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2025/01/09 19:20:48 (5PMfQchF)
私たちが結婚したのは30年前、私26歳、妻は23歳でした。
大学出て1年目だった私の職場にバイトに来た短大生が、妻でした。
一目見たとき、当時大ファンだったAV女優の星野ひかる似の妻にゾッコン、バイト中はとびきり優しくして、短大卒業間近のバイト最終日に告りました。
結果、相思相愛、瞬く間に結ばれました。
抱き合い、唇を重ね、舌を絡め、陰茎と膣で交わり、快楽を貪る若い二人、着w馬手卑猥な性行為でも、神聖な愛の行為だと本気で思って愛し合いました。

30年前、バブルが弾けて世の中が殺伐とする中、新婚生活が始まりました。
私が大学生の頃は、バブル真っ只中で、男女の性が乱れ、スポーツでもするように気軽にセックスを楽しんでいました。
彼氏彼女との愛のあるセックスの他に、夜、ワンナイとだけの相手を求める社交場で、年齢差も気にしない男女が、快楽だけを求めて寄り添いました。
おじさんと女子大生、おばさんと男子大学生、そんなカップルも珍しくありませんでした。
そんな時代を経て、社会に出たとたんにバブル崩壊、妻は、そんな時代に短大生活を送り、親は学費を出すのがやっと、お小遣いをバイトで稼ぐ短大生でした。

処女だった妻と、何人と関係したかもわからない大学生活を送った私、初めは性行為に向き合う姿勢が違いましたが、純粋に愛の名の元に股を開く妻を見て、この人を大切にしようと思いました。
今の若い人たちは、三十路になって結婚するから違うのかもしれませんが、私たちは、私26歳、妻23歳で結婚したので、新婚生活はセックスしまくりでした。
休日は朝っぱらからセックス、シャワーを浴びてパジャマを洗濯機に放り込んだら裸のまま過ごし、お互いの身体を弄りながらまたセックスする一日でした。
ご飯を食べて後片付けしてセックス、洗濯物を干してお掃除してセックス、若かったですね。

20代で親になり、二人の子供を育てて、その子供たちも社会に出て独立、一昨年、下の子供も社会に出て、今は夫婦二人に戻りました。
56歳と53歳の夫婦、昨年妻が閉経したこともあって、中出しセックスを楽しむ私たちですが、ふと、セックスを見つめ直すことがあります。
結婚以来、当たり前ですがセックスの相手は夫婦意外とはしませんが、同じ相手と30年以上セックスしてて、よく飽きないなあと思います。
では、夫婦でするセックスとは、一体何なのでしょう。

妻は、結婚式の夜、新婚初夜、義母から妻としての勤めを言いつけられてきたと言いました。
妻というのは、夫の性欲を処理することで、夫に養われ、護ってもらい、子を育てるものだと言われたと言いましたが、昭和だなあと思います。
義母は専業主婦、妻も、出産で退社して専業主婦をしてますが、今どきは共働きが普通です。
そして、妻が夫の性欲処理というのではなく、夫婦が共に楽しむのがセックスだと思います。
夫婦が愛し合うのだから、愛の確認ではありますが、本来、セックスは生殖行為、子孫を残すためにするものですが、人間という動物は、それに伴う快感を享受するためにセックスします。

そういう観点でセックスを見ると、私は妻の陰唇を開いて膣口や陰核を舐め、妻は私の陰茎をおしゃぶりするのですが、そこは、排泄する場所と同じなのです。
そして、それを合体させて、その快感にアンアン喘ぐのです。
その行為は、淫らでイヤらしく、美しい事などありません。
唇を重ねて下を絡めて、身体中を絡み合って性器で繋がり、体液にまみれ、性器を擦り合わせます。
男は、精液が溜まると出したくなる、それは排泄行為に似ています。
そして、女も中に排泄されて歓ぶのです。
性器から、よだれを垂らして歓ぶのです。

こんな行為が、愛し合う夫婦の姿として美化されているのです。
美しく神聖な行為と思うのは当人同士だけで、例えばそれを撮影して上映すれば、不潔な淫乱行為として性的興奮御対象となります。
そして、その行為は公衆の面前に晒せば、わいせつな行為として処罰されるような、不謹慎極まりない、破廉恥な行為なのです。
それなのに、夫婦はお互いを求めて、愛し合う行為としてセックスをします。
溜まったら出すという排泄行為なのにです。

男は溜まったら出したくなりますが、だったら手軽にオナニーで出すこともできます。
それなのに、わざわざ妻を抱き寄せ、歯の浮くような愛の言葉を囁きながら脱がせ、排泄器官の周辺を舐め合うという手続きを踏んで、陰茎を恥Tに抜き差しして排泄するのです。
妻は、後始末が厄介なのに、中に出されるのが大好きです。
今は閉経しているから毎回中に出しますが、以前は安全日の時だけ中に出してました。
その時も、中に出されるのが大好きで、安全日になると、
「今日は大丈夫な日だから、中に頂戴・・・」
と、子宮に精液を欲しがりました。

つまり、これが夫婦愛だと思うのです。
手軽なオナニーじゃなく、前戯という面倒な手続きを踏んでも、妻の膣に入れたいという思い、妻の中に射精したいという思い、それが愛なのです。
妻も、夫を射精させたい、後始末が面倒で、後々じみだしてくることもあって下着を汚すけれど、夫の精液を子宮で受け止めたいと願う、それが愛なのです。
結婚して30年、56歳と53歳のおじさんとおばさんが、草臥れた身体で抱き合い、中出しセックスをする、それも週に3、4回という頻度でするのは、愛なのです。

同じ相手とセックスし続けて飽きない、のではなく、妻以外とセックスして、これほどの満足感が得られるかと言うと、得られないでしょう。
妻以外の女性を抱けば、性的な興奮は得られるでしょうが、一つになりたいと願うようなセックスではなく、単に女の淫らな姿を観察して興奮しながら射精したいだけです。
だから、射精した後、シラ~ッとするのです。
それは、バブルの頃の大学時代、一夜限りのセックスを楽しんだ時、コンドームを処理してる時の虚しさと同じです。
セックスする前としてるときは興奮しますが、終わると、あースッキリした、という排泄を終えた状態の爽快感しか残らないのです。

妻とのセックスは、妻と抱き合い、
「イクよ・・・中に出すよ・・・」
「出して・・・中に頂戴・・・」
ブチューッとキスしながらきつく抱き合い、ポルチオ下がりしてきた妻の子宮口に亀頭をめり込ませて、ドクドクと射精するのですが、そのまま溶けて一つになりたい、そんな思いになってます。
そして、中出しを終えた後、スッキリしたという思いではなく、気持ち良かったよ、ありがとうと、お互いに思って抱き合い、射精後もキスを交わします。
妻は、逆流する精液をティッシュで押さえながら、私の胸の中に身体を寄せて、余韻に浸りながら、幸せそうな表情をします。

射精を終えてもなお、抱き合っていたい、それが夫婦のセックスなんだと思います。
夫婦がそれを求め合うから、私は妻としたいし、妻は私としたいから、そもそも飽きるという概念が無いのです。
先日、妻とセックスした後、そんな会話をしました。
「だって、あなたのおちんちんは大好きだけど、他の男の人のおちんちんは汚いって感じるもの。」
と、夫以外の男性の性器は汚物に感じる、それが妻という存在なんだと知りました。
そして、「大好き」と言いながら射精後の陰茎に頬ずりされ、56歳の陰茎が再び勃起、ここ十数年したことがなかった二回戦に及んだのであります。
そんな、夫婦のセックスとは何かを考えた先日の営みでした。
 
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投稿者:モト ◆jH3Q3bIrRM   xxrtmtk
2025/01/09 20:20:12    (wB8XcPe1)
まず始めに非常に共感しました!


私はシングルファザーで15年ほど過ごし数ヶ月前に還暦を迎えたのでスレ主が書かれている性活は送れてませんが、恋愛を諦めていたのに一ヶ月ほど前に彼女が出来て生殖行為をする中で疑問を感じてました。

出会って間もない相手に結婚まで意識したのは初めて、主さんの文章後半の夫婦愛は現在の私の気持ちを解明してくれました。


これからも愛し合ってお元気で!

長文の投稿お疲れ様でした♪ (^-^)g""


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