8月19日の透さんの書き込み「妻の代理」を読んでちょっと驚き、世の中には本当に似たような話があるんだなぁ・・・と思いました。
実は私も同じような経験をして来たのです。
私の場合、「妻の代理」のケースと違うのは、義母(妻の母)と婿(娘の夫)の私が男と女の関係になったのは義父(妻の父、義母の夫)と私の妻が亡くなった後の事なのでした。
そして、義母の方が婿を誘って関係を持ったのとは違い、私たち二人は婿の私の方が義母へ関係を迫った、厳密に言うと、初めてセックスした時、私は嫌がる義母の意思を無視して力ずくで無理矢理に体を奪って、男と女の関係を結んでしまったのです。
義母が私と初めて関係を持った時の年齢は「妻の代理」の義母、透さんのお義母さんと同じ47歳で、私は30歳でした。
義母と私が男と女の関係になる2年前、私は5歳下の妻と1年間の交際を経て結婚し、その翌年に私たち夫婦の間に娘が誕生したのですが、同年、娘が生まれてから7ヶ月後に義父が52歳で急死して、妻の実家には義母が一人で取り残されたのです。
妻には4歳下の妹がいますが、義妹もすでに結婚して実家を出ていた為、私たち夫婦は娘と共に妻の実家に移り住み義母と同居し始めたのでした。
ところが、それから僅か4ヶ月後、義父が亡くなった翌年に今度は妻が25歳の若さで急死して、家には義母、婿の私、1歳になったばかりの私の娘で義母の孫娘だけになってしまったのです。
妻がいなくなった家で三人で暮らすうちに、愛する伴侶を亡くして大きな悲しみ、淋しさを抱いていた同じ境遇の義母と私は次第に男と女として惹かれ合って行き、お互いの相手に対する想いは日が経つに連れて強まる一方で、そして、妻が亡くなってから2ヶ月後、私たち二人は遂に越えてはならない禁断の壁を乗り越えてしまったのでした。
ある日の晩、私は意を決して義母へ自分の想いを告白したのですが、義母は私と同じ気持ちだったにも関わらず、敢えて自分の本心に逆らって義理の息子、娘の夫、婿の私を義理の母親、妻の母として頑なに拒絶したのです。
しかし、もう義母を義理の母親、妻の母ではなく女としてしか見れなくなっていて、これ以上は自分の感情を抑える事に堪えられなくなった私は、義母の体を無理矢理に奪って関係を結んでしまったのでした。
義母は最初、激しく抵抗しましたが、無理矢理ではあっても私とセックスしているうちに、自分の本心に逆らえなくなって来て、遂に私を娘の夫、婿としてではなく男として受け容れてくれたのです。
お互いの間に存在していた義理の母息子(おやこ)、妻の母と娘の夫、義母と婿の間柄を捨て去って、禁断の壁を乗り越えて男と女として身も心も完全に一つになった私たちは、それまで自分たち二人を縛り付けていた常識、モラル、理性といったものの全てを忘れて、本能の趣くままに愛する相手を強く求めて、濃厚なセックスで獣のように激しく愛し合いました。
その日から義母と私はお互いに亡くなった妻(義母の長女)と義父(妻の父、義母の夫)、義妹(妻の妹、義母の次女)、一緒に暮らしている娘(義母の孫娘)に対して大きな負い目を抱き、背徳感、罪悪感に苛まれながらも、同じ屋根の下で男と女として愛し合う日々を送るようになったのです。
こうして私たちは世間向けには以前と同様、義理の母息子、妻の母と娘の夫、義母と婿という間柄を装いながら、家の中で二人だけでいる時には男と女として愛し合って暮らすうちに、お互いの愛がより深まって強固になって来るのを感じ合うようになり、セックスから齎らされる快感もますます強大なものになって行ったのでした。
義母と私は精神的に強く惹かれ合っていたのは無論ですが、何度もセックスしているうちに、いつしか次第に肉体的にもお互いの体の相性、セックスの相性、ヴァギナとペニスの結合感が頗る良いものになって来て、月日が経つに従って私たち二人がセックスするのは当然の事のようになって行き、遂には完全に生活の一部に、衣食住と共に生きる為の必要不可欠なものになってしまって、私たちはいつしか夫婦同然の間柄に、否、事実上の夫婦として暮らすようになりました。
そして、私たち二人が男と女の関係になって愛と性生活の日々を送るようになってから1年後、義母は私の子どもを妊娠したのです。
義母はずいぶんと悩み、自分より17歳も若い婿の私と孫娘の将来を考えて私たち父娘(おやこ)と別れ、自分一人で妊娠した子どもを出産して育てたいと言いましたが、義母の意向は私にとってはとても受け容れられない事でした。
妻が亡くなってから1年間、まだ幼い娘を二人で育てて行きながら、男と女として愛し合って来た義母と私なのです。
最初の頃はお互いに伴侶を亡くした悲しみ、淋しさを少しでも忘れてしまいたかったのと、性的欲求不満を解消したかった事もあり体を交えていたものの、1年後のその時は精神的にも肉体的にも完全に一つに溶け合っていて、もはや義母と私は強く堅い愛の絆で結ばれている事実上の夫婦と言うべき間柄の男女なのでした。
私たちが愛し合った結果、二人の間に男女の愛の結晶として新しい命が生じたわけなのですから、私には義母と別れる意思など露ほどもなく、義母の申し出を拒否してこれからも一緒に生きて行きたい旨を伝えたのです。
私の意向を聞かされた義母は最初、躊躇って複雑な表情を浮かべていましたが、結局、私の強い要望を受け容れてくれて、私たち二人は今後の人生を共に歩んで行く事を約束したのでした。
その後、義母は家の所有権を次女である義妹へ譲渡して、私たち家族、妊娠中の義母、私、娘の三人は遠方の地に引っ越して行き、そこで新たな人生をスタートさせたのです。
法律で一度、義理の親子になった男女はたとえ戸籍上で他人に戻っても結婚が認められないので、私たち二人は内縁の夫婦として生きて行く事になったのでした。
義母と私が新しい地で内縁の夫婦として暮らすようになったその翌年、私たち二人の間に娘が誕生しました。
義母にとっては23年ぶりの我が子の誕生で、長女である亡くなった私の妻、次女である義妹に続く三人目の子どもで、私にとってはその3年前に妻との間に生まれた娘に次ぐ二人目の子どもだったのです。
私たちは自分たちの血を受け継いだ二人の愛の結晶である娘の誕生を喜びましたが、その一方で複雑な気持ちを抱いてもいました。
生まれた娘は義母にとっては三女で私の妻と義妹の妹になるのです。
私にとっては妻との間に生まれた娘が長女で義母との間に生まれた娘が次女で、二人は父親を同じくする姉妹ですが、義母にとっては孫娘と娘ですから、姉妹であると共に年上の姪と年下の叔母でもあるという複雑な関係なのでした。
もうすぐ3歳の誕生日を迎えようとしていた私の上の娘、長女は何も知らずに自分に妹が誕生した事を喜んでいました。
妻が亡くなった後、1歳の時から義母に育てられて来た長女は、本当は自分の祖母である義母を母親だと思っていたのです。
将来、この子たち、姉妹でもあり姪と叔母でもある二人が成長して真実を知ったら、どうなるのだろうか・・・?と、義母も私も実に複雑な気持ちで幼い娘たちを見ていました。
それから12年後、ある事がきっかけで、娘たちは遂に自分たちの出生と両親(義母と私)の秘密=真実を知ってしまったのです。
私たちは娘たちに対してそれまでずっと秘密にしていた事を話して詫びたのですが、高校1年の上の娘=長女も中学1年の下の娘=次女も、まったく夢にも思っていなかった自分たち家族の隠されていた真実を知って、とてつもないほどの物凄い大きなショックを受けたのでした。
その日を境に長女はすっかり心が荒んで自暴自棄になって非行に走り掛けた事もあり、次女は自分の部屋に引き篭もるようになって不登校になり、一時的に自閉症になってしまったのです。
家族の真実を知ってから、娘たちの私たち二人を見る目は以前のそれとは打って変わって、悲しみ、憎悪、侮蔑の入り混じった複雑なものになっていたのでした。
また、真実を知った事によりそれまでは本当に仲の良かった姉妹の間にも亀裂が生じて、長女と次女はお互いに相手の事を避けるようになってしまったのです。
いつかはそういう日が来る事を覚悟していた義母と私ですが、いざその時が来ると、私たち二人は改めて大きな罪悪感に苛まれて、娘たちに対して本当に申し訳ないと思い、懺悔の気持ちを抱くばかりなのでした。
いくら愛し合って結ばれた義母と私だとは言え、その事実は娘たちにとってはとても受け容れられない、否、信じたくない悪夢のように忌まわしくて許せない事なのであり、もはや私たち二人の姿は娘たちの目に過ちを犯したふしだらな男女としてしか映っていなかったのです。
簡単に許してもらえる事ではないとは言え、本心では自分たち二人を許してほしいと願いながらも、娘たちの気持ち、まだ10代の少女である高校生の長女と中学生の次女の心を悩ませて、苦しめている本人たち自身にしかわからない大きな辛さ、悲しみを思うと、義母も私もいったいどうしたらいいのかわからなくて、どれほど罵声を浴びせられて悪態をつかれてもシカトされても、何も言えず、ただ堪えるしかなかったのでした。
同じ屋根の下で暮らしていても、二人の娘は家族の誰ともほとんど口を利かなくなり、家の中はいつしか義母と私以外の会話がなくなった暗い雰囲気に包まれた場と化してしまったのです。
娘たちが真実を知る前までの明るくて和気あいあいとした家庭の雰囲気はまるで嘘だったかのように、跡形もなく消え失せてしまったのでした。
そうなった原因の全ては義理の母息子、妻の母と娘の夫、義母と婿の間柄を乗り越えて男と女として結ばれた私たち二人にあるのですから、自業自得という事になりますが、それでも、私たちはたとえどれほど娘たちに嫌われて憎まれようとも、自分たちにとっては掛け替えのない愛する子どもたちなのです。
長女は義母の実の娘ではなく孫娘ではあるものの、幼い時から自分の子どもとして育てて来た義母にとっては、本当の子ども同然なのでした。
次女は義母と婿の間柄であった私たち二人の間に生まれて来た子どもなので、世間の大勢の人の目にはタブーを犯した男女の行為、過ちによって生じた命で、この世に生まれるべきではなかった不義の子どもとして映るでしょう。
しかし、たとえ世間の人たちに何と言われようとも、次女は強く堅い愛の絆で結ばれた義母と私が愛し合った結果、この世に生を受けた尊い命で、私たちにとっては二人が愛し合った証、男女の愛の結晶なのであり、決して過ちで生じた生まれて来るべきではなかった子どもではないのです。
私たち家族、親子と姉妹の関係がそういう冷え切った状態になってから2ヶ月後、私たち二人(義母と私)と娘たち、長女と次女の間に生じた大きな軋轢が氷解する兆しが見えて来たのでした。
そのきっかけを作ってくれたのは、久しぶりに我が家を訪ねて来た義母の次女で、亡くなった私の妻の妹である義妹だったのです。
義妹はかつて自分の母親と姉の夫である義兄、義母と私が男と女の関係になった事を知って、私の娘たちがそうだったように大きなショックを受けて、実の母と母娘(おやこ)の縁を切り私たちと絶縁したのですが、その後、義妹自身も私たち二人と同じ道を歩んで来たのでした。
私たちと絶縁した翌年、義妹の1歳上の夫が24歳の若さで亡くなって、義妹は夫との間に生まれた2歳の息子と夫の生前から同居していた夫の父、46歳の義父と三人で暮らす事になったのですが、義父もその前年に妻を亡くしていて、義母と私と同じく、伴侶を亡くした者同士だった義理の父娘(おやこ)の義妹と義父はいつしかお互いに惹かれ合って行き、男と女の関係になって愛し合うようになってしまったのです。
その後、義母と私の間に娘が生まれたように、義妹は義父の子どもを妊娠して、義理の父娘である二人の間に息子が誕生したのでした。
義妹の長男は亡くなった夫との間に生まれた息子、義父の孫で、次男は夫の父、義父との間に生まれた息子ですから、義妹の夫の弟になり、二人は母親が同じ兄弟であると共に、年上の甥と年下の叔父でもあって、私の長女と次女と同じ複雑な関係なのです。
絶縁した時には私たちとはもう二度と会いたくないと思っていた義妹でしたが、自分も母と同じ道を歩み始めた事によって私たち二人の気持ちがわかるようになり、義妹は一度は母娘の縁を切った義母と私を許してくれて和解に至ったのでした。
それから10年後、義母と私が両親と自分たちの出生の秘密を知ってショックを受けていた娘たちの事で悩んでいた時に、長女にとっては亡くなった実の母親の妹、叔母で次女にとっては同じ母親から生まれて来た父親の違う姉である義妹は、私たち家族の問題が解決する為の大きな助力になってくれたのです。
義妹は心の中で大きな悲しみを抱えて悩み苦しんでいた娘たち、自分にとっては姉と義兄の間に生まれた姪の長女と母と義兄の間に生まれた妹の次女に優しく接して、穏やかな口調で淡々と、自分も娘たちの両親(義母と私)と同じ経験をして来て、自分の二人の息子、夫との間に生まれた長男と義父(夫の父)との間に生まれた次男も近い将来、今のあなたたち(娘たち)と同様の辛い経験をするだろうと、思っている事を包み隠さず、洗いざらいに話したのでした。
最初は自分も大きなショックを受けて、母と義兄の事が許せなかったものの、後に自分も母たちと同じ境遇に置かれて亡くなった夫の父と愛し合うようになって、母と義兄の気持ちがわかるようになり、自分と義父も母と義兄も強く堅い愛の絆で結ばれて、その結果、自分と義父の間に息子が母と義兄の間に娘がこの世に生を受けたわけで、生まれて来た子ども、自分と義父の息子も母と義兄の娘も決して過ちによって生じた生まれるべきではなかった子どもなどではなく、男女の愛の結晶である尊い命なのだと、義妹は終始、穏やかな口調で話しながらも、そう断言したのです。
義妹は娘たちに対して両親(義母と私)を許してあげるようになどとは一言も口にしなかったものの、ただ、両親が親として娘たちを心の底から愛している事だけはわかってほしいと言ったのでした。
娘たちは長女の叔母で次女の姉である義妹の話を聞いてから、心境に微妙な変化が生じ始めたようで、それ以降、娘たちの私たち両親(義母と私)に対する頑なな態度は徐々に和らいで行って、長女と次女の間に生じていたわだかまりもいつの間にか消え去り、二人は元通りの仲の良い姉妹になって、義妹が娘たちに話をしてから2ヶ月後、娘たちが家族の秘密を知ってから4ヶ月後、私たち二人と娘たちは遂に和解したのです。
かつて自分の母親と姉の夫の事で深く傷ついた義妹であったにも関わらず、私たち家族の和解の為に尽力してくれたのですから、義母は実の娘に私は義理の妹に本当に感謝しても感謝し切れないほどのありがたさを感じました。
その2年後、今度は義妹の家族が息子たちの事で私たち家族と同様の問題を抱えた時に、最初は2年前の恩返しとして義母と私が義妹の二人の息子(義母にとっては孫)に会って話をしようとしたのですが、ところが、私たちに先んじて娘たちが二人に会いに行ったのです。
2年前に自分たちも同じ経験をした娘たちには義妹の息子たちの気持ちが痛いほどによくわかり、四人で話をするうちに義妹の息子たちの心も少しずつほぐれて行って、後に義妹の家族も私たちの家族と同様、和解に至ったのでした。
かつては義理の母息子、妻の母と娘の夫、義母と婿の間柄だった私たち二人が男と女として結ばれてから、今年で23年。
23年前のあの日、5月下旬の土曜の晩に私たちが初めて体を交えて愛し合った時の事は、お互いに今でも忘れられなくて、はっきりと憶えています。
今、こうして振り返ってみますと、義母と婿の間柄を捨て去って男と女の関係になったあの日の晩が、私たち二人にとってはその後の人生を決定づけた大きな分岐点になっていて、私たちはお互いにそれまでの人生とは違う新たな人生の扉を開いて、第二の人生を歩み始めていたのでした。
あの日の晩は結果的に私たち二人にとっては男女が夫婦の契りを結んだ新婚初夜に等しく、お互いに人生における第二の初夜と言うべき生涯、忘れられない記念の日になってしまったのです。
内縁の夫婦として生きて行くようになってから、すでに22年の年月が流れていて、今ではかつて自分たちが義母と婿として過ごしていた事が私たち二人の間ではもはや遠い昔の出来事、セピア色と化した人生の中の一コマになってしまっていて、義理の母息子の間柄だった時代が夢か幻だったかのような気がする時さえあります。
私と亡くなった妻の結婚生活は2年、交際期間を含めても僅か3年で、義母と私の夫婦生活は22年、内縁の夫婦になる前の期間を含めると、23年になりますから、妻と恋人同士・夫婦として過ごした年月よりも、義母と夫婦として生きて来た年月の方が圧倒的に長い私なのです。
義母は亡くなった義父と夫婦として26年、結婚前の交際期間の1年を含めて27年の間、恋人同士・夫婦として過ごして来て、私とは23年で、4年後には義父と私の義母と過ごした年月が同じになります。
かつてその昔、義母と婿としてお互いの事を「和伸さん(私の名前)」「お義母さん」と呼び合っていた私たち二人は、内縁の夫婦になってから妻と夫として「あなた」「栄子(義母の名前)」と呼び合うようになり、それ以来、今日まで事実上の夫婦として生きて来ました。
今では完全に事実上の夫婦になっている私たち二人が今後、相手を昔の義母と婿としてのそれで呼び合う事は永遠にあり得なくなっていて、私たちの間ではその呼び方はすでに風化していて使い古された過去の遺物でしかないのです。
これまで長い年月の間、何度も大きな罪悪感に苛まれて、義妹と娘たちの事で悩み苦しんだ経験がありますが、でも、私たちはお互いに愛し合って二人で人生を歩んで来て本当に良かったと思っていて、決して後悔していません。
もう9年前になりますが、私たちが娘たちと和解してしばらくしてから、私はその14年前(今では23年前)に義母の体を強引に奪って男と女の関係になった事に対して、改めて罪悪感を覚えるようになっていたのでした。
心の中で葛藤していた私はその時の事を振り返って義母へ
「あの時、おれと栄子が結ばれてなかったら、今頃、おれたち二人はどうなってたんだろうか・・・? もしかすると、おれは栄子の人生を狂わせてしまったんじゃないか?っていう気がするんだ・・・ おれは栄子と和美(私と妻の間に生まれた娘)と和栄(義母と私の間に生まれた娘)に本当に申し訳ない事をしたって・・・ 幹恵ちゃん(妻の妹、義母の次女)にも辛い想いをさせてしまったし、成美(私の妻、義母の長女)とお義父さん(義母の夫、妻の父)にも申し訳ない気がする・・・」
と言ったのです。
すると、義母は
「何、言ってるの・・・ そんな事、ないわよ・・・ あなた、自分を責めないで・・・ あたしたち、もう14年も一緒に暮らしてるんじゃない・・・ あの時は確かにあなたの方があたしに強引に迫って無理矢理体を奪って関係を結んだけど、あたしもあなたとそうなる事をずっと望んでたんだから・・・ あたし、あの時、あなたと結ばれて本当に良かったと思ってるわ・・・ 躊躇ってたあたしを強引にものにして、あたしをその気にさせてくれたあなたには感謝してるわ・・・ あたしとあなたが結ばれなかったら、あたしたち二人、今、こうして“夫婦”として暮らしてないし、和栄も生まれて来なかったんだから・・・ あたし、今、本当に幸せよ・・・ あなたとこうして一緒に暮らせて本当に良かったと思ってる・・・ 幹恵も和美も和栄もあたしたちの事、許してくれたし・・・ 成美もあの人(義父の事)もあたしたちの事、許してくれてると思っていいんじゃないかと思うわ・・・」
と優しそうな目をして私の顔をじっと見つめながら、穏やかな口調でそう言いました。
義母にそう言われて、私の心の中に生じていた罪悪感は次第に収まって行き、それと共に私たち二人はお互いの間に強く堅い愛の絆が存在していて、内縁ではあっても、“夫婦の絆”で結ばれている事を改めて実感し合ったのです。
その日の晩、私たち二人、還暦を過ぎて61歳になっていた義母と44歳だった私は、どちらからともなく自然な形で相手を強く求め合って体を交え、濃厚なセックスで獣のように激しく愛し合いました。
翌日が日曜だった事もあって、私たちは土曜の深夜から翌日の未明まで3回も交わって、お互いに情欲の限りを貪りセックスの快感を存分に味わって男女の悦びを満たし合ったのと同時に、自分たち二人が強く堅い夫婦の絆で結ばれて愛し合っている実感を覚えていたのです。
私たち二人が初めて体を交えて男と女の関係になった時には47歳だった義母は今年で70歳に、30歳だった私は53歳になり、その当時は1歳だった長女とまだ生まれていなかった次女もすでに成人していて(長女24歳、次女21歳)、娘たち二人は今では立派な大人の女性になっていて、我が家では穏やかな日常生活が続いています。
義母も私も以前に比べると、今はお互いに性欲がかなり減退していて、昔ほどには頻繁にセックスする事はなくなっていますが、それでも、週に1回か2回は体を交えて愛し合い充実した性生活を送っているのです。
最近の私たち二人のセックスは昔のように強大な快感を欲して、本能の趣くままに飢えた獣のように激しく交わって情欲を貪り合うと言うよりも、精神的な結び付きが中心になっているとでも言うのか、セックスによってお互いが愛し合っている事を強く実感し合うものになっています。
と言っても、セックスしている最中は昔ほどではないものの、今でもやはりお互いに激しく濃厚に交わっている私たちなのですがね(苦笑)。
世間の常識、モラルに背を向けて、棘の道を歩む事を選択して生きて来たかつて義母と婿の間柄であった男女の私たち二人。
たとえ他人様から、世間の大多数の人からふしだらな男女だとか鬼畜だとか言われても、私たち二人がこれまで23年間、真剣に愛し合って来て強く堅い愛の絆で結ばれている事だけは紛れもない事実で、私たちは自分たちの選んだ人生を後悔していません。
許されない不義の関係で結ばれた男女であっても、私たち二人の歩んで来た愛の軌跡は誰にも絶対に崩せないものなのですから。
亡くなった妻と義父の事を思うと、お互いに複雑な気持ちになりますが、私たちはこれからも永遠に、今世のみならず、来世、生まれ変わっても再び巡り合い、愛し合って行きたいと思っています。