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許婚

投稿者:守男
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2016/08/23 10:48:51 (uCBeQBs4)
年寄りな者で、細かいことが不得手になっております。
書き間違いによる誤字脱字等ありましたら、ご容赦願いたいです。
私は昭和15年生まれの76才です。
幼少の頃は戦争でした。
父は大工、戦後復興の波、父の仕事は忙しく、あっちが終わればこっちに行き、がむしゃらに働いてて、他の家より多少は裕福だったと思います。
私が中学二年の年です。
両親に呼ばれました。
両親の前で正座をして、話しを聞かされました。
私は中学を出たら、父の後をついで、大工見習いに入るつもりでいたんです。
父が言いました。
「高校へ進学しろ」
私が小学校卒業時、将来父と同じ大工の道を進みたいことを話すと、大喜びしてたはずの父です。
母がこれからは学が物を言う時代になる、だから高校くらいは出ろとの話し、大工見習いはそれからでも遅くはない、それが理由でした。
職人気質で厳しい父の言葉に、私は、はいわかりました、と同意せざる得ませんでした。
でももう一つ、私の将来に絶対的、決定的、重大なことがありました。
高校進学承諾の話しが済むと、父は立ち上がり、外に出ました。
母は緊張した面もちで、私を睨むようにしてました。
「どうぞ、こちらえ」
外に出て行った父が戻ってきて、父の案内に添うように、母娘が入ってきました。
誰なのかは全くわかりません。
父が説明を始めました。
父と大工仲間だった人の奥さんと娘さんでした。
その大工仲間は戦争で帰らぬ人になり、戦争未亡人とその娘という訳です。
父は、その大工仲間に相当な恩義があるらしく、その母に仕事世話したりしてきたそうですが、やはり厳しい世の中でした。
中学二年の私と、なんの関係があるのか、理解出来ないでいました。
「お父さん、回り口説い話しでは守男がわかりませんよ」
母の横やりに、こほんと咳払いをした父が、話しの核心を話しました。
「その子(娘を指差し)は、お前の許婚になる。その子の将来のためにも、お前には進学してほしいのだ」
青天の霹靂とは、まさにこのことでした。
唖然としてる私に、母の叱咤が飛びました。
「わかったのか、返事しなさい」
返事など出来るはずもありません。
名前も知らない子を、いきなり許婚だからと言われた中学二年の私です。
父も私を叱咤しました。
「守男、聞いてるのか」
大混乱の頭を少し整理、やっと言葉を発した私でした。
「名前も年も、何も知らない子を、いきなり」
私はその子を見ました。
 
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21
投稿者:縛童   nobu-1915
2016/09/03 01:52:54    (M7VXBXla)
まさにドキュメンタリー、自叙伝ですね。

読みごたえありました。

自分は結婚には失敗しました。


もちろんバブルがはじけ、失われた20年(今も失われたままかも)の中で就職、結婚したのも原因の一つですが、一番は自分の性癖ですね。

最近は自分も年齢が行き、若い女性より、熟年のご夫婦に混ぜて頂く機会が多くなりましたが、いつもこのご夫婦すごいなぁ…仲いいし…飽きたりしないのかな…なんて自分と対比して感心しきりです。


またそんなご夫婦に混ぜて頂いたときのご主人の目の前で羞恥に赤らみながら乱れる奥様の姿をめでるのが一番興奮する様になりました。


いずれにせよスレ主さんの様な一途なご夫婦とは正反対にいて、それでいて、一番羨ましく思っているのが自分なのかもしれません。



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投稿者:通りすがり ◆1KAwi07cG.
2016/08/29 13:30:01    (JR1BNMXt)
素敵な物語をありがとうございましたo(^-^)o
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投稿者:守男
2016/08/26 22:43:32    (q3NDy1gN)
幼なじみ夫婦様。
その他ご返事頂いた方々。
こんな爺様の駄文に感想、返事頂き、有り難く存じます。
幼なじみ夫婦様の奥方様は美人な方なようですね。
晶子はお世辞にも女優さんに例えられるような美人ではないです。
そんな事言ってるの知られたら、何言われるかわかりませんが。
私はあの当時、日本の女性の平均的胸の大きさというものを知りません。
ただ相当後になってから、あるCMを見て思ったんです。
「今の君は、ピカピカに光って~」
宮崎美子さんのあのCMです。
あれを初めてみたとき、私は思いました。
「晶子はもっと華奢だったけど、そう、このくらい胸はあった」
でした。
もちろん顔は宮崎美子さんみたいに綺麗ではないですよ?
先に書きましたが、最初みた晶子は、ガリガリのチンチクリンでした。
だから初めて覗いた風呂での晶子の胸は、衝撃だったんです。
服着てると目立たないんだから、相当ぎっちり締めつけてたのだろうは、簡単に想像できました。
戦後、誰もが経験した米はほとんど入ってない、芋主流のご飯でしたが、晶子はその栄養を、胸に集中させたかのようでした。
もし初めて覗いた風呂で晶子が相変わらずのガリガリチンチクリンだったら、私は晶子に女を感じたかどうか、疑問です。
私の想像ですが、晶子より二つ年上の私の同級生の中に、晶子ほどの胸持った女の子はいたのか、私はいなかったと思います。
晶子が初潮向かえたとき、書きましたが晶子お母さんが、この日が来なかったらと言い、安堵したこと。
晶子お母さんは娘の体の成長を知りながら、初潮がまだなのを不安がっていたらしいです。
胸とかは成長しても、初潮来ない=子供産めない女=許婚にふさわしくない。
ちなみに私達の長女の初潮は小六、晶子の中学三年になってすぐってのは、当時でも遅い部類なのかもしれません。
晶子お母さんが来なかったらと心配したってことは、晶子お母さんはもっと早くにきていたから?
でも当時の栄養考えたら、致し方ないのかもですが。
幼なじみ夫婦様も円満なようですが、私も晶子に飽きたってのがありませんでした。
長女、長男、次男と産みながら、少女から女、熟女という年齢に、中年、老年と変化していく晶子を楽しんでいけたからだと思います。
晶子もその期待を裏切らないよう、おそらく影で太り過ぎないようにとか、健康的にと努力してきたんでしょうから、今まだこうして居られるんだと思います。
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投稿者:幼馴染夫婦
2016/08/26 19:54:08    (pkwuo8sQ)
素敵な回顧録ですね。妻と私に重なる部分がありました。
私の妻は許嫁ではありませんが、私達は一人っ子同士の幼馴染です。
私高3、妻中3で将来を誓い合って初体験した仲です。
その後私は首都圏の大学へ進学して卒業後は地元へUターン就職、妻は地元の高校からスーパーマーケットに就職しました。
妻は私との結婚をずっと夢見ており、私が大学時代、私が帰省するたびに私に抱かれていました。
お互いの両親は、私達が子供部屋で何をしているか気づいていても見逃してくれていました。
だから、許嫁と言っても過言ではない関係でした。

妻は貞操を守ってくれていましたが、私は大学時代に他の女性と関係していました。
恋仲になった女子大生が一人と、アルバイト先の40歳のお局主任の若いツバメの二人の女性と関係していました。
四畳半の下宿で女子大生と青春を謳歌しつつ、40歳のお局主任に女体の扱い方を学びました。
妻は、帰省するたびに女体の扱いが上達する私に、自分以外の女性の存在を意識していたと思いますが、何も言いませんでした。
就職して2年半、私25歳、妻22歳で結婚しました。
結婚して気付いたのは、幼い頃から見慣れた妻が、実はアイドル並みに可愛いという事でした。
「奥さん、可愛いですよね。どうやって口説いたんですか?」
何人もの同僚に言われ、そう言えば可愛い顔をしていると気づきました。
そして、幼馴染でなければ私のような男が結婚できる女ではないことを悟り、妻を深く愛するとともに、大切にしてきました。
だから、性生活は夫婦の楽しみとして途絶えることなく続いておりますし、妻以外の女に目移りすることなく生きてきました。
結婚して31年、子供2人、孫も1人いますが、今でも妻との性生活は週に2~3回はあります。
現在、妻は田中美佐子さんに似た可愛い奥様として町内でも評判です。

最後に、ここはエロサイトですから相応しいエピソードを一つご紹介します。
4年前、娘が嫁ぎ、息子が大学生で夫婦二人になって、休日の真昼間から居間でセックスを楽しんでいた時のハプニングです。
座椅子に座った私に妻が座るような形で、後ろから私のイチモツを妻の秘所に挿入して、姿見に結合部を映して淫らな交わりを愉しんでいました。
長年の性生活でドス黒くなった私のイチモツが、同じく黒ずんだ妻の秘所に出し入れされ、妻の愛液が白く濁って私のイチモツにまとわりついていました。
「お前のマンコは最高に気持ちいいなぁ。お前のお汁が糸引いてるぞ・・・」
「あなたのチンチンが美味しすぎるからヨダレが出ちゃうのよ・・・」
長年連れ添い深い愛情で繋がる夫婦の営みの真っ最中、突然居間の襖が開き、嫁いだばかりの娘が立っていました。
一瞬、時が止りました。
「ご、ごめんなさい。失礼しました~」
娘が慌てて出て行きました。

1時間後、娘が電話してからやってきました。
自分の部屋から必要なものを取りに来たようでした。
「さっきはごめんなさい。私、もう、この家の者じゃないのよね。勝手に入ってきちゃダメよね。でも、お母さんたち、まさか今でもエッチしてるとは思わなかったわよ。」
「何言ってるの。お父さんとお母さんは、愛し合って結婚した夫婦なのよ。死ぬまで仲良くセックスするわよ。お母さんはね、お父さんに抱かれるのが生甲斐なんだから。あなたも人妻なんだから、わかるでしょ。」
「エッチが楽しみなのはわかるけど・・・でも、結婚して30年以上でしょ。まだしてるか!って思っちゃうわよ。でも、お父さんのって、逞しいくて立派なのね。真っ黒だったし・・・正直、お母さんが羨ましくなっちゃうな。わたし、30年後もエッチしてもらえてるかな。」
台所で話す母娘の会話の凄さに、聞き耳を立てていました。
そして、可愛い愛娘が旦那に抱かれている様子が頭に浮かんで切なくなりました。

私は、50代になっても頻繁に性生活を営む仲睦まじい夫婦であることが自慢でしたが、スレ主さんのように、70代になってもそうであるかは自信がありません。
でも、夫婦の性生活が仲のいい夫婦関係をもたらすと思っていますから、出来る限り続けて行きたいと思います。
実際、今でも妻がとても愛しい女ですから・・・
17
投稿者:読み手
2016/08/24 03:18:25    (Zm9eY/0I)
お父様は先見の明がおありになったのですね。これからも
末永くお幸せに…。僕も家族を大切にします。
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投稿者:守男
2016/08/24 02:07:14    (1b0JfM.E)
両親は晶子母娘と、私が知らないとこで、会っていたそうです。
晶子母の悲惨な状態に同情し、健気に生きる晶子を母も気に入りました。
まだ小学生の晶子に、きちんと育てば、この子なら守男を任せられる、そう思ったらしいのです。
何故私に話しがないまま、話しが進んだのか、それも父が説明してくれました。
「お前にぐずぐず言われないためだ」
私はぶっきらぼう、無愛想、でも真面目、そう評していた父、私に嫁さん探しが出来るのだろうか、そうゆう考えからでした。
もう一つ、結婚は早い方がいい、父の考え方でした。
年齢がある程度行ってからでは、お互い固定観念が生まれる。
共通理解するには、固定観念に捕らわれない、若いうちがいいとの考えでした。
私はすっかり、両親の目論見通りに進んでいったのです。
晶子も両親が目論んだ通り、非常にしっかりした考えを持つ人へと成長しました。
晶子は私に、タメ口を聞いたことがありません。
今でもそうです。
守男「さん」、普通子供が産まれたりすれば、お父さんに変わったりします。
でも晶子は守男さんなのです。
「だって私のお父さんは、亡き父と守男さんのお父さんですから。守男さんは私のお父さんではないんです」
ごもっともな理由です。
私は晶子と結婚したあと、片っ苦しいからその敬語、止めてくれないかと頼んだことがあります。
「今こうして居られるのもお父さんお母さん、守男さんのおかげなんです。その方に礼を尽くさないほど、礼儀知らずではありません」
生真面目、一本気な性格そのものです。
ここはエッチな場所です。
最後にちょっとエッチな話しを。
私の性行為が下手だったからでしょう。
晶子が淫らに乱れる姿を見るようになったのは、実は家を改築して次男誕生のちょっと前までありませんでした。
30前にもう一人、そう思うきっかけは晶子が淫らに乱れる姿を見れるようになったから、それが嬉しかったんです。
ただ両親に晶子母、二人の子も同じ屋根の下に住みますから、大人しめに悶えようとしてる晶子に興奮しました。
生活設計上、三人で打ち止めにしましたが、今でいうレス夫婦にはなりませんでした。
現在私、先に書いた通りの76才で、晶子は74才です。
私はED薬処方してもらいながらですが、まだ晶子を抱いてます。
晶子の方は、なにの頼りにもならず、私を受け入れること可能です。
近所でも元気なジサマバサマで通ってます。
15
投稿者:守男
2016/08/24 01:23:54    (1b0JfM.E)
両親は何故、晶子母娘の面倒を見ることにしたのか、私は詳しいことを知らずに過ごして来ました。
幸せならそれでいいと、あまり深く詮索もしないで来ました。
父が晩年、私に理由を語りました。
普通、あの戦争当時、父の年齢なら当然、赤紙がきて召集されるのが当たり前です。
でも父は兵役についてません。
その理由は父、当時軍関係の建物の仕事をしてて、その人達に赤紙出すと、職人不足になり困るから、でした。
では何故晶子の父には赤紙が来たのか。
実入りのいい軍関係の仕事を、晶子の父が譲ったからそうなった、父はそう語りました。
つまり逆だった可能性もある、そうゆうわけでした。
先に人の親になった父に、晶子の父は仕事を譲ったんです。
戦争未亡人になった晶子の母のことも知りました。
「飯炊き女、お前も大工の息子ならわかるだろ」
よく言う、現場作業員のための賄いさんです。
「普通ならそうだ。だだトンネル工事の飯炊き女は、そうゆうものではない」
父は渋い顔して言いました。
「現場は何もない山、遊ぶとこもないのに、各地から作業員がたくさんくる。賄い、洗濯、掃除、作業員のシモの世話までするのが、トンネル工事の飯炊き女だ」
私が若い頃、いわゆる売春婦を、パン助とか言ってました。
「パン助とはわけが違う。あいつらは気にいった男に媚びを売る。でも飯炊き女は違う。好む好まざる関係なく、それをしなきゃならんのだ。しかもほとんど出稼ぎ作業員、チップみたいなのはほとんどあてにならない。賄いとしての金しか手にできないのに、やることはパン助以上を求められる。過酷なんだ」
私は知りませんでした。
「そんな状態の中に、仲間の娘晶子をいつまでも置いておけないだろ」
父は晶子に仕事を紹介したりし、山から連れ戻し、それでも生活がままならない晶子母娘。
共同生活なら負担軽く出来る、そうなったとき、聡明な子と晶子を気に入った父が、私の許婚にとなったそうです。
母は最初、猛反対だったそうです。
当然です。
よその女が入ってくるわけだし、ましてまだ中学になったばかりの私、私のことも考えての猛反対だったそうです。
母は、父と晶子の母、愛人関係ではないかと疑ったのも、当然と思います。
「断じてない!仲間の奥さんなんだ。俺の身代わりになって戦争にいったようなもんなんだ。その奥さんとなんて、俺はそんな男ではない」
そう突っぱねたらしいです。
14
投稿者:たかし   lee-taka Mail
2016/08/23 23:55:29    (ISqdghKG)
素敵なお話でした。
何時までも記憶にとどめたくなる内容でした。
出会えたことに感謝です。
ありがとうございます
13
投稿者:taro「空穏」 ◆Yv95BkWDl6   kuon1025
2016/08/23 20:23:11    (kyJk88La)
こんばんは。
一気に読ませていただきました。
気持ちが、ほっこりしました。
ありがとうございました。
12
投稿者:守男
2016/08/23 17:19:32    (uCBeQBs4)
不思議なもので、籍入れさあ子供いつ出来てもいいよとなっていたのに、やはり親の目を気にしながらの性交渉だったせいか、子はまだでした。
それが団地に引っ越した途端、ぽこっと出来ました。
僅か引っ越しから二ヶ月たったかたたないかです。
翌年4月18日、長女が産まれました。
晶子は幼い長女をおんぶしながら、服直し店に通いました。
奥様も長女を可愛がってくれました。
そして長男誕生、私25才、晶子23才でした。
手狭に感じた団地、私は父にある相談をしました。
家の大改築です。
父は勤める工務店に相談、格安で改築出来ました。
三世代プラス晶子母が住む家です。
東京オリンピック、その年に完成しました。
大工仲間が相当手伝ってくれてました。
おかげでローンも負担にはならずに済みました。
そこで私達はもう一人、私が30になるまえにもう一人と欲が出て、次男を授かりました。
八人の大家族になりました。
服直しの一人前になった晶子に代わり、育児に悪戦苦闘する私の母、それを絶妙にサポートする晶子の母と、私達は恵まれてました。
そんなとき、父に言われました。
「お前もあの子達に、許婚、持ってこようと思うのか」
私は即答でした。
「考えたこともない。けど俺はお父さんが連れてきた晶子に巡り会えて、幸せだと思う」
父は、そうか、そう言って笑いました。
それ以降その話しはありません。
今は私も年寄りになりました。
晶子は変わらず服直しをしてますが、私は仕事定年し、長男夫婦と孫二人、晶子の六人で住んでます。
私の仕事は孫の送り迎えとか、孫関連のことばかりです。
あとは朝のゴミ出し、買い物もかな?
そんな爺の話し、長々とすいませんでした。

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