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2014/09/15 02:19:01 (mKLsaELC)
正確に言うと「人妻」ではなく「元人妻」との思い出、少し長くなるけど思い出しながら書きたいと思う。
小学校4年の2学期に転校してきたD、小柄で青白い顔でいかにも病弱な感じのヤツだったが、下の名前と趣味が同じと言うこともありすぐに仲良くなった。
初めてDの家に遊びに行ったときに、俺は彼のお母さんに一目惚れした。
まるでテレビに出てくる女優のような美貌、モデルのようなスタイル、優しい笑顔、きれいな声、全身から漂う香り…
それは俺や他の友達の母親や女の先生とは全く別次元の生き物のようだった。
オナニーを覚えてからは、ほぼ毎回お母さんをネタにした。
そして数年後、その美貌と抜群のスタイルの主をこの手に入れた時の喜び、ほんの一時期とは言え独り占めできた幸福感は20年以上の時を経て俺自身が家庭を持った今でもけっして忘れることができない。

Dとは中学まで一緒だったが体が弱かったせいか学校休みがちで、よく配布物を届けに行き小一時間ほど趣味に関する話を良くした。
本音を言えば、半分以上はDのお母さんに会いたかったから足しげく通ったようなものだった。
そんなDが他界したのは中学を卒業して1年ほどたった頃だった。
Dも高校に入ったことは入ったが、「血液のガン」という病気のためにほとんど通えなかった。
時々は様子を見に行っていたが、高1の夏に入院して以来無菌室に入れられてしまい会うことができなかった。
半年ほどしてDが亡くなってすぐにお母さんから連絡をもらい通夜に駆け付けた。
翌日の葬儀にも参列したが、病気がちで学校にもまともに通えなかったせいか、俺のほかにDの学校からクラス委員が2人ほど来ていたが、他に友達らしい年頃の者はいなかった。
亡くなってから二度ほど線香を上げに行ったが、三度目に行ったときにはDの両親は引っ越していて、それきりになっていた。
Dの家のことが気にはなったが、ちょうど同じ頃に今度は俺の母が体調を崩して入院し、あっという間に他界してしまった。

Dのお母さんと再会したのは、俺が一浪の末大学に入り1年ほど経った春だった。
当時、無理をすれば家から通えない事ともなかったが、俺が大学入試に合格した頃から親父の女が頻繁に来るようになったのと、朝朝毎晩3度も乗り換えながら1時間半近くも満員電車に乗るのが嫌だったので、親父に俺がいたら邪魔だろう言って大学の近くに部屋を借りて住んでいた。
彼女の誕生日プレゼントを買うために、一人で銀座のデパートに行った時に、高級ブランドショップで対応に出てきたのがDのお母さんだった。
自慢じゃないが、大学の名前を言えば女子大生がホイホイついてくるような大学に入れた俺は、当時調子に乗って複数の女性と付き合っていた。
その中の本命の彼女を驚かせてやろうと奮発するつもりだった。
当時はバブル景気のまっただ中で、学生の俺でも子供向けの家庭教師や塾の講師のアルバイトで、ちょっとしたサラリーマンよりも稼げた時代だった。

俺が商品を見ているときに掛けられた声にドキッとして、思わず店員の顔を見た。
やっぱりそうだった。
こんなところで働いているせいか、4年前よりも少し化粧が派手になっていたが、それがかえって美しさを引き立てていた。
「あっ・・・」そう言ったまま顔を見つめる俺を怪訝な目で見ていたが、数秒経って「えっ?木村君?」と思い出してくれた。
俺は嬉しくて、ついつい「今どちらにお住いなんですか?迷惑でなければDに線香を上げに行きたいんですが」などと話しかけたけど、あいにく仕事中で長く話もできなかった。
その代わりにお母さんは、連絡先をメモして渡してくれた。
今とは違い個人が携帯電話なんか持ってない時代、お母さんはがくれたメモには自宅の住所と電話番号を書いてあった。
彼女へのプレゼントを買いに行ったはずなのに、なんとなくお母さんに彼女がいることを知られたくないような気になり、結局この店では何も買えなかった。

その夜、10時を過ぎた頃に昼間もらった番号に思い切って電話をかけてみた。
先ずはDに線香を上げに行きたいけれど、いつ訪ねて行ったら迷惑にならないか聞いてみた。
正直に言えば、線香を上げるのはもちろんだが、それ以上に久しぶりにお母さんとゆっくり話をしたかったというのが本音だ。
お母さんはデパートで働いているので土日は休めないかけれど、毎週火曜と金曜は構わないという事だった。
俺は早い方が良いと思い、お母さんの都合を聞いたうえで、早速その週の火曜日の午後に行くことにした。
お母さんは最寄りの駅から電話をくれれば迎えに来てくれると言ってくれた。

約束の日、俺は大学の講義を午前中に切り上げてお母さんの住む町の駅に向かった。
俺の部屋からだと電車で3~40分くらいだったろうか、途中で一度乗り換えて目指す駅に着くと言われた通りに電話を掛けた。
5分ほど待ったろうか?Dの存命中の普段着姿の主婦だったころとは違い、大人の女性と言う雰囲気の服装で迎えに来てくれた。
一緒に歩きながらとりとめのない話をしているうちに、こじんまりとしたマンションの一室に入った。
お母さんは玄関の鍵を開けると、俺を部屋に招き入れてくれた。
良い匂いのするお洒落な部屋の奥に小さな仏壇があり、Dの写真と位牌が納められていた。
何はさておき、先ずはDの仏前に座り線香を上げて手を合わせた。

一通りお参りすると、お母さんがお茶とお菓子を出してくれたので、それをいただきながら引っ越してからの4年間のことをいろいろと話した。
高校時代に母が他界したこと、浪人生の頃、今の大学の話し、お母さんに聞かれるがままに何でも話をした。
俺がなぜ引っ越したのか尋ねると、Dが亡くなった直後に両親は離婚したそうで、元々かなり以前から夫婦関係は破たんしていたがDがいたから別れずにいたという事だった。
そう言われてみれば夫婦二人で住むには手狭なマンションだし、部屋の中を見渡しても男性が一緒に暮らしている気配が全くしない部屋だった。
話をしているうちにカマを掛けたわけじゃなかったが、ついつい再婚する気はないのかと聞くと、お母さんは笑いながら「おばさんもうすぐ44歳よ、今更再婚なんて」と言ったが、30代半ばと言っても良いほど若く見えた。
そのあと夕方まで他愛のない話をし部屋を後にしたが、お母さんから休みの日はたいてい家にいるから、いつでも訪ねてきてと言われた。
駅まで送ってもらったが、別れ際に俺と話をしているとDが帰って来たみたいで楽しいと笑みを浮かべながら言ったが、その時のお母さんの目が何となくさびしかったのを覚えている。

お母さんの言葉に甘えたわけじゃないけれど、マンションによく行くようになった。
最初の3ヶ月ほどは月に2回くらいだったが、それが毎週行くようになると、お母さんの休みの火曜と金曜の度に行くようになるまではそれほど時間がかからなかった。
それでも最初のうちは線香を上げてから二人でお茶を飲んでおしゃべりをして夕方には帰るパターンだったが、それがいつしか夕飯をごちそうになったり、時々だが線香を上げた後に二人で外出するようになった。
お母さんは息子と出かけているような気分だったのだろうが、俺は年上の彼女とデートしている気分だった。
洋服を選んであげたり、外食したり、買い物をしてお母さんの部屋に戻ってから手料理を御馳走になったり、それは俺にとってとても楽しい時間だった。
いつも駅まで送ってくれて、別れ際にお母さんの方から「じゃぁ火(金)曜日にまたね」と言うほどになった。
恐らく俺とDをタブらせてみていたんだろうと思うが、それは今になってやっと分かったことで、当時は俺に気があるからだろうと勘違いしていた。
俺は一緒に行動しているときのお母さんの一挙手一投足を目に焼き付け、ある時はレイプ、ある時はお母さんが俺を誘惑するなど、様々なシチュエーションを思い浮かべてオナニーに耽った。

妄想が現実になったのは、再開してから半年と少したった頃だった。
その日は俺の誕生日の前々日と言うことで、お母さんがお祝いをしようとケーキと御馳走、それにワインを用意してくれていた。
ワインの後はビール勧められるがままに飲んだが、俺は元々そんなに強くないので途中で眠ってしまった。
3時間ほど眠ってしまい目覚めると深夜1時を回ったところ、終電はとっくに出た後だった。
俺が右往左往していると、お母さんが笑いながら「あんまり気持ちよさそうに寝ていたから起こさなかったの。コンビニで下着を買ってきてあげたから、今夜はここで寝て行きなさい」と言って布団を敷いてくれた。
それも、お母さんの蒲団のすぐ隣に。
「フローリングの上にお布団敷くわけにも行かないから、ここでごめんね」「お風呂に入ってらっしゃい、タオルと下着は洗面所に置いておいたから」と笑顔で言った。
俺は風呂に入り用意してもらった下着に着替えて部屋に戻ると、入れ替わりにお母さんが風呂に行った。

取り敢えず布団には入ったものの、3時間も眠ったあとだし枕が違うし、なによりも長年にわたって憧れオナニーのネタにまでしてきたお母さんと床を並べて寝るなんて考えただけで興奮して目がさえて眠れるはずがなかった。
そうこうしているうちに、お母さんが化粧を落としパジャマに着替えて戻って来た。
美人と言うものはすっぴんでも美しい、化粧し忘れたまま表に出ても全然問題ないほどきれいな顔だった。
お母さんも灯りを消して布団に入ったが、俺が眠れずにいるのに気付き話しかけてきた。
Dが生きていた頃の話しだったが、話をしているうちにお母さんの声が涙声に変わっていった。
俺も話を聞いているうちにその場の空気に飲まれて他界した母のことを思い出したりしてうるうるしてしまい、上半身を起こして「よかったら俺をDだと思ってください。俺もおばさんのことを本当の母親って思いますから」などと言ってしまった。
するとお母さんも体を起こして「木村君・・・」と俺の名を呼びながら手を伸ばして俺の手を握った。

お母さんの手を引いて胸に抱き寄せると、お母さんも俺の背中に手を回して抱き付いてきた。
少しの間だったと思うが無言できつく抱きしめ合うと、声を殺してしゃくりあげるお母さんの呼吸が少し荒い吐息のようになって部屋の中に響いた。
俺の手が自然に動いてお母さんの乳房をそっと包んだが、お母さんは何も言わなかった、が、ほんの数秒後、不意に母さんの手が俺の手を上から包み込んで乳房にぎゅっと押し付けた。
お母さんの顔を見ると涙を流してはいたが、なんとなく安堵した表情を浮かべていた。
俺はお母さんを抱きしめたまま、お母さんが俺の上になるように横たわると、熱気と女性が放つ何とも言えない甘い香りがした。
多分Dが生きていたらこれくらいになっていたんだろうなと感触で確かめるように、俺にしっかり抱き付いていたんだと思う。
お母さんが俺の胸や背中を手のひらを広げてゆっくりとさするようにしていたのはそのせいだろう。
その感触がすごく気持ちよかったので今でもはっきり覚えている。


俺も同じようにお母さんの身体を手のひらで撫で回した。
パジャマの上から胸を撫でていると、お母さんはその手を取ってパジャマの中に招き入れた。
「Dはママのおっぱいが恋しいんだ、大きな赤ちゃん…」と笑って言いながら、俺におっぱいを触らせたが、初めて苗字ではなく下の名前で俺を呼んだ。
「Dはママって呼んでたんですか?」と俺が尋ねると、「そう、ずっとそう呼んでくれてた。だからこれからもそう呼んで」と言ってパジャマのボタンをはずした。
そして、俺の口に乳首をあてがって「D、吸ってもいいわよ」と嬉しそうに笑いながら言った。
俺は夢でも見ているような気分だったが、お母さんを仰向けにして左右のおっぱいを変わるがわる吸った。
「Dったら…そんなにおっぱいが好きなの?」とあきれたように、でも笑いながら言うお母さん、俺には誘っているとしか思えなかった。

俺はおっぱいを吸うのを止めて、かなり恥ずかしかったけれど「ママ…」と呼びながら、お母さんの唇にキスをした。
チュッと軽いキスをしたあとにお母さんの顔を見ると、目が合うとニコッとしたので俺はもう一度唇を重ねて、今度は少し濃い目のキスをした。
それでも怒ったり嫌がったりせずに、「どうしたの、そんなに甘えて…」と笑顔で囁くように言った。
俺はお母さんのパジャマの前を広げて、本気モードで乳首を責めるように舐めたり吸ったりしながら体中に指を這わして撫で回したりした。
俺の息子は勃起してカチンカチンになりお母さんの体に当たりまくっていたから、俺の心身がどういう状態だったのか気付いてと思う。
それなのに「D、どうしたの?そんなにママが恋しいの?」と言うだけで、抵抗しなかった。
俺も「うん、ママが恋しい…」と、今思えばイメクラのストーリープレイみたいな、あとで思い出しても赤面するほど恥ずかしい感じでお母さんの体をまさぐった。
それまでは同年代の女性しか知らなかったので、40を過ぎたお母さんの肉体の柔らかさが俺にとっては凄く新鮮だった。
お母さんの顔を見ると、うっとりと目を閉じていたが、それが俺をDだと思って懐かしんでいるのか性的に感じているからなのか、この段階ではよくわからなかった。

俺は思い切ってお母さんのパジャマのズボンの中に手を入れてみた。
すべすべした腹を撫でながら、更に手を下の方へに滑らせてパンティーの中に入れた。
するとお母さんが「あっ…D、だめよ…」と言ったが、その声に怒りや抵抗は感じられなかったし、俺の手を除けようともしなかった。
指先にヘアが触った、俺は迷わずその下の方へぐっと指を入れた。
お母さんは「あぁん…もう…D、…」と言って脚を閉じようとしたが、俺の指先が秘所に触れると力を抜いてくれた。
そこはすでにしっとりと潤っていた、つまり俺に乳を吸われたり撫で回されたりしたことに感じていたということだろう。
俺が指を動かし始めると、お母さんも「D、ちょっと変よ…あぁ・・だめ…」と言いながら腰をもじもじ動かし始めたかと思うと、更に女蜜を溢れさせた。

もう我慢できない、俺はお母さんのパジャマのズボンとパンティーを脱がして茂みに頭から突っ込むように顔を埋めた。
その時「あっ!だめ…D…狡い…」とお母さんが言ったが、何が狡いのかわからなかった。
俺は熟れて実が崩れかかったメロンを味わうように、舌先を丁寧にじっくりと這わすようなクンニをした。
お母さんは「だめ…狡いんだから」「ママ恥ずかしい…」を繰り返し言いながら、荒い吐息を徐々に喘ぎ声に変えていった。
クリトリスを舐ったり舌先を差し込んだりしながら指を入れて掻き回したりしていると、お母さんは達したのか、時々「あぁっ!」と声を上げて脚をつっぱったり腰をぐいっと持ち上げながら体を小刻みに震わせた。
俺は恥ずかしさも忘れて「ママのこと、もっと知りたい…」みたいなことを言いながら、お母さんの体中に手や唇を這わした。
「もう…Dの甘えん坊…」お母さんはそう言って俺のなすがままになってくれた。
思い切ってディープキスしたけれど、それにも応えてくれた。

キスを交わした後に抱きしめると、「Dがどれだけ大きくなったのか、ママに見せて」と言って、お母さんが俺の下着の中に手を入れてきたので、俺は「いいよ」と言って仰向けになった。
お母さんは俺の下着を脱がせてきれいに畳んで枕元に置くと、横に寄り添うように寝ながら肩や胸、腕、腹などを優しく撫で回した。
「いつの間にか大人になっていたのね…」などと言いながら、俺の体を撫で回しながらキスの雨を降らした。
女性いそういう風にされたのがこの時初めてだったので、凄く心地よく感じてお母さんに身を任せた。
胸や腹のあたりを撫で回していたお母さんの手が徐々に下半身の方に下がってきて、トランクスの上から俺の息子をそっと触った。
「まあ…こんなに大人になってたのね」そう言って優しくさすりながら、「ねぇ、Dのおちんちん見ても良い?」と言うので、「うん、見て…」と答えた。
お母さんがトランクスのゴムに指をかけた時に、わざと「あっ‥ママ‥恥ずかしいよ」と言ってみた。
するとお母さんが「先にママに恥かしいことをしたのはDでしょう、だから今度はママがお返しする番」と言ってトランクスを脱がした。

「まっ…こんなに?」お母さんは勃起した息子を見てそう言って息をのんだので、俺はわざと甘え声を出して「ママ、そんなに見ないで…恥ずかしいよ…」と言った。
お母さんが恐る恐ると言う感じで息子を触り始めたので、「ママが大好きだから大きくなっちゃったんだよ…」と言うと、「ママもDが大好き…」そう言って感触を確かめるようにしていた。
「こんなにカチカチにして、痛くないの?」と、お母さんが息子を触りながら言うので、「すごく辛いんだ…だから、ママ、楽にして」と答えた。
ずるとお母さんが「良いけど…でも、どうすれば楽になるの?」と意地悪っぽい目をして聞いてきたので、「本当は知ってるくせに…ママ、狡いよ」と甘え声で返した。
「ママはよく知らないけど…こうしてあげたら楽になるかな?」、お母さんはそんなようなことを言ったあと、舌先で先っぽの方をチロチロと舐めた。
確かに気持ちよかったがもどかしくなり、自分で息子を立てて「ママ、もっと…」と咥えるように促すと、お母さんはカリの部分を口に含んで舌を動かした。
「ママ‥もっと根本まで…」俺が調子に乗ってお願いすると、その通りに根本まで咥えて首を上下させ始めた。
お母さんの顔を見ると、あの美しい顔、可憐な口で俺の息子をしゃぶっている、初めて見せるその表情がたまらなくいやらしかった。
ねっとりと絡みつくような口の中の粘膜と舌先、上手い下手よりもお母さんにフェラされていると思っただけで俺は今にも射精してしまいそうなのを必死に耐えた。

「ママ‥」俺はそう言いながらお母さんのフェラから逃げると、抱きしめてキスしたあと上に重なるようにしながら腰の位置を合わせた。
「ママの中に戻ってきたいの?…」、お母さんがそう言ったので、俺は黙って頷いて濃厚なキスをしたあと、威きり起った息子に手を添えてお母さんの入り口にあてがうと、そのまま一気に突き入れた。
「あぁっ!Dっ!…」お母さんはそう言いながら俺の体に腕をまわして大きく仰け反った。
腰を動かし始めると、お母さんの肉襞が息子に纏わりついてくる感じがした。
それまでセックスした女性には感じたことの無い膣内の感触、体にきつく回された腕、唇が触れ合うと俺の口の中に押し入ってきて絡みついてくる舌、お母さんの何もかもが俺の経験を超えていた。
俺はその感触を味わうように、ゆっくりと、でも力強く一回一回奥まで突き入れようと心掛けたが、それでも襲い来る射精願望には勝てずに、どうしても腰の動きが速くなってしまう。
お母さんも俺に合わせるように腰を上下に動かし、先っぽが奥に当たった時には声を上げながら俺の体に巻き付けた腕に力を入れた。
俺はもう我慢しきれなくなり腰をガンガン動かしながら、「ママ…出ちゃいそうだよ…」と言ったが、それでもお母さんは俺をがっちりと捕まえたまま腰を動かした。
「あっ‥ママ、本当に出ちゃう‥」「D‥良いからそのまま‥」そんなやり取りをしたと思う。
俺はお母さんの中に射精して果てた。

翌朝、俺が目を覚ました時にはお母さんは仕事に出かけたあとだった。
起き上がって時計をみると10時を過ぎたところだった。
リビングのテーブルの上にトーストとゆで卵とプチトマト、それにポットとインスタントコーヒーが置いてあった。
洋服を着ようとしたときに、手紙と合い鍵が置いてあるのに気が付いた。
手紙には「昨夜はごめんなさい でも嬉しかった ありがとう 本当に嬉しかった 鍵持っていてください」と書かれていた。
その時の俺の気持ち、それは天にも昇るものだった。
お母さんが用意してくれた食事を食べたあと、いったん部屋に戻り、着替えをしてから大学に行ったが、一日中顔がニヤケていた。
もちろん、授業が終わるとすぐにお母さんの部屋に直行したのは言うまでもない。

それからは、何もない日は夕方、バイトがある日は夜の10時頃にお母さんの部屋に「帰宅」し、翌朝自分の部屋に戻って着替えて大学に通う生活になった。
初めのうちは気恥ずかしくて呼び辛かった「ママ」という呼び方も自然に言えるようになった。
「D」「ママ」と呼び合いながら夜毎繰り返される疑似母子相姦のようなセックスに二人して溺れた。
こんな生活だったから、複数いた女友達とも疎遠になり、本命だった子とも自然消滅した。
3年に進級して都心の校舎に通うようになると、自分の部屋へは夕方戻り、そのままお母さんの部屋で夜を過ごし、朝も途中まで一緒に行くようになった。
親父の高級外車を持ち出して、俺のバイトした金で箱根や伊豆の温泉に「親子旅行」もした。
二人は俗に言う「半同棲」をしていたので、俺は何度も同棲しようと持ち掛けたが、なぜかお母さんは許してくれなかった。
同じように、大学の試験や俺の実家の行事のある時は「今日は帰りなさい」と言って絶対に泊めてくれなかった。

それ以外の時は親子とも恋人とも新婚夫婦とも言えるような、時に甘く、時に熱く激しい毎日を送っていた。
よほど変なことでない限り、俺の希望はほとんどかなえてくれた。
二人でラブホテルに行った時だったが、部屋に入るなりお母さんがオシッコしたいと言うので、俺が冗談半分で「するところが見たい」と言うと、風呂場で目の前でしてくれたこともあった。
一度も飲んでもらったことが無いと言えば飲んでくれたし、顔にかけてみたいと言えばそうさせてくれた。
休みの日に24時間で何回できるか試したいと言って、結局16時間くらいで9回もしたことがあったが、それにもちゃんと応えてくれた。
全部口移して飲み食いさせてもらったり、裸にエプロン、裸にYシャツ、ワカメ酒、息子にクリームを塗って舐めてきれいにしてもらったり、今思えばバカみたいなことを言っても、しょうがないなぁという顔しながらも付き合ってくれた。
こういう生活がいつまでも続くものだと思っていた。

しかし、二人の生活の終わりは突然来た。
俺が4年生になり、当時を知る人ならわかると思うが、多くの企業が内定者を逃がさないために研修と言う名の「拘束旅行」を行っており、俺も今の勤務先の旅行に行っている最中に忽然と姿を消していた。
俺が3泊4日の旅行から戻りお母さんの部屋に行くともぬけの空だった。
パニック状態のまま自分の部屋に戻ったが、何も手に付かず眠ることもできなかった。
翌日、お母さんからの手紙が届いたので、俺はすぐさま開封して読んだ。
きれいな字で便箋に5枚ほどの長い手紙だった。
そこには今までの楽しかった思い出とともに、「もうおしまいにしなければいけない」、「木村君が30才40才になった時のことを冷静に考えて欲しい」、「木村君は私のことを理想の女性と言ってくれたけど、あと4~5年もすれば私は木村君が描いている理想の女性ではなくなる」、「木村君が40になった時に63の私を今と同じように抱けるかどうか考えて欲しい」、「そうなった時にお互い辛そうな顔をしながら一緒に暮らすのは死ぬよりも辛い」などと、俺を「D」ではなく「木村君」と呼んで書かれていた。
言われてみればその通りで、俺は将来のこと、特にお互いが年老いていくことなど全く考えもせずに、ただその時々を刹那的に楽しんで幸福を感じていただけだった。
それでも何とか会って話がしたくて必死に探したが、仕事も辞めていてどこに行ってしまったのか全くわからなかった。
返事を出せば暫らくの間は新住所に転送されると思い何度も手紙を書いて送ってみたが、恐らく届いていたのであろうが、書いたものが返送はされなかったもののお母さんからの返事はついに来なかった。
茫然自失とはあのときの俺のことだろう、それほど嘆き悲しみ落ち込んだ。
毎晩のようにお母さんが残した手紙を読み返したり、二人で過ごした時のことを思い出しながらあまり飲めない酒を飲んで泣き明かした。
不謹慎な言い方だが、実の母が他界したときよりも失った悲しみが深かった。

やがて卒業、就職し、悲しいことは時間が美しい思い出に変えてくれた。
入社直後から6年間は関西の部署に配属され過ごし、東京にある本社に戻ってきたのは7年目を迎えた頃だった。
上司に連れられて、取引先への新任のあいさつ回りの最中だった。
新宿にある取引先に行く途中、背後から視線を感じたので振り向くと、どこか見覚えのある顔の女性が慌てて目を逸らして急にスピードを上げて歩き出した。
その女性に手を引かれていた小学生くらいの子供を見て息が止まりそうになった。
小学生になったばかりの頃の俺に瓜二つだったからだ。
後を追おうとしたけど、俺は上司と一緒だったのですぐに見失ってしまったが、あの後ろ姿や歩き方は間違いなくお母さんだ…ということは、あの子は?

その夜、俺は独身寮に戻ってからお母さんが消えた当時のことを懸命に思い出してみた。
そう言えば、俺が会社の旅行に連れていかれる少し前頃に急に体調を崩し、気持ち悪い、ひどい頭痛がする、吐き気が止まらないと言って、何度かセックスを拒まれたことがあった。
もしかしたら俺の子どもを妊娠していたのか?そうに違いない、だから俺の前から消えて、どこかで子供を産んだのだろうか?
いろいろ考えて、俺の頭の中は自己嫌悪間でパニックになった。
なんで気付いてあげられなかったんだろう、どれほど苦労してきたんだろう、俺は自分で自分を責めた。
探し出してなんとかしてあげたい、しなければいけないんだ、俺はそう思って休みの日は新宿から出てるすべての電車に乗り、いろんな駅で降りてみてはお母さんを探し回った。
寺尾聡の歌じゃないけれど、お母さんが好んで着ていたような服やよく似た髪型の女性、小学校低学年の男の子を連れた女性を見るたびに、前に回って顔を確かめたりもした。
そんなことを3年くらい続けただろうか、それでもやっぱり見つけだすことはできなかった。

あれから10年経ち、今では俺も妻子を持ったが、どうしても忘れることができない。
今でも似た女性を見ると顔を確認せずにはいられない。
これから先も、俺は一生お母さんの幻影を追い続けると思う。

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投稿者:こう
2014/09/15 04:30:19    (iMT3U4qN)
R指定で映画化!
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