2022/11/28 16:45:43
(ohrLtzpW)
私が横浜に出てきた来た1970年代、今のソープランドはトルコ風呂
と呼ばれていた。中学から付き合い始めて高校2年まで彼女一筋で
いろいろ言い寄ってくる女子には目もくれずだった。地方の田舎は
結構因習めいたものがあって、彼女とも大っぴらに二人きりで
会ってデートなんてできない相談だった。当時はフリーセックス
とか話題になっていたけれど、まだまだ処女は結婚までとっておく
というのが女子の心得で、どんなに惹かれあってもぐっと
こらえて我慢するのが男の義みたいなもんだった。二人して
高校に合格した日、村の鎮守に二人でお礼参りに行った。
あたりには誰もいなかったので、社の裏で初めて抱きしめあった。
男の一物は一気に勃起。彼女はすぐに気付いた。
「これ、わたしのせい?」そう言って私の股間を覆うように手を
押し付けられた。そして言った。「ダメよ。結婚するまでは、ダメ」
そう言って体を離そうとした。それをぐっと抱き止めて
「でも、ガマンできないんだ。頼む。」
とせがんだ。でも彼女は頑なにダメと言い続けた。そして
「結婚までは、一人でして。いつもしてるでしょ」とオナニーに
はまってる私を見透かしたように言われ、反射的に離れた。
それからというもの、機会あるごとに彼女にセックスさしてくれる
ように懇願していたのだが、それが悪かったのかだんだん距離を置か
れ、高校2年の秋、ついに言ってしまった。「そんなにさせて
くれないんなら、別の女としちゃうぞ」と。言ってからしまったと
思っても時すでに遅し。彼女は潔癖だった。「あなたってホントに
それしかないのね。じゃあ、好きにすればいいわ!」それを境に
口もきいてくれなくなり、村にも居づらい感じがし始め、それなら
と進学する予定はなかった大学に受かるべく勉強に燃えた。その成果が
実を結び都会の大学に合格。叔父のやってるアパート入り一人暮らし
をすることになった。
それで驚いたのは、大学に入って知り合った男友達の多くが、
二十歳前に彼女とかトルコに行って経験済みだと言っていたこ
とだ。大学にはこれといった魅力的な女子がおらず、なんか
彼女をもつということに抵抗感があって一人でいたが、そう
いう話を聞かされるたびにムラムラしてやるせなかった。その
ことを仲良くなった友人にいったら、彼は特定の彼女とか鬱陶しい
からトルコに行ってやらしてもらったという。入浴料5000円払って
体を洗ってくれる女性が気に入ったら中で2万円払うといえば
セックスさしてくれるというのだ。半信半疑だったが、溢れて
来るような性欲に負けて、夏にバイトした金を握りしめて決死の
思いで行ったのが今は無き横浜駅西口トルコだった。友人から大体の
概要は聞いていたが、小さなビルの階段を上って店の前に立った
時は緊張で手先がしびれる感じだったのを今でも覚えている。
入口を入るとカウンターにお婆さんがいた。もじもじしていると
「あんた、若いね。ここは初めてかい?」
となれなれしく聞かれた。しかし、緊張のあまり声がかすれ
「は、はい~!」と声が裏返ってしまったら、お婆さんが、
「そんな、緊張せんでもいいで。いい子おるからくつろいで」
と言われてしまった。お婆さんは私をカウンターの近くに
呼んで耳を貸せというような合図をした。すると小指を立てて
「あんた、まだ、これとしとらんな?ホントの初めてやな?」
といわれ焦ってしまった。「そういうあんたはんにぴったりの
おなごおるけん。ちと待てるか?」というので、予定もないので
大丈夫と答えると、待合のソファーに案内された。奥の方に離
れて二人ほどの今の私くらいの高齢の感じの男性がいたのが
妙に記憶にある。ソファーの前のテーブルにはいろいろな
エロ系雑誌がおかれていて興奮を高めておけるようになっていた。
少しして身なりを正したボーイがお茶とおしぼりを持ってきて
くれて、助かった。もう、喉がカラカラだったのだ。ボーイ
が立ち去る前に一気に飲み干すともういっぱいいかがかと聞かれ
すかさず