ナンネットID のアカウントをお持ちですか?
ナンネットID
 
1
2012/09/11 00:24:34 (bnsi/DNp)
幼い時の記憶である。
3~4歳ぐらいのことだろう、はっきりとは記憶にない。
父に連れられ、川のほとりに。
おーい、と呼べば、向こう岸から渡し船が来ることになっている。
父が何度呼んでも、その日は船頭が気が付かないようで、船が来ない。
見かねたのだろう、向こう岸の通行人が船頭の家に向かい、声をかけてくれた。
やっと船頭が出てきて、船をこぎ寄せてきた。
船頭は渋い顔をしている。
父は知らん顔で、船に乗り、膝に俺を抱いた。
船から降りると、父はさっさと船頭の家に入った。
部屋の中では、表情を硬くした小母さんがいた。
俺をどうしようと言ってから、イズメコが出された。
藁を編んで出来た火鉢ぐらいの大きさのもの。
その中に俺は入れられた。
湿っており、気持ち悪い。
が、すぐに自分の体温でその湿りが、ほんわかと温かく、俺の体全体を包んでくれた。
船を舫い、戻ってきた船頭が、俺をイズメコに入れる小母さんを、険しい表情で睨んでいる。
小母さんの案内で、父が奥の部屋へ入っていった。
船頭が奥の部屋へ入る二人をにらんでいる。
部屋のふすまが閉められると、船頭は今度は俺をにらみつけてきた。
変なおじさん、と思いながら、適度に温かい空気に包まれ、俺はすぐに眠ってしまった。
やがて、よく寝ていること、という声に目を覚ました。
さっきは硬い表情をしていた小母さんが、にこやかな顔で、俺をイズメコの中からだし、父に渡した。
小母さんの顔はにこやかというより、デレデレしているような顔であった。
帰りもまた、渡し船で向かい岸へと送ってもらった。
船頭は相変わらず、怖い顔をしている。
父はそれを承知で無視し、澄ました顔をしていた。
奥の部屋で何があったかは、ぐっすり寝ていた俺にはわからない。
でも、船頭と小母さんは、たぶん夫婦ではなかったかと思う。
もう一つの記憶は、父にサイドカーに乗せられ、橋を渡って川向こうに行った時である。
大きな川がゆったりと流れ、大きくカーブしているところで、父は車を止めた。
父は俺を毛布で包んでサイドカーの中に残し、堤防の内側の道を下り、その先の家へと入っていった。
父がいつ戻るか、その家の庭先とゆったりとした川の流れを交互に見ながら、しばらくの時間、俺は父の帰りを待った。
やがて父の姿が見えた。男と、女が一緒だ。男は庭先に残り、父が堤防の道を上り始めると、すぐに家へ入ってしまった。
小母さんは、父と一緒に堤防の道を上ってくる。
父を見る小母さんの顔は、いつかの船頭の小母さんと同じ、デレデレして父を見上げている。
父がオートバイにまたがると、小母さんは父の傍により、何か囁いた。
父の手が、小母さんの尻をなでていたのではないかと思うが、父の陰になって、サイドカーに乗っている俺からはよく見えなかった。
その二つの記憶は、よくは判らないが、父が他人妻とよろしくやってきたのだろう。しかも亭主がいるところで。非道である。
俺は父が浮気に出かけるときの、カムフラージュにされていたようだ。
母は、俺と一緒なら、まさか浮気ではないと思っていたのだろうか。
それでも、亭主の前でその女房を抱くような非道は、隠し通せるものではない。
おまけに俺が小学校に入学するとき、父は俺の将来のためと称し、県都に引っ越した。
仕事は田舎に残したままだから、父は二三日おきに田舎へ単身で出かける。
二三日田舎で過ごし、都会の我が家に帰る、という生活をしていた。
もちろん田舎では仕事と浮気の両方に励んでいたのだろう。
かなりの財産もできたが、俺が大学生のとき、父が脳梗塞で倒れた。
はっきりとはしないが、腹上死寸前だったらしい。
病院からは、家庭での介護は大変だから入院させたら、と言ってもらえている。
でも母や私が看病すると言って、父を家に引き取った。
外見は、けなげな母である。
看病をしながら、外見は良妻である母の復讐が始まった。
半母子家庭状態の我が家では、俺が高校のとき、受検勉強に疲れた俺を慰めるという口実で、母はその身体を俺の自由にさせてきた。
もちろん父には内緒であった。
だが父が寝たきりになると、母は父の眼前で、俺の愛撫を受けるようになった。
涙を流し、悔しがる父に、母は今までの報いよ、といって平然としている。
俺もカムフラージュに利用された嫌な思い出があるので、母には逆らわず、父の前で母に善がり声を上げさせている。
体が全く不自由にもかかわらず、父の健康状態は、この手の患者ではきわめて良好、と母は医者に褒められている。
母は、できるだけ父を長生きさせ、自分の体が息子のものになっているのを見せつけようとしているのだろう。

本当によく看病している。
レスの削除依頼は、レス番号をクリックして下さい
6
投稿者:よしのぶ
2015/10/01 22:27:27    (RyuK9Bdx)
お久しぶりです。
高校の時、との話ですが、遅まきながら。
受験校でしたが、夏休み前に3年の部活終了。
受験勉強に専念するはずが、体力を持て余し、オナニーに専念。
隠れてすればするほど、満足感も不十分で、さらに隠れるチャンスを探し、
ということを繰り返すうちに成績急落。
母に問い詰められ、オナニーを白状。手でしてもらいました。
隠れる必要なく放精できるのは、今までにない快感。
さらには、他の手でその気にされることは、オナニーとは全く違う満足感。
母のおかげで十分に満足することで、机に向かう時間も増え、成績回復。
母の手による毎日一回の満足が、本当のセ○クスを求めるようになったのも自然な流れ。
というより、父とのセ○クスを避けていた母にとっては、むしろ誘導したということなのでしょう。
学校から帰ると、父のいない寝室で、母を抱き、でも、ゴム付き。
父が眠った後に、受験生への夜食を運んできてくれたとき、母の手を借り、最後は母の口の中で果てました。
おかげで、短い時間でも熟睡でき、好成績を維持。無事合格。
喜んだ父が愛人宅で腹情死寸前の脳梗塞で救急車、ということでした。



5
投稿者:(無名)
2012/09/25 22:55:46    (nsp3xHN2)
延喜式、覚えている方はおいででしょうか。
昔、日本史の中に出てきた何かです。
その中で、国民として犯してはならない罪が列挙されているそうです。
自己流に解釈すると、
それは、自分の母親を犯してはいけない、
自分の子を犯してはいけない、
他人でも、親子丼ぶりはいけない、
義母を犯してはいけない、等々です。


でも、私は犯してしまいました。
4
投稿者:(無名)
2012/09/25 22:47:45    (nsp3xHN2)
高校のときは、どんなふうに楽しんだの?
きっかけなど、詳細希望。
3
投稿者:よしのぶ
2012/09/12 23:57:12    (z.h8bO3l)
もう、無理です。たぶん。
私はすでに結婚。もう二児の親。
結婚後も、母との関係は続き(父の目前でのみ)
女房は、子供の世話で、介護どころではありません。
女房の母親に、子育ての手伝いを頼み、
私は父の介護を手伝うといって、母のところに通っています。
時々女房と一緒に、父に孫を見せるため、実家に行きます。
もちろんその時は、母とは何もしません。
父は、孫を見て、うれし涙、と周りでは思っているでしょう。
2
投稿者:(無名)
2012/09/12 10:53:59    (Shxh1i4D)
このパターンは以前にも読んだのでたぶん事実のことだろう。

母のまんこに生挿れ中出しして妊娠(出来る歳?)させ、父親にしっかり復讐してあげなさい。


レス投稿フォーム
名前
トリップ[]
本文

投稿文に自動改行は行われません、適宜改行を行ってください。 # タグ使用不可
「sage」
※投稿を上げない
画像認証

上に表示されている文字を半角英数字で入力してください。
動画掲示板
画像で見せたい女
その他の新着投稿
人気の話題・ネタ
ナンネット人気カテゴリ
information

ご支援ありがとうございます。ナンネットはプレミアム会員様のご支援に支えられております。