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2017/12/14 03:03:20
昭和40年代の初め頃に母親と秘密のクラブでいやらしいショーに出されていました。
母は本当に鞭やペンチなどで痛め付けられるSMショー。
私もいやらしい身体検査と体罰のショー。
メンスの時もされました。
必ず母との親子レズショーがありました。

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投稿者:ゆきお ◆h4ONJivhRc   09140817
2018/01/17 12:21:05   
いつもありがとうございます。60代の女さんの文章は読みやすくわかりやすいです。しかし燃やされた挙句に麻酔無しで性器を縫い合わせられる…想像しただけで恐ろしすぎます。その少女はいまどうしているのでしょう…今日はお休みなんですか?60代の女さんが朝から慰めてるのを妄想してフル勃起です!濡れた貴女のアソコを私の舌で…そんな妄想してしまいます。無理とはわかってますが、また会いたい気持ちが湧いてきます。またお返事よろしくお願いします。
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投稿者:60代の女
2018/01/18 12:29:25   
大変恥ずかしい文を送ってしまって身の置き所もありません。
私がこんな歳のくせに淫乱だとお分かりになったかと思います。
一人で慰める時は女の子に道具を入れる他に、色の薄くなり弾力のなくなってきた乳首を洗濯はさみで挟んだりいたします。
下のビラやお豆は流石に痛みを伴いますのでたまにしかいたしません。
恥毛は白いものが混じっていますが、未だに淫乱である証拠のように茂っています。
ゆきお様ほか何人もの方から私の淫乱さを伺われていると考えると年甲斐もなくいやらしいお汁が下着を汚します。
昨夜は深夜に裸で裏庭に出てみました。
さすがに夜の空気は冷たく、弛んだ乳首も硬くなりました。
母から聞いた、冬の数日間のキャンプ場での責めを受けた女の人は、どのくらい辛かったことでしょう。
裸で谷川から水を汲み、薪を拾わされ、火の粉を浴びながら食事の仕度をしたりして、その合間には残酷で淫らな拷問を受ける生活。
私もまともな仕事に就いてなかったら、優しい主人と結婚してなかったら、あるいはそのような人間と言うよりも家畜か奴隷のような生活を送らされていたかもしれません。
お会いすることは絶対に無いとは思いますが、よろしかったら人に聞かせることの出来なかった話を今後も書かせてください。

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投稿者:ゆきお ◆h4ONJivhRc   09140817
2018/01/18 12:53:40   
本当にいつもありがとうございます。60代の女さんからのお返事が楽しみでなりません。私も時間が無く会う事は叶わないのかなぁ…と寂しく思います。私が貴女の淫乱なところをさらけ出させて責めたい。そんな思いで一杯です。またお話聞かせて下さい。本当に楽しみに待ってます。
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投稿者:60代の女
2018/01/23 02:01:20   
全国的に大変な寒さですね。
こちらでも少しですが雪が積もりました。
夜になると庭が雪明かりでほの白く見えます。
裸で冷たい雪の中に立ってみました。
両手で身体を抱くと自分の身体の温もりが感じられて、昔の母の肌が思い出されます。
直ぐに女の子が熱くなりました。
こんなおばあちゃんなのに…。
大変恥ずかしくはしたないことですけど、裸のままで庭で小便をしてみました。
そのまま興奮を我慢できずに何度かディルドーを使い、やっと先ほど風呂に入って布団に入り休みました。
身体は疲れているのに神経が高ぶっているせいかなかなか寝付けなかったのが、今やっと落ち着いてきました。
またショーの事を少し書きます。
クラブで出産ショーが行われた事があったそうです。
しかし私は見ていません。
母から聞いただけですが、大変な苦痛と危険を伴い、女性にとって神聖な務めである出産をショーとして晒されるなんて、本当に残酷な内容だったのだと思います。
私が経験させられたのは産卵ショーでした。
普通の産卵ショーは、文字通り女の人が膣に入れたゆで卵を産み落とすのですが、私は出産経験が無いためか、お尻に卵を入れられて観客の前で出させられました。
勿論事前に浣腸と洗腸をされて汚いものはお腹に残ってない状態で入れられますが、小さな卵でも、入れられるのも出すのも子供の身体にはけっこう苦痛を伴いました。
卵が入りやすいようにとグリセリンを塗られるのですが、浣腸の薬と同じでお腹の中を痛くして直ぐに出したくなります。
でも大きな卵を出す時は、少しづつとはいかずに、いきなり飛び出すように出てしまい、その度にお尻が裂けてしまいそうな痛みを味わいました。
母は膣から卵を産む産卵ショーをさせられています。
産んだ卵は私が舞台で食べさせられました。
丁度母の生理が始まり、経血の付いた卵を食べたこともあります。
経血は身体の外に出て時間がたつと生臭くなりますが、出て直ぐの時はそれほど臭さは感じないものです。
それでも母から「ごめんなさい、ゆるして」と泣かれました。
滅多に無かったけど、母親がまだ剥けてない男の子の皮を剥いてあげ、射精までさせるショーでは、本当に絵に描いたような華奢できれいな男の子と、上品そうな母親が出されました。
皮を剥かれている男の子が「お母様、痛い…」と訴える言葉使いはお芝居ではなく、普段から使っているような自然さでした。
母親も涙は流していましたが、毅然とした感じで本当に良い家の人みたいに思えました。
やはりそれなりの事情があってショーに無理矢理出されたのでしょう。
観客の一人が盛んに「二人を借りたい」とクラブの世話役に頼んでいましたが、「絶対に無理なんです」と断られていました。
母も私も心の中で「良かった」と他人の事ですが嬉しく思いました。
ショーに出される人の中には「自分が不幸だから周りも不幸になってしまえ」と考える人もたまにはいましたが、殆んどは人の事を可哀想とか考えてあげられる善良な人だったと思います。
すみません、夜がふけました。
また書き込みいたします。、
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投稿者:ゆきお ◆h4ONJivhRc   09140817
2018/01/23 07:48:01   
楽しみに待ってました。ありがとうございます。昨日からの寒さで体調を崩さないようにして下さいね。出産ショーてすか?そんな事まで行われていたんですね。ちょっと恐ろしい気がします。産卵ショーはエロ動画で見たことはありますがエロいですね。60代の女さんの産卵シーンを想像して(食べたい…)と思ってしまいました。貴女の小便姿、ディルドでの自慰姿…想像しただけで勃起します。貴女の中に入ったディルドを舐めたい。そう思ってしまいました。貴女とお話出来て本当に嬉しく思います。またお返事待ってますね。
47
投稿者:エロ熊♂
2018/01/24 18:52:49   
60代の女様。
初めまして、エロ熊と申します。
当方、日曜日からインフルエンザに感染してしまい、現在自宅にて療養中の身です。
普段ならこのサイトを利用しておりますが、性的虐待体験のスレッドは、人が虐待されている描写への恐怖もあり、訪問を控えておりましたが、体力の回復と時間的余裕があり、普段訪問しないこのスレッドを覗いて見ました。
60代の女さんのスレッドには、凄い衝撃と過去を思い出し、更に興奮が昂まって来てしまいました。
過去とは、自分が18~19に掛けて時間を見つけては、バイト代を握り締めて、頻繁に通ったストリップ劇場での情景です。
当時のストリップ劇場は、白黒ショーか全盛で、踊り子さん達のショーの後は、殆どで観客を舞台に上げ、ゴムを付けて騎乗位で抜いてくれると云うものでした。
ただ、その踊り子さん達のショーも、花電車と云われるものなら、レズビアンショー、観客席から踊り子さんの女の子にバイブを入れさせて貰うなど、嗜好が凝らされた演目が多かった事を思い出しました。
しかしながら、60代の女さんが経験されて来た、壮絶ななものに比べると、なんと生易しい世界だったんだろうと思います。
其れと、当方も今年56を迎えます。60代の女さんが歩んで来られた10代~20代に掛けて、少なからずオーバーラップしている時があったのではと思うだけで、愚息が反応してしまいました。
あの時代であれば、考えられる世界だと思います。

当方も、60代の女さんのスレッドを、心待ちにしております。
書きたいところだけで、結構ですので、宜しくお願い致します。

エロ熊

48
投稿者:60代の女
2018/01/25 03:54:54   
新しい方が読んで下さってとても恥ずかしいと共に内心嬉しく感じます。
本当に今考えると、惨めで悲惨なことでした。
何より悲惨なのは、ショーに出された女の人の殆んどが、今のアダルトビデオのようにお金をもらうために自分の意思で出ていたのでは無く、無理矢理に出されていた事でしょうか。
私のように継父から出されたと言うのも辛いものでしたが、中には実の親から、あるいは実の子供から出された女の人もいました。
たとえ肉体的に苦痛を伴わない小さな姉妹によるレズビアンなどでも、その子供が将来羞恥心が芽生え普通の人の性を知った時に心の中で苦しんだと思います。
何よりも他人に知られるわけにはいかないので、相談や打ち明ける相手がいない事が、何よりも辛いことだったのではないでしょうか。
ショーには土曜日に出される事が多かったのですが、学校の友達は皆、半ドン早く帰れると喜んでいるのに、私一人だけその夜ショーの事を考えて憂鬱でした。
性の肉体的な快楽を知ってしまっても、羞恥心と屈辱感と、そんな変態に快感を感じてしまった自分への嫌悪で辛かったです。
このチャットでも、心無いからか無知からなのか、虐められた経験を告白する女の人に、「快感を味わえて良かっただろう」と語りかける書き込みも見られますが、告白する人の感情はそれほど単純なことではないと思います。
つまらない気持ちを長々と書いてすみません。
当時は今のように簡単にデジタルや携帯電話で写真を撮ることが出来ませんでした。
そのためかショーの途中にクラブの人が責めを受けている女の人の写真を写し、それを売る事が行われていました。
観客の人がカメラを持ち込むのは禁止されていていました。
クラブが写して売る写真は、女の人の顔に目隠しのような黒い線を入れて、個人が特定されないようにしてくれていました。
しかし性器ははっきりと写っており、大人の女の人の写真は法律に触れるものでした。
反面今と違って、当時は下の毛がない子供の裸については問題にならず、私など女の子がはっきりと写った写真を何枚も撮られています。
還暦に近い女の人も「こんな姿を写さないで」と泣いていましたが、縛られて女の子を剥き出しにした写真を写されましたが、けしてきれいではないその写真がいっぱい売れたと聞きました。
自慢ではないのですが、私と母の写真もけっこう人気があったと聞いています。
私と母の写真は、継父がかなりの枚数集めていて、母が亡くなる直前までは実家に有りました。
その後遺品を整理するときには見つかりませんでしたので、母が全て処分してくれたのだと思います。
最後に写真を見た時に、痩せた当時の私の身体にいやらしい道具が突き刺さり顔をしかめている写真を見て、当時の自分に対する嫌悪と、何とも表現しずらい興奮を同時に感じて、涙が出ると共に胸を片手で触ってしまった事を思い出します。
殆んどの写真は白黒でしたが、竹藪で母が裸体で責められてるカラー写真は、 青々とした竹藪とそこに浮き出した美しい頃の白い母の裸体の対比が素晴らしく、いやらしさより美しいと感じました。
母が白人の女の人と一緒に裸で晒されている写真は、白人の女の人が怒ったように叫んでいるのに対して、片足を軽く曲げて女の子を出来るだけ隠そうして俯いている羞恥を含んだ母の方が、スタイルがよく若い白人の女の人より遥かにきれいに思えました。
これも母から聞いたことですが、日本の男の人は女の人を恥ずかしがるように責めるのに対して、外人の男の人は激しい苦痛を与え痛みで泣き叫ぶ女の人を見るのを好むことが多いそうです。
すみません、またつまらない話になりました。
失礼します。
49
投稿者:60代の女
2018/01/25 10:00:39   
大変な寒さと雪です。
交通事情の為に、今日予定していた用事が出来なくなり、また家に戻りました。
私が受けた寒さ責めについて、前に少し書いたことがあります。
でも所詮舞台で行われるショーの中であって、本当に寒さで死にそうなものではありませんでした。
氷水に浸けられた時間も短く、ちゃんと身体を拭くタオルも温かいストーブも楽屋に用意されていました。
しかし、世の中には寒さで凍え死ぬかもしれないような責めをされていた人がいる話を母から聞いた事があります。
昭和の20年代の前半、世間全体がまだ戦後の混乱と貧しさの中にあるころ、母がその家に女中のとして短い間働いた時に実際に見た事だそうです。
その家は家族が四人と住み込みの女中さん一人の五人が住んでいて、女中さんが病気になったから、治るまでの間だけ女中として働らかないかと話があり、当時は食べるためにどんな仕事でもありがたいと思ってその日から仕事に出たそうです。
しかし四人は家族ではなく、女の人は皆全裸で鍵つきの足枷の鎖で繋がれていて、ただ男の人から責められるために住んでいました。
冬でしたが家の中の火の気は男の人のいる座敷の火鉢と母が煮炊きする台所のかまどしかなく、しかも昔風の古い大きな家だったから、重ね着をして火を炊いていても寒かったそうです。
そんな家の土間にむしろを敷いた上に三人の女の人は繋がれており、寒さに耐えるためにいつもお互いに抱き合っていたそうです。
まだ食糧難で白米のご飯を食べるのは贅沢だったのに、その家では三度とも白米を炊き、それを男の人が存分に食べた後に母も好きなだけ食べさせてもらえたそうです。
しかし三人の女の人の食事は男の人と母の食べ残した僅かな残りであり、三人に見られながらの食事では食べた気持ちにならなかったと言っていました。
三人は普段は男の人から命令されない限りは喋らず、母も話をしたことがなかったそうです。
一度だけ中の一人が「お許しください」と一言喋ったことで、三人とも全身に赤く痕がつき気絶するほど激しく鞭で叩かれ、その肌に塩を塗られたそうです。
その三人が大晦日の夜に家から外に放り出されました。
小雪が舞い風が激しい夜だったそうです。
たとえ僅かな温もりでもある家の中から、寒風の吹き雪が舞う外に出されて、三人は喋る許しもないのに「お願いです。入れてください。」「凍えてしまいます。」 「お助けください。助けて。」と泣き叫び、それに対して男の人は無情にも母にバケツに水を汲ませ、それを三人に掛かるように何度も撒いたそうです。
最後はガクガク震えながら抱き合って庭の土の上に座り込んだ三人に男の人は「一人選べ、あとの二人は許してやる」「一人は一晩木に吊るす」と恐ろしいことを言いました。
一晩吊るされたら多分死にます。
誰も名乗り出なかったら、業を煮やして男の人は「お前や」と言って一番背の低い小柄な女の人を引っ張りだしました。
それから母に「縄と滑車あるとこ分かるかい」と聞きましたが、母はあまりの恐ろしさに声も出なかったそうです。
すると男の人はむしろ上機嫌な声で「分からんやろうな、良いで、わしが出す」と言うと滑車と縄を持ち出し、引き出された女の人を縛り上げると、今度はその縄尻と滑車を持ってするすると家の前の大きな木に登リ、枝に滑車を取り付け縄を掛けました。
木から降りるとあとの二人に、「何をしとるんや、引き上げんかい」と命令し、二人に縄を引かせて縛られている女の人を吊り上げたそうです。
人の身体は重たいものです。
私も吊られたことはありますが、殆んどは電気で動く滑車で吊られました。
人力で吊り上げるのも見たことがありますが、大の男が三人かかりでした。
それを女の人二人で引き上げさせるのは無理だと思いましたが、母の話では二人とも死にもの狂いになって縄を引いたそうです。
友達を吊るすため、吊られたために友達が凍えて死ぬかもしれないのに、逆らいもせずに働くなんて私には考えられません。
しかし母はそのように話してくれました。
吊るされた女の人は、軒の高さより高い位置まで吊られていて、風に身体がブラブラと揺れていたそうです。
男の人は縄をくくりつけて固定し、二人の女の人に「ようやった、入って良いで」と言うと先に家の中に入りました。
二人の女の人が家に入る前に吊るされた女が小さな声で「さよなら」と言うと二人はコクンと頷いたそうです。
もう死ぬ覚悟が出来ていたのかもしれないと思ったと母は話していました。
家に入ったら男の人は上機嫌になって酒を飲み、二人の女の人を四つん這いにして犯し、その後に二人にも少しお酒を飲ませるように母に言いつけて寝たそうです。
母は恐い男の人が寝てる内に助けた方が良いのではと考えて二人に話したところ、「やめて」「仕方ないの」と泣きながら言われました。
それでは警察とか他の人に助けを求めたらと言うと、また泣きながら「家族が…」「私たちはもう死んでるんだから…」と複雑な事情を話してくれたそうです。
しかし母はやはり他の人に助けを求めて来ようと考えていた時に、外から「なんだ?」「人か?」と何人もの男の人の声がして、しばらくして女の人の悲鳴のような声で「ほおって置いてください」「早く行って」と聞こえました。
母が外を伺うと消防団の夜回りの人達が吊るされた女の人に気付いたようでした。
二人が寝室の男の人に教えたところ、「ああ、面倒やな」と言って外に出ていき、しばらくして母に「酒を二本出してくれ」と言うと、その酒を消防団の人に渡し、すでに下ろされていた吊るされていた女の人に「今日は仕方ない、入りな」と言って中に入れました。
家の中では、あとの二人が吊るされた女の人を前後から抱き抱えるようにして温めてあげ、母が男の人に「あの人にも少しお酒をあげても良いでしょうか」と聞くと、「あいつ、命拾いしたな。まあ良いわ、飲ませてやり」と言ったそうです。
すみません、母の話だけでなく途中で私の推測とかも入ってしまってると思います。長くなって申し訳ありません。

50
2018/01/25 12:18:37   
60代の女様。

昨日 書き込みさせて頂いた、エロ熊です。
昨日の書き込み送信時に、IDとアドレス表示を失念しておりました事、申し訳ございませんでした。

今回のスレッドも、現代ではとても想像出来ないものだと思います。
映画やドラマのように、人が創作して全員が演技の元で行うのであれば、未だ 理解出来ますが、寒風吹き荒ぶ軒下に吊るす行為となると、殺人とみなされてもおかしくない行為です。
戦後とは、自分の親世代ですが、生きて行くために自分の身内すら、売り飛ばす事などが、まかり通った時代だったのかと思うと、
現代が如何に恵まれた時代であるか、再認識させられます。
60代の女様が、仰っておられる事で、体は快感を得てるが、心はそうでは無い状態。
自分には経験が無く解りかねますが、もしかしたら、男女の違いもあるのかも知れません。
心が通じ合った中での快楽の追求と、強制から来るものとは、やはり異質なんだろうと思います。
ただ 一度味わってしまった快楽は、身体が覚えてしまっていて、身体の快楽を追い求めてしまう、これが人間の悲しい性なんでしょうね。
取り止めの無い、書き込みになってしまいました。
申し訳ございません。60代の女様のご経験は、未だ未だお持ちのように受けております。お話し頂ける範囲で良いので、お教え頂ければ幸いです。宜しくお願い致します。

51
投稿者:60代の女
2018/01/27 09:56:39   
また書かせていただきます。
エスエムは責める方の立場からは、奴隷の売り買い、人身売買に結び付きやすいのでしょう。
意思のある一人の人間を、その意思を無視して道具のように売り買うこと自体で興奮を覚えるようです。
責められる方でも、それを精神的な責めと受け止め受け入れる人もいました。
しかし私は愛情を感じられる人との関係を続ける、例えば夫婦でのエスエムの方が幸せに思えます。
貸し出し等も、あくまでご主人様の元に帰れると言う前提でないと、責められる方は快感などを一時的に感じたとしても、不安や恐怖のため、やがては性的な事自体に嫌悪を覚えて不感症や酷い場合には精神的な病気になることがあります。
私の知ってる貸し出し等もさせられてた女の人は、重症ではないものの鬱病になり、安定剤を処方されました。
貸し出しは一応本人の承諾の上ですることですが、人身売買という法律に触れる事も裏の世界では今もあるのでしょうね。
昔、クラブの楽屋で母や他の女の人が一冊の本を読みながら、何か話していました。
「恐いわね」とか「外国はやっぱりあるのよ」とかの話から、慌てん坊の私は外国の怪談オカルトのような本かと思い、母達がショーの用意のために本を置いたあと、手にとって見てみました。
紙の質も悪くも元々は外国語で印刷されていて、その行間や余白に多分翻訳したものと思われる日本語が手書きで書かれていました。
所々に外人の女の人の写真があり、その写真も服を着ているものも有れば裸のものもあり、普通の生活の中で撮された感じの写真もあれば厳しく縛られてるものもありました。
中には歳の若い女の子や幼い子供の写真もありました。
その時は日本語を読む暇がなく本を置いたのですが、1ヶ月ほどして時間のある時に楽屋でまたその本を見つけてゆっくり読みました。
それは外国の今で言う交際雑誌のようでしたが、恐ろしいのは交際のみでなく、人身売買の取引希望も載せられていたことです。
日本語で書かれた内容ですが正確に覚えているわけではありませんが
「40歳の主婦、子供一人出産、調教23年 、子供が家庭から出たので売却希望」
「35歳の母親と12歳の娘、娘は処女、高価買い取り願う」
「12歳と9歳の姉妹、共に処女、養子として買い取り希望」
など、あのようなショーに出されている私でも恐ろしい内容でした。
世間の方なら完全に虚構の中の事だと思ってしまうかもしれませんが、私や母が置かれていた当時のクラブでの出来事を考えたら、「こんなこともあり得る」と思ってしまう内容でした。
前の方のページには、一人息子が父親と相談して、父親が新しい若い女性と結婚できるように母親に性的な拷問を行い、無理矢理離婚届に署名させ、その後は母親を奴隷として使っていると言う嘘のような手記が載っていました。
ビキニパンツ一枚で後ろ手に縛られて息子と思われる若い男の人のあれを口に入れられているやや太って大きな乳房をした女の写真が載っていました。
確かに二人の顔や髪の毛の色も似ていていました。
まるで楽しいおもちゃを手に入れたような息子の顔と、疲れて諦めたような母親の顔が本物のように感じられました。
他にも裸の10歳の男女の子供が、鞭を持った若い男の人からアクロバットの調教を受けている写真や、映画で見るような奴隷市場で競り台に立たされている裸の母親とまだ8歳の息子、顔はきれいで上品そうなのに張りがなくなってぶら下がった乳房を晒して全裸で畑仕事をさせられている58歳の女の人。
写真だけでなく、日本語で書かれた説明を読むと、本当に恐ろしい本だと分かりました。
その夜に母に本を読んだ事を話して、自分達も売られてしまうのかと胸の中にあった不安を打ち明けましたが、母の「そんなこと、絶対にないから。お継父さんは貴女も私もとっても好きなの。」「手元に置いてるだけじゃなくて、自慢したいからクラブに行かせるだけ。大丈夫よ。」と抱き締めてくれました。
直接私のされたことの話ではなくて申し訳ありません。
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