頃趣味程度に作っている、畑の世話を頼むことにした。
その畑は、家から数キロほど離れた山間の傾斜面にある10坪ほどの畑だ。
家から僅か数キロの山間ではあるが静かで澄みきった空気が心地よい場所だった。
2人で汗を流して耕す畑の土にまみれながら彼女の顔に少しは生気が戻ってきたように思えた。
それからは仕事があれば、雨の日以外は毎日畑仕事に精をだした。
数ヵ月後には、多くの野菜を収穫できた。
近所にも多くの野菜をおすそ分けできた。
収穫できたのは野菜だけではなかった。
黒く日焼けした彼女の元気な顔と、体にため息がでるような安堵感を覚えた。
彼女も、私を本当の父親のように接してくれた。
お互い冗談まで言い合える仲になっていた。
女の子を持つ父親の気持ちが、少しはわかるような気がした。
彼女を思う愛おしさの中に、今までにない至福の感情がわきあがるのに、
なぜか戸惑いを覚えた。
それは初夏の日差しの強い、木々の緑がまぶしい日だった。
2人でいつものように朝から畑仕事に精をだしていたときだった。
昼になり、彼女が作った弁当を2人で食べて休憩をしているときだった。
急激な空模様の変化と共に、大粒の雨が降り出してきた。
山間の樹木の間に立てた一坪ほどの小さな物置小屋で、雨宿りすることにした。
雨が止む気配がないまま、遠くで稲光と落雷の音が聞こえた。
だんだん近づいてくる落雷の音に、不安を感じながら雨の止むのを待っていた。
そのとき急激な落雷の音と共に大きな地響きが、体全体に伝わってきた。
恐怖のあまり、気がつくと2人はしっかりと抱き合っていた。
どれだけの時間が経ったのか、彼女の震える体温をじかに感じていた。
いまだに震えが止まらない、彼女の密着した汗まみれの体の感触と匂いは、遠く忘れ去っていた心地よい感覚を思い出させた。
落雷が去った静寂のなか、2人の間に言葉は無かった。
覚醒した私の体は、心までも覚醒したようだった。
戸惑う体の変化は、心の変化だけではコントロールできないところまで近づいていた。
そっと覗き込んだ彼女の顔に戸惑いはなかった。
目をそらさない彼女の瞳の奥で、私に何かを訴えかけているかのように感じた。
ためらいがちに顔を近づけていくと、そむけることも無く静かに瞳を閉じた。
私はそっと唇に触れた。
小さな震えが唇に伝わった。
マシュマロのようなやわらかい唇だった。
恐怖で乾ききった唇を、私の舌でなぞるようにして滑らかにしていった。
愛おしさがこみあげて我慢の限界に達した。
神聖な彼女の唇のなかを、まるで蹂躙するかのように長い舌を射し込んでいた。
しばらくすると、呼応するかのように彼女の舌が絡み付いてきた。
お互いの唾液が絡みついて卑猥な音をたてた。
唾液の交換は私の体に若かりし頃の自分を取り戻してくれたかのような感覚を味わった。
すでに長い間使う必要性もなかった男性機能が、まさに若かりし頃のそれと錯覚するほどの復活をとげていた。
自身の勃起した下半身に痛みすら感じた。
汗まみれの2人の体は、なおさらに卑猥さを助長するかのようだった。
どちらからともなく、上半身の雨と汗で濡れた服を脱いでいった。
日焼けした彼女の顔と、服に隠された白い肌のコントラストに思わず見惚れてしまった。
「お父さん、そんなに見られると恥ずかしい・・・そんなに見ないで・・・」
男の血が騒いだ。
倫理観を通り越した征服感が、男の本能を呼び覚ました。
上半身裸のまま2人は抱き合い、長い接吻をした。
彼女の下着を脱がすのも、恥ずかしいといいながらも、拒絶しなかった。
床に横たわる彼女の、全身の体のバランスは見事だった。
まるで雑誌のなかでしか見ることの出来ないほどの、均整のとれた見事な体だった。