俺は爺様の生まれ変わりだそうだ。
交通事故で、爺様が急死してから十月後、俺が生まれたんだと。
そのころお袋は、親父の転勤で北海道にいたから、俺は爺様の種ではないことは確かだと思うが。
その爺様の形見のような写真集に、昔の街並みがあり、見える看板の一つに、未亡人クラブというものがあった。
婆様にこれはなんだと聞くと、未亡人=男がいない=男が欲しい=風俗営業、ということで、やりたがる男には期待を持たせる、セールストークのような店名であったらしい。
話は変わるが、とにかく爺様の生まれ変わりだということで、俺は若くして未亡人になった婆様には、ずいぶんと可愛がられた。
幼稚園の頃は、婆様のほうから田舎の我が家に遊びに来ていた。
小学生になると、春夏冬の休みのときは新幹線で一駅の場様の住む街まで、俺は一人で行ったもんだ。もちろん休みの間中、俺は婆様の家に入り浸っていた。
そのためか、弟や妹が計4人も生まれ、今では珍しい五人兄弟である。
俺が喜んで婆様のところに居ついていたのは、婆様は俺が婆様に何をしても怒らず、俺を楽しませてくれたからだ。
たとえば、俺が昼寝をしているおふくろのスカートをめくり、脚の付け根の、じわっと湿った双丘のあたりを覗いているのを見つかったときは、お袋にこっぴどく怒られたが、婆様は怒るどころか、自分から足を広げ、指で陰唇を開き、俺の好きなように眺めさせ、触らせてくれたものだ。
もちろん、そんなことは二人だけのときだけで、人目のある昼間は、決して許してはくれなかったし、俺もその事情はよくわかっていたつもりである。
小学から中学1年まで、婆様の家にいるときは、一緒に風呂に入り、一緒のベッドで寝ていた。
その時は二人ともほぼ裸の状態。おっぱいを触ったり吸ったり、脚の付け根の、毛が生えているあたりでも、自由に触ることができた。
中学二年のとき、進学校への入学をめざし、俺は受験校に転校し、婆様の家から通うことになった。
転校先での始業式の日の夜、俺は婆様の股間を弄りまくり、固くなったムスコを双丘の間で散歩させていたとき、それは起こった。
今までは、付け根の孔にムスコが潜り込みそうになると婆様は体を横にし、巧みに侵入を避けていたのだが、その日、婆様は逃げなかった。
俺はしっかりと婆様の蜜壺に潜り込み、初めての経験をした。
それから毎日、と期待したが、毎月ある模擬試験の成績が上がった時だけしか、婆様は挿れさせてくれなかった。
必死に勉強した。おかげで毎月一回は天国に上る気持ち。無事、希望校へ合格した。
希望校は、大学進学、もちろん旧帝大系、を目標にしているので、遊んではいられない。
結構夜遅くまで、予習復習に励むことになる。
夜遅くまで頭を使うと、眠気が吹っ飛び、寝つきが悪くなる。
そんな時は婆様にねだると、心行くまで蜜壺に精を吐き出すことができ、すっきりと熟睡できた。
そんな時である。爺様の教え子の一人が、旦那に死別した。つまり未亡人になったわけだ。実家に住みながら、二人の子を育てている。
時々、同じ未亡人仲間の恩師の奥さん、つまり婆様のところに遊びに来て、いろいろ愚痴をこぼしていくようになった。
その愚痴の中でも切実なのは、当然、夜は独り寝。寂しいけれど変な男に引っかかるのは嫌だし。でも、時々は虚ろな孔を固いもので満たしてもらいたくなる。というものだった。
どんな話がされたのか、翌日曜日、俺は婆様の命令で、そのバツイチさんに奉仕することになった。
バツイチさんは大喜びで、本当に久しぶり、大満足、と言って帰って行った。
俺が高校二年のとき、やはり爺様の教え子の一人が、未亡人となり、婆様の家に出入りするようになった。
もちろん、その空孔には、俺のムスコが出入りしている。
婆様の家は今や、ホストが俺一人の逆未亡人クラブとなっている。