お父さん。
『あいこ』のお父さんは寿司職人でした。初めて姉に連れて行かれた『あいこ』の家は、お寿司屋さんをやっていました。僕が産まれる前に、父が内装工事を請け負って出来たお店で、結構大きくて店員さんもたくさんいました。
「ご無沙汰してました。」
僕が『あいこ』のお父さんに緊張しながら挨拶をすると、お父さんは弱々しく左手を振りました。
「それは…、こっちが…、言わなくちゃ、いけねぇよ…。」
お父さんは『やっと』と言う感じで、一言、二言と吐き出すと、僕に振った左手をポトリと下ろしました。水色の半袖の下から伸びた腕は、やけに黒っぽく見えました。よく見たらアザでした。
「カッコ悪いよなぁ? 点滴の…、跡だよ…。」
うっ血した跡がみんなアザになっていました。あの包丁を握る力強かった腕が『アザで迷彩』になっていて、まるで別人の腕になってました。言葉は悪いですけど…、枯れてました。
それを見て、僕はようやく冷静さを取り戻し、僕たち姉弟が『あいこ』の家に『行かなく』と言うか、『行けなく』なった理由を確認しました。
数年前のある朝、突然、お父さんは倒れました。胃ガンのせいでした。店舗を増やす計画が実現する矢先で、無理に無理を重ねていました。
忙しさにかまけて時間がとれなくて、病院に行かなかったのも災いしました。若くて働き盛りの身体は、ガンの進行も早くて、食い止められなかったそうです。この時、お父さんのガンは全身に転移してました。
僕は、窓辺に置いてある『南天』の植木鉢を眺めている、お父さんの斜め前に正座しました。
「僕が家の前に来たの…、良く分かりましたね?」
インターフォンのボタンを僕が押す前に、お父さんの方からつないできたのが、すごくビックリしたので聞いてみました。
「ん? ああ…、見えたんだよ。何とも無しに…。ビックリさせちゃったか? 悪いなぁ。」
お父さんは極普通に、僕が不思議に思える事をサラっと言いました。『あいこ』似だった、ちょっと丸かった顔は、すっかり痩せこけて、ホント『ヨロシクさん』にそっくりになってました。
「ともくんに、面白いもん見せたくてさ、呼んじゃったんだよ。」
「な、何ですか?」
「『あいこ』が、な? 柄にも無く、しょげてるんだよ。ククク…、笑えるだろ?」
お父さんは『あいこ』にそっくりの、イタズラっぽい笑い顔を作りました。僕も釣られてニヤケてしまいました。
「今朝、帰って来るなり、黙~ってさ、俺んトコ来たからなぁ…。困ってやがんだよ。」
「えっ!?」
「俺が、『パンツも履かずに、何やって来た?』って聞いたら、ともくんの話を始めてな…」
僕は『「あいこ」のノーパン』がバレてしまったので、また『ビクッ!』として身体が緊張しました。気が付くとポロシャツの脇がビチャビチャになっていて、ヒンヤリしてました。
すかさずお父さんは、そんな僕の慌て振りを見て、笑いました。
「あはは、別に、ともくんを咎めやしないよ。あんなザマは今日の、今朝に始まった事じゃねぇ~しよ。」
「えっ? あ、はい…」
「あはは…、聞いたぞ~? 喧嘩したんだってな? でな…? 珍しく、『あいこ』が反省してたんだよ。」
「ええ~~~~~っ!?」
あまりの衝撃に、僕は全く素でリアクションをしてしまいました。その『反省』のふた文字は、『あいこ』の辞書に載ってないと思ってました。
「さっき、『まさちゃん』が『あいこ』に電話くれただろ?」
「は…、はいっ!」
「けど、俺が『出ろ!』って言っても出やがんねぇ~んだ。いつもは『出るな!』って言っても、出てたくせによ。」
「ぼ…、僕が、姉ちゃんにかけてもらったんです。」
「だろ? 『あいこ』のヤツ、それを分かってて出ねぇんだよ。気取りやがって! 頭にきたから、携帯取り上げてやったのよ。」
「そ、それで僕を呼んでくれたんですか?」
「おうよ! せっかく俺が呼んでやってな、ともくんにしょぼくれた顔見せてやろうって~のに、隠れやがったんだよ。しょうがねぇヤツだろ? アイツ、恥ずかしがってんだよ。」
僕は『恥ずかしがってる』と聞いて、電車の中で一回も目を合わせてくれなかった『あいこ』を思い出しました。『まだ脈があるかも?』と思えたら、少し元気が出ました。
「…どんな、恥ずかしがるコトしたんだかなぁ~? …なぁ、ともくん?」
少し元気が出て気が緩んだところに、お父さんが『グサッ!』とくるボディブローを撃って来ました。僕は『ビクッ!』として、またまた固まってしまいました。
闘病中で外出出来ないはずのお父さんですが、何だか『あいこ』の後ろにくっついて覗いてたような感じがしました。この人には全部バレバレなんじゃないかと思えて、僕は肛門の奥が『ギューン』と痛くなりました。
「けど、『リッちゃん』が出てきたのにはビックリしたなぁ。あれ、何で?」
「た、たまたまです…。」
「そっか? 俺はまた、『リッちゃん』が出なきゃなんねぇ~コト、やらかしてたのかと思っちゃったよ。ははは。」
今度は『ギクッ!』とさせられました。そんなはずは無いと思いましたが、お父さんに姉との『近親相姦』がバレバレの気がしてきました。
「で、ともくん…、ホントに『あいこ』と…、付き合ってくれる気、あんのか?」
僕がボディブローのダメージから回復出来ていないところに、お父さんがまたボディブローを『ドスン』と撃ってきました。このパンチは一見、威力はなさそうな感じでしたが、後からジワジワ効いてきました。
「はい…、付き合ってもらいたいんですが…、ダメですか?」
「ははっ、何、俺に聞いてんだよ。俺は別に反対なんてしねぇ~よ。しねぇ~けど、邪魔はするよ。…何てな?」
お父さんは僕の顔を見ながら笑っていましたが、どこか辛そうで淋しそうでした。僕はどんな顔をしていいのか分からずに困っていました。
「ゴメンな。迷惑かけるぞ? ワガママ放題に…、育てちまったから…。」
「…いえ、そんな…」
僕は『そんなコト無いです!』と胸を張って言いたかったんですが、イロイロとあり過ぎて言葉に詰まってしまいました。
「ありがとよ。無理に呼び出したのに、来てくれてよ。俺もさ、『あいこ』の彼氏に…、こうやって話しをするのも………、」
急に、お父さんが苦しそうな表情になりました。僕は思いっ切り焦って、どうしようかとアタフタし始めたら、白いワンピースを着た少女が飛び込んで来ました。露出を抑えた『あいこ』でした。
「パパっ、どうしたの?」
「おっ、出て来たか? お前も、俺の………、」
と、お父さんは言葉を詰まらせ、苦しそうに歯を食いしばったかと思ったら、
『す~~~、すぷぷぅ~。』
と、弱々しくオナラをしました。僕は脱力しました。
「…ふうっ、屁といっしょだ。出すのに面倒かけやがる。」
「何だ…、心配させないでよ。」
「…へっ、利いた風なコト、言うじゃあね~か? 俺の事より心配なコトを、先になんとかしろってんだ!」
「余計な、お世話だよ…」
「何だ、お前、泣いてたのか?」
お父さんが言ったので僕はビックリして、『あいこ』の顔を見ました。茶髪でさっと隠したけど、ホントに涙の跡がありました。
「…泣いてね~し。」
「ホント、素直じゃねぇ~なあ。どんな育てられ方したんだか。親の顔が見てみたい。」
「バカじゃね? 鏡、見ろよ!」
「バカ野郎…、知らねぇ~のか? 『鏡に心は映らない。教えて欲しいの、ホントの私』って、昔の人は上手いこと歌ってたんだよ。」
「またテキトーだろ? 『ヨロじぃ』といっしょなんだから…」
「おっ、そ~だっ! プリン! プリン作るか~~~。」
「何だよ~、急にぃ~?」
「お前たちが揃ったら、いつもプリンだったじゃね~か。『昔の話』で思い出したぜ~!」
お父さんに言われて僕も思い出しました。ココに来ると帰りに手作りのプリンをもらっていました。お寿司屋さんだからなのか、なぜか『茶碗蒸し』のプリンでした。