近親相姦 親×子体験告白
よく読まれている体験談
2022/09/18 14:39:37(DWuvz5ij)
生みの親と連絡を取る事に怖さもあったのですが、探偵を通じて「私と会う気があるか?」を確認してもらったところ、最初は強硬に拒んだそうです。「捨てた自分に、会う資格がない」というのが理由。でも、何度も交渉した結果、「謝りたい」という理由から会ってくれることになりました。生みの親が住んでいたのは、九州の田舎町。若くして亡くなった親(私からすると祖父母)が、大昔に住んでいたのが理由のようです。「父親がDVということで離婚し、私を捨てた」ということから、「無秩序な生活を送っているんだろう」と勝手に想像していたのですが、「実の父親と離婚してからは再婚することもなく、中学校で理科系の教師をしている」と聞き、意外に思ったものです。会ってもいいということになってからは、私が電話で直接話をし、休みの日を利用して九州まで足を運びました。当時の生みの母は53歳。今の私よりも5歳若かったんですね。事前に写真などは貰えませんでしたので(やはり、私を捨てたという後ろめたさがあり、一度会って終わりにしたかったそうです。なので、写真が私の手元に残るのもいやだったとか)、待ち合わせ場所に「お互い決めた格好(服や持ち物)」で待つという事にしたのですが、待っていたのは53歳には見えない若さの女性。ぱっと見は40代半ばと言ってもいい感じでした。(後になって母からは、中学生と日常的に接しているので、わかく見られることが多いのかと言っていましたが)「関係ない人だろう」と思って周りをきょろきょろしていると、その女性が寄って来て「〇〇?」と私の名前を呼んだ。そう、彼女が生みの親でした。私には特に湧いてくる感情はなかった。何しろ生みの親の記憶が全くないのですから。でも、母のほうは私に幼き頃の面影が残っていたようで、「ごめんなさい」と何度も誤り、泣きじゃくっていました。バツの悪さもあり、とりあえず近くの喫茶店に入り、色々話をすることに。育ての親から聞いてはいましたが、実の父親のDVは常軌を逸したレベルで、「離婚するのも当然だな」と思いましたが、だからといって私を捨てた事にたいする不快感はありました。「学校の先生だったら、それなりに育てられたのでは?自分勝手だよ」という思いがぬぐえなかったからです。でも、1時間半ほど話しているうちに、不快感が少しづつ消えて行った。私を捨てた後、再婚もせずに必死で生きて来た母の半生がわかったからです。翌日に仕事もありましたので、その日の内に家に戻りました。もう会う事もないだろうとは思ったけれど、お互いに連絡先を交わして。帰宅して育ての親に詳細を話し(育ての親は、生みの親に会ったほうがいいと言ってくれていましたので、会う事は事前に言ってありました)、育ての親は「会えてよかった」と涙。その姿を見て「この人たちに育てて貰って本当に良かった。私の親は、この人たちだけ」という思いを強くしました。仕事に忙殺されていたこともあり、生みの母のことを思い出すこともなく、半年近くが経った頃です。ふっと生みの母のことを思い出しました。鬼畜と言われてしかたないのでしょうが、若い見た目の母に、女としての思いが湧いたのです。決して美人ではない母ですが、学生時代に付き合っていた彼女とどこかしら似た雰囲気があり、また巨乳系が苦手な私にとって、程良い胸の膨らみが記憶に
...省略されました。
22/09/18 15:04
(DWuvz5ij)
そうだったんですね。さぞかしお母様は言うに言われねご苦労をされて来られたんでしょう。貴方の事はずっと気にされておられたんでしょうね。でも、お年の割には随分若かったのが意外だった。
その後をお聞かせ下さいませ。
22/09/18 16:02
(fev0zQM9)
ヒロシさん
還暦が目前に迫り、自分の半生を振り返ることが多くなりました。
生みの母親と会うまではまあまあまともな生き方をしてきたと思っ
ていますが、それ以降は鬼畜と言われてもしかたない過去を持ち、
贖罪的な意味合いもあってこちらで書くことにしたのですが、まさ
か書き込んでくださる方がおられるとは予想外でした。他の方のよ
うにエロ小説的な記述でもありませんし、一人のオヤジが淡々と思
い出を書いているだけなので・・ありがとうございます。
生みの親は美人ではない普通のおばさんでしたし、ここに書き込む
内容も他の方のように擬音を入れたり過剰な性描写を入れたりはで
きませんが(そういうの苦手です)、それでよろしければ続きを書
きたいと思います。ただ、何しろ生みの母親と会ったのが30年以
上前ですし、記憶があいまいな部分もありますので、思いだしなが
らゆっくり書いていきたいと思います。
22/09/18 16:37
(DWuvz5ij)
生みの母親(この書き方も回りくどいので、以降は「母」と書きま
す。育ての母親は「育ての母」と書いて区別します)と会ってから
半年ほど経ち、1人の女として欲情の対象になっていることを自覚
してからは、自分が犬畜生のような感じがして慙愧の念でさいなま
れました。でも、そういう思いがある一方で、母を思い浮かべて抜
く気合が増えたのも事実です。
母と会ってから8ヶ月ほど過ぎ、週末に仕事で山陰地方に行くこと
になりました。仕事が思ったよりも早く片付き、家に帰ろうと思っ
たのですが、ふと母のことを思い出し、電話しました。様子伺いを
する私に、母は何の疑いも持たない感じで、「もう連絡くれること
もないと思っていた」と喜びを表した。仕事で今山陰地方に来てお
り、このまま帰ろうかとも思ったのだけれど、また顔を見に行って
良いか?と尋ねる私に、母は「じゃあ料理を用意しておくね」と答
えました。
会った時には電話番号と、住んでいる大体の場所しか教えてくれて
いなかった母。(捜し出してくれた探偵からは、相手が了解しない
限り、住所は教えられないと言われました)前にも書いたように、
「一度会ったら、もう会う事はないだろう」と思っていたからだっ
たようです。電話で住所を教えてくれたので、迷いながらも何とか
家を見つけ出しました。
比較的新しめの団地に住む母がドアを開けて迎えてくれた時、
「やっぱり若いなあ」と再確認。昔の写真類は一切ないので、「本
当に私の母なのだろうか?」という思いは、その時点でも少しあり
ました。そういう思いがあったからこそ、母に対して女を感じてし
まったのかもしれません。
22/09/18 16:49
(DWuvz5ij)
母が用意してくれていた料理は「がめ煮」という九州の煮込み料
理。
育ての母は料理が得意だったのですが、洋風の料理を好んで作る人
だったので、手作りの煮込み料理は新鮮でした。料理をつっつきな
がら、まだ他人行儀な感じで母と話をする私。記憶が全くないとは
いえ、私の幼い頃(3歳まで)の話をする母は嬉しそうで、それを
聞いていて、「邪魔になったから私を捨てたのではないみたいだ
な」とわだかりま氷解して行きました。
「今日は泊まっていけるの?」と聞く母に、本当は泊まるビジネス
ホテルを抑えていたけれど、「はい」と答え、ホテルをキャンセ
ル。狭い一室に2つの布団を敷き、それぞれの半生を語りながら、
いつの間にか寝てしまいました。
そして目覚めた時、台所で料理する音が聞こえて来た。贖罪の気持
ちがあるのでしょうね、母は私に手作りの料理を出すことで、少し
でも親子で接せられなかった時間の穴埋めをしたかったようです。
食事をした後、近所に買い物に行くという母に付き添い、スーパー
で買い物。その時点では他人行儀な感じも薄れ、それなりに親子と
いう感じで話をしていました。
結局、その日は夕方まで母のところにいて、家に帰宅しました。母
とまた会えた嬉しさ‥と書いたら素敵なのでしょうが、本音を言え
ば「やっぱりいい女だなあ・・男いないのかなあ?」というゲスな
感情が湧いた私です。その日は、母の胸元や口元にほくろがある唇
を思い出し、2度も抜いてしまいました。本当に鬼畜です。
22/09/18 17:00
(DWuvz5ij)
だらだらとどうしようもない過去を書いているのですが、もしも読ん
でくださっているかたがヒロシさんの他にもおられるのであれば、ど
う思って読んでくださっているのか教えて貰えると幸いです。
エロ小説のような要素が全くない繰り言ですので、「自分が第三者
なら絶対に読まない」と思うので・・。
22/09/18 17:03
(DWuvz5ij)
自分は子供達にとって、聡さんの育てのご両親の様に想ってもらえるのだろうか?なんてことを少し考えてしまいました。
今後の展開も大変気になりますので是非とも続きを読ませていただきたいと思います。
22/09/18 18:34
(2kYb1UtU)
Tさん
書き込んでくださってありがとうございます。こんな面白みもない
文章を、どういう思いで読んでくださっているのか気になっており
ました。過去とはいえ、鬼畜の行為をしてしまったことに慙愧の念
はありますが、悲しいかな本能にはあらがえないのですね。こうい
う関係性でなかったら、実の親と関係を持ってしまうなんてことは
100%なかったと思います。
育ての親には感謝の思いしかないです。だからこそ、こんな鬼畜行
為をしたことは知られたくないし、父母に直接話すことなく、袴で
持って行きます。
22/09/18 19:05
(DWuvz5ij)
母と再会したのがもう30年以上も前のことで、当時を思い出しな
がら書いてきましたが、重い話なので少し疲れました。なので、ど
うしてここで書くことにしたかを書きたいと思います。
だいぶ前になりますが、ここで私と似た境遇の方の書き込みを観ま
した。年齢はだいぶ若い方でしたが、生みの親と育ての親がいるこ
とや、生みの親と関係していたという共通点があり、引き込まれる
ように読みました。
その方との大きな違いは、生みの親に対する感情で、その方は憎悪
の思いからしたと書かれていました。私の場合、不快な思い(複雑
さ?)はあったものの、憎悪というものはなく、素直に書けば「母
親という思いはなく、単純にやりたいと思ったから」です。女とし
て欲情させられたんです。
思いは違えども、生みの親としたというのは同じで、鬼畜行為であ
ることは否めません。その方の書き込みを読み、贖罪の意味からも
書こうと思い立ちました。その方に対して「書き込みを読みまし
た。同じ経験をした者として、こういうこともありました」という
のを知って貰いたい気持ちがあり、タイトルを(記憶が誤っていな
ければ)同じ「生みの親」としたんです。
現在の話としてですが、母は今年で84歳。体力はだいぶ落ちまし
たが、元気です。母との関係も、なくなってからもう十数年になり
ます。やめた理由は、(母と再会してから2年後に結婚した)妻や
子供達への裏切り行為の念、またこんな自分を慈しんで育ててくれ
た育ての親たちに「こんな鬼畜な息子である」ことをさとられたく
ない思いからでした。
母との関係に付いては、さらっと書くつもりです。ですので、そう
いうのを期待されている方は肩透かしをくらった感じがするでしょ
うし、期待に沿えないことを申し訳なく思います。それでよけれ
ば、改めて書き続けますね。
22/09/18 20:08
(DWuvz5ij)
おやの心、子知らず。子の心、親知らず。また、親思う心にまさる親心とも。
産みの親に子が甘えることが、世間では鬼畜と云われるのか。
ゆっくりのペースで構いません。またご投稿下さいませ。
22/09/18 22:28
(Ho4Kz2ub)
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