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2024/12/15 18:35:15
(o9ASpvHF)
元妻と俺の親との関係が原因で、離婚に至った。
元々、結婚に反対されてたけど、俺が元妻を深く愛してて、強引に結婚した。
結婚に反対されたのは、元妻が5歳年上の31歳だったから。
でも、森口瑤子に似た美人で、俺は惚れ込んでた。
とりわけ、元妻と俺の母親の仲が険悪で、折り合いが悪すぎて、元妻は家族にさせて貰えなかった。
元妻は兄貴よりも1歳年上で、兄貴の奥さん、義姉は凄く可愛がられてて、露骨に違ってた。
元妻は俺には凄く愛されてたから、それを励みに健気に頑張ってた。
家事も育児も完ぺきにこなしてたけど、次第に折り合いが悪いというレベルから苛めに変わっていった。
そういうのが積み重なって、元妻はついに精神を病んでメンクリに通院し始め、離婚しか解決法はないと言われ、元妻は娘を置いて、独り、家を出た。
置手紙には、「精神を病んだ母親にはもう育児は無理だから、あの子をよろしくお願いします。」と書いてあった。
置手紙には涙の痕がいっぱいあって、俺の涙が更に痕を増やした。
その置き手紙、畳んでポチ袋に入れて、いつも持ち歩いてるバッグに入ってる。
あの日以来、ポチ袋から出したことないけれど、今もバッグに入ってる。
別れたのは、俺34歳、元妻39歳、娘は来年から小学生とういうタイミングだった。
俺は悔しかったが、兄貴夫婦と母に娘を見てもらいながら働いた。
でも、娘は自分の母親を苛めてた祖母が嫌いで、義姉にばかり懐いてた。
俺はその後、見合いを進められ、娘が思春期になる前に母親を作れと周囲から言われ、レイプ堕胎という辛い過去で不妊になった女性と娘を交えて付き合い、俺38歳、今妻34歳で再婚した。
今妻は元妻より9歳若いが、凛々しい顔をしていて、元NHKの膳場貴子に似てる。
レイプは大学卒業間際で、無理やり輪姦されて、誰の子か分からない子を妊娠した。
堕胎し、ショックで就職先は辞退、暫く引き籠ってた。
その後、大学時代の元彼と結婚するも、不妊が発覚、今妻の方から身を引いた。
俺と今妻は、再婚するまで男女の関係にはならなかった。
俺の妻と言うより、娘の母を求めたからだった。
でも、再婚初夜、
「いかがいたしますか?」
と言われ、初めて営みを持った。
意外とムッチリした女体で、なかなかの抱き心地だった。
普段は凛々しくて、真面目そうな妻の艶めかしい姿は、ギャップ萌えした。
そこが、営みにおける妻の魅力だった。
オマンコ丸見えポーズで座らせ、向かい合わせで座り込んで、対面座位で挿入して、結合部を楽しむのが俺たち再婚夫婦の営みの始まり。
たいていそのやり方だった。
ニュルンニュルンと抜き差しされる結合部を覗き込みながら、「ヤラシーヤラシー」と言って腰を振った。
普段凛々しく真面目な妻がガニ股で足を開き、生チンポに喘ぐ姿に、俺のチンポはフル勃起のガチガチになった。
妻は快感に耐えきれなくなり、仰向けに倒れ、
「ああ、ああ、中に…中にいっぱい出して…」
俺は、妻の不妊オマンコの中に思いっきりドクドク精液を注いだ。
その瞬間、妻は熱い精液の感触に、腰をガクンガクン痙攣させ、切ない表情で俺を見ながら、
「ああ…熱い精液がドクドク出てる…」
と言いながら、意識を薄れさせていった。
その後、オマンコからチンポを抜くと、中出し精液がドロドロと逆流してきた。
そんな、中出し三昧な夫婦の営みが当たり前のようになり、中出しできる、中出ししてもらえる、そういう営みが再婚夫婦の絆を深めていった。
俺は、娘が思春期を迎えて、それに対応して子育てしてくれた妻に感謝していた。
その一方で、やっぱり元妻が気がかりで、でも実家を訪ねたりするのは控えていた。
そんな中、再婚して間もなく10年になろうかと言う頃、娘も地元の大学へ進学し、子育ても一段落して再婚夫婦もすっかり板についていた。
そんな時、普段はあまり行かない駅裏で再開発の話が持ち上がり、勤務先が所有する土地があって、会議に参加した。
その会議の後、直帰だったから駅に向かおうとしたとき、あまり通ったことがない路地に渋い居酒屋を見つけた。
一杯やっていくかと暖簾をくぐった。
一人だったからカウンターに座ると、女将がお通しを持ってやってきた。
目が合って、時が止まった。
元妻だった。
俺も元妻も、目で挨拶して、言葉は交わさなかった。
カウンターの中で調理してる大将と元妻の指に同じリングが光ってるのを見て、元妻が居酒屋の大将と再婚したことが分かり、忙しく働く元妻を見て嬉しくなった。
その時、LINEが鳴って、家族のグループLINEに、娘から「これから帰る」のメッセージが届いた。
料理を運んできた元妻女将に、
「あ、娘からLINEが来た。これから帰るってさ。今、大学2年生なんだ。」
と、娘の情報をさりげなく伝えた。
元妻の店には、その後、再開発の会議があるたび、年に数回訪れてた。
そのたび、娘が就活してるとか、就職が決まったとか、社会人になったとか、さりげない情報を伝えていた。
再開発の床の権利や割り振りが決まり、構想がほぼ固まった頃、娘が嫁ぐことになった。
こんど居酒屋に行ったら、その話をしようと思っていた。
ほぼほぼ再開発の構想が固まり、コンサルタントが絵柄で具現化するために半年ぶりで開かれた会議に出席した後、元妻の居酒屋を訪ねた。
「長らくのご愛顧、ありがとうございました。」
の張り紙があった。
店の前で呆然と立ち尽くしていたら、隣のスナックのママが、
「そこ、閉店したのよ。対象は古希、女将は還暦、そこへコロナでしょ。もういいかなって、大将の実家がある青森に引っ込んだみたいよ。」
「そう…ですか…」
もう、元妻には二度と会えないんだなあと、夜空を見上げた。
娘が嫁ぐこと、知らせたかったけど、元妻と別れて21年、お互い、別々の道を歩いて、もう、戻れないところまで来てからの再会だったのだから、再会できただけで儲けものだと思うことにした。
娘が嫁いで4年、孫も生まれて、俺は来年還暦を迎える。
孫を抱っこしながら、元妻にも抱かせてやりたいなと思った。
長年妻と暮らし、夫婦として、今でも営みがある仲良し夫婦だが、孫を抱くたび元妻を思い出す。
別れて四半世紀だけど、元妻と暮らした日々はなかったことにはできない。
でも、もうそろそろいいかなと、そう思えるようになった。
元妻も新しい家族と暮らし、今は老後を田舎で楽しんでいるだろう。
俺のことを思い出すことも、あまりなくなっているだろう。
先日、再開発の起工式があって、出席してきた。
その帰り、元妻の店があった通りを歩き、今は違う居酒屋になってるのを見てきた。
ふと思い立ち、バッグの中から、ヨレヨレになったポチ袋を出した。
四半世紀、歴代バッグの中にひっそりと眠っていた元妻の置手紙、「精神を病んだ母親にはもう育児は無理だから、あの子をよろしくお願いします。」四半世紀ぶりに目にした。
「あいつ、嫁いで母親になってるよ。」
そう呟いて、ポチ袋に戻し、娘も巣立ったことだし、ポチ袋ごと置手紙を捨てた。
なんだか、これでやっと元妻と本当のさよならができたような気がした。