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2017/09/25 12:51:53 (BwSxbMJg)
昔の話です。

私は24歳まで、四国のある島に住んでいました。親父が15の時に亡くなり、年の離れた兄姉は『イッペイを高校に行かせよう。』と母に助言をします。
『母とその島を出ろ。』と言うことを意味していました。ハナから高校になど行くつもりもなかった私でした。
ですから、島を離れて暮らす兄姉の言葉など耳に入らず、その島で働き始めることになります。母も住み慣れたここに残ることが出来、喜んでいたと思います。

初体験は、16の時でした。島の外れに一人で住んでいた、アケさんという70歳を過ぎた婆さんでした。今の70歳の女性とは違い、背中も丸くなった老婆です。
婆さんが何も言わないことをいいことに、最後までさせてもらい、仕事帰りには押し掛けて、毎日のように婆さんを抱いていました。

しかし、やはり狭い島です。変な噂が出始め、これ以上広がせないために、その噂は母の耳にいち早く入れられました。
親父には何度も殴られましたが、逆に母に怒られた記憶がありません。母は、いつも私の味方でしたから。そのため、怒る回路が母には無かったのです。
『アケさん、お婆ちゃんだから。』『もう、アケさんちに行ったらいかんよ。』とその程度しか僕に言えなかったのです。
それでも、女を覚えたばかりの私はガマンが出来ずに、隙を見つけては婆さんを抱きに行きました。

そんな私が、婆さんの家に行かなくなったのは、すぐのことでした。アケさんの家に母がやって来て、見つかってしまったのです。
行為そのものは見られませんでしたが、16歳の息子が、70歳過ぎた婆さんを我が物のように抱き締めて離さないのです。
その姿を見た母は泣いていました。そして泣きながら、外灯もない真っ暗な道を僕を引き連れて帰るのでした。

その夜。その日婆さんと出来なかったため、悶々としながら蚊帳で寝ていた私の元に、母がやって来たのです。
『もう絶対、アケさんとこに行ったらいかんよ。』とだけ言うと、母は私の足元に屈み込み、両手でバンツを触ろうとして来ました。
申し訳なさそうにバンツに手を掛け、チンポを横から取り出そうとする仕草。変な感じでした。母がとても小さく、とても遠くに感じました。

母の手で取り出されてチンポは、すぐに大きくなってしまいます。そして、そのチンポを食わえると、僕の視線を外すように両手で隠すように壁を作りました。
やはり、やってはいけないことと分かっていて、それをしている自分。その姿は、やはり僕には見せたくないようでした。
僕からは母の立てた両手がジャマで、対して見ることが出来ません。母も頭を最低限にしか振らず、決して全てを見せようとはしませんでした。

初めてのフェラでした。婆さんの口に無理矢理突っ込んだこともありましたが、すぐに吐き出してしまうので、口の体温しか感覚が残ってなかったのです。
好き勝手に突っ込んでいればいいオマンコとは全然違いました。かゆいところにでも手が届くくらいに、『気持ちよくしてくれよ~。』と他人任せなのです。

母の頭が小刻みに振られていました。こちらからは何も見えませんが、チンポの裏側に何度も舌を押し付けて舐めていました。
母の口に射精をすると、小刻みな頭の動きも止まります。小さな口をすぼめ、僕の精液搾り取って全部を口に含んだまま、部屋から出ていった母でした。


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2
投稿者:イッペイ
2017/09/25 15:05:37    (BwSxbMJg)
母は台所の流しで口をゆすいでいました。蛇口からは大量の水が流れていて、口から吐いたと思われる私の精液は排水口から、遠くに遠くに流されていました。

母は想定外でした。いま抜いたばかりの私がさっさと部屋から出てきて、自分を求めてくるとは思ってなかったのです。
数回唇をゆるすと、『このままでは。』と私の手をひいて自分の部屋に連れて行きました。

エアコンもない部屋で窓とカーテンは締められ、薄暗い電気も消されました。ここで母は私に身体を開いてくれたのです。
僅かな月明かりだけなので、部屋は真っ暗でした。母の顔は消えて、輪郭だけが残る感じです。お互いの大量の汗が気持ち悪かったのを思い出します。
母は終始無言でした。チンポが入り、腰を振っても、何一つ発しません。顔は見えませんが、口をへの字にして我慢していたのかも知れません。
隣の家の方が、きっと真向かいの部屋で寝ていると思われ、母もさすがに気を使ったのです。
ほんの僅かに聞こえる、『ウッ……、ウッ……、』という母の声に、想像を働かせて腰を振りつづけていました。

婆さん相手に中出しするのが当然でしたので、それは母親相手だろうが変わりませんでした。私自身にに避妊具をつけるという考え方がなかったのです。
母との初めてのセックスは終わりました。射精の際に、母が身体を捻って逃げようとしましたが、私の重い身体から離れるまではいきませんでした。

母には想定外のことが、もう1つありました。息子の若さでした。年寄りの婆さん相手にでも、毎日通っていた私です。母はそれを知らなかったのです。
婆さんよりも20歳は若い女の身体。それが母親だろうがさせてくれるのなら、盛りのついたような若者の歯止めなど効くはずがありませんでした。
母は、毎日私に身体を開いていました。日曜日ならば、4~5回も相手をすることもあります。

深夜に家を抜け出し、浜辺に行きます。浜辺の一番奥は少し木で覆われて見えにくくなっていて、こんな夜中に来る人などもいません。
波の音がある程度かき消してくれるため、そこが母が女の声を出せる唯一の場所となりました。

3
投稿者:宍道湖
2017/09/25 15:27:18    (6vC1OI.z)
母子相姦ねえ。
4
投稿者:(無名)
2017/09/25 16:50:05    (5O1ElNGN)
親父が15の時死んで16の時殴られる

5
2017/09/25 21:34:24    (4TLgTZ5L)
4へ
親父には何度も殴られましたが、逆に母に怒られた記憶がありませんってのは、15の時に亡くなった親父には生前何度も殴られた記憶はあるが16の時に殴られたという意味で書いたんじゃないだろ。
揚げ足取る前に文章読解力付けような。

イッペイさん、続きお願いしますm(_ _)m
6
投稿者:(無名)
2017/09/25 23:43:42    (sVH8O2KG)
クマ再びの説明もそのまんまじゃねぇかw
15の時に死んでるのに16で殴られてんだろ?
7
投稿者:(無名)
2017/09/26 08:16:16    (REqM0vbK)
>>4,>>6 、クマ再びさんの言う通りだよ!
筆者は「16才の時、母の耳に入った。父には何度も殴られた記憶が有ったが、母にはそれまでに怒られた事が無かった。」という内容を書いている。
理解するまで、もう一度読んでごらん。
8
投稿者:(無名)
2017/09/26 10:55:35    (jcQ.uliL)
わざわざクマ再びさんが15の時に亡くなった親父には生前何度も殴られたと書いてくれてるのに16の時にも親父が生きてると思ってんの?
文章読解力の前に日本語理解してる?
9
投稿者:イッペイ
2017/09/26 18:23:33    (YesNg9gk)
コメントいただいた方々へ。
文章力がなく、分かりにくい部分があったのは謝ります。ただのド素人が書いていますので、その辺りはご了承ください。m(._.)m


仕事は本来は17時までですが、こんな島ですから、ある程度の融通がききました。適当に理由をつければ、14時にあがれることも出来たのです。
14時にあがった日は、そのまま婆さんの家に行ってコトを済ませ、その夜にはなに食わぬ顔をして、自分の母を抱くのです。
二人の女を立て続けに抱くというのは、子供ながらに贅沢なのを認識していました。いま思えば、人生で一番女に不自由していなかった時期でもありました。

婆さんも母も共通点がありました。声をあげないことです。婆さんは年齢的なことが理由。母は狭い近所の手前、毎晩必死でガマンをしているのです。
ところが、その頃になると僕のテクニック的なものも上達してしまい、母自身耐えきれないことが何度も出てきました。そこで向かったのが、あの浜辺でした。

深夜12時を過ぎた頃、私が今日2度目の母を求めました。『ガマンして!もうガマンしてよー!』と母が制止しますが、私は止まりません。
『そしたら、ちょっと待って!』と私から離れると、寝巻きの上に一枚羽織ります。そのまま、泥棒のように家を出るのです。

母も行き先など、何も決めていませんでした。最悪は二人で島を登って『山の中で。』とも考えていたと思います。
フラフラと歩いて出たのは、誰もいない港のあたり。港の倉庫も覗きながら、母は場所を探していました。
結局いい場所が見つからず、浜辺に出てしまい、浜辺をドンドンと進みます。足場の悪い岩場をサンダルで登り、辿り着いたのが木が茂るこの場所でした。

ゴツゴツした岩場のため、座ることも出来ません。『ここにしようか?』と母に言われ、『こんなとこでするん?』と返します。
母は寝巻きをまくり上げ、下着を足から抜きます。2~3歩足を進めて、いい岩を見つけたのか、そこに手を着きます。
『お母さん、濡らして…。』と言うと、そのお尻を私に突き出します。かぶりつきました。アナルを舐め、手はオマンコに廻ります。
ところが、そこには先客がいました。母の手が、オマンコを何度も擦っているのです。『舐めて。はよ舐めて。』と言われ、僕はアナルを舐め続けました。
母の身体が軽く揺れました。『アッ…!アッ……!』と声をあげていました。
早くオマンコを濡らせようと自分で擦り続け、声を出して自分でテンションを上げようとしているのです。
初めて聞いた母の声でした。それに興奮し、『もっと喜ばせてやろう。』と私も頑張るのでした。

母が振り向き、私の前に足を広げて座ります。真っ暗で見えませんが、昼間ならオマンコ全開といったところです。
パジャマの下をさげると、チンポを数回口に含んだと思うと、振り向き『はよやって。』と私にお尻を突き出します。
お互いに下半身だけ脱いだ状態で、後ろから繋りました。

10
投稿者:(無名)
2017/09/26 18:41:40    (Y.mOpB3x)
イッペイ君父親が何歳まで生きていたか、はっきり教えてくれ。

本当に誤解を与えるよ。
11
投稿者:通りすがり
2017/09/26 21:35:45    (RXUWVq3k)
10番にコメントを投稿した無名さんは、

オヤジがいつ亡くなったかにこだわってるね。

そんなもん、15歳の時に亡くなったと書いてるじゃないの。

それだけのこと。

後は、10番さんの お頭が悪いだけのこと!

誰も 誤解なんかしないよ!

10番さんは、スケベな本能だけが先行しているようだね。

人間は、動物じゃないのだから 本能以上に脳みそを使わないといけないんだよ。

10番さんは、動物と同じレベルのスケベな性欲だけが取り柄のようだね。
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