翌朝、部活で他校との練習試合があるとかで、妻の由美は朝食もそこそこに七時半頃に出かけて入ったようです。 八時過ぎに僕がダイニングにいくと、 「おはよう…」 と義母が少し明るげでさりげない声で迎えてくれました。 タートルネックのセーターもタイト系のスカートも、今朝は黒ずくめの身なりで、色白の顔とルージュの赤が少し際立って見えました。 「亜紀子は何時に出るの?」 まだ寝ぼけ眼で欠伸を堪えながら椅子に座り込んだ僕が尋ねると、義母はコーヒーカップに湯気の立つコーヒーを注ぎながら、 「九時半には集会所に来てくれっていわれてるんだけど…」 と少し忙しなげな素振りで応えてきました。 集会所まで車なら五分ほどの距離でした。 「足もまだ完全じゃなさそうだし、僕が送るよ」 僕がそういってやると、これもまた穿ったような見方になるのですが、義母の眼鏡の奥の目が心なしか嬉しげに緩んでいるように見えました。 「由美がね、出がけにあれがない、これがないってバタバタするもんだから…自転車で行こうと思ってたんだけど…助かるわ」 集会所まで車で五分ほどの距離でしたが、乗り込んですぐに僕は義母の座っている助手席に手を伸ばし、彼女の手を握ってやると、彼女は一瞬驚いたような顔をして頬を赤く染めながらも、二人きりという安心感もあってか、僕の手を優しく握り返してきていました。 午後から出かけるかも知れないので迎えは来れないかも、と断わりをいって帰宅すると、そのまま僕は母の寝室に向かいました。 義母の寝室にいられる時間は午前中でした。 昨日の夕方に妻の由美を学校へ迎えに行く道中で、僕はあの野村加奈子に携帯を入れてました。 彼女はまるで僕からの携帯を待っていたかのようにすぐに出て、急で申し訳ないが、明日の午後でよかったら時間が取れる、と身勝手な申し入れをいうと、明日は私も休みなのでぜひお願いします、との返答だったのでした。 午後一時に、勤める病院からほど近いアパートを訪ねるという約束でした。 義母のいない寝室は整然としていて、昨日の昼間の二人の熱すぎた出来事など微塵も感じさせない空気で、彼女の残り香のような心地よい匂いだけが、僕の鼻腔をついてきていました。 逸る気持ちを抑えきれず、僕は義母の机の下の引き出しを開けました。 底の深い引き出しには青い表紙の大学ノートが二十冊近く入っていました。 ノートの表紙に年度が書いてあり、一番下になっていたノートは、僕がまだ妻の由美とも知り合っていない五年ほど前になっていました。 そういえば義父が亡くなっているのがその頃でした。 義母の机の上に取り出したノートを置き、最初に探したのは、一ヶ月ほど前のあの山小屋での出来事でした。 五年前の最初から時間をかけ、僕の知らない義母の過去を知りたかったし、由美との結婚をどう思っていたのかも知りたいことでした。 それと、例の淫ら写真の発見で義母の口から聞き出した、あの青木という男に受けた陵辱とその後半年ほどの屈辱的であったろうの経緯についても、理知的で賢い彼女はどう受け止めていたのかも興味のあるところでした。 それでもやはり自分と義母とのあるべきではなかったなさぬ関わりは、どうしても最初に知りたいことだったので、日付けを繰るようにして、僕はノートに見入りました。 山小屋の記述はやはりあり、そこの記述だけで三、四頁ほどを義母は費していました。 十月三十日 一人きりの病室は時間があまりにあり過ぎて、身体の療養としてはいいのかも知れないが、思うことがあり過ぎる心の療養にはならない。 五日前の夜、見知らぬ山小屋の闇の中。 聞こえるのは台風のような雨音と強風の音。 そして肌が痛くなるような冷えと真冬のような寒さ。 そこで間違いが起きた。 暗い闇の中で私はシュラフの中に一人いた。 浩二さんは私の頭の後ろのほうで、おそらく板の間に身を竦めて濡れた服のまま、冷えと寒さに堪えているはずだった。 彼に入れといわれたシュラフの中の、私一人の身体だけ温かかった。 顔だけを出すと、この時期で信じられないような冷気と寒さが痛みのように感じられた。 強い雨と風が何秒間かぴたりと止む時があって、その静寂の時、頭の後ろのほうでかすかな物音が聞こえるのだ。 闇の中で私は迷っていた。 女というだけで、義理とはいえ息子をこの想像以上の冷気と寒さの中に置いて、私一人だけが温みの中にいていいのか? 一人用のシュラフだったが私の身体が小さいこと
...省略されました。