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「臭いよっ、お父さん!」
「臭いっ!、臭いっ!」
中2と小4の娘が騒ぐ声で気が付いた。まだ頭が重い、痛い。関節がギシギシ痛む。息をつくと、まだ収まらない吐き気がした。娘たちは私の頭の上で騒いでいる。まぶたを全部上げるのが辛かった。
『あっ!』と意識が戻った。重い体を引き起こし、携帯を握る。時刻を見て『しまった…、』と思った。慌てて会社に連絡をした。頭が更に痛くなった。
「もしもし、あらKさん…。」
お局様が出た。『あ~、しまった』と更に思った。
「すみません。今日は無断欠勤して…、」
「…ええっ?。何を言ってるの?。ちゃんと連絡もらいました。」
想定外の答えだ。私、41歳会社員。3人の娘持ち。妻、………家出中。
「…えっ?、誰が…?、?」
「娘さんからに決まってるでしょ。朝、ちゃんと連絡くれたそうよ。インフルエンザですって?。体調は良くなったの?」
「…えっ?、あっ、まあ…、」
「無理しちゃダメよ。お大事に…。あっ!、それから、感染防止の為に、あなたしばらく出社禁止よ!」
「…ああ、ハイ…。」
「有給にしておくから、心配しないで寝てなさいって、これは課長からよ。じゃあね、お大事に。」
安心したら気が抜けた。何だ、いつの間にか、そんな気遣いも出来るようになってたのか…。言う事なんて聞く耳持たない、わがままし放題のきかんぼう娘たちばかりだと思ってたのに。
「…誰が、会社に連絡してくれた?」
「おっきい姉ちゃんっ!」
末っ娘が教えてくれた。高1の長女とは…、しばらく冷戦してたぞ?。いっちょ前な事しやがって。
「…そうか、ありがとう。」
「ありがとうじゃないよ、お父さんっ!。臭いよっ!」
「お父さん、臭~~~い!」
何をさっきから騒いでいるんだと思ったら、私の頭が臭っていた。
ああ~、この臭いな…。昔、親父の枕から臭ってたのと、おんなじヤツだな…。老けたな~~~、俺も…。
真ん中の娘が人差し指で、私の頭を擦り、その指を私の鼻先に突き出した。微かに皮脂の臭いがした。娘たちは『ほらほらっ』と自覚させようとしたが、私には、それほど気にならなかった。
「…しょうがないだろ。風呂に入れないんだから…」
「ずっと、入ってなかったクセに…」
「そうだよ!」
「…頼む、静かにしてくれ…。………学校はっ?」
「…もう、行って来たって!」
「もうすぐ4時だよ~。」
そういや、しばらく忙しさにかまけて入ってなかった…。『風邪っぽいな』と思って用心してたし…。かと言って、今の状態じゃ、風呂は無理だよ。
「…臭くてゴメンな。我慢してくれないか…?」
「…我慢できないよ。」
「カレー臭だよ!、カレー臭!」
『カレー臭』か。『カレー臭』は良かったな。はは……、と、笑って息を吐いたら、力が抜けて眠ってしまった。
頭を擦られる感触で目が覚めた。目の前が白い。頭を動かそうとしたら、
「動かないでっ!」
と、長女に叱られた。
「お父さんの頭を洗ってるんだよ。」
末っ娘の声が教えてくれた。
「お父さん、特別にア〇エンスだよ!」
臭い消しに、娘たちが使ってるシャンプーで洗ってくれてるらしい。私はいつも、何の躊躇も無くボディーソープで洗っていた。シャンプーがかからないように、顔に何かかけてある。まるで美容室だ。ご大層なことだ。
それにしても、まだ仲直りもしていなかった長女が、私に触るなんて…。嬉しい反面、照れ臭かった。
「…上手いな、介護師みたいだ。」
「………。」
「どこで覚えた?」
「………保体っ!」
私は『保体』の略がピンと来なかったが、『ふ~ん』と相槌を打った。『ふ~ん』と息を抜いたら、また眠ってしまった。
今度は、少し冷たくて目が覚めた。裸になっていた。三人が濡れタオルで、体を拭いてくれていた。熱っぽかった体に気持ちいい冷たさだ。
「…ありがとう。」
と、言ったつもりだったが、娘たちに大笑いされた。呂律が回っていなかったらしい。上がり切らないまぶたを半分開けて、焦点の定まらない目で見た。眩しい部屋の中で、娘たちが代わる代わる、私の顔を覗き込んでいる。
「…お父さんの目、変だよ…。」
「…目が回ってるみたい。」
「…インフルエンザの所為よ。薬も飲んだから、大丈夫よ。」
うん、大丈夫だと思う。そうは思うけど…、う………ん、大丈夫だよな?
私が眩しがっているからと、暗くしてくれた部屋の雰囲気が、体調不良の身体を弱気に落とし込む。回らない頭が不安を訴えだした。こんな事で死にはしないと思うけど、病気の時はいつもこうだ………。
そういや、俺の5歳上のイトコが死んだのは、確か18歳だったっけな…。あれはただの風邪だったけど、こじらせて肺炎になって、呆気なく死んじまったんだよな………。呼吸は辛いけど、肺はやられてないよな?
大丈夫だ、大丈夫だよ………。頑張れ、俺!。憎ったらしいけど…、可愛いアイツらを、まだまだ面倒見なくちゃならないんだ。インフルエンザごときでヘバッてどうするんだ。頑張れ、頑張るぞ、頑張るぞ!!
うん?。何だ…、お前、そこにいたのか…?。暗くて分かんなかったよ………。感染するから、出てなさい。えっ?、良く聞こえないよ…。うん、うん、…別に、怒ってないよ。………それよか、ありがとう。…何って?、頭洗ってくれたろ。…有り難いよ。………こんなこと、してもらえるなんて、夢みたいだよ…。ありがとう…。
バカ………。何だよ、急に泣き出して…。………死ぬワケないだろ!。勝手に殺すなよ………。ったく…、そんなところは母さんそっくりだ!。似なくてイイのに…。良く聞こえないよ………。耳が詰まってるんだよ…。え…?、何が好きだって?。
…分かんないな。今…、父さんの頭、バカになってんだよ…。病人の…頭でも…、理解しやすいように………。何してんだよ…。
う………ん、変だ…、変だよ。お前、裸になってる…。いや、なってる…ように見える…。ヤバい…、幻覚だよ。ヤバいの…見えてるよ………。
重い…。軽く叩いただけで、いつもすっ飛んでってしまう、娘の体が重い。インフルエンザの所為だ。関節、筋肉、腰に頭に下腹、みんな痛い。
それに暑い、いや熱いよ…。お前の顔だよ、熱いよ…。今、父さん…熱があるんだから…、熱い…顔を近づけんな…。うぶぶ~~~。
何だ?。今、お前、父さんに何かしただろ?。息が詰まったじゃないか!。…動けないからって、好き勝手しやがって…。………何?、何が好きだって?。もう…、全然、分からんっ!
…何、さっきから、一人で言ってるんだ…。えっ?、…聞こえない!。えっ?、『お父さんが好き』って…、誰か好きなヤツがいるのか?。良かったな。
…良かったな。好きなヤツが出来たのか。良かった、良かった。
………そうやって、ちょっとずつ…、大人になって…行くんだよな。…父さん、邪魔したりしないから………、とりあえず、その人と仲良くやりなさい…。
………いいんだ…。別に…ずっと、父さんと、口なんかきかなくたって…。
母さんと結婚した時だって、そんなに喜んでくれなかったし…。俺だって、最初から、お前たちの父親になろうなんて、思い上がった根性は持ってなかったしな。
う………ん、頭が痛い。………いいんだ。うん。お前たちは、お前たちの都合がいいように俺を使ってくれて…。自力で生きていけるようになってくれたら、………それでいいんだ。ほら、言うだろ?。『立ってるモンは、親でも使え』って。………だからって、チンポはマズイだろ!
あっ!、コラッ!。何やってんだ!。………そんなマネ、どこで覚えた!?。そんなモン舐めるんじゃない!。やめなさいっ!。………腕、痛ーっ。…えっ?、何?、ナニもしなくていいって?。…そうか、それは…助かる…。イヤイヤ!、ナニをしちゃマズイんだって!
とりあえず、父さん、お前が重いんだよ…。下りてくれ!。………何だよ、…泣くなよ。…違うよ、バカ!。お前が重荷とかじゃないよ!。苦しい~んだって!。…えっ?、…お前も苦しいのか…。そうか…、じゃあ、父さん我慢するよ。…ん?、何やってんだ、お前?。
ああ~っ、…なんてコトしてんだよ……………。お前…、バカ…、『入っちゃった』じゃないだろっ!。笑ってんじゃないよ!。痛いって!。父さんの…痛いんだよ!。ああ~っ、痛ーっ!。何がって?。頭もノドも腕も、全身痛いんだよ!。…チンポも心も痛いよっ!。
頭痛が無ければ、娘をちゃんと下から突き上げて…、イヤ、違う違う…!。娘に挿入しちゃダメなんだ…!。血はつながって無いが、歴とした私の娘だ。反抗期が長すぎる気もするが…、素直に話せばちゃんと分かってくれる、頭の良い娘だ。
だから…、しっかりと向き合って、抱いてやらなきゃ……。イヤイヤ、自分の娘でも、高校生のオッパイ揉んじゃダメだろ…?。腕が痛くなかったら、もっと優しく出来るに…。イヤイヤっ、自分の娘だからダメなんだ…!。
いくら娘が許してくれるからって…、セックスはダメなんだ…!。気持ち良いとか悪いとかじゃなくて………、違う…違う…。………痛くないから…とか…、…しないからとかじゃ………、勿論、違う…。お前、痛くないのか?、大丈夫か?。…ホントか?。お前、頑張り屋さんだから…、一人で思い詰めて、しょい込んじゃうから…、心配なんだよ、…父さん。
…そうだよ。そうやって、いつも笑ってくれてれば、…いいんだよ。うん…。お前、嬉しいのか?。そうか…、父さんも嬉しいよ。また、仲良くなれて………。って、やっぱり、マズイよ…。スキンシップじゃないだろ…?。…だって、入ってるじゃないか…。ガッツリ、セックスだって!
苦しい…、苦しいよ。そんなにアソコをぶつけるなよ…。父さんの体がバラバラになりそうだ。痛いよ………、みんな痛い…。それに…、暑い…、暑いよ。………何だよ、急に笑い出して…?。えっ…?、熱いのが出たって?。何だよ………?、あ、バカッ!。…父さん、………出しちゃった…よ。あ~あ、出しちゃった………。何で、こんなに…。
バカだな………、お前も。何やってんだよ…。笑ってんじゃないよ…。あ~、お前とこんなコトやっちゃうから、母さん出て行っちゃったんだよ………。バカは俺か…。ゴメン………。
体温計が鳴った。『37度2分』、熱が2度下がった。少し食欲も出てきた。でも、起き上がれない。まぶたも重い。変な幻覚も見ちゃったし…。
「お父さん、コレなら食べれるでしょ?」
真ん中の娘が、私の口に何か入れた。チュルチュルと、冷たくて口当たりの良いゼリーが流れてきた。ああ、あのゼリーか。お前、絶対分けてくれなかったじゃないか。奮発したな…?。もたつく私の口に合わせて、パックをゆっくり絞ってくれた。最後まで飲み込めた。
「…他に、何か食べたい?」
「……………うん。」
「えっ?、何、何?」
「………カップ麺…。」
「え~っ!、またぁ~?」
偏食ばっかりで不摂生がたたって、この体たらくだ。娘たちには申し訳ない。でも今は、食べ慣れた物じゃないと、食欲が湧かない。あ、でもさっきカレーが…、どうのこうの言ってなかったか?。カレーも捨て難いけど、水分が多い物の方がいい気がする。
「…しょ~がないオヤジ!」
悪態をついて行ってしまったけど、私のリクエストは叶えてくれるみたいだ。
「お父さん、はいっ、コレ!」
入れ替わりに、末っ娘がドラッグストアの紙袋を持って来た。
「おっきい姉ちゃんからだよっ。」
この娘は実の父親のインフルエンザを、全く気遣う様子が無い。面倒見てくれとは言わないが、ちょっとは『うつる』とか警戒しないのか?。それと、もう少し静かにしてくれ…。
ガサッと、私の顔に紙袋を押し付けて、娘は出て行った。おいおい…、ちょっとは実の父親を労れよ…。
紙袋のテープを剥がした。中を覗いた。金色の箱が入っていた。………何、考えてんだよ、アイツ。