もう15年くらい経つので、時効かな。
私は一回り以上も上の主人と中学生の時に知り合い、高校1年の時に妊娠し、そのまま高校中退。
父からは勘当を言い渡されて、実家にも表立って頼れないまま、子供たちを育ててきました。
主人は稼ぎは良いものの、地元でも有名な女好きで、子供が高学年になる頃には、週1回くらいのペースで帰宅するような家庭になっていました。
まだ私は20代後半だったけど、母親として頑張っていました。
そんな私の支えになってくれたのは、長男の家庭教師をしてくれていた男性でした。
彼は当時、有名な大学に通う大学生で性格も明るく、長男だけでなく、次男まで彼にすぐに懐いてくれました。
私は自業自得とはいえ、学歴にコンプレックスもあり、子供たちが懐くだけでなく、私も彼に少しずつ依存していくようになっていました。
主人は子育ての相談相手にすらならないし、彼の方が親身に相談に乗ってくれていたのもありました。
日が経つと、毎日のように連絡を取っていました。
男女の関係になったのは、家庭教師の時間が終わった後、夜遅くまで私の話を聞いてもらっている時でした。
子供たちはもう寝ている時間帯で、私も部屋着でした。
お酒は入っていませんでしたが、彼が急に抱き寄せてきて、
「もう我慢できません」と言ってきたのです。
そのままソファに押し倒されるようにされて、少し期待をしていた私は形だけの抵抗をしました。
彼の手が部屋着の中に、そして、下着の中に入ってきて、女としての歓びを感じていました。
全てを脱がされ、愛撫され、足を大きく開かされて、あそこを丁寧に舐められて、彼よりも私の方が興奮していたのではないかと思います。
自分から求めるように彼のズボンとパンツを私が下ろして、口でしました。
彼は年上の私に対して、愛撫だけでなく、言葉でも責めてきて、『慣れてるな…』と内心思いましたが、
すでに心を先に捧げていた私は、彼に身を委ねることも厭いませんでした。
恥ずかしい言葉を言われたり、言わされたりしながら興奮していた私は彼に跨り腰を落としました。
主人しか知らなかったので、不思議な感じでした。
「我慢できなかったのは、俺だけじゃなかった?」
そう聞かれた私は頷いていたと思います。
体を入れ替えたりしながらも行為は続き、その間もかれの愛撫もずっと続いていました。
もうどこが気持ちいいのか分からないくらいに、私は久しぶりの男性に溺れていました。
繋がったまま持ち上げられて、玄関の姿見の前で自分の姿を見せられ、玄関に腰を下ろした彼の上で腰を振っていました。
彼に口を押さえられながらも腰を振ってしまっている姿を見ていると余計に興奮しました。
繋がったままで、洗面台、浴室へと移動し、彼はやっと果てました。
一緒にシャワーを浴びている間もイチャイチャしながら、愛撫をされて、またその気になって、タオルを巻いただけの姿で寝室へ。
一晩掛けて、愛されたのは初めての事でした。
翌朝、彼がいる事に喜んでいた子供達。
彼は子供達と一緒に出たはずが、1人で戻ってきました。
忘れ物かなーと思っていたら、玄関でそのまま私を抱きしめた後で濃厚なキスをされ、持ち上げられて、寝室へ。
少し強引でしたが、乱れたままのベッドの上で、更に乱されてしまいました。
若さからかタフな彼に翻弄されて、彼が家を出た後もまともに家事なんか出来ませんでした。
それから彼との連絡の頻度が増えただけでなく、内容も男女の内容になっていきました。
休講になったからとお昼過ぎに来て、私を抱いてから、子供の勉強を見てくれる時もありました。
子供達の隙を見て、私の体を触って来る事もあり、
私も期待してしまっていました。
彼が家に泊まる事も増えていき、私も子供達もそれを望んでいました。
彼は私の相手だけでなく、子供達と夜遅くまで話し込んでくれる事もありました。
その内容を抱かれながら聞いたりした事も。
深く考えた事もなかったのですが、行為中に撮影されたりもありました。
連絡取っている時も、彼の求めに応じて、私は自分を曝け出すような姿を送ったりするようにもなっていました。
会えなかった夜に電話Hをしていたら、我慢できなくなった彼が会いに来てくれた事もありました。
そんな彼と下の子と私で市民プールに行った時の帰り、彼が私の車を運転してくれて、子供は後の席で寝てしまっていました。
彼の手が私の太ももに伸びてきて、スカートをたくし上げ、パンツの中に指が入ってきました。
寝ていたとはいえ、子供の前で…と思いながらも彼の行為を拒む事は出来ませんでした。
言われるがままに、私はパンツを脱ぎ、腰を少し前に出していました。
恥ずかしい音が聞こえると、彼はその音で子供が起きちゃうかもね。
と私を言葉でも責めてきて、興奮してしまいました。
上の子が家に居たので、下の子をお願いして、買い物に行くと言って、彼の部屋へ初めて行きました。
車をコインパーキングに止めてから、少しイチャイチャしてから、彼の部屋へ。
パンツは車の中に置いたままでした。
ベッドに倒れ込んで、お互いに服を脱ぎ、短時間でしたが濃厚な時間を過ごしました。
その時から、私は2人の時は呼び捨てで呼ばれるようになりました。
それは私としてもすごく嬉しい事でした。
休みの日に、子供達も含めて4人で会うことも増えていきました。
長男も次男もサッカーをしていて、そこに一緒に行くこともありました。
たまに帰ってきては、あまり子供たちに興味を示さない父親である主人の存在感が、子供達の中で薄くなっていくのは、私にも分かりました。
主人にもそれが伝わっており、離婚しないのが不思議なくらいの関係になっていました。
もちろんその分、彼の存在が私たちの中で大きくなっていました。
身も心も完全に彼に奪われていた私は、ある時、家事をしていた時に、彼に抱きつかれて、イチャイチャしたまま、裸になり、ベランダで洗濯物を干した後、彼に身を委ねました。
外から見えてしまうかもしれない、ご近所に彼との事が知られてしまうかもしれないと恥ずかしさや背徳感は、私をさらに彼との行為に溺れさせていました。
子供達の見えない所で、彼に言われるがままに下着を脱ぎ、愛撫してもらったり、子供たちがそれぞれ自分の部屋に入った後で行為をしたりと、少しずつ過激になっていったと思います。
彼の部屋でしている時に、両手を括られ、目隠しをされたりもするようになりました。
子供たちが家を空けている時に、縄跳びで両手両足を括られた姿を撮影されたりもしましたが、私は嫌ではなく、むしろ、彼に抱かれることを喜びと感じ、彼がマンネリ化しない為に色々と考えてくれているんだと思っていました。
何が普通なのか?分からないのですが、彼が私とのことを考えてくれているから、私は彼に身を委ねようと思っていました。
4人で夕飯に行った帰りに、子供たちに彼と2人で飲んで帰りたいとお願いし、子供たちも行ってきなよーと言ってくれて、2人で飲みに行くことに。
家から歩いて行ける居酒屋さんで飲んで、彼に私の話を聞いてもらっているうちに、時間も経ち、かなり酔っていました。
その帰りに公園のベンチで彼が買ってくれた水を飲んで休憩している時に、彼の手が私の服の中に。
拒む理由はなく、『昭子の恥ずかしい姿を見てみたい』と言われた私は、いつものように彼に身を委ねました。
キスをしている内に上半身は完全に捲られていて、履いていたデニムも少しずつ脱がされ、パンツも連れて少しずつ脱がされていました。
彼が正面に回ると両足を持ち上げられたような格好になり、私の恥ずかしい部分が正面から丸見えになってしまった状態で感想を聞かれました。
『もっと恥ずかしがって欲しいな』
そのまま彼にデニムとパンツを片足脱がされてしまい、大きく足が開かれる事に。
上半身も出したまま、彼に恥ずかしい所をたくさん舐められてしまいました。
人通りがないとは言え、どこに人目があるかも分からない中で、そんな事をされても彼を拒むことが出来ませんでした。
座り直させられると、正面に立っていた彼のを口でして、私が上になって、彼と繋がりました。
彼に態勢を入れ替えられて、胸と繋がった所を誰かに見られるような感じにもなりながら、
耳元で彼からの言葉での責めも受けていました。
恥ずかしいのに、声を自分では殺しながらも気持ち良さを出してしまっていました。
最後は、私がベンチに両手を付いて、後ろからして、初めて彼を中で受け止めてしまいました。
彼との子供が内心欲しかった私は言葉では少し焦ったような事を言いながらも、内心喜んでいました。
映画デートをした時も席でパンツを脱がされた私は映画が終わるまでに愛撫され続け、何度かイッテしまうくらいでした。
映画が終わり、我慢出来ずに、私の方からホテルに誘っていました。
その時に、初めておもちゃをホテルの部屋にあった自販機で買って、楽しみました。
映画中の愛撫で敏感になった体をおもちゃと備え付けの電動マッサージ機でたくさんされて、おかしくなっちゃいそうでした。
その時の私は彼を4回も求めてしまい、彼が帰りにエナジードリンクを飲んでいたのが印象的でした。
子供たちも合流して、夕飯を食べた後、4人で帰宅しました。
子供たちとも夜遅くまで話してくれて、私は1人で寝室に。
その頃には、子供たちは彼が主人のベッドで寝るもんだと思っており、彼が寝室に入ることを自然なこととしていました。
彼が入ってくるのは、私のベッドで昼間に4回もしたのに、彼の手は私のパジャマの中に入ってきました。
まだ子供たちが起きている音が聞こえてきましたが、布団の中からはイヤらしい音も聞こえてきました。
声は我慢しないと子供たちに聞こえてしまうかもしれません。
でも、彼は私に我慢させまいとしてきました。
拒めば良いだけなのですが、彼がそうさせないのではなく、私が拒むことを望んでいませんでした。
その日は全裸になった後で、彼によって敏感にされてしまった体を彼の目の前で1人で慰めている姿を見せました。
彼が許してくれるまで、自分で何度かイッた後、彼が口にはいってきてから、ようやく望んでいた場所に沈めてもらいました。
すごくスローな感じのSEXでした。
昼間の激しいのも好きですが、たまにあるスローな感じのも好きになっていました。
ゆったりとした時間の中でゆっくりと体を入れ替えたりしながら、お互いに愛を確かめ合うように体を重ねるなんて、彼以外としたことがありませんでした。
意識が少し遠のくと言うかボォーっとしてくる中で、一緒にいきました。
そのまま眠りにつき、朝は2人とも全裸で目を覚まし、キスをする。
幸せな時間でした。
彼が居ることで、子供たちも相談相手が身近にいるので、安定した家庭環境がありました。
だけど、彼はあくまでも家族ではない存在なのです。
同じ頃、主人に離婚を提案しましたが、自分から寄り付かなくなったのに、それだけは断固拒否でした。
それなのに、主人はもう一つの家庭で婚外子を設けている事を知り、私も彼との関係に対して開き直る事が出来ました。
彼は生活のほとんどを家で過ごすようになり、彼の部屋は2人きりになりたい時に使う部屋になっていました。
その部屋で朝から夕方までおもちゃで楽しんだこともありました。
私の30歳の誕生日には、リモコンバイブを仕込んで、子供たちも連れて食事に行きました。
幸いにも子供たちには分からなかったかと思いますが、羞恥と興奮で何度かイッテしまってました。
食事の後、子供たちを先に送り届けて、彼とドライブへ。
トイレも我慢していたこともあり、彼に車を路肩に止めてもらうと、私は道端で彼に撮影されながら用を足しました。
早く終えたいのに、終わらない。
街灯の灯りが少し恨めしく思いました。
そんな事をしたのに、私の方が彼よりも求めていたと思います。
彼の部屋に行くと、軽くシャワーを浴びて、ベッドへ。
私が彼に覆いかぶさったり、彼の腰の上で自ら沈めたりしながら、
彼から放出されたものを中で受け止めてしまいました。
彼の方が冷静で『責任取れないから』と中に出してもらえるのは、ホントにたまにだけでしたが、私は彼の子供を本気で欲しいと思っていました。
彼が私に言った事は、自分が社会人になって、私が主人と正式に離婚した後で、私たちの関係が続いていたら子作りをちゃんと考えたいと言う事でした。
私なんかよりも、ちゃんと考えてくれていた事が、すごく嬉しくて、さらに私は彼に溺れていきました。
この時に問題だったのは、主人が音信不通状態になってしまっていた事でした。
彼からはまだ俺にも時間があるから、焦らないでと、良く言われていました。
彼を手放したくない私は、彼の欲望のままにされるがままになっていきました。
子供達が部活と習い事で夕方まで帰ってこない休日に午前中からリモコンバイブを仕込んでのデートに出掛け、途中に寄った公園の駐車場を待つ間に彼のを口でして、公園で少し露出を楽しみ、戻った車の中でHしてから、またリモコンバイブを仕込んで散歩をしました。
まだ子供達が帰ってくるまで時間があったから、私の方から彼を求め、全身を敏感にされて、また夜に求めてしまいました。
また別の日には、ベランダで洗濯物を干している時に彼がベランダで全部脱いだら、中に出してくれると言ったので、
私は恥ずかしい気持ちもありながら、全てをベランダで脱ぎました。
彼に言われて、脱いだものを他の洗濯物と一緒に干して、下着は裏表をひっくり返して、一番見える所に干しました。
ベランダの手摺に手を付いて、片足を室外機の上に乗せられて、恥ずかしい所をたくさん触られたり、舐められたりしていたのに、彼を喜ばせようとする気持ちが勝っていました。
そして、後ろから彼が入ってくると声が我慢出来なくて、干してあった下着を丸められて口に入れられました。
約束通り、彼は中に出してくれましたが、ベランダの床に私から垂れた彼の精液が勿体なく思えました。
彼のを口で綺麗にしている間に彼に言われて、私は自分でクリをイジっていました。
今度は角度によっては外から私の表情が丸見えの位置で後ろから彼を受け入れ、片足をベランダの手摺の上に上げられてしまいました。
声も遮るものがなく、多分気付かれた近所の人もいたと思います。
それでも彼を求めてしまいました。
ベランダの床に四つん這いになり、お尻を突き出したような姿勢でいると、
彼が私のお尻の穴をイジってきました。
イジられたのは初めてじゃないので、いつもの事だと思っていたら、いつの間にか、指じゃない太いものが入れられました。
初めてのアナルHでした。
1回目で床に垂れた精液を頬に付けながら、私は初めて彼をお尻で受け止めました。
何回もいじられていたせいか、痛みは少なく、それよりも快感のほうが勝っていました。
ベランダでものすごく恥ずかしい事をしてるのに、体が彼を求めてしまっていました。
約束通りに最後はまた中に出してくれました。
全裸のまま、ベランダから浴室へ。
シャワーを浴び終わり、少し冷静になっていたものの、彼に言われるがままに全裸でベランダに行き、ベランダで干してあったその時に脱いだものを再び着ました。
早めのお昼を食べて、2人で家事を済ませてから、買い物へ。
駐車場で少しイチャイチャしながら、リモコンバイブが仕込まれ、買い物中にも彼に喜んでもらえました。
100円ショップでおもちゃの手錠と小さなマッサージ機を買い、車に戻ると後部座席でヘッドレストに両手を手錠で括られ、服を捲られて、敏感になっていた体にマッサージ機で…
5回いくまでと彼が言っていたのですが、実際にはもっとイッテしまいました。
帰りは彼が運転してくれて、自宅までの間、ほとんどの時間を私は口でしていました。
家の駐車場に止めた車の中でしてしまいました。
外から見えるかもしれないのに、裸になってしている時に、興奮してしまっている自分を知った日でした。
その頃から、家の中でしていても、わざと窓を開けてみたりもしました。
彼が喜んでくれるであろうことが、私自身の快楽にもなってしまっていて、余計に彼と離れることができなくなっていました。
彼と過ごせる時間に限りがあると思ったのは、彼が就職で海外志望がある事を知った時でした。
ただ彼はそれまでに私の離婚が正式に決まれば、一緒になっても良いと言ってくれていましたが、実際の生活を考えると厳しいとは思うとも言いました。
明らかに主人よりも稼ぎは劣るだろうし…と彼の方が現実的な事をちゃんと見ていてくれていたと思います。
そして、この頃から離婚も上手く進まないし、彼と離れてしまう怖さからか、少し感情的な所を彼に見せるようになってしまっていました。
彼はそれを逆手に取って、快楽へと誘ってくれる時もありましたが、ほとんどが流されていたと思います。
彼が就職の準備があるからと、家を出たのが、卒業する前の年末でした。
実家に帰った後で、そのまま残っていた彼の部屋へと彼は戻りました。
それでも彼はたまに泊まってくれていましたが、明らかに彼の気持ちが冷めてきているのが分かりました。
理性的な彼はその時の私から見て、すごく冷たく感じることもありました。
子供達への態度は全く変わらずだったので、子供たちは彼に対しての懐き方は変わりありませんでした。
卒業する直前に、私は彼に最後に抱かれました。
スローな感じにも、強引な感じにも抱いてくれて、今でもその時の記憶が私の脳裏にも体にも残っています。
彼からの希望で、卒業後に連絡を取ることはしませんでしたが、今でも子供達とは連絡を取り合ってくれています。