私が実娘である中学1年生の環を初めて抱いた夜から一ケ月が過ぎた…………
既に梅雨が終わり、間もなく夏休みに入る。この一ケ月の間に、環が私に抱かれたのは日数にして約25日、胎内に父親である私の精子を受けた回数は50回以上にも及んだ。
私は性欲が強く、一日に2回以上は中出ししている。計算すれば、軽く中型の牛乳瓶一本くらいの精子を13歳になったばかりの娘の環の子宮に注入したことになる。
環に生理が始まっていれば、これだけの日数と回数と精子量の中出し種付け行為を続けていれば、中学1年生の児童であっても間違いなく妊娠していることだろう。
そして、この一ケ月で環にも私にも大きな変化があった。私は深酒とたばこをすっぱりと止めた。深酒をすると睡魔の為に環との行為に集中できないからだ。
また、酒を飲み過ぎるとインポテンツ状態になることもある。こうなれば当然、性交は困難だ。たばこの匂いは環が嫌うので、環が心地よく口淫に応じられるためだ。
父親は長年の嗜好よりも娘との快楽を選択したのだ。実際、深酒とたばこを止め、歯磨きも頻繁にするようになってから、性交の途中に環の舌先が私の口中に頻繁に侵入するようになった。父親の口の中の唾液を環が積極的に吸い込むようにもなったのだ。
一方、環の変化だが、12歳で父の私に処女を奪われた環は、7月7日で13歳になった。
そして父と交わって2、3日は局部に痛みや違和感があり、父親が放った精液に環の鮮血が混じることもあったが、一週間も過ぎると、環の細い膣道に長く、図太い父の男根が何の支障もなく子宮口までずぼずぼと出入りするようになっていた。
父親の私が20cm砲だと自慢する男根が13歳になったばかりの環の膣に根元まで挿し込まれても難なく受ける身体になっていた。
何よりも驚きなのは父の私にキスをされたり、両乳丘やクリトリスを触られたりすると、愛液が滲みでるようになったのだ。これは積極的に解すれば、父親との種付け行為を望んでいるということになる。
環は痛みや違和感がなくなると、微かではあるが、性行為そのものに心地好さも感じるようになった。私の男根そのものが自分の膣壁が擦れるのも良いが、亀頭が子宮口を突いてくる時にはズキズキとする快感もあった。
特に、父親の射精するその瞬間が環は好きだった、環の膣の奥で暴発する禁断の中出し、膣壁にぶつかる生暖かい精液を受ける心地好さもあったが、何より、(私は大人なんだ、同級生の誰もが知らない大人の秘密を知っている、味わっているんだ)という優等生らしい優越感も生まれた。
また、父の精液を膣内で受けるようになってから、環の肌や表情に女らしさが漂いはじめた。周囲の人にも言われたが、そのことは環自身が一番感じていた。元々、小顔で可愛かったのだが、それに美人系の魅力まで加わったのだ、まさに鬼に金棒だ。
偶然かも知れないが、この一ケ月で、環は十人以上の男から交際を申し込まれた。中には3年生で生徒会長のイケメンもいたが、環は全てを即座に断った。
父親との肉体関係ができ、それなりの牝の喜びも感じ始めた今、父以外の男は考えられなかったのだ。いや、環には生殖本能がむき出しの牡にしか興味がなくなっていたのかも知れない。
夏休みになったばかりの土曜日の今日も娘の環は午前中から父の私に組み敷かれていた。
145cm、40kgの環に180cm、88kgの父の私が容赦なしに圧し掛かっている。真上から見ると汗をかいた男の大きな背中から環の細く白い両手両足だけが蠢いてみえる。
環は夏休み、父は土曜休で今日は朝から挑まれていた。華奢な身体の環だが、二倍以上の体重の父親の身体を全身で2時間以上も受けている。既に2回も膣の奥に中出しをされたが、父親はさらに抜かずの連続3回目を目指しているのだ。
今、父の私は男盛りの三十八歳、やりたい盛りなのだ。妻が男と逃げてから二年半の間、その間、女と関わったことはなかった。我慢、制欲、禁欲の日々だったのだ。それが、娘と言え、はけ口が出来たのだ。私は箍が外れたように13歳の娘に挑んでいる。