弁明
シャワーで僕たちの『禊ぎ』は済みましたが、母の『疑惑』は払拭される訳も無く、取り調べは続けられました。相変わらず家の中が暑過ぎたので、一番涼しい姉の贅沢部屋へ場所を移しました。
「はあ~っ、生き返るみたいねぇ。」
エアコンの冷気でクールダウンしたのか、母はちょっと落ち着いたみたいでした。僕は着替えてTシャツにハーフパンツを履き、姉はノーブラに、ざっくりとニットのサマーセーターを被りました。
「『リッちゃん』、これ飲む~?」
「何よ、これっ? ただの炭酸水じゃないの?」
「そうだよ~。」
姉が自分の冷蔵庫にビッチリ納まってた中から2本取り出して、母に1本渡しました。母は姉から瓶を受け取りましたが、グチグチと文句を言ってました。
「この娘は…、ワケの分かんないもんばっか、食べたり、飲んだりしてるんだから…、」
母は、猛暑の熱気の中で『鍋焼きうどん』を食べ、何の味もしない炭酸水を飲んでるバカ姉に呆れて、握った瓶を訝しげににらんでました。でも、ノドの渇きに負けたのか炭酸水を一口飲んでしまいました。
「…ん? あら、イケるわね?」
僕には何が美味いのかサッパリでしたが、母は瓶をしげしげと眺めると、また口を付けて、立て続けにグビグビとノドを鳴らしました。すると隣からもグビグビと音が響いてきました。
姉も炭酸水をノドに流し込んでました。二人は無言でゴクゴク飲み込むと、いっしょに『ゲフッ』とゲップを鳴らしました。
「…でも、何だか呆気なくて、飲んだ気がしないわ。」
「じゃあ、もう一本、飲んだら~?」
「…、飲もうかしら。」
母は姉のベッドに腰掛けると、2本目の炭酸水を受け取りました。僕たちは大人しく雁首並べて、その前に正座しました。
「何よ、かしこまっちゃって…、気持ち悪いわね。」
母は素直な態度の僕たちを、そ~と~怪しんでいるようでした。『かしこまんなきゃ、それはそれで、怒るくせに…』と思いながら、僕は大人しく座ってました。
「お母さんが怒ってるんだもん。恐いから、かしこまっちゃうに決まってるじゃな~い。」
姉が僕の気持ちを代弁しました。『そうだよ!』と思いながらも、母にツッコむ姉に『チャレンジャーだな…』と冷や冷やしてました。
「やましい事があるから、お母さんが恐いんでしょう?」
「『裸でゲロ』しただけで、ビンタされるからよ。ね?」
姉はさりげなく相槌を求めてきました。僕は緊張からぎこちなく首を『ガクン、カクン』と振ると、母は僕たちのやり取りを怪しく思ったのか、ちょっとイラッとしました。
「『裸でゲロ』は、もういいのっ!」
お風呂場での『裸でゲロ』を蒸し返されて、母は顔をしかめて口を押さえました。僕はデジャヴュを感じて、
『まっ、まさか!?』
と、焦りました。母は目を白黒させながら、また『何か』を戻しそうでした。あたふたしていた僕の前で出したのは、『ゲフ~ッ』とデカいゲップだけでした。
「お母さ~ん、ホントに身体、治ってるの~?」
「治るも何も、病気じゃないわよ、お母さんは!」
「『入院して下さい』って、言われたじゃん。」
「でも、大丈夫なのっ! …アンタっ、あたしを気遣うフリして、話しを逸らすつもりでしょっ!? ごまかされないわよっ!!」
「何もごまかしてないし~。嘘だって言ってないし~。」
「…うん、まあ、アンタは嘘つけるほど、頭、回んないからね…。」
その母のセリフを聞いて、『いくら親でも、酷くね?』と僕は思いました。
確かに姉は嘘をつくほどの、文章構成力は持ち合わせていません。嘘を考える前に口が動いてしまいます。『言いえて妙』と言うか『バカ正直』です。
だけど相手に解ってもらえるように『説明する能力』が、著しく欠けているので、『嘘』よりもつじつまが合わなかったり、『嘘つき』よりも人を混乱させます。タチが悪いです。
『…でも、「危なかったね?」って言ってたよな…? ホントに「バカ正直」にしゃべってたのかな?』
さっきの脱衣所のところで、姉は『一応』ホントの事だけを言ってました。のらりくらりと母の追求をかわし、結果的に最悪のピンチ・『現行犯逮捕』を乗り切りました。
天然の偶然なのか、必然の当然なのか、普段がバカ過ぎるだけにホントはどっちなのか、僕には区別がつきませんでした。
『…でも、ホントは「知能犯」だったりして…? ヤバい「〇リ」とかもやってるし…。何か、こえ~~~な、コイツ…』
ちょっと僕は背筋が寒くなりました。が、姉の将来像を想像してみて、どう転んでも『とんでもない犯罪者』とか、『ヤバい政治家』になる可能性が有りそうも無かったので、『天然』と言う事にしておこうと思いました。
「ともゆきっ!?」
「へっ? あっ、はいっ!」
「何、ボ~~~ッとしてんの? 相変わらず。」
僕は、また『相変わらず』と言われて、ガッカリしました。何が『相変わらず』なのかちっとも分かりません。
「アンタ…、近頃、おかしいわよっ!? お母さんに隠れて悪いコトやってるでしょっ!?」
姉と『バカトーーク』を繰り広げてるとラチが開かないと思ったのか、母は『落とし易そうな』僕に矛先を変えて突っ込んできました。僕は思い当たる節がアリアリだったので、正座のまま『ビクッ!』と跳び上がりそうになるのを必死でこらえました。
「ナニかな~?」
バカが知ってるクセに、ニヤニヤしながら僕の顔を覗き込みました。
「お母さん、ともゆきと話してんのっ!! 『まさみ』は黙ってなさいっ!」
クチバシを挟んで茶化そうとする姉に、母は苛立って声を荒げました。僕の空気がヤバくなりかけたところで、姉が思いも寄らず母に食ってかかりました。
「あ~~~っ! 夕べの今日で、その言い方は酷いんじゃないの~ぉ?」
「な、何よっ!?」
「いきなりアタシの携帯に『気分が悪い…』とか掛けてきてさ、勝手に倒れてさ、アタシに介抱させてさ、お父さんに電話させてさ、どんだけ心配したと思ってんの~~~っ!?」
姉がハッタリなのかマジなのか、強気に『ドドドッ!』と前に出たので、僕はビックリするやらハラハラするやらで、胃と肛門が『ギュキューン』と痛みだしました。
「だいたいさ~、アタシがゲロしちゃったのは、お母さんが原因なんだから~。」
「何、訳の解らない理屈こね出すんだろ、この娘はっ?」
「…ほら、すぐ怒るんだもん。恐いよね~?」
「別に怒ってないわよっ!」
「怒ってるじゃ~ん。倒れてたトコをアタシが~、訳も分かんない不安なままで~、介抱してあげたのに~。」
「しょうがないでしょう? 具合が悪くなっちゃったんだから…」
「そんでさ~、病気でもなくて~? 入院騒ぎぃ~? その上、帰って来てビンタだも~ん。お母さん『だけ』がひとりで騒いでるみたいじゃ~ん。おかげでいい迷惑よ~。」
その『迷惑』の実質的被害者は僕だけです。僕だけ『入院騒ぎ』で閉め出され、僕だけ『往復ビンタ』されたんですから。
「『迷惑』だなんて、失礼しちゃうわね~。」
「じゃ何だったんだよ? おかげで僕、帰って来ても家に入れなかったじゃないかっ!!」
『閉め出された』おかげで犯罪者にされかけた僕は、夕べの恐怖と怒りが込み上げてきて、思わず二人の会話に割り込んでしまいました。勢いで叫んでしまった後で『ヤベッ!』と青ざめました。
「あらっ? あはは、そうだった~。ともゆきのコト、夕べ忘れてたわ~~~。」
「笑い事じゃ、済まされないよ…。」
怪しまれないように言葉を続けて話をつなぎましたが、語尾が震えてかすれてしまいました。情けないです。
「ゴメン、ゴメン。お母さんね~?、『妊娠』したのよ~。」
「えっ?」「えっ?」
僕たちは『キョトン』として母の顔を見てました。僕は母の言葉が上手く飲み込めず、口をポカンと開けてました。その開いた下アゴが膝まで落っこちて来たのを、外れないようにお腹のトコで抱えて持ってました。
「お母さんは~、『妊娠』しましたっ!!」
得意げに微笑む母の顔を見上げながら、僕は『えーっ?』と叫んだつもりでしたが、ポッカリ開いた口からは、『スシューッ』と息が漏れただけでした。