決行日は、田中君のリーグ戦の日程や、私と妻の仕事の都合もあって、思ったより時間を経た、初夏の日曜日でした。
場所は我が家。事前の打ち合わせで、いつものように三人でのディナータイムを過ごした後、寝室に場所を移して始めることは予め決めてありました。
仕事を定時で終え、家に着いたのは18時を少し過ぎたところでした。すでに帰宅していた妻は、キッチンで夕飯の支度に取り掛かっています。
「ただいま」
妻の後ろ姿に声を掛けると、妻は一瞬だけ振り返り「おかえりなさい」そう言って調理を続けました。私はネクタイを解きながら妻の後ろ姿を眺め,いつも以上の色気を感じました。それは普段ほとんど身に着けることのないベージュのタイトスカートが、妻のヒップから太腿にかけてのラインを強調していたからかもしれません。
髪をアップにしているため、襟元が大きく開いた紺のサマーセーターから覗く襟足も妖艶に感じられます。
勤務中も上の空で、気持ちが昂ぶっていた私はその場で彼女に抱きつきたくなりましたが、息を一つ吐き出し気持ちを落ち着けると、冷蔵庫からビールを取り出しました。カラカラに渇いた喉へ一気に流し込みながら、妻が今日のことを承諾した日のことを思い出していました。
妻がはっきりとその言葉を口にしたのは、田中君の了承を取り付けてから一週間後でした。その間、お互いにそのことを口にすることはありませんでしたが、その晩、一週間振りのセックスの後に妻から口を開きました。
「ねぇ、あの話って、もしかして田中君にしちゃったの?」
「したよ。どうして?」
「ええっ、ちょっと。『どうして』は私のセリフでしょう。私、まだするともしないとも言ってないじゃない」
「いや、酔った勢いでつい」
「つい、じゃないわよ、こんな恥ずかしいこと」
「ごめん、おまえの承諾も得ずに先走ってしまったことは謝るよ。でも、なんで、もう話したかもって思ったの?」
「彼のメールの様子が少しおかしかったから」
「どう、おかしかった?」
「どうっていうか。なんとなくよ。妙に文章が固いっていうか」
「きっと彼の下半身も固くなっているからだよ」とは言いませんでした。妻が何か大事なことを決心して伝えようとしているのを彼女の声色から感じたので、くだらない冗談でその場の雰囲気を壊すのはよろしくないと自制したからです。
「そっか。気まずい雰囲気になってなくてよかったよ」
「ほんとよ、もう。それで、その、彼、なんて言ってたの?」
案の定、妻は田中君の反応を気にしているようです。
「承諾してくれたよ。このことは絶対口外しないことも約束してくれた。」
「そう、なの」
妻は思いつめた表情で答えました。
「もちろん、おまえが嫌なら、この話はなかったことにするよ。俺にとって一番大切なのはおまえだから」
彼女はしばらくの間、天井を見つめていました。どのくらいそうしていたでしょうか。不意に私のほうに向き直り口を開きました。
「いろいろ考えたんだけど、やっぱり私、あなた以外の人に抱かれるなんて考えられないの」
無念。最後はそうなるか。
妻の私への愛情が確認できたことは、もちろん喜ばしいのですが、正直私は複雑な心境でした。それを顔に出さず「わかった、彼にはそう伝える。正直、俺もほっとしたよ。おまえを他の男に抱かせるなんて、どうかしてたよ。断ってくれてありがとう、由美、愛してるよ」
断られた時のために準備していたセリフを言おうとしたそのときです。
「でも、彼なら、田中君なら。そのかわり、一度だけよ」
キターーーーー。逆転満塁ホームラン。
飛び上がりそうになるのを堪え、努めて冷静な素振りで彼女の肩に手を回しキスをしました。首まで真っ赤にして恥ずかしそうにしている妻を心底愛おしいと思いました。
「ありがとう。約束する」
「それと、私の、その、そんな姿を見て嫌いにならない?」
「それも約束する」
予定では19時に田中君が家にやってくることになっていました。
「お風呂、沸いてる?」
「ええ」
私は浴室に入ると、浴槽の熱めのお湯を頭からかぶりました。愚息は既にいきり立っています。これから何かの儀式に望むような気持ちで、いつもより念入りに体を洗っていると、玄関のチャイムが鳴るのが聞こえました。予定より早い到着のようです。早くも心臓の鼓動が早くなるのを感じました。「はーい」と答える妻の声も、緊張のせいか少し振るえているのがわかります。
着替えてリビングに戻ると、田中君はいつものように席から立ち上がって頭を下げました。
「こんばんは、お邪魔しています」
「いらっしゃい」
いつも通り挨拶を交わしただけのはずなのですが、極度の緊張のせいか、今日はお互い相手の顔をまともに見ることさえできませんでした。
料理を一通り並べ終わった妻も席に着くと、これまでより極端に口数の少ないディナータイムが始まりました。
田中君の食べっぷりもいつもに比べると随分大人しく、その分食器の立てる音と、各々の咀嚼する音だけがリビングに響きました。
会話が弾まないせいかアルコールだけが進み、いつしか三人とも箸を置き、グラスを口に運ぶだけになっていました。長い沈黙を破ったのは妻でした。
「暑いわね」
そう言って羽織っていた薄手のカーディガンを脱ぐと、妻の白い胸の谷間が露になります。アルコールでほんのり赤く染まった妻の頬との対比は、見慣れているはずの私にとってもこの上なくエロティックでした。
妻の胸元から目を離せないでいる田中君が、正面の席で唾を飲み込む音が聞こえたような気がしました。
それを見て、気持ちの昂ぶりを押さえられなくなった私は、意を決して立ち上がりました。
「そろそろ、寝室に行こうか」
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