私は私を責めています。こんな母親でいいんだろうか・・と。
どなたか私の行く道を教えてくださらないでしょうか?お願いします。
私は44歳、一児の母親です。その息子は21歳の医学部に通う大学生です。
主人は、2年前に外国(タイ)で化学工場の建設中に不慮の事故にあって、あっという間に私の傍から居なくなりました。
「あなた、どうしてこんな事になったの?。なぜなの?。」
いくら聞いても勿論、返事など返ってくるくることはありません。
一時は、私自身が精神的におかしくなり、よく息子に慰められ、励まされたも
のでした。
今は私も立ち直って、息子と二人だけの生活が続いています。
有難いことで、主人の死亡は労災認定になり、また保険や会社からの補償など
で、贅沢をしない限り生活は安定していますし、息子も大学を卒業するまでの
学費などは補償があって、心配がいらないんです。
そんなことより、私は非常に悩んでいることがあります。
どうしたらいいのか判らないんです。
それは、1年程前から息子と禁忌の行為を犯していることです。
こうなってしまったのは、私の不注意があったからですが、その原因は主人が
長年続けた異様な性癖を、私の身体に染み付けたからだと思っています。
その事からお話します。
主人とのセックスは、結婚してからずっと異常なものでした。主人は縄で私を
縛って、いつも犯すように楽しんでいました。
最初はこんな事を誰にも言われず随分と悩みましたが、主人が喜んでくれるな
らと考え、我慢をしていました。
しかし主人は、縛った私をいつも優しくいたわるようにして、決して痛い事な
どはせずに、私に幾度となくあの至福の世界へと導いてくれました。
けれども、主人にある変化が現れ始めました。
それは息子が中学校へ通い始めた頃だったと思います。
主人が怪しい下着を幾度となく買ってきて、それを私に着させて縛るのです。
始めはこんな恥ずかしい格好はいやと拒否をしていましたが、主人には従わなければと思ってましたから。
その内、それが結構楽しいものになってきたんです。
次はどんな格好をさせられるのかと期待をするようにもなっていたんです。
だが、ある日のことです。
「おい、美智子。“スワッピング”って知ってるか?」と聞くんです。
私は何のことだか全く解りません。
「夫婦交換だよ。」
「?」
「この前、三の宮で一緒に食事をした滝山さん夫婦、覚えてるだろう。」
「はい。がっちりとした紳士と、あの美しい奥さんでしょう。」
「そうだ。よく覚えてるね。その滝山さんが、お前を抱いてみたい。と言って
きたんだ。
「えっ?」
「俺もあの奥さんを一度縛ってみたいと思っていたんだ。」
「どうだ、お前もあの滝山さんに一度抱かれてみたら・・」
主人の言葉に一瞬、驚いて返事が出来ませんでした。
その夜、主人の激しい責めで意識が朦朧となり、いつの間にかスワップするこ
とを了承させられてしまったんです。
こんな事で、私達夫婦は新しいセックスの世界へと嵌まり込んでいきました。
約4年間、主人が亡くなるまでその夫婦交換のサークルで、信頼のおける8組
の夫婦と楽しんできました。
ただ、主人が亡くなる前の、タイへ長期出張している時でした。
主人から電話があり、
「滝山さんに会って、彼の要求を聞いてくれないか?。」
と言ってきたんです。
よく理解できなかったんですが、とにかく私一人で会うことにしました。
それは、土曜日の朝です。
滝山さんは、もう一人桑原さんと言う人と、女性のカメラマンを一緒につれて
来られてました。
四人で向かったのは、岡山の牛窓というリゾート地の優雅なコテージでした。
「奥さん、あなたのご主人からの指示がありましてね、俺たち二人の男で、
奥さんを犯しているようなビデオを撮影してくれという訳です。」
「えぇ、本当なの???」
「その為、まだカメラマンの卵ですが、安心の出来る女性の須藤さんを一緒に
きて貰いました。」
「奥さん、須藤です。よろしくお願いします。」
「・・・」
私はどう返事をすればいいのか、困ってしまった。
滝山さんが、
「まあ、あまり硬くならないで、いつものサークルのように楽しめばいいん
じゃないの。」といって、その場の空気を和らげてくれました。
それから、お酒が入りみんなほろ酔い気分となって、落ち着いてきました。
あとは、“ある家の主婦を二人の男が陵辱する”という筋書きで、撮影が始ま
りました。
私は、いつものように滝山さんに縛られて、桑原さんと二人がかりで犯されて
いました。撮影されているというだけで、中々いい気持ちにはならなかった事
は事実でした。
約2時間の拘束を休憩を挟んで3回ほど繰り返しました。
撮影が終わった時は、もう日が暮れており、もうくたくたでした。
なぜか、最後にカメラマンの須藤さんも縛られて、カメラに撮られていまし
た。よく、わかりません。
この夜、タイの主人に電話を入れて、思いっきり文句をいいましたが、主人は
「滝山さんから連絡があって、凄いシーンが撮影できたと、大喜びでいってた
よ。」とあっけらかんとしたものでした。
こんなことがあって、2週間ほどしてからでしたね。主人が事故に巻き込まれ
たのは。
私は一体なにをしていたんだろうかと随分と歎きました。
こんな事になるんだったら、あんなビデオを撮るんじゃなかんたのにと、悔ん
でいました。
主人の四十九日の法事も無事済ませて、暫くたってからのことです。
私が留守をしている時に、滝山さんから送ってきたビデオテープを、たまたま
居た息子が受け取ったんです。
好奇心からか、そのテープを息子が観たんです。
外出から帰った私を息子は思いっきり詰りました。
「お母さんは、親父の居ないときに、こんな淫らなことをして、何とも思って
ないのか!」
凄い剣幕でした。
あの優しい息子が、あんなに怒ったのは初めてでした。
私は、息子を私達夫婦の部屋に連れて行きました。
主人と今までの異常だった行為の数々の道具を見せて、夫婦のセックスについ
て、スワッピングについてなど、覆い隠すことなく全てを説明したんです。
直ぐには納得できないような息子でしたが、この時は許してくれました。
理解もしてくれたんだろうと思っていたんですが、ある時、こんな事を言った
んです。
「お母さん、僕にも親父がしていたことをさせてくれよ。」
私は耳を疑いました。
「お母さんを縛らしてくれよ。」
私は何も言い返すことはしませんでした。全ては私の業の悪さなんです。
この後、私は息子の奴隷になっています。ずっと続いているんです。
本当にどうすればいいんでしょうか。
「神よ、私の道を導き給え。」