ゲイ体験告白
2024/12/19 00:33:05(.9.PmJTk)
2回目のケツマンコはまたソファーで半ば座ったカエルの様な正常位でした。
Kさんは私の口から抜いたペニスをそのまま生でアナルにあてがわれました。入れる寸前で無言で私の顔をみています。
自分で選べという意味だったと思いますが、首を振って嫌われたくない思いで、私は頷いていましました。”ください”と。
ゆっくりと生で貫かれました。最初はゆっくり、そしてその後本格的にピストンされながら。
恥ずべき排泄器官に生のペニスを受け入れていることに、強い被虐感と興奮を覚えていました。
Kさんは私が逝きそうになると乳首をちぎれるくらい噛んで止めさせます。私のペニスには一切触れられません。
逝きそうや、そういって動きを早めて私に腰をうちつけましたが、またもや私は先にトコロテンしてしまいました。
するとKさんはペニスを抜いたのですが、顔の前にきたペニスに私は躊躇なく口で奉仕しました。自分を支配するペニスが愛おしかったのです。そして初めて口の中に出された精子を迷いなく飲み込みました。
会社に戻ってから仕事は手につかず、やはり生で受け入れてしまった後悔はありましたが、思い出しながらトイレで自慰しました。
続きます・・
24/12/19 00:33
(.9.PmJTk)
3回目に会うときには、メールで”子種を孕ませる”そう事前に宣言されました。
これも私に選択肢がありました。嫌なら行かなければよかったんですから。でも行ってしまいました。
この時は首輪を付けられ手枷足枷をはめられました。
Kさんはビデオカメラを準備していて、記念すべきはじめての種付けを記念に残してやろうと言われました。
乳首を出血するまで厳しく責められ口で奉仕して。。
後ろ手で拘束され身動きができない状態で、首輪を引かれて首を絞められながらソファーでバックで貫かれました。
見えませんが当然、生です。
バックで激しくピストンされて”気持ちええぞ。ええマンコや”・・・
Kさんが感じたあかつきには種付けされる・・・
その被虐的感覚にどうしようもなく感じてあえぎ声がとまりませんでした。
”逝きそうや” Kさんの動きが早くなり、私の顔を後ろに向かせるとキスされました。
男性とは初めてのキスでした。舌を絡ませながら、“俺の種孕みたいか?”そう言われて、夢中で頷きました。
そしてKさんの動きが止まり。。正直なところ感覚は全く分かりませんでしたが、中に出されたのだと分かりました。
排泄器官を男性器で貫かれ蹂躙され、精子を注ぎこまれる・・・
最後の砦の自分の男性というもの否定され支配された感覚に、私も細かく痙攣しながら逝きました。”逝く、逝く”とと叫びながら。
へたり込んだ自分の内股に垂れてくるものを感じながら、硬さを失った自分を支配したペニスを迷うことなく、丁寧に口で綺麗にしました。
それからは、”どこに欲しいんや”と”聞かれると、
”ください,中にください” ”孕ませてください” と懇願して、毎回、数え切れないくらいの子種を注がれました。
Kさんの精子を注がれる絶頂で逝き、何度もトコロテンで果てました。
マンションをでると出来るだけ種が出ない様に、ゆるんだアナルを締めながら帰り奥底に注がれた精子を吸収して孕む感覚に、痛む乳首をなぶりながら何度も自慰しました。
続きます・・
24/12/19 00:34
(.9.PmJTk)
時間がないときは、駅やホテルのトイレで短時間で子種を頂くこともありました。
私は妻子持ちなのですが、家族ででかけた際に合間の20分ほどでKさんの子種を頂き、種が漏れない様にアナルを締めながら家族でレストランで食事したこともありました。
Kさんは子供を産んだ女性の様な乳首にさせたいと、乳首を責めるのが特にお好きでした。
首輪・手枷・足枷で自由を奪われ、SMグッズの裁縫用具みたいなニップルクランプで乳首に厳しい責めを受けました。
ニップルクランプは時間が経つとしびれる様な独特の痛みで身体が震えてきます。
これを時々ひぱって外されるのですが、激しい痛みで顔は歪み体が崩れ落ちてしまいます。
SMグッズの洗濯ばさみで胸を無数につままれて乳輪周りも真っ赤になり腫れあがります。
中心の乳首はクランプで責められ吸引器で吸われて腫れ上がって充血し、触れられるだけで痛みむのですが、その乳首を千切れるくらい噛まれたり、またつぶして責められ続けました。
これだけでも肥大していきましたが調教開始から半年ほどでしょうか、Kさんにオエストロジェルという女性ホルモン軟膏を渡されました。
家で腫れ上がった乳首とケツマンコに毎日塗り込んでマッサージする様を写メで送る様に命じられました。
流石に女性ホルモンは怖かったのですが、身も心もKさんに支配されたわたしは従いました。
乳首は徐々に黒く小豆大でしょうか、露骨に大きくなり常に勃つ様になり、胸も僅かですが膨らみました。
人に見せられない変態ですね、Tシャツ1枚では恥ずかしくて出歩けなくなりました。
普段は乳首にテープを貼って隠さなくては、シャツは着られません。
でも、感度はどんどんよくなって乳首を責められるだけで我慢汁が出るくらい感じる様になりました。
体毛は薄くなり、Kさんと会うときは女性様の下着を着ける様になりました。。
乳首に注射針を刺され貫通されたり、責めはエスカレートしていきました。
調教開始から1年くらいでしょうか、家族に嘘をついて初めて泊まりで調教いただいてついに乳首責めだけで逝った時、以前から宣言されていたのですが肥大した乳首にKさんの手でピアスを貫通して着けていただきました。
専用の針はそういう構造で我慢できるとはいえ激痛です。でもその痛みが奴隷の証で喜びでした。
喉尺はKさんに満足していただくためなら苦しさではなく快感で初めから得意?だったのかもしれませんが、喉奥を締めたりゆるめたりしながらKさん好みの奉仕をできる様になりました。
無理ならいいけど、と言われていたフィストは痛みで一歩手前でどうしても貫通できませんでした。
でもKさんの望みに応じたくて、お願いして人生でただの1回ですが当時合法だった○◎を使っていただいて貫通していただき、Kさんの拳も受け入れられる様になりました。
最初の出会いのときの想像を遙かに超えた経験と身体になりましたが、今思えば、この頃が私の人生で一番幸せだったのでしょう。
続きます・・
24/12/19 00:34
(.9.PmJTk)
Kさんが渡米されるまで、約3年間関係は続き、終わりました。
自分の人生で女性の中に射精した回数の100倍くらいの子種を、ケツマンコにいただいたと思います。
今は胸は元のサイズに戻り、乳首ピアスの孔も分からなくなっていますが、乳首は黒く肥大したままです。
その後は40代半ばまででなんだかんだで10人くらいのS男性と関係を持ちましたが、50代半ばとなり仕事と子供のために生きながら、時にKさんとの動画を見ては自慰している現在です。
長文でしたが、私の思い出です。
お付き合いいただきありがとうございました。
24/12/19 00:35
(.9.PmJTk)
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