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お義母さんとの別れ

投稿者:幹彦 ◆1sE4tz/omA
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2017/03/12 18:55:04 (b1Lbpyla)
妻が三か月の闘病生活に幕を下ろし、36歳で旅立ってから二年、三回忌の法要を終

えた。
「お父さんも、あの子も私より先に亡くなっちゃって・・・」
62歳の義母が肩を落とした。
「お婆ちゃん・・・私がいるよ。」
中三の娘が義母を慰めていた。
「あの子が死んじゃったら、私、いつまでも幹夫さんの世話になってられないわね

。私、東京に行くよ・・・」
義母は都会を嫌っていたから妻が引き取っていたが、かねてより東京の義弟が一緒

に住もうと言っていた。
「お義母さん・・・」
私は、義母との別れが切なかった。

私と義母は、娘が生まれるときに男と女で愛し合った。
妻が入院中、身の回りの世話をしてくれていた義母は当時47歳、義父が初孫の顔を

見ることなく亡くなって三年だった。
義母は、まだ23歳だった妻には無い女の色香を撒き散らし、まだ27歳だった禁欲状

態の私を惑わし、若き肉体を貪りつくした。
それ以来、妻の目を盗んで家の外で月2回のペースで密会し、私は熟した肉穴の淫味

に溺れ、義母は若き肉棒に酔い痴れた。

初夏、娘が関東方面に修学旅行へ行った翌日、私と義母は、二人でお別れの温泉旅

行に出かけた。
木漏れ日浴びた山間の温泉宿で、62歳の義母と42歳の義理息子が、男と女として最

後の時間を過ごした。
「お義母さん・・・」
「幹彦さん・・・」
こう呼び合う私達は、旅館の従業員にどのような関係に見えていただろう。
親孝行の息子は、それとも・・・

ゆっくりと大浴場で湯に浸かり、義母と料理に舌鼓、お酒も少しいただいてほろ酔

い加減で、今度は部屋の風呂で肉穴と肉棒を清めた。
布団の上で浴衣が肌蹴た義母の身のこなしに、昭和の女の色香が漂っていた。
抱き寄せると香り立つ女の艶かしさに、四十路男の淫気が奮い立ち、温かな女肉の

抱擁に埋もれた。
揉めば、掌からこぼれ落ちる柔らかな乳房、肉穴の上に震えるクリ肉を剥き出して

舌で弾く。
悦楽の声が艶めかしく響き、義母の手が肉棒を求めて彷徨う。
亡き娘の夫の肉棒にむしゃぶりつき、おもむろに跨ると肉穴に肉棒をズッポリ収め

て、姦淫に溺れていく。
「アアァ・・・アァアァ・・・アアァ・・・」
15年続けてきた悲哀の肉欲がフィナーレを迎えようとしていた。
「お義母さん・・・最後の精液です・・・」
ドクドクと放出された精液を肉壷が吸い尽くした。
グッタリとする義母の肉穴から、トロトロと愛液と精液の混合液が流れ出た。

翌日、夕方に自宅へ到着した。
二人で夕食を食べ、テレビを見ていた。
間もなく東京へ行ってしまう義母を見ていたら、たまらなく愛しくて悲しくて、
「お義母さん・・・もし、お体が平気なら、今夜もいたしましょうか?」
「幹夫さん・・・この家ではいけないよ。この家では・・・あの人と娘が見ている

からさ・・・昨夜が最後、そう決めたじゃない・・・」

3年前、義母が東京へ旅立った。
この3月、娘が東京の大学へ進学するために旅立った。
義母は、孫がやってくるので張り切ってアパートを手配したり大活躍だった。
そして私は、義母が去った後、未亡人と交際している。
3歳年上の彼女は、娘の中学の担任の先生だった。
亡くなったご主人に操を立てて再婚はしなかったが、肉の渇きを癒したかったよう

で、私と利害が一致して、身体の付き合いが始まったのだ。
今は、知的な淑女先生の喘ぎを毎週末の楽しみにして生きている。
いつか、愛しい妻と同じ墓に入るために・・・
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