忘れられないあの日から24年。
24年前の5月下旬の土曜。
あの日の夜、私と妻の母=義母栄子は初めて男と女として結ばれたのです。
当時、30歳だった私は妻の成美を亡くして2ヶ月、47歳だった義母は夫である義父の武志を亡くして7ヶ月。
私と妻は義父がなくなってから妻の実家へ移り住み義母と同居していたのですが、妻が亡くなって義母、娘の夫=婿の私、1歳の私の娘で義母の孫娘である和美の三人暮らしになり、成るべくしてなったと言うか・・・
妻が亡くなってから三人で暮らして行くうちに、私と義母はいつしか異性として惹かれ合うようになり、妻の四十九日が過ぎてからはお互いに相手への恋慕の情が募る一方で、あの日の夜、ついに我慢できなくなった私は意を決して義母の部屋へ赴き、自分の想いを告白したのでした。
私の告白と要求に対して義母は自分の本心に逆らって拒絶したのですが、私同様、義母もそれを強く望んでいる事がわかっていた私は義母へ迫り、強引に体を奪ってセックスしたのです。
ベッドに組み敷いた義母の唇を奪って激しく濃厚にキスした後、義母の体から身に着けている物を次々と脱がして行って全裸にし、私も全裸になって体を重ねると、小柄な体に比例して小さ目で乳首の色こそ茶褐色になってはいたものの、形が良くてふっくらとして張りがある年齢の割には若々しい女として魅力的な乳房を口に含み、強く吸い付いて舌で乳首を巧みに愛撫しました。
「ああ・・・ やめて・・・っ! 和伸さん・・・」
義母はそう言って抵抗の意思表示をしましたが、私の乳房愛撫によって興奮を覚えた乳首が次第に硬くなって行き、ピンと勃起してしまったのです。
乳房愛撫を終えた私は義母の下半身へ顔を移動させて、年齢の為、やや黒ずんだ色をしていた義母のヴァギナに顔を埋めると、舌と唇でヴァギナの至る所を愛撫・刺激しまくったのでした。
「ああ・・・ いや・・・っ! やめて・・・っ! お願い・・・」
義母は恥ずかしそうに言いましたが、体の方は正直で乳首が勃ったように、私のクンニによって義母のヴァギナは次第に熱くなって行き、いつしか膣内から愛液が漏れ出していたのです。
「おお・・・ お義母さん・・・ すごい・・・っ! すごいです・・・っ! お義母さんのオマンコ・・・ こんなに濡れて・・・ おお・・・ お義母さんのオマンコ、すごく素敵です・・・っ!」
私は物凄く興奮してしまって、かつて夫である義父のペニスと結合し、妻と妻の妹の幹恵が生まれて来た義母の膣内を舌で激しく掻き回したのでした。
「ああ・・・ そんな・・・ ああ・・・ いや・・・っ! 恥ずかしい・・・っ! ああ・・・ あっ・・・ あ、ああ・・・ ああっ!」
そう言って恥ずかしがる義母の声は明らかに快感を覚えている女のそれだったのです。
「おお・・・ お義母さんのクリトリス、すごく大きくなってます・・・ 成美のクリトリスはこんなに大きくなった事なんか1度もなかった・・・ おお・・・ 素敵です・・・っ! お義母さんのクリトリス、本当に素敵です・・・っ! 最高です・・・っ!」
私は最初、義母のクリトリスが妻のものよりかなり大きかった事にすごく驚いたのですが、私の愛撫・刺激によって通常の倍の大きさに膨らんでしまった義母のクリトリスは私の情欲の炎をますます燃え盛らせて行き、私は舌と唇で更に激しく義母の魅力的なクリトリスを愛撫したのでした。
「ああ・・・ いや・・・っ! そんな・・・ ああ・・・ 恥ずかしい・・・っ! 恥ずかしいわ・・・っ! ああ・・・ やめて・・・っ! ああ・・・ お願い・・・ やめて・・・っ! 和伸さん・・・ ああ・・・ あっ・・・ あ、ああ・・・ ああっ! ああんっ! あんっ!」
義母は恥ずかしそうに泣くような声で「やめて」と言いながらも、快感のあまり、思わず、女として悦びの声を上げてしまったのです。
そうして、義母のヴァギナを激しく濃厚にクンニした私は、興奮してすでに痛みを覚えるほどにビンビンに勃起していたペニスを義母の膣内へ挿入し、男と女として結合する事にしたのでした。
「ああ・・・ やめてっ! やめてっ! 和伸さんっ! それだけは・・・ それだけはいけないわっ! お願いっ! やめてっ!」
義母はそれまで以上に激しい声を上げて最後の抵抗の意思表示をしたのですが、私はもはや義母とセックスする事しか考えられなくなっていて、義母の意思を無視してペニスを膣口に押し付けると、思いっ切り腰を突き出して義母の膣内(なか)に挿入(はい)って行ったのです。
「あっ・・・ あ、あ・・・ ああっ!」
「おっ・・・ お、お・・・ おおっ!」
義母と私はお互いに声を上げ、遂に妻の母と娘の夫、義母と婿の私たち二人は男と女として体が一つに繋がってしまったのでした。
「おおっ! お義母さんっ!」
私は義母と繋がると、狂ったように激しく腰を振って、自分の全精力を注いだペニスで義母の膣内を強烈に突きまくり続けたのです。
私の激しい性運動に対して義母は左右の掌で掴んだシーツを握り締めて、婿の私とのセックスで感じてしまわないように、必死で快感に堪えていました。
それでも、
「あっ・・・ あ・・・ あ、ああ・・・ ああ・・・っ!」
と明らかに女として快感を覚えている声を何度も漏らしていた義母だったのです。
それに、私の性運動に応じて義母の膣は無意識のうちに私のペニスを僅かながらも、締め付けていたのでした。
「おおっ! お義母、さんっ! おおっ! 好きです! 好きです! おおっ! お義母さんっ! 愛してます! 愛してます! おおっ! お義母、さあんっ!」
私は全身に強大な快感を覚えながら、激しく腰を振り続けて義母へ愛の言葉を発したのですが、義母はなかなか私を男として受け容れようとはしなかったのです。
そうして、しばらくの間、義母と正常位でセックスした私は性運動を中断し、お互いの性器を結合させたままで上半身を起こすと、義母の背中に両手を回して抱き起こし、座って向かい合った前座位の姿勢になったのでした。
私は向かい合った義母のスマートで柔らかい弾力性のあるヒップを両手で鷲掴みにして抱え上げながら、正座した両足を崩してアグラをかくと、両腕を義母の背中に回して抱き寄せキスしたのです。
義母の唇を奪った私は両腕に力を込めて義母の体を強く抱き締めながら、かなり激しく濃厚にキスして、一つに合わさった口の中で自分の舌を義母の舌に絡ませたりもしたのですが、それでも、義母の方は決して私に抱き付こうとはせず、自分から舌を絡ませる事もしませんでした。
しばらくキスした後、私は両手で義母の腰の両端を掴んで自分の方に引き付け前座位でセックスする体勢を整えると、再び性運動を開始したのです。
「あっ・・・ ああ・・・ あ・・・ ああ・・・っ! あ・・・ あ、あ・・・ あ・・・んっ!」
義母は私のペニスで膣内を強烈に突き上げられ続けて、思わず、悦びのトーンの声を漏らしながらも、両腕を私の首に回そうとはしないで、自分に迫り来る快感に堪える為、両方の掌で左右の太股を掴んで強く握り締めていました。
「おお・・・ お義母さん・・・ すごい・・・っ! すごいですよ・・・っ! おお・・・ 見て下さい・・・ ぼくとお義母さんが繋がってるとこ・・・ お義母さんのオマンコ、こんなにビショビショになってますよ・・・ ぼくのチンボもこんなにヌルヌルになってます・・・ お義母さんのマンコ汁でこんなにヌルヌルに・・・ ぼくのチンボ、お義母さんの膣内(なか)を糸を引きながら、出入りしてます・・・ ぼくとお義母さんが愛し合ってる証拠です・・・」
私は自分と義母の結合部を見つめながら、興奮してそう言うと、義母は
「ああ・・・ いや・・・っ! ああ・・・ そんな・・・ ああ・・・ いや・・・っ! 恥ずかしい・・・っ! ああ・・・ 恥ずかしい・・・っ!」
と言ったのですが、それでも、しばらくして義母も私たちの結合部に目をやったのです。
私が性運動を繰り返して行くうちに、義母の膣が私のペニスを締め付ける強さが次第に増して来たのがわかりました。
膣の締め付けが強くなって来たのに伴って、義母の発する悦びの声も快感が増して来たものへと変わって行き、私は義母が私を男として受け容れてくれる事を確信して、更に激しく腰を振ってペニスに自分の全てを注いで膣内を強烈に突き上げ続けたのです。
こうして、それまでずっと抵抗の意思表示をしていた義母でしたが、体を奪われながらも、私とセックスしているうちに次第に快感に抗えなくなって来て、女の本能と自分の本心=私への想いに逆らえなくなった義母はついに私を男として受け容れてくれたのでした。
「あ、ああ・・・ ああっ! ああ・・・ ああっ!」
義母はそれまで以上に大きな声を発すると、快感に堪える為に握り締めていた左右の太股から両手を離すや否や、細目の両腕を私の首に回して強く抱き付き首を後方へ反らしたのです。
「ああ・・・ 和伸・・・さ、あんっ! ああ・・・ ああ・・・ イイ・・・ッ! イイッ! ああ・・・ すごく・・・イイッ! ああ・・・ ああ・・・ 感・・・じるっ! 感じ・・・るっ! ああ・・・ ああ・・・ 感、じる・・・っ! 感じ、る・・・っ! ああ・・・ ああ・・・ 和伸、さあ・・・んっ! ああ・・・ ああ・・・ あ、ああ・・・ ああんっ! あんっ! ああっ! ああ・・・ ああ・・・ 感、じる・・・っ! 感じ、る・・・っ! ああ・・・ ああ・・・ 感じ・・・る、ううっ!」
それまでとはまるで別人のように自分より17歳も年下で娘の夫=婿である私の目の前で、恥も外聞もなく女として悦びの声を上げながら、妻のそれとは比べ物にならない快感に満ち溢れた最高に魅力的な表情を曝け出した義母なのでした。
私を男として受け容れてくれたその時の義母が見せた女として最高に魅力的な姿は、24年後の今でも忘れられません。